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要目 基準排水量:9880t 全長:185.5m 全幅:22.6m 喫水:6.4m 馬力:128000馬力 最大速力:32.2kt 兵装 主砲:45口径試製20.3cm三連装x3 高角砲:40口径八九式12.7cm連装高角砲x4 機銃:九三式保式13mm連装機銃x4 礼砲:短8cm礼砲x4 水雷兵装:十二年式三連装61cm発射管x2 航空兵装:呉式二号五型射出機x2 艦載機:九〇式二号水上偵察機x3 装甲:舷側150mm(最大) 甲板75mm(最大) 主砲塔200mm(最大) 燃料:重油3200トン 航続距離:18ノット 8200浬 ※全艦完全冷房を実施 建造所 神戸 川崎造船所 前回(といっても10年以上前だが)三菱長崎造船所に採用を取られていた川崎造船所は、今度こそはのスローガンのもと、今回のコンテストに参加した。しかしながら要目的に現在計画、建造中の新型軽巡洋艦の焼き直しでは必要を満たせないとも思われた。そこで技術的には既存のもので、その配置・発想を変更することによりアプローチしてみることにしたのである。 川崎造船所の担当:中村大左衛門氏は悩んでいた。 まず最大の問題点は主砲であった。既存の帝国甲巡では、主砲は連装、というのが訓練・損害・大きさなどの点から多用されていたが、海の向こう、アメリカでは三連装を主軸としていた。単に重量効率の問題であれば、多連装とするのが望ましい。しかし一度の被弾で全門使用不能では元も子もなく、また四連装、五連装ともなれば船体の幅が異常な大きさになる。前回採用された”プリンス・イノッチ”号において、短船長・広船幅が採用されており、余裕のある船幅にすることは可能である。三連装ができればもっとも良さそうなのだが、帝国海軍には今まで前例が無い。そもそも海軍に設計、製造を依頼すべき部分においてモノが無いでは仕方が無いのである。個人的なつてを頼ることは心苦しかったが、軍歴時代の上官でもあった伏見大和中佐に連絡を取ってみることにした。 そのころ、ちょうど伏見中佐も来るべき海軍休日あけにおける新造戦艦について案を練っていた。新型戦艦においては、既存の戦艦の発想ではすでに時代遅れである。英国ネルソン型における三連主砲は非常に有効ではあるのだが、やはりネルソン型の配置では機関の場所が得られず、また後方に発砲できない点は運用上問題である。帝国海軍では三連主砲を前後2:1で配備した例など無いのだが、アメリカの甲巡ではすでに採用済みであり、その得失は十分割に合うものと思われる。新型戦艦も同様の配置を推してみたいのだが、いかんせん実績が無い。そこに中村氏からのお願いが来たのであった。 20.3cm砲の三連装を作る。 考えは簡単だが、すでに最上型に採用が決定している三年式60口径15.5cm三連装砲塔に20.3cm砲を載せることは無理である。完全に新造とするからには金がかかるが、幸いイブクーロ王国は金持ちそうであり、採用されれば採算は取れるだろう。大きさを抑え、重量も軽減しなければならない今回の主砲等については、既存の連装主砲に中央に一門追加する形ではできないだろうか。独立砲架をあきらめ、二基分の装備で三門をのせた砲鞍を動かすことにより、幅と重量を節減させた試製砲塔を設計したのである。各砲身の独立した動きはできないが、連装砲塔と大差の無い大きさで三門を搭載できた。 次いで問題になったのは全体的な砲の配備である。中村氏は単に主砲を三連装化した高雄型を想像していたのだが、伏見中佐はここで持論である”対空砲の全周化・副砲化”を提案。帝国海軍では異例の航空機危険視思想を持ち出してきたのである。”既存の帝国海軍艦艇の対空砲は横にしか火力を発揮できない。四基あっても常に使用できるのは半分であり、巡洋艦がもっとも警戒せねばならない後方からの水平、降下爆撃に対して、火力が発揮できない。甲板に250kg爆弾が命中すれば、数発で致命傷になりかねない。”というものであった。これにより、前後左右に各一基の配備をした対空砲の配置が決まった。 船体の設計、建造は中村氏の独壇場となった。かねてから危惧をしていた技術の低い溶接船体建造をあきらめて鋲接とし、しかし強度のあまり必要ない上部構造はできるだけ軽くするために溶接とする。結果として、下が重たく上の軽い船体が出来上がった。ボイラーは缶室4室を中央にまとめ、それにより三軸推進としたタービンに供給。タービン室はちょうど飛行甲板の直下に並列の配備。これも幅広の船体ゆえに可能となった。三軸推進は”プリンス・イノッチ”号を踏襲したわけである。128000馬力の主機はコンパクトにまとまり、その前方、ちょうど艦橋直下〜前部主砲群までに広大な空間が出来た。ここには重油タンク、軽油タンクが置かれたが、それらは艦舷側に配備されており、なおも広大な空間は補機室とされた。何ゆえに異常なほど広い補機室を必要としたのか。これは中村氏の出身地にも由来していた。氏は北海道出身であったのである。氏は神戸に在住の身ではあるが、夏の暑さで解けてしまうのである。クーラーは必須であった。その中村氏が”イブクーロ王国は赤道直下”と聞いた瞬間、全艦完全冷房を決定し、そのこから船体の設計を始めたのは容易に想像できた。そのためにも、異常とも言える大出力冷房装置の搭載を決定したのであった。 上部構造として上甲板に中央楼式の最上甲板を配置。艦橋基部に一階層を設けて、平時の訓練航海時における士官候補生室および講堂とした。この場所は戦時には艦隊司令要員部署にそのまま転用できるものとなっている。そして儀礼用に7.6cm短口径礼砲を左右各二門、合計4門を搭載。ここは戦時においては周囲のブルワークをはずし、13mm連装機銃をそれぞれ換載できるよう支筒が設けられている。艦橋は当初、高雄型に匹敵する大型のものが考えられていたが、建造中に急遽縮小、小型化され、最上型に酷似したものとなっている。 水雷兵装は”プリンス・イノッチ”号同様、61cm魚雷とし、三連装としたが、次発装填装置は軍機のため搭載せず、予備魚雷6本が搭載可能とするにとどまった。 船体の塗装は、平時においては見栄えと他国に威圧感を当て得ない配慮、防暑の点から白となった。また艦首には飾り金具をほどこし、優美さを兼ね備えるよう、留意してある。 甲板は艦隊旗艦であること、どっしりと構えた優美さから木甲板とした。 |
