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昭和12年7月7日、蘆溝橋で日中両軍が激突、
日中戦争がはじまった。それにより上海への輸送量が増加しつつあり、
今後より多くの輸送船の往来がかんがえられた。 時局を鑑み、海軍は海上護衛隊を独立させ、連合艦隊(以降GF)と同格の司令部海上護衛総隊(以降 EF)を発足させた。 しかし、EFの実態は旧式艦艇ばかり連合艦隊からおさがりでもらっただけの貧弱な艦隊であって 年々高性能化がすすむ潜水艦に従来の海防艦では役に立たなくなると言う見通しと 、艦隊決戦に重きを置く海軍は駆逐艦を輸送船の護衛ごときにまわすつもりはなく 日本海軍は艦隊決戦用と船団護衛用の駆逐艦を分ける事とし、本級は本来水雷艇として開発されていた 「鴻」の改良とすでに開発を指示していた新型海防艦の一本化を計り、駆潜艦という新艦種開発を 行うこととなった。 水雷艇「鴻」型をベースに対潜兵装の充実をはかり、魚雷発射管と二番砲塔を撤去し九四式爆雷投射機 (両弦用)6基を搭載、主砲を40口径八九式12.7センチ単装高角砲B1型改4 2基に変更した 駆潜1号は昭和13年2月に着工し、4月3日に公試をおこなった。EFは水上機母艦1隻、本級10 隻からなる護衛群を昭和18年までに10群編成する予定で、1号艦の就航から月2隻の割合で建造 を進めるなど終戦までに109隻が戦列に加わった。 本級は昭和14年12月に増設した6基の九四式爆雷投射機のかわりに陸軍が開発した"九八式臼砲" を利用改造した九九式33センチ4連装噴進式爆雷発射装置を2基搭載対潜能力を上昇させた改良型の 駆潜2型を開発、後にすべてが2型に改造された。 九九式33センチ4連装噴進式爆雷発射装置は"九九式噴進弾"を1200m運び、内包した水面下での 雷道が安定した爆弾型の小型爆雷"九九式爆雷"を12個空中で散布する面制圧兵装で、対潜戦闘ではか なりの効果がみこまれていた。 しかし切迫した戦局と、本土の物資が欠乏してゆく理由を一向に考えようとしない首脳部はEFからG Fへと本級とその運用に必要な重油の割り当てさえも引き抜いてゆき(水上機母艦はミッドウェ ー海戦後すべて引き抜かれ空母に改装された)有効な船団護衛は不可能となっていった。 ソロモン方面では連合軍潜水艦の撃沈を記録するも、ガダルカナル島への物資輸送船団護衛と九九式3 3センチ4連装噴進式爆雷発射装置をとりはずして物資を搭載し自ら輸送に参加するなど、本来の目的 とは違う用途に使われ、本級は日本海軍艦艇中最大の喪失隻数を同方面にて記録。 その後、国産ソナーの劣性能と海軍首脳部の無理解もあって本級の真価を発揮する機会は与えられるこ となく長江で河川砲艦の替りを勤めたり、シンガポールなど泊地の掃海に従事するうちに終戦。 皮肉なことに、河川砲艦として使用された時の本級は陸軍から高く評価され、陸軍に九八式臼砲の 見直しをさせ、硫黄島・沖縄の戦いで日本製噴進弾の威力を連合軍にみせつける事となった。 終戦を迎えた本級は本土各地の掃海作業に従事した後すべて連合軍に接収された。 戦後の本級は、1951年に大韓民国に接収された本級「平海(ピョンヘ)」(23号)がソ連から供与された北朝鮮 の本級「巡威(スンウィ)」(51号)と交戦。本級初の水上艦撃沈を記録。 また、米国から返還されて警察予備隊籍にはいってた92号は1954年6月の自衛隊設立に 伴い艦名を"いさりび"と改め1978年に海上自衛隊を除籍になるまで日本の海をまもりつづけた。 |
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[駆潜2型要目]
基準排水量:840トン
全長:88.8メートル
全幅:8.2メートル
喫水2.8メートル
主機:艦本式GT2基,2軸
主缶:ロ号艦本式缶2基(重油専焼)
出力:19,000馬力
速力:30.5ノット
航続力:14ノットで4,000浬
兵装
40口径八九式12.7センチ単装高角砲B1型改4 2基
昆式40ミリ単装機銃三型 2基
九四式爆雷投射機(両弦用)1基,同投下台 6基
掃海具 一式
九九式33センチ4連装爆雷投射機(噴進式) 2基
九七式音響探知器 1基
光学
九六式3メートル測距儀 1基
九七式2メートル広角測距儀 1基
九七式爆雷投射指揮装置 1基 |