諸元
クラス: 『芹香』(同型艦『綾香』)
基準排水量: 2,000t
公試排水量: 2,510t
全長: 128m
全幅: 10.8m
平均吃水: 3.56m
主機械: 艦本式オールギヤードタービン2基
軸数: 2軸
主缶: ロ号艦本式専焼缶3基
機関出力: 52,000馬力
速力: 36.5ノット
燃料搭載量 692t(+ガソリン95t)
航続距離 18ノット−5,500海里(計画)
18ノット−6,500海里(実測)
乗員: 220名(+オートジャイロ搭乗員12名)
基本計画番号:F50
兵装: 40口径八九式12.7cm連装高角砲*2基
ホ式25mm三連装機関砲*3基
61cm4連装魚雷発射管*1基
爆雷投射機両舷用*2基
爆雷投下軌台*6基
艦載機: シェルヴァ式オートジャイロ(シェルヴァC−19)改*3機
(補助1機)
昭和十七年十二月より萱場:三式回転翼機『双葉』(カ号観測機改)*
4機(補助1機)
●建造経緯●
本艦型は昭和十二年六月に発令された駆逐艦整備計画に基づき建造された対潜哨戒機搭
載駆逐艦である。
本艦型は用兵側が主要目的として挙げた『対潜兵装の重視』を最大の設計目的とし、従
来の駆逐艦概念を覆す革新的な物となった。
本艦型は飛行甲板を有し、索敵・攻撃用の航空兵装を自由に運用する事が可能となった
のである。
この事は本艦型は対潜戦闘を従来の『攻撃を受けてからの反撃』から『積極的な攻撃』
へと劇的に変化させた。
敵潜水艦を率先して発見し攻撃を加えるシステム、すなわち対潜水艦戦のイニュシュア
ティブを駆逐艦として初めて持つ事に成功したのだ。
本艦型の外見は今までの駆逐艦シルエットとは大幅に異なっていた。
煙突は結合され、まるで重巡洋艦のそれの様であった。
本艦型最大の異色点は艦橋前方に設置されたエンクロースドバウを持つ飛行甲板である。
全長48.5m*全幅10.8mの飛行甲板は基準排水量僅か2,000tの船体には
不釣り合いなほど広く、本艦型はそれを保有する事のみを目的として建艦された事が伺
われる。
船体は量産性を鑑み同期計画艦『陽炎』型と同じ物を延長し使用した。
本艦型の最大速度は船体を延長した事により若干向上し36.5ノットとなった。
本艦型はオートジャイロ運用の為、長大な飛行甲板を設置する代償として重量の嵩む揚
弾機構を持つ対艦用主砲塔の装備を諦めざるおえなかった(これは用兵側への説明であ
り建艦側は当初より対艦用主砲塔の装備を予定していなかったとも言う)。
大重量物である対艦用主砲塔を全廃した事により船体重量は軽減され吃水が上昇、安定
性の不足が憂慮されたが燃料搭載量を増やしバラストとする事で解決された(燃料搭載
量の増加は本艦型に長大な航続距離をもたらした)。
本艦型の主兵装は40口径八九式12.7cm連装高角砲でこれを背負い式に船体後部
に配置(この配置は特型以来の日本駆逐艦に多く見られ広い射界と船体重心低下を主目
的としている。また本艦型は砲を後部配置とした為、波浪除けの防盾は装備されていな
い)射撃指揮装置は九四式高射装置が艦橋直上に設置された。
魚雷兵装搭載の是非は最後まで討論されたが、用兵側の強い要求が通り四連装発射管*
1基(次発装填装置は設置されなかった)が搭載された(後、この魚雷発射管は戦時中
の対空火力増強時に機銃増加の代償として撤去されている)。
本艦型は他の日本海軍駆逐艦に比べ大変充実した対空火力・対潜能力を保有していたが
砲撃一辺倒、魚雷兵装重視の当時の海軍内部には本艦型は予算の無駄使いであり、『陽
炎』型をもう2隻建造した方が良かったのではと言う意見が定説となっていた。
この意見が大きな間違いであったと認識されるのは皮肉にも大戦突入後、敵航空機・潜
水艦によってシーレーンが破壊されてからであった。
本艦型は一等駆逐艦ながら対艦用主砲塔を保有していなかった為、二等駆逐艦扱いとさ
れ(諸外国を欺く目的もあったと言う)艦名も草木・花から選択、一番艦が『芹香』二
番艦は『綾香』と命名された。
●艦載機●
【シェルヴァC−19・Mk.4オートジャイロ改】
本艦型は竣工当時昭和七年に海軍が英国より輸入した日本初のオートジャイロ『シェル
ヴァC−19・Mk.4オートジャイロ』を搭載していた。
オートジャイロとは現在のヘリコプターとは全く別の機能を持つ自動回転ローター機で
あった。
本艦型からの離陸は以下のプロセスで行われた。
まず、本艦は全速力で風上に疾走し合成風力を創りだす。
ジャイロ搭乗員は発動機を全開にして主ローターを駆動、クラッチを切り替え機首プロ
