スコダ BMW Pzkpfw40(t)40式戦車



《諸元》
乗員5名
全長:6,9m
全幅:3,5m
全高:1,8m
自重:26t
速度:40km/h 
発動機:マイバッハHL108TR V12気筒 250ps
サス:リーフスプリング
航続:260km
装甲:側面、後面40mm
    車体前面92mm  
武装;48口径75mm砲、7、92mm機銃2門
    
39式の開発は無難な構造により比較的速やかに行われ、
1940年7月には初期ロット70両が生産された。
このころ欧州の陸戦に一先ずケリがついていたのでアフリカへと回された。
39式の攻撃力は3号を凌ぎ英軍に「チェコ」と呼ばれ恐れられた。
比較的幅が広い履帯だったため砂漠では有利であったのも大きい。
弱点は背が高かったことと、
39式は車体が小さいため、エンジンからの発熱も車内に入り
決して乗り心地は良くなかったことだった。
それに加えて車体の小ささがマズイことがもう一つあった。
対戦車火力の肥大化が戦車の大型化を要求したためだ。
比較的余裕のあった4号戦車は支援戦車の位置から脱し、
後の主力戦車となるべき存在であった。
が、39式には難しい相談だった。
車体をそのままに48口径75mm砲を搭載すると
射撃時の安定性に欠け、また十分な装甲厚を確保できない点も懸念された。
そんな中、39式の突撃砲化案が開発部より提示されたのである。
「しかし、このクラスの突撃砲は3突の領分だろう?」
「いえ、ちょっとした細工をすればいいんですよ。ちょっとしたね・・・。」
開発部長は隠し持っていた第二の図案を机の上に広げた。
「こ、これは!?」
先ほどの図面の砲が横にずれて、生じたスペースに
一号戦車の砲塔が乗るという特異なスタイルだった。
「これをどうしろというのかね?」
「いいですか?これは砲塔が乗ってる以上間違いなく戦車なんですよ。」
開発部長は声高に言った。
「銃塔な気もするが・・。で、それがどうしたというのだ?」
「ですから・・・。ゴニョゴニョゴニョ・・・。」

・・・・・。

この案が世に送り出されると、陸軍内では大論争に発展した。
スコダにしてみればしてやったりなのだが。
装甲兵科はこれを戦車だとし肯定的な意見だったのに対し
砲兵科はこれを突撃砲だとし、突撃砲ならば3号で統一すべきだとした。
これを戦車だとすれば突撃砲により発生した武勲の機会が
半減してしまうことを砲兵科は恐れ、譲ろうとはしなかった。

意見に一致点が見られず、泥沼化した議論に決着をつけたのは
総統、アドルフ・ヒトラーであった。
命令は「この型のみ戦車として以降このタイプの開発を禁ずる」と言うもので
「違反したり議論を再燃させる者は罰する」という文も付いていた。
結局、T34対抗を欲する機甲兵科が押しとおし、
試作一号車の完成と共に採用に漕ぎ着けることに成功した。
生産は42年5月には開始され、ごく少数はスターリングラードに持ち込まれた。
モロトフカクテルを砲塔に食らうと液体が車内に流れこみ炎上するといった
致命的な欠陥が発覚してから現地で
砲塔を撤去してしまう部隊が続出した。
これを受け10月には砲塔を車体と切り離し、車外からの操縦によるものとした
B型が完成した。
その後も主砲を76,2mm砲とした型や
105mm榴砲を搭載さた型も作られた。
部隊内では主に4号の間に組み込まれ、野戦で戦陣を切った。