Panzerkampf-Wagen X
5号中戦車ヴォルフ 1941-1945



5号中戦車ヴォルフ


 新世代主力戦車として大きな希望を担って開発され1941にアフリ カに現れて以来常にドイツ陸軍の屋台骨として東西あらゆる戦場で 自らの屍を晒しながら最後の日まで敵を撃ち続け、今尚搭乗員達の 誇りとなっている、ドイツ陸軍を支えた鋼鉄の狼の全貌。
妙に腰高です
A型の側面図


1938年5月・ドイツ陸軍発令

車種:
 中戦車
重量:
 25t以下
武装:
 (1) 主武装:60口径50mm×1
 (2) 副武装:7.92mm機銃×2
最大速力:
 時速45km以上
航続距離:
 200km以上(路外)
装甲:
 スペインでの戦訓により、500mの距離にて37mm戦車砲弾に耐えうる事。
用途:
 対戦車戦闘、歩兵支援
特記事項:
 (1) PzKpfw.IIIの後継車輌として位置づける。
 上記の要求には3号戦車・4号戦車の時と同様に足回りについて次のような技術的注文が付加されていたと思われる。
 1. 大直径転輪を用いて上部転輪を廃止する
 2. トーションバーの採用

5号戦車A型

全長  :7.22m
全幅  :3m
全高  :2.66m
重量  :23t

最高速度:45km/h

発動機 :出力320馬力V型10気筒
      ポルシェTYPE101/1ガソリンエンジン

武装  :60L/50mm戦車砲KwK39/1×1 (86発)
      7.92mm機関銃MG34×2 (2,400発)

前面装甲 : 50mm
側面装甲 : 30mm
後面装甲 : 20mm
砲塔正面 : 50mm
砲塔側面 : 30mm
砲塔背面 : 20mm
主砲防盾 : 50mm
キューポラ: 50mm

車体:
 MAN社が提出したプランは、全溶接箱型車体をトーションバーによって懸架されたオーバーラップ転輪を備えた車体で
あったが、兵器局の指示とは異なるリターンローラを持つ中型転輪の足回りであった、MAN社の説明に依れば「大型の防
弾鋼製転輪は慣性が大きく駆動効率が下がってしまう、片やハーフトラックのような軽量プレス転輪では用意に破損・変形
してしまうため、防弾鋼板の中型転輪が最良である」と言うものだった。
 さらに当時は履帯はづれ防止の為に前輪駆動が有利とされていたが、ここでもMANの選択は兵器局とは相反する後輪駆
動であった彼らの説明では、「確かに前述のような克服するべき問題はあるものの、被弾の集中する車体前面は出来るだけ開
口部を少なくし一面の装甲板で構成するべきである」と言う実に真っ当な物で、これは兵器局も納得するものだった、何よ
り兵器局が了承したのはソ連や英国の戦車がRRなのに我らがドイツが「技術的理由で出来ない」などとは「技術屋魂」が許さ
なかったのだろう。

武装:
 一方要求に従い60L50mm砲を装備した砲塔は3号戦車と酷似した物であり非常に堅実にまとめられていた。これは当時ドイ
ツにおいて3号戦車の砲塔構造と照準指揮装置が無駄が無く洗練された高度な射撃システムであったことを物語っている。
 設計中に3号戦車への60口径50mm砲の搭載が検討され始めたため、より大型で新しいこの戦車にはより大きな砲を搭
載する余地を持たせることになり結果4号戦車に迫る大きさのターレットと砲塔を持つに至った。
 さらにMG34は3号4号と何ら変わらぬ車体前面右端のボールマウント架と主砲右側の同軸配置だった。

駆動系:
 今回の設計で選定されたエンジンはHL116直列6気筒(300馬力)だった、このエンジンはHL120(V12)に比べ車内容積
が大きく取れ要求に見合う燃料を搭載することが出来た。
 航続距離を満たすため大馬力だが燃費の悪いHL174は早い段階で検討対象から除外されたようである。
※当時、設計重量が22tであったことと抵抗の少ない足回りによって45h/ kmは十分可能と考えられていた。
※550馬力を発揮するHL174があったが本来がヘンシェルの30t重戦 車用で燃費が悪く選択されなかった。
※当時グーデリアンが唱えた「電撃戦」において敵中深く斬り込んだ機甲部隊の安全は移動し続けることによって確保されるも
のとされ。航続距離は戦術的だけでなく戦略的にも重要なものだった。