ペラを回転させ機体を前進させる。
主ローターは前進する事で揚力を得て機体は上昇を開始する。
離陸滑走距離は無風状態で本艦型が全力疾走時、約10mであったと言う(本艦型の前
方飛行甲板長は48.5mあり十分な滑走距離を保有していた)。
本機の飛行速度は40〜145km/hで飛行時間は約2時間であったと言う。
本艦型への着艦は特殊な方法が採られた。
オートジャイロは本艦型に平行飛行しながら機体下部に設置された着艦用ウインチを起
動、甲板作業員へ着艦用ロープを降ろす。
甲板作業員は飛行甲板に設置されたポートにロープを結び着艦用意を調える。
オートジャイロ搭乗員は機体着艦用ウインチを稼働させ徐々に機体高度を下げ着艦する。
この方式は非常に安全度が高く、着艦事故は殆ど発生していない(終戦までに強烈な横
風で機体が甲板に衝突した事故が一件報告されているのみであった)。
◎性能諸元◎
全長6.71m 全高3.048m 全幅6.25m 自重476kg
全備重量703k 最大速力145km/h 巡航速度121km/h
実用上昇限度3,350m 離陸滑走距離27m(無風)
着陸滑走距離約2m
[萱場 三式回転翼機『双葉』(カ号観測機改)]
本機は陸軍との共同開発機で昭和十五年、萱場製作所に発注された。
萱場では小原五郎技師を設計主任とし、米国から購入した後、破損し放棄されていた
『ケレットKD−1』を修理改造した初号機を昭和十六年四月に完成させた。
萱場はこの改造機を基礎とした新型機を昭和十七年十一月までに2機を完成させた。
この新型機には上記した『シェルヴァC−19・Mk.4オートジャイロ改』の長所
が取り入れられその完成度は非常に高いレベルに達した。
機体構造は機首周りに軽合金を使用した他は鋼管や木桁に羽布張り、ベニヤ張りで非
常に軽量に仕上げられていた。
本機の発動機は試作機には『ヤコブスL−4MA−7(離昇出力240hp)』を装
備、量産機は神戸製鋼所で国産化した『空冷倒立V型8気筒アルグスAs10(離昇
出力250hp)』に換装されている。
本機は発動機を全開にし約15度の仰角を取る事で空中に制止する事が出来、そのま
まの体勢で殆ど旋回する事無く360度変針する事が可能であった。
また本機はその動力伝達構造が簡単で保守は容易であったと言う。
対潜哨戒時は本機の前席を廃し、そこに60kgの爆雷を搭載、操縦手のみが搭乗し
た。
本機は終戦までに合計で232機が完成し、陸海軍に192機が納入された(陸軍9
8機:海軍94機)。
本機は本艦型に以前搭載されていた『シェルヴァ』に比べ小型化された為、搭載機数
は4機(+補助1機)へと増加した(戦中は露天係止が常識となり最大で8機を搭載、
運用していたとの記録が残っている)。
本機の運用実績は大変優れており陸海軍を越え、数多くの活躍譚を残している。
本機の海軍名称はその主ローターから『双葉』と命名された(奇しくも本機の米軍コ
ードは『リーフ』であったと言う)。
◎性能諸元◎
全長6.95m 全高3.10m 全幅3.15m 自重750kg
全備重量1,170kg 最大速力165km/h 巡航速度120km/h
実用上昇限度4,000m 離陸滑走距離30〜60m(無風)
着陸滑走距離1m以内
●配備状況●
実験艦的意味合いが強い本艦型は常に2艦同時に運用された。
本艦型2艦は昭和十五年四月の竣工と同時に『朝凪』『夕凪』の後を継ぎ第5水雷戦
隊所属:第28駆逐隊に編入された。
『芹香』『綾香』は人選面でもひときわ異彩を放った。
両艦長には日本有数の名門貴族『来栖川(くるすがわ)』家の双子の長男、次男が揃
って着任したのだ。
『芹香』には『来栖川 転(うたた)』大佐(副官:藤田浩之少佐)『綾香』にはそ
の弟の『来栖川 拳(けん)』大佐(副官:坂下好雄少佐)が就任し、兄弟ならでは
の意気の合った艦隊運用を行った。
余談ではあるが本艦型の両艦長は2人とも変わっており、兄の『来栖川』大佐は隠秘
学研究を趣味とし非常に無口、命令は全て副官の『藤田』少佐が復唱し伝えていたと
言う(乗組員は副長の復唱に頷く仕草から『こくこく艦長』とあだ名したと言う)。
弟の『来栖川』大佐は暇さえあれば元空手同門の副官『坂下』少佐と甲板で組み手を
行っていたと言われるほどの無類の格闘好きであったと言う。
第28駆逐隊は大東亜戦争開時は第三艦隊《第二遣支艦隊(旗艦重巡洋艦『足柄』)
》に所属し、南方攻略作戦に参加した。
●戦歴●
第28駆逐隊は大戦初期はフィリピン島攻略作戦に参加、無傷で同作戦を終了すると
