

諸元 全長 : 8.85m 全幅 : 12.00m 自重 : 海風 3050kg : 界雷2800kg 全備重量: 海風 4650kg : 界雷 4550kg エンジン : 金星五一型 空冷複列星型14気筒 1300馬力 最大速度: 海風 515km/h(4800m) : 界雷 632km/h(4800m) 上昇時間: 海風 5000mまで5分44秒 : 界雷 5000mまで4分18秒 航続距離: 海風 1200km(標準)、1800km(最大) : 界雷 1400km(標準)、2000km(最大) 武装 : 海風 九九式20mm二号二型固定機銃4丁 九七式7.7mm機関銃2丁 : 界雷 九九式20mm二号二型固定機銃6丁 |
昭和15年8月、海軍から「十五試水上戦闘機」の仕様を受け取った九州航空機(大刀洗製作所)では自社開発の戦闘機の開発に乗り出す決定をした。 特記事項にから局地戦闘機としての採用も期待できる事も魅力的であった。 最大速度500km以上、5000mまで6分以下という仕様は、フロートによる重量、抵抗増を考えると局地戦型は600km以上の最高速度、5000mまで5分を切る性能が必要と考えられた。 当然強馬力の発動機が必要となり、当時の日本で入手可能な発動機としては三菱の「火星」があった。しかし、三菱で開発中の14試局戦が「火星」を採用しており、「火星」を採用した場合、海軍側から見て似たような機種となり、魅力に乏しいと考えられた。 そこで三菱の新型発動機「金星」を使い単発機並みの小型の双発単座戦闘機としてまず局地戦型を開発し、それを水上戦闘機化する事に決定した。開発の要点を以下の4点とした。 1・全長、全幅とも12試艦上戦闘機並みとし、生産性に多少目をつぶっても極力軽量化を図る。 2・単発機に比べ旋回性に劣るので、速度、上昇力、降下速度は単発機を圧倒できる性能を確保する。 3・機体強度は十分以上を確保し急降下速度は、800km以上(局地戦型)を目標とする。 4・主翼は新型のLG翼とし、抵抗低減の為中翼とするが強度確保の為、主桁は全通構造とする。 5・武装・操縦席を機首に集中、特に武装については最大20mm機関砲6門装備可能とする。 6.燃料タンクを中央配置にし燃料残量による操縦特性の変化を抑えると共に自動漏れ止めとする。 こうして出来上がった設計案を海軍に提出したところ、直ちに局地戦型についても試作機の製作が命じられそれぞれ、十五試水戦「海風」・十六試局戦「界雷」と名づけられた。 この海軍の決定の背景には、米英両軍でも双発単座の高速戦闘機を開発中であり、それらへの対抗策を取る必要があったが、三菱、中島と言った主要メーカーにそのような海の物とも山の物ともつかない機種を発注した場合、 現在開発している14試局戦や、13試双戦への影響が懸念されるが九州航空機ならその心配も無かった為と思われる。 昭和16年9月、昼夜を分かたぬ完成した試作1号機は無事初飛行に成功する。操縦性、速度、上昇力とも低馬力荷重機らしく 優れた成績を残した。着陸速度は14試局戦と同等であったが、前方視界が極めて良好であった為かパイロットからも強い苦言は 出なかった。この為、大幅な変更も無く量産型へと移行する事ができた。 昭和17年5月審査を合格した両機は2式双水戦「海風」・2式双局戦「界雷」として採用されそれぞれ30機、100機 が量産され12月より南方戦線へと送られた。量産型では、100発入りドラム弾倉式の九九式20mm二号三型銃に更新されている。 ラバウルを中心とした戦線で界雷は敵重爆搭乗員からサラマンダー(火蜥蜴)と言うニックネームで恐れられた、いかに 重爆といえど、威力の大きい20mm長銃身砲6門は脅威であった。また、対戦闘機戦でもP−38、F−4−Uと言った 重戦にも高空での最高速度以外は優れる本機は常に優位に戦闘を行う事が出来た。とりわけ、圧倒的とも言える中高度での上昇 性能はいかなる局面でも敵戦闘機を振り切る事が可能であった。重爆対策としての斜銃は、本機に も現地改造で搭載されその有効性が確認され続く22型からは標準装備となっていく。 海風は、B25と交戦する機会があり数機を撃墜したが、もともと激戦区では無く主力はゼロ戦派生の2式水戦であり 数も少ない、本機の出番は少なかった。 昭和18年海軍は新型重爆の脅威に対処するため中島飛行機に天雷の試作を命ずると共に九州航空機にも界雷の改良を 命じた。これを受けて改良されたのが22型である。発動機を新型の金星61型に変え、胴体を最初から斜銃搭載を考慮 した構造としている。概観上の特徴としては、ドイツで考案されたと言われる高空用の過給器の空気取り入れ口がエンジン ナセルから飛び出しているのが特徴である。 本機を使用した航空隊では厚木で帝都防衛にあたった353空が有名であり、なかでもB29を38機撃墜した近藤大尉 率いる”新撰組”が有名であり、数多くの撃墜王を輩出している。戦争末期になると発動機数の不足から貴重な発動機を2 基も使う界雷は生産能力が低い事もあり、優先度を下げられた為、前線では常に他機種に対しても不足気味な 状態が続いた。その生産機数は海風を含め400機に満たない。
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