車載装置
 無線機
 方位ジャイロ
 方位指示装置
 車内インカム

開発経緯

  38年 5月:仕様要求発令
  38年 1月:3号戦車への50mm砲搭載のための設計作業を開始。。
  39年 8月:この日までに提出されたダイムラー社・ラインメタ
         ル社・MAN社それぞれの設計案の中からVK2001[M]が
         選出されMAN社が設計の監修を行うこととなった。
  39年 9月:ポーランド戦役において対戦車砲による被害がこれ
         までになく増加したためより堅牢な装甲が必要であ
         ることが判明。
        :さらに最も協力である筈の3号戦車の3.7cm砲が非力
         過ぎて、主力戦車として能力不足であることを露呈。
  40年 某月:戦車師団増設に伴い戦車が定数不足に陥る。
  40年 6月:フランス戦⇒重装甲のソミュア等と遭遇
       6課指令:将来の主砲装換可能なこと。
  40年 某月:6課会議:配備計画の練り上げ、
  40年 5月
  41年 初頭:試作第1号ロールアウト→クレマンスドルフ車両試
        験場で試験開始。(結果は操向装置の耐久性不足が指摘される)
  41年 3月:5号戦車A型として制式採用され、部隊での運用
        による実地試験を約一ヶ月ほど行い3月中にアフリ
        カへ向かうことが決定。(実質的には増加試作型と言
        って良く生産数は20輌)
        A型は冷却不足が露呈し灼熱のアフリカで大問題となる。
  41年 3月:A型全てが外装式エアクリーナーを装備しアフリカへ渡る。
        (このエアクリーナーは実質アフリカ限定仕様となる)
  41年 4/20:ヒトラーの誕生日。
  41年 5/26:ヒトラーのバイエルンの山荘イーグルネストで兵器
        の基本的問題を討議する会議が行われた。
         それによれば、機甲師団の先鋒となる戦車部隊に、
        敵戦車より破壊力(貫徹力)の優れた火砲を装備し、
        強化された装甲を持ち、路上最高速度40km/h以下の
        装甲車両を各々20両配備しようというものであった。
  41年 6月:本格的量産型であるB型がロールアウト
         (6月の初めころ頃とされている)
         (p101/1からHL116へ変更、エンジンデッキが
         フェンダー上へ張り出しラジエターや補助エンジン
         が装備される)
  41年 5月?:急著発令された対ソ戦に伴いソヴィエトの主力45mm
          戦車砲に抗するために急遽増加装甲キットが前線に
          配布される。
  41年 6/22:バルバロッサ発動
  41年 某月:T34・KV1と遭遇
         (丁度この辺りから生産数が増加しはじめる)
  41年 11/20:軍需大臣アルベルト・シュペーアを長とする調査団が東部戦線に派遣される
  41年 暮れ:6課より火力増大を目的をとしたプランCが指示される。
  42年 初頭:75mmL48を搭載した新型砲塔が完成。
  42年 初頭:C型がロールアウト。
  42年 暮れ:6課より装甲強化を目的としたプランDが指示される。
        (この直後C2後期生産型は20mm増加装甲を装着し始める)
        (増加装甲取り付け方法は工場によって溶接とボルトの2通りあった)
 43年 初頭:D型としてロールアウトした初期ロッドは基本50+
        増加20であるため、改修したC型との外見的識別
        不可能である。
        (この車体これまでC2型だとされてきたが出荷記録はD型
        にで現実に車両自体は実質的にC2型そのものであると言う
        不思議な状態が発生していた)
        (同時期にシュルツェンの装備が始まったらしく装備車両
         の写真が少数ながら受けられる)
  43年 +1:傾斜装甲を備えたD型がロールアウト(中期生産型)
        (この時からの生産車両こそD型でありその車体は前
         面が60mm傾斜装甲となっていた。)
        同時に砲塔用シュルツェンは廃止される。(D型以前の改修車両では続行)
        この一連のD型に纏わる形式の矛盾は、各工場のライン
        切り替えが1〜2ヶ月掛けて時間差で行われたためとさ
        れているが、車体番号を調べてもD型に移行後もがC型
        が出荷されているのが確認できる。恐らくは装甲材の手
        配に問題がありD型にも移行した工場にC型の装甲材が
        発送されたが、プランDそのものは実行されていたため
        帳簿上は前期型も後期型もD型となったと思われる。
  43年 初秋:直視式キューポラを改めペリスコープ式の新型になる(後期生産型)
  44年 初夏:ゴム資源の入手難により、6課から鋼製転輪装備が指示される。
         砲塔前面を絞り込んだシュマール砲塔搭載車両がロールアウト。
        (最後期生産型)
  45年 初頭:極々少数だがだがステレオスコープを搭載の新砲塔(通
        称E砲塔)を持つE型が存在したが、D型車体にE砲塔を
        搭載した試作車両1輌以外は新規製造は一切なされず回収
        車両数輌に搭載されたのみである。
        (砲塔は10基が製作されその内7基が実際に搭載されたと
        言われている)
         しかし6課の資料からプランEは確認できないため、
        次世代戦車を念頭にしたステレオ効果実証の為のテスト
        ベットだったと考えられる。

        以後強化プランが幾つか練られら様だが実際これ以上の重量増加は不可
        能だったために、プランとしては提出されていない。
        更に台車のファミリー化は一切行われず全てが戦車型として生産された。
        (深刻な戦車不足を補うべく、各種自走砲はライン改修を施さなくて済む
         3・4号台車をラインに載せる事が決定していたために可能となった。)


大解剖
車内配置図

右側が前にオフセットされている
足回り配置図

コレ4番目のデザインです
転輪及び履帯