1938年5月・ドイツ陸軍発令
車種: 中戦車
重量: 25t以下
武装: (1) 主武装:60口径50mm×1 (2) 副武装:7.92mm機銃×2
最大速力: 時速45km以上
航続距離: 200km以上(路外)
装甲: スペインでの戦訓により、500mの距離にて37mm戦車砲弾に耐えうる事。
用途: 対戦車戦闘、歩兵支援
特記事項: (1) PzKpfw.IIIの後継車輌として位置づける。
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1941年10月・ドイツ陸軍発令
車種: 中戦車
重量: 35t以下
武装: (1) 主武装:48口径75mm×1 (2) 副武装:7.92mm機銃×2
最大速力: 時速45km以上
航続距離: 200km以上(路外)
装甲: ソ連戦での戦訓により、1,000mの距離にて75mm戦車砲弾に耐えうる事。
用途: 対戦車戦闘、歩兵支援
特記事項: (1) PzKpfw.IIIの後継車輌として位置づける。
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車体:
MAN社が提出したプランは、全溶接箱型車体をトーションバーによって懸架されたオーバーラップ転輪を備えた車体であったが、兵器局の指示とは異なるリターンローラを持つ中型転輪の足回りであった、MAN社の説明に依れば「大型の防弾鋼製転輪は慣性が大きく駆動効率が奪われ易くなりその重量自体も相当な物になります、片やハーフトラックのような軽量プレス転輪では用意に破損・変形してしまうため、防弾鋼板の中型転輪が最良である」と言うものだった。
さらに当時は履帯はづれ防止の為に前輪駆動が有利とされていたが、ここでもMANの選択は兵器局とは相反する後輪駆動であった彼らの説明では、「確かに前述のような克服するべき問題はあるものの、被弾の集中する車体前面から開口部を排除し、ドライブシャフトが無い分車高を低くしたり車内容積に充てることも可能になる」と言う実に真っ当な物で、これには兵器局も納得したが何よりソ連や英国の戦車がRRなのに我らがドイツが「技術的理由で出来ない」などとは「技術屋魂」が許さなかったのだろう。
車体構造はD型以降は大きく変わりA〜C型の上下分割構造が上下一体構造になっているのは見えないながらも注目すべき変更である。
D型以降は装甲強化や長砲身75mmの搭載などでノーズヘビー気味になりチョットした上り勾配では車体が傾かずにサスが沈み込み水平を保つ有様だった。
E型から参加した3号戦車の生産で多くを学び5号戦車に反映させているのが各所に見て取れる。
武装:
一方要求に従い60L50mm砲を装備した砲塔は3号戦車と酷似した物であり非常に堅実にまとめられていた。
これは当時ドイツにおいて3号戦車の砲塔構造と照準指揮装置が無駄が無く洗練された高度な射撃システムであったことを物語っている。
設計中同社の人間がモックアップで相当遊んで壊したらしく、追加の伝票と引き換えに人口工学的に考えられた造りに成っている。
3号戦車への60口径50mm砲の搭載研究が始まった、これのより大型で新しい戦車に従来型と同じ砲が搭載されるという事実は、本車の存在意義を揺るが事態となり設計は将来における砲の換装を考慮したものに修正され、結果4号戦車に迫る大きさのターレットと砲塔を持つに至った。
その後36t案に対応するため48口径75mm砲を搭載したが、ターレットはギリギリのサイズで内部も窮屈になったのだが換装を考慮した設計だけあって何とか許容出来る範囲に収めることが出来た。
駆動系:
今回の設計で選定されたポルシェ製のTYPE101/1 空冷ガソリンエンジン320馬力だったのだが何ゆえマイバッハを差し置いて採用されたのかはコノ車輌の謎である。
しかし砂漠での運用から直にHL120へ換装されエンジンデッキ周辺が相当形状が大きく変化している。
※一説にはヒトラーの指示で空冷になったとも言われている
※当時、設計重量が22tであったことと抵抗の少ない足回りによって45h/kmは十分可能と考えられていた。
※550馬力を発揮するHL174があったのだが本来がヘンシェルの30t重戦車用で燃費が悪く選択されなかった。
※当時グーデリアンが唱えた「電撃戦」において敵中深く斬り込んだ機甲部隊の安全は移動し続けることによって確保されるものとされ。航続距離は戦術的だけでなく戦略的見地からも重要なことだった。