そのままシンガポールへと回航、インド洋方面艦隊に配属され対英国東洋派遣艦隊へ
の作戦に就き、終戦まで同地で船団護衛を主とした警戒任務を遂行した。
よって『芹香』『綾香』の両艦は大日本海軍がこれ以後遂行した主立った作戦には参
加していない。
だがそれは決して本艦型が性能的に劣っていた訳では無い。
何故なら『芹香』は終戦までに9隻、『綾香』は7隻の敵潜水艦撃沈の戦果を挙げ潜
水艦撃沈の第一位、二位の栄誉を得ているからである。
だが何と言っても本艦型の面目躍如の戦闘と言えばST280船団護衛時の物だろう。
終戦末期、第28駆逐隊は貴重な戦略物資を満載しシンガポールを出航したST28
0(シンガポール〜東京:第280船団 輸送船:『神岸丸』『保科丸』『長岡丸』
『松原丸』『姫川丸』『宮内丸』及び虜獲、拿捕した旧英国製タンカー:『マルチ』
『セリオ』の計8隻)を旧式商船改装の特設巡洋艦『長瀬丸』と共に護衛し、見事内
地への回航に成功したのだ。
敗戦が濃厚となった昭和二十年三月、シンガポールを出航したST280船団はフィ
リピン沖にて敵潜水艦の接敵を受けるもスコールに紛れ何とかやり過ごす事に成功す
る(『芹香』艦長『来栖川』大佐が艦長室にて怪しげな呪術を行い『雨』を呼んだと
の噂が流布するも公式戦闘記録にその事は記録されていない)。
途中『長岡丸』の『敵潜水艦見ゆ』の誤報に戸惑いながらも何とか日本近海まで無傷
で船団を護衛した。
だが東京湾入港直前の静岡沖で米国潜水艦の接敵を受けてしまう。
上空にて警戒に当たっていた『芹香』所属のオートジャイロ(搭乗員『佐藤雅史』一
飛曹)は船団に接近する潜望鏡波を発見し直ぐさま爆雷を投下、撃沈に成功するも敵
潜水艦の魚雷発射を許してしまった。
発射された4本の魚雷の内、1本が『芹香』との衝突コースに乗っていたが特設巡洋
艦『長瀬丸』が身を挺し魚雷へと突入、船体前部の一部を欠損したが運用には支障無
く、船団の被害はそれだけで済んだ。
同船団のもたらした貴重な戦略物資は終戦直前の混乱によって四散してしまったが同
船団の輝かしい戦闘記録は日本船団史に永遠に光り続ける事となった。
そして『芹香』と『綾香』は共に無傷のまま終戦を迎えた。
その後、本艦型は広大な前部飛行甲板と格納庫を利用し復員船として活躍、昭和二十
一年、両艦とも賠償艦として連合国へと引き渡された。
『芹香』は研究実験艦として米国へと引き渡され艦名を『エレガント』と改名し後の
建艦思想に大きな影響を与えた。
『綾香』は中華民国へと引き渡され艦名を『技力』とし、同国海軍の中核として長く
活躍した。
●造船官Olympiaより一言●
余りにも怪しげな設定ですいません。
友人の『TAKA』氏に『すなみ』様の水雷艇『千鶴』を見せた所、お前もヤレっ!
と言われ、当初考えていた設定を『リーフ』色で味付けしてみました。
実はこれ以外にも日本初の電波兵器(?)搭載駆逐艦『雫』(艦長:『月島拓也』大
佐)とか飛行艇母艦駆逐艦『白雪』(艦長:『森川由紀』大佐)【特型:『白雪』は
第4艦隊事件にて沈没している事にして)とかやりたかったのですが一番ぶっ飛んで
いた本艦型を優先しました(個人的には是非とも『雫』にしたかったのですが・・・)。
米国『フレッチャー』型の一部には水上機を搭載した物がありますが日本の駆逐艦に
はその様な例はありません。
昭和十二年では水上機搭載は無理かな?と思い、他に航空機は無いかと物色している
と何と映画『ルパン三世 カリオストロの城』(古いかな?)で一躍メジャーになっ
たオートジャイロが日本に輸入されているではありませんかっ!
更に戦中には陸軍上陸支援特殊船『秋津丸』にてオートジャイロが良好に運用されて
いるとの事っ!
このオートジャイロなら駆逐艦でも何とかなるかもと考え本艦型は完成しました。
なおST280船団の280はトゥ・ハートと読んで下さい(私は個人的には『委員
長』が一押しですっ!!『TAKA』氏は『綾香』が良いっ!と言っております)。
この様な設計も楽しくて良いですね。
また、この様な機会がありましたら是非参加したいと思っています。
その時はまた宜しくお願いいたします。
それでは失礼させていただきます。Olympiaでした。
PS:この場を借りまして私に数多くの助言、そして『リーフ』作品を快く貸してく
れた『TAKA』氏に感謝の言葉を贈らせていただきます。ホント、アリガトね!
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