中島試作高速爆撃機『キ−82 煽龍 −せんりゅう− 』 米軍コード:キャミィ(笑)

煽龍

 本機は昭和十七年二月に陸軍航空本部より発令された要望に沿って開発された高速爆撃機である。
 本機は中島が誇る液冷エンジン液冷W型『NWE ハ−15』を搭載する高速双発機として昭和 十四年より基礎研究が開始された高速機が前身であった。
 この機体は海軍の十三試双発陸上戦闘機 J1N(後の『月光』)を昭和十四年に開発された液 冷エンジン『NWE ハ−15』搭載用に改良した物で中島が自社開発し、社内コードを『高速機 N−15(中島 ハ−15搭載機)』と呼称していた。
 このN−15は海軍でJ1N不採用(双発戦闘機として)が決定した後、廃棄が決定していたが 新たに中島が開発した液冷エンジン『NLH11型 ハ−39』のテストベット機として復活し、 昭和15年よりこの新型エンジン搭載を機に問題点解消の為の大規模な改良が開始された。
 液冷エンジン搭載型J1Nに大きく興味を持っていた海軍であったが空冷エンジンに対し、信頼 性で大きく劣る液冷エンジンへの不安は大きく結局この機体も中島の自主開発機となった。
 本機は先例を習い、『高速機N−39』と呼称された。
 液冷エンジンメーカーとしては川崎に大きく遅れをとっていた中島は、まだ液冷エンジンを搭載 した採用機を出しておらず、本機に対する意気込みは相当な物であった。
 中島は本機の主任設計技師に小山悌、副技師に糸川英夫を選定し、全社を挙げ『N−39』に取 り組んだ。
 中島が本機に取りかかっている内に風雲は急を告げ日本は大東亜戦争へと突入した。
 戦線で一機でも多くの航空機を必要としている中、自主開発どころではなくなってしまい『N− 39』開発はその規模を大幅に縮小せざるおえなくなった。
 だが小山技師の提唱した専門別研究開発システムのお陰でその火は消える事がなかった。
 そして昭和十七年二月、陸軍航空本部より軽爆撃機の要求が出された。
 中島は今こそ『N−39』の真価を見せる時だと決断した。
 小山技師、糸川技師は二式戦『鍾馗』や艦攻『天山』の開発に追われていたが決して本機を疎か にはしなかった。
 ”中島にも優れた液冷エンジンがあるんだ”それが彼等の合い言葉になった。
 基礎研究が進んでいた本機は異例の早さで開発が進み、試作機は僅か一年で完成した。

 小山技師はハ−39を効率よく搭載する為に今までに前例のない高翼配置を採用した。
 そしてその翼には東大の谷一郎教授が開発し、海軍・川西が十五試水戦として進めていた『強風』 に採用した画期的な翼断面を持つ『高速LB翼』と呼ばれた層流翼が用いられた(『強風』の様に 自動空戦フラップは搭載されていなかった)。
 また、本機はその高速性能を発揮する為に極めて大きなアスペクト比を持つに至った(この事は 本機の急降下性能に一抹の不安を残した)。
 そして高位置にある翼から懸下されたエンジンは全日本機中最大級の大きさを持つ4mの四翼プ ロペラの装備を可能とした。
 エンジンの冷却は機体後部下面及び、機体後部側面に設けられたラジエータで行った。
 本機は『高速LB翼』実験中に偶然発見された『境界層』理論に基づき、エンジンナセル及び、 ラジエータは翼面や機体から境界層分離されて設置された。
 この発見は『層流翼』と共に以後の日本軍機に大きな影響を与える事となり、三式戦『飛燕』な どは機体が再設計され、機体下部ラジエータが『境界層』分離れて配置される事となった。
 また武装も重戦闘機並のホ155U/30mm機関砲1門(100発)及び、ホ5/20o機銃4 門(各200発)を固定で装備し、これとは別に最大1tにも及ぶ搭載量を持った。
 これはひとえに本機の搭載する強大なエンジン出力及び、巨大なプロペラによる物であった。
 この巨大なプロペラは2500馬力にも及ぶ『ハ−39』の出力を効率良く伝え、昭和十八年三 月の第一回テスト飛行中にあっさりと700km/hの壁を破ると言う快挙を成し遂げた。
 この事に狂喜した陸軍は直ぐに本機を正式採用し四式軽爆『煽龍』と呼称した。
 『煽龍』は当時の日本機中最速の機体でどんな米軍機の追跡をも振り切れる高速機であった。
 それ故、本機は多様な任務に就くことになった。
 爆撃を筆頭に偵察、強力な武装を生かしてのB−29迎撃戦、夜間戦闘型に複座化もされた。
 これら様々な任務に就くうちに本機の根本的な問題点が浮き彫りにされた。

 第一は稼働率の低さ。
 第二は急降下速度が速すぎ引き起こしが非常に困難な事。
 第三は量産性の悪さ。
 第四に着陸速度が非常に早い事。

 特に第一は致命的で平均稼働率は三割から二割で零戦の半分にも満たなかった。
これは液冷エンジンに不慣れな前線整備士から来るもので中には帝都防空の任を持った第47戦 隊(成増)の様に本機の稼働率が常に100%近かった部隊も少数ながら存在していた。