36t案に対するMAN社の答えは、5号戦車の改良型だったしかし重戦車に専念している筈のヘンシェルが目下開発中のVK3601(H)を提出し、ダイムラーは先進的な設計だった、これらに対し大きく見劣りするMAN社案は現在の戦力差を埋めるためのストップギャップとして増産しヘンシェル案とダイムラー案を本当の意味の次世代戦車として引き続き比較検討することとなった。
(最終的にはヘンシェル車が1年後のチタデレ作戦でタイガーの廉価版として初陣を果たすものの遂に5号戦車を上回る数を配備することは出来なかった)
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VK3601(H)
開発の推移
38年 5月:仕様要求発令
(3号戦車も本格的に量産が始まったので、次世代戦車の開発が指示されたのだ)
38年 1月:3号戦車への50mm砲搭載のための設計作業を開始。
6課は5号戦車に対しても将来60mm程度の主砲へ装換することを考慮するよう指示。
39年 8月:この日までに提出されたダイムラー社・ラインメタル社・MAN社それぞれの設計案の中からVK2001[M]が選出され MAN社が設計の監修を行うこととなった。
39年 9月:ポーランド戦役において対戦車砲による被害がこれまでになく増加したため、より堅牢な装甲が必要であること が判明。
:さらに最も強力である3号戦車の3.7cm砲が非力過ぎて、主力戦車として能力不足であることを露呈。
40年 5月:戦車師団増設に伴い戦車が定数不足に陥る。
40年 6月:フランス戦⇒重装甲のソミュア等と遭遇。
41年 1月:試作第1号がロールアウト
:試作車3両がクレマンスドルフ車両試験場で試験開始。
(操向装置と最終減速器の耐久性不足が指摘される)
41年 3月:5号戦車A型として制式採用され、習熟訓練を行った後3月中にアフリカへ向かうことが決定。
(実質的には増加試作型で生数は25輌だった)
:A型20輌が外装式エアクリーナーを装備しアフリカへ渡る。
:A型はその後、灼熱のアフリカで冷却不足が露呈し大問題となり、現地でオーバーヒート対策として大型の集砂 フィルターと強制送風機が組みつけられ、乗員は暇さえあればフィルターを取り出し砂を叩き落とさなければならなかった。
(通称トロピカルタイプ)
(この一軒をもってA型をドイツ版カビナンターと位置づけ欠陥車両扱いする向きがあるが、本来が中央ヨーロッパを 想定した設計だったことを考えると北アフリカでのトラブルは仕方ないのではないだろうか)
41年 3月:6課は大至急エンジンをマイバッハHL120TRMに装換することを要求。
41年 4/20:ヒトラーの誕生日。
41年 5/26:ヒトラーのバイエルンの山荘イーグルネストで兵器の基本的問題を討議する会議が行われた。
41年 5月:本格的量産型であるB型がロールアウト。
(6月の初めころ頃とされている)
(P101/1からHL120TRMへ変更され、エンジンデッキがフェンダー上へ張り出す)
41年 6月:戦車師団の大拡張による戦車不足を重く見た上層部は4号戦車の生産を停止し5号戦車への生産転換を大車輪で 進めるように指示。
41年 6/22:バルバロッサ発動。
:T34・KV1と遭遇。
41年 10月:新たに36トン級戦車の開発要求が発令される。
41年 11/20:軍需大臣アルベルト・シュペーアを長とするT34調査団が東部戦線に派遣される。
41年 12月:既存戦車の延命処置として3号戦車と5号戦車への75mm砲の搭載を検討した結果、5号戦車の火力増大を目的
としたプランCが指示される。
42年 2月:75mmL43を搭載した新型砲塔が完成。
:6課は36t級戦車の設計に傾斜装甲の概念を取り入れることを要求。
42年 3月:MAN社は36t級案として5号戦車ベースとした改良案を提示。
:6課はMAN社の改良案を採択。
(次世代戦車が揃うまでの繋ぎとしての採用だった)
:C型がロールアウト。
42年 4月:6課は装甲強化を目的としたプランDを指示。
(この直後C後期生産型は20mm増加装甲を装着し始める)
(増加装甲取り付け方法は工場によって溶接とボルトの2通りあった)
42年 6月:強化型ミッションを搭載したD型用車体が試験場で走行試験を開始。
(D型は増加した重量に対応するために駆動系を変更したのだ)
42年 7月:D型としてロールアウトした一部の初期ロッドは、改修したC型そのものであり外見的識別不可能である。
(この車体これまでC2型だとされてきたが出荷記録はD型にで現実に車両自体は実質的にC型そのものであると 言う不思議な状態が発生していた)
(同時期にシュルツェンの装備が始まったらしく装備車両の写真が少数ながら受けられる)
:傾斜装甲を備えたD型がロールアウト(中期生産型)
