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Windsor[http://www.windsorairport.net/]はカナダだがデトロイトの南にある。禁酒法時代は、みなカジノと酒を楽しみに来た。ここの飛行場の設立者はウィスキー製造所カナディアンクラブのオーナーである。しかし、33年についに禁酒法は廃止になり、米国で酒が解禁されてしまうと訪れる者も少なくなった。 そんな町に、小さな航空機会社が産声を挙げた。32年夏にオタワ協定が結成され、英連邦が市場を閉じたのに対抗して、米国資本のデトロイト航空機株式会社が抜け道を設けようとしたのであった。ところが、資金が続かず親亀はこけてしまった。子亀には、特にこれといった受注品目がまだなかった。幾つもの要求に応募するに留まっていた。 「観測機」「戦闘機」「複座」「水上機にもなる」「艦爆もこなせ」 全部やれというのは何もやるなと一緒で普通の会社は困惑を極めるような要求が提出された。シカモ、1年しか時間的余裕が無い。 常識的には「観測機で水上機」「250kg爆弾を積めない訳ではない戦闘機」「複座艦爆」の何れの場合なら応じ易い。 「こういうニッチにこそ我が社の生きる術が見いだされる」と社長が声を上げた。破れかぶれに過ぎないが。でも、実績がない。そこでVultee社のA-19を参考に開発を進める事とした。気の毒にも、この商談をまとめた帰りに、Vulteeは乳飲み子をのこしたまま、妻と自家用機の墜落でこの世を去った。 爆弾を積んで飛行するためには、しかも浮舟付きで要求を満たすには、1500馬力以上の出力が要求されるものと考えられた。そのため、出たばかりで期待の高いハーキュリーズを採用した。全高を抑えつつトルクを吸収するために双尾翼を備えた。内翼と外翼の境界にバルジをもうけ、機銃と引込脚を後ろに跳上る方法で納める事とした。失速速度と最高速度の差、緩降下爆撃とカタパルト射出・大馬力発動機の機体に耐えるGを支える機体重量とを勘案し、内翼の前翼と後翼を電動式に引き出し翼面積を増やす方法を採った。 雪解けをまってデトロイト河に水上機型の試作機が進水し、続いて艦上機型も進空した。 おもった以上に機体は威力を発揮したし、思った通りに応募した会社はわずかだった。特に50kntの失速速度は小規模な空母には最適であった。早速採用となった。 350英ガロンの燃料は脚と機銃をポットに追出たので内翼270ガロンと胴体に80ガロンに辛うじて搭載することが出来た。 しかし、期待外れだったのは発動機であった。ハーキュリーズは引張り凧な上に当たり外れが多かった。最初の12機をなんとか引き渡したものの、それは本土ではなくカナダ最大の軍港ハリファックスにおいてであった。その日1939年の9月1日、第二次世界大戦が火蓋を切った。 開戦に伴い海路運ばれてくるハーキュリーズの納品が絶望的になった。そのため、本土に首なしの機体だけを送る事を検討した。 英連邦航空兵訓練計画と大西洋における対Uボート作戦に振り回される事になった王室カナダ海軍は自治領で唯一得られる有力な艦載機兼水上機に注目した。 ほぼ同じ大きさのR-2600を使った試験運転を行い。良好な結果を得た。 そこで、王室カナダ海軍(及びオーストラリアとニュージーランド海軍)の艦載機は、この機体に統一されることとなった。もともと体力ないWindsor Aircraftはこの需要に応えるだけで飽和状態となった。 一方で、英本土では調達可能であったフルマーが本採用に格上げとなった。フルマーは一回キャンセルになってから復活したので納品は40年にずれ込んだ。フルマーには水上機が無く、失速速度も高いので、観測機としては不向きであった。そのため、キングフィッシャーが米国から「水上機兼観測機」として輸出された。『なぁんだ最初から分けて提示すれば良いのにぃ』と皆思った。 カナダでは当初はCAM船に積み込まれ、北大西洋での船団護衛に活躍した。 豪州に送られた水上機はツラギ基地の防空戦やMO攻略部隊の輸送船の殲滅などに活躍した。艦載機型はスタンレー山脈上空の戦いに参加し、CA-16 Wirrawayだけでは苦しかったであろう豪空軍を下支えし、ダンピール海峡の補給路を断った。逆に言うと、軍艦にはあまり成果を挙げる事が無かったが、反撃の糸口には欠かせない機体であった。 YA-19Bの経験を汲み、43年からは米国から提供されたF6FにあわせてR-2800に発動機を転換し、さらにR-3350に5翅のプロペラをまわす試作機も提案されたが、欧州戦線の勝利により一回中断となった。 だが朝鮮戦争の開戦とともに、R-3350装備機の再生産が決定され国連軍の一翼を担うカナダ軍機として朝鮮半島と北部九州で活躍する姿が見受けられた。後日、置き去りにされた機体の一部は芦屋に運ばれ「トラトラトラ」の97式艦攻のセットに扮することになった。 カナダでは続く冷戦時代に、3座に改造されたハンター機と複座のキラー機でASWに携わることとなり、回転翼機が成長しASWの座を譲るまで、書類上は空母ボナベンチャーの除籍の1970年まで、在籍した。 オーストラリア海軍では、マラヤ戦争でCOIN機として再利用され、続くベトナム戦争の支援に出動した空母メルボルンからのFAC任務が最後の活躍の場になった。 Finches MkII (R-2600装備増加試作型) 全長 38フィート 全幅 51フィート 全高 10フィート8インチ 翼面積 420平方フィート (ただしフラップ/スリットの展開状態) 自重 7,500ポンド 全備 12,500ポンド (COIN機での陸上基地からの運用) 機銃 翼ポット固定4丁、後部座席旋回連装 機首 2丁 7.7mm機銃 1,000ポンド爆弾搭載可能 (空母では250lbまで全備重量で制限) 発動機 R-2600-8 1700馬力 航続距離 200kntで1100nm (空母からは燃料搭載制限で690nm) 不鮮明な画像が[663]にありますが…忘れて下さい by pong chang. |