 二番も大きな問題となった。
 本機のダイブスピードは最大で音速を超えたとも言われ多くの機体がそのまま地面に激突した り空中分解を起こしたと言う(特に昼間迎撃時、B−29護衛のP−47・P−51との戦闘で 多く見られた)。
 高い翼面荷重を持った本機のダイブスピードは非常に速く(P−51よりも早かった)後ろに 付かれた時はダイブさえすれば楽に逃げる事は出来たがその引き起こしには操縦桿が非常に重く 困難を極めた。
 当時は“音の壁”についての詳細は判っておらず機体の強度不足や、舵面積が大きく関係して いる物と思われるが詳細は不明であった(この為、本機のダイブスピードには制限が設けられ、 一定以上の速力が計測された場合は警報が鳴る様になっていた)。
 またエンジンの過回転による破損も発生している。
 これはプロペラの完全フェザリングが出来無い為で日本軍機共通の欠点であった(川崎三式戦 『飛燕』も降下中に同様の事故が発生している)。

第三の量産性の悪さは当然であった。
 ただでさえ手間の掛かる液冷エンジンを二基も搭載してしていからである。
 本機のクランクシャフト研磨には20時間もかかったと言われ、複雑な滲炭焼き入れと相まっ て量産性は最悪であった。
 本来、液冷エンジンを量産するには中島と言わず日本の設備はあまりにも貧弱であったのだ。

 第四の着陸速度の早さは高い翼面荷重が影響している。
 本機の翼面荷重は日本単座機中では異例の253kg/uを記録し、過々重状態では270k g/uに迫るものであった。
 本機はその高速着陸から“殺人機”“後家作り”と呼ばれ、奇しくも米軍の高翼面荷重機B− 26『マローダー』と同じ不名誉な称号を冠される事になった。
 本機はB−26とは異なり翼の取り付け角度を変更するなど根本的な改良は最後まで加えられ ず前翼スラットと親子式ファウラー・フラップにより補われた。

 『キ−82二型』は複座化され武装をホ155U 30mm機関砲四基に改装した夜戦型で昭 和十九年、機種統合された陸海軍機の筆頭として海軍でも『天雷』の名で正式採用された。
 『キ−82三型』は三座化された偵察型であったが百式司偵の性能が優れていた為、少数のみ が補助的な役割で使用された(本型は正式採用されていない)。
 排気タービン装備の『キ−82四型』、二重反転プロペラ装備の『キ−82四型乙』も計画さ れたが発動機『ハ−39ル(統一名称『ハ−76ル』)』の開発に頓挫し完成には至っていない。  『キ−82五型』は整備に不慣れだった液冷エンジン『ハ−39』を空冷の『ハ−44』に換 装した機体でエンジンを懸架していた本機は非常に楽に改造する事が出来た。
 だが『ハ−44』の開発は遅々として進まず機体のみが完成し、終戦時エンジンを装備した完 成機は僅か3機のみであった。
 エンジンを換装した為にプロペラの装備中心位置が低下し、新設計の3.6m4翼プロペラの 装備を予定していたが間に合わず、4mの正規プロペラを途中で切断し3.6mに成型し使用し た。
 その為、上昇力の低下、離陸滑走距離の増大を招き、エンジン交換の意味は大きく薄れた。

本機はそのスタイルから後に『ネ20』『ネ230』を搭載しジェット化を予定していた。
 実際に完成した『ネ20』を4基装備し試験飛行を行ったのは昭和二十年八月十日で『橘花』 初飛行の2日後であった。
 だがその飛行は芳しくなく(機体重量の過大が最大の原因であった)『ネ230』に望みをか けたが完成を待たずに終戦となった。

 非常に優れた性能を持った本機ではあったが、また欠点も多く各型合計で総生産機数は500 機にも及ばなかった。

キ−82 煽龍 T型諸元

全幅:  16.80m
全長:  12.45m
翼面積: 37.5u
自重:  6000s[全備重量9500kg(正規)]
乗員:  1名
出力:  液冷倒立W型2500馬力2基(NLH11型 ハ−39)51.2g 2速過給
速力:  748q/h:高度6000メートル(正規重量時)
武装:  ホ155U 30mm機関砲×1(100発)
     ホ5 20o機銃×4(各200発)
     爆弾1t

設計技師Olympiaより一言

本機は幻に終わった中島製液冷エンジンの存在を知った時から描いていた航空機です。
日本にもモスキートの様な万能双発機が欲しくなってデザインしました。
とかく双発機は低性能で、大馬力単座航空機に押され気味です。
ですが実際は対爆撃機戦や偵察、長距離爆撃にと様々な分野で使用されており私は好きで す(事実、大型日本機の大半は双発機でした)。
本機はあえて万能とはせずただ速力のみに重点を置いて制作しました。
とんでもない駄機ですが”それもまた良し”と思っています。

ps:本機制作にあたり数々の資料、助言を頂きました『山賊改』様、『やんやん』様に この場を借りて感謝を申し上げます。