(この時からの生産車両こそD型でありその車体は前面のみだが傾斜装甲を備えており後輪駆動だからこそ可能な 改良だった。)
(この一連のD型に纏わる形式の矛盾は、各工場のライン切り替えが1〜2ヶ月掛けて時間差で行われたためとさ れているが、車体番号を調べてもD型に移行したはずの工場からC型が出荷されているのが確認できる。恐らくは 装甲材の手配に問題がありD型にも移行した工場にC型の装甲材が発送されたが、プランDそのものは実行されて いたため帳簿上は前期型も後期型もD型となったと思われる。)
43年 3月:主砲が48口径75mm砲に変更される。
43年 11月:直視式キューポラを改めペリスコープ式の新型になる(後期生産型)
44年 2月:ゴム資源の入手難により、6課は鋼製転輪装備を指示。
(最後期生産型)
45年 初頭:極々少数だがだがステレオスコープを搭載の新砲塔(通称E砲塔)を持つE型が存在したが、D型車体にE砲塔を搭 載した試作車両1輌以外は新規製造は一切なされず回収車両数輌に搭載されたのみである。
しかし6課の資料からプランEは確認できないため、次世代戦車を念頭にしたステレオ効果実証の為のテストベッ トだったと考えられる。
(砲塔は8基が製作されその内7基が実際に搭載されたと言われている)
以後強化プランが幾つか練られら様だが実際これ以上の重量増加は不可能だったために、プランとしては一切纏め られていない。
注:文中に頻繁に出てくる6課とは兵器局兵器試験第6課のことである。
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D型の側面図(シュルツェン装備状態)

車内基本配置図(A型)

足回り配置図

転輪及び履帯
A型(増加試作型)
重量 :23t
最高速度:44km/h
発動機 :ポルシェTYPE101/1 空冷ガソリン320馬力
武装 :60L/50mm戦車砲KwK39×1 (86発)
:7.92mm機関銃MG34×3 (2,400発)
前面装甲:50mm
側面装甲:30mm
後面装甲:20mm
防盾 :50mm
砲塔正面:50mm
砲塔側面:30mm
砲塔背面:20mm
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B型(駆動系改善型)
重量 :24t
最高速度:42km/h
発動機 :マイバッハHL120TRM
液冷V12ガソリン300馬力
武装 :60L/50mm戦車砲KwK39×1 (86発)
:7.92mm機関銃MG34×2 (2,400発)
前面装甲:50mm
側面装甲:30mm
後面装甲:20mm
防盾 :50mm
砲塔正面:50mm
砲塔側面:30mm
砲塔背面:20mm
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C型(火力増強型)
重量 :25t
最高速度:42km/h
発動機 :マイバッハHL120TRM
液冷V12ガソリン300馬力
武装 :43L/75mm戦車砲KWK40×1 (78発)
:7.92mm機関銃MG34×2 (2,400発)
前面装甲:50mm
側面装甲:20mm
後面装甲:20mm
防盾 :50mm
砲塔正面:50mm
砲塔側面:20mm
砲塔背面:20mm
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D型&VK3601(M)(装甲強化型)
重量 :30t
最高速度:39km/h
発動機 :マイバッハHL120TRM
液冷V12ガソリン300馬力
武装 :48L/75mm戦車砲KWK40×1 (78発)
:7.92mm機関銃MG34×2 (2,400発)
前面装甲:60mm(45度角)
側面装甲:30mm
後面装甲:20mm
防盾 :80mm
砲塔正面:50mm
砲塔側面:40mm
砲塔背面:20mm
細かな変更により生産形式は以下の4種に分類できる。
前期型・中期型・後期型・最後期型
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E砲塔
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E型(ステレオスコープ試験型)
D型への搭載時
重量 :31t
最高速度:38km/h
前面装甲:60mm(45度角)
側面装甲:30mm
後面装甲:20mm
防盾 :80mm
砲塔正面:80mm
砲塔側面:40mm
砲塔背面:20mm
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