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| 全長 | 6.2m | 全幅 | 3.1m | 全高 | 2.4m | 重量 | 24.5t | |||
| 最高速度 | 46km/h | 航続距離 | 200km | 乗員 | 5名 | |||||
| エンジン | マイバッハ HL90(V-12 ガソリン、360馬力:3,600rpm) | |||||||||
| 装甲 | ||||||||||
| 砲塔(正面、側面、後面) | 50mm | 車体(正面、側面) | 50mm | 車体後面 | 20mm | |||||
| 武装 | 5cm KwK39(L/60) 1門 | MG34 7.92mm機関銃(主砲同軸、車体) | ||||||||
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中欧の埋み火 1938年5月。 ドイツ陸軍兵器局は車両メーカー各社に対し、3号戦車(PzKpfw.III)に代わる新型戦車の試作を発令した。 3号戦車が旧式化したためか。いや、そうではない。それどころか、3号はこの時点で正式には”ZW”と呼ばれる試作車に過ぎず、事実上初の量産型である『E型』を昨年12月に生産開始したばかりだった(”3号戦車”の名称が与えられたのは、1938年の9月末である)。 まだ本格的量産にも至っていない新型戦車があるのに、早くもこれを代替する『新々型戦車』を開発せよ、とは…。しかし、これを奇異に感じる者は、ほとんどいなかった。 1938年。この年の3月、ドイツは「政権を掌握したオーストリア・ナチス党の『要請』により」オーストリアに派兵、これを併合した。無血による支配地拡大に成功した第三帝国は、次に隣国チェコスロバキアをうかがい始める。英仏は、ドイツの爪牙がソ連へ向かうことを期待しており、ソ連は両国の行動に不信感を募らせていた。表面上は勢力均衡による平和が保たれているが、欧州には徐々にきな臭い香りがたちこめ始めている。 このような空気のなかで、ドイツが新型戦車の充実を急ぐのは当然と受け止められたのである。 当時、クラウス・マッファイ社はVK601と呼ばれる車両を試作中だった。これはのちに1号戦車C型として制式化されるが、要するに1号戦車に2号戦車の砲塔を装備したような軽戦車である。この種の車両は、新生ドイツ軍の黎明期には訓練用に価値があったが、衝突に直面した現状では不要不急のものと考えられた。このため、同社と兵器局は、VK601は一時置いても新型戦車の開発に取り掛かることで合意したのである。 新型戦車”VK2501(K)”の開発に当って、同社が特に留意したのは機動力である。 支援戦闘を主務とするBW(4号戦車)に対し、対戦車戦闘を主務とするZW(3号戦車)は速度・踏破性など機動力を重視する。そのため、開発は従来のダイムラー・ベンツ製3b/ZW(3号戦車D型)を参考に、駆動部を改良する方向で進められた。 転輪配置は、重量分散に効果的なオーバーラップ式とし、トーションバー方式で懸架する。履帯幅は55cmとした。3b/ZWは36cmの履帯を使用していたが、このサイズでは重量25tの新型戦車を駆動させるには不十分と見られたためである。 エンジンは、当初ZWと同じマイバッハ製HL120TR(300馬力)の搭載を想定していたが、このエンジンでは重量20tのZWでも最大時速40kmが精一杯で、25tの”VK2501(K)”に時速45kmを出させるのは無理な相談だった。そこで、より大馬力のHL90(360馬力)を搭載することになった。 (※…当初、HL120TRを搭載した試作車の計画も存在した。全体重量を18t程度に抑えた場合、300馬力でも時速45kmが達成可能と見られたが、余りにも余裕の無い設計となるため廃案となった。) 車体はエンジンの変更と履帯幅の増加、航続距離200kmを満たす燃料タンク増設のため、ZWよりも幅広となり大型化した。 武装は要求どおり、60口径5cm砲のKwK39(L/60)を搭載する。ただし、砲塔は従来のZWをやや手直しした程度であり、ターレットリングもほぼ同じサイズだった。このため、例えば75mmクラスの砲に換装する余地はほとんど無かった。これは、兵器局自身が「長砲身5cm砲でさえ、破格の威力」と捉え、これ以上の火力増強は不要と考えていたためである。また、残念ながら砲塔バスケットはまだ装備されていない。 5cm砲弾は、84発を搭載する。 防御装甲については、至近距離からの37mm砲の射撃に耐えられるよう、砲塔全周と車体前面・側面に50mmの装甲を張り巡らせた。前面だけでなく側面・後面までも最大厚であるのが特色であるが、これは敵陣深く突破進入することを想定し、全方向からの射撃に対抗するためである。 同様の理由から、砲塔側面のハッチは円形のものに変更され、視察用クラッペとピストルポートは撤去された。 そのほか、車内の乗員配置や装具類は、3b/ZWのものに準じている。 試作車両”VK2501(K)”は、1939年8月に完成した。 この間、チェコスロバキアは解体され、ポーランドがドイツの圧力にさらされることになった。英仏とソ連の軍事同盟交渉は不調に終わり、ソ連は独自にドイツと不可侵条約を締結。英仏はポーランドと相互援助条約を結んだ。 欧州には薪が高く積まれている。「ポーランドに侵攻しても、英仏は戦争には踏み切らないだろう」との観測もあるが…欧州は、もはや発火寸前だ。 |