石狩型(推定名)


 (5)計画に向けて摂津重工が設計した水雷戦隊旗艦用巡洋艦。
 従来の阿賀野型巡洋艦では設計変更を行なっても丙型駆逐艦やその後継艦で編成される「40ノット水雷戦隊」の旗艦としては苦しい為、設計を一新、思い切って艦を大型化し重巡なみの大型艦としたものである。
 「重巡のような軽巡」の筈だが、速度対策などを行なう内に次第に駆逐艦のような艦型になっていき、最終案では巨大な駆逐艦そのものの姿になっており、内部では「1万トン駆逐艦」とか「4倍駆逐艦」などと呼ばれた。

 細い船体に19万馬力という<大和>よりも25%も強力な機関がたたき出す40ノットの高速、、7連装3基21射線という重雷装艦なみの常識はずれの雷撃力、必殺を狙わず、あくまで水雷戦隊が射点につくまで敵艦隊を押さえることを目的に改良された14センチの速射主砲など、水雷戦隊の旗艦として、駆逐艦群の先頭に立って水雷突撃を行う事をひたすら追求した艦となっている。

 反面、直接防御力は貧弱で10トンを超える高性能炸薬を露天でならべているという事情を別にしても、装甲は阿賀野型並み、その上、長大化&軽量化の為に防御区画が短くなっており、駆逐艦が相手でも大怪我をさせられる危険性があるが、逆に船体が長くなった事から機関部は中間区画付きのシフト配置を採用、艦幅の関係から縦水密も装備できなかったので、生存性はそれなりのものがある。

 摂津内部では仮艦名を勝手につける風習があり、この艦の時はそれが混乱して各部署がてんで勝手に仮艦名をつけたため<淀>から<道頓堀>まで20種類を超える名前が資料に登場してしまっている。
 どうでも良いことで混乱しているのを見かねた(あきれた)海軍は未採用ながら仮艦名を与えて事態の解決を図ったらしく、どのレベルによる命名かは不明であるが、日本人研究者の協力でドイツ人研究者によって著され、アメリカ海軍が英訳し、独自資料で補完した'Warships of the Imperial Japanese Navy in Wartime'では予定艦名は Ishikari,Tokatsu,Shiyorozuto,Korai となっている。
 1番目と2番目は<石狩>、<十勝>で問題なし、3番目はおそらく<四万十>の読み違い、4番目は<高麗>でないかと言われていたが、艦名として不自然であり、最近では<高梁>の間違い(あるいは原資料の書き間違い)ではないかという説が有力である。

 もちろん、水雷戦隊旗艦用巡洋艦などというものがミッドウェイ・ショックによる改(5)計画に残れる筈もなく、丙型駆逐艦もろとも全艦が建造中止となった。

 戦後、本型で開発されたHD(アルミ合金)の利用技術(HDの溶接技術を含む)を接収したアメリカは「模倣と拡大を旨とする日本造船界における数少ない見るべき技術」と感心し、アメリカ艦艇でも広く採用されたが、アルミ合金の使用そのものが火災時の損害の拡大や腐食問題で大騒ぎとなり、「造船技術まで体当たりしてくるとは思わなかった」と勝手に納得したコメントを残している。

石狩型(推定)諸元
基準排水量9800トン
公試排水量13500トン
垂線間長198m
最大幅15m
吃水(平均)  6.9m
主機/軸数艦本式オールギヤードタービン4基/4軸
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専燃)8基
出力190000馬力
速力40.7ノット
搭載燃料重油2900トン
航続力18ノットで8000浬
砲熕兵装14cm50口径連装砲3基
25ミリ連装機銃10基
水雷兵装61センチ7連装魚雷発射管3基
爆雷投下軌条2基、九四式爆雷投射機2基、爆雷36発
九三式探信儀、九三式水中測音器
航空兵装射出機1基、水上偵察機2機(零式三座、九八式夜偵 各1機)
装甲甲板20ミリ、舷側40ミリ
乗員810名

[各部の設計] [設計の経緯]


摂津重工
 仮想の会社。大正末から急成長した為、中島や川南と比較されるが、中島知久平、川南豊作のような希代の天才の姿はなく、新興企業が親陸軍なのに対抗心を燃やした海軍により「作り出された」印象がある。(この時期の社長が陸軍出身なのも、中島&陸軍へのアテツケであると思われる)
 本拠地の大阪のほか、川南香焼島に対抗して三重県の志摩半島に大工場を作り、造船のほか、航空機の生産や海運も行っていたが、「第二海軍」「海軍志摩工廠」と称されるほど海軍べったりで、海軍で予算のつかない研究や計画の引き受けも行なっており、独自の軍艦を計画する技術力を有していた。
 海軍べったりであったが、それ故に政治に関与しなかった事と本業が造船だった事、トップがクーデターを計画するような真似をしなかった事などにより、解体や倒産を免れ現在に至っている。バブル期に調子に乗って社名を「セッツ」とカタカナに変更したが、今では後悔しているらしい。