山 雨 型  YAMASAME CLASS

 本型は南進論の台頭と南方航路の輸送量増大に伴い、護衛駆逐艦の整備が急務とされた為、第三次軍備充実計画で計画されていた甲型駆逐艦18隻(大和型の為のダミー3隻、高温高圧艦の試験艦1隻を含む)のうち4隻を計画変更して建造したものである。

 艦艇の建造、維持能力(国力)および南方からの輸送予想量、商船隊の規模より護衛専門の駆逐艦の大量建造は不可能という判断より、平時は護衛駆逐艦として使用し、有事には艦隊駆逐艦として使用可能な本型が計画された。

 朝潮型および甲型をベースに設計され、一次状態では魚雷発射管や主砲を減らす代わりに航続力を伸長、武装も爆雷や小口径砲など潜水艦、航空機や小型舟艇といった南方で出会う危険のある敵に対しての対抗手段が強化されている。
 ただし、時局の急転で外国港に抑留される危険を考慮し魚雷は61センチ酸素魚雷ではなく53センチの空気魚雷を搭載、その他の装置も機密兵器や機密兵器の存在が露見しかねない兵器−たとえば測距儀など−などにも気が配られている。
 二次状態では甲型に準じた戦闘力の実現を最優先し、設計上の無理は速力の低下で吸収する事とした為、速力は通常30ノットとなったが、艦隊随伴の為に規定巡航速力は18ノットに引き上げられる。

 速力の低下は艦隊駆逐艦ではかなり痛い問題であるが、海軍は甲型で水雷戦の主役である第二艦隊の水雷戦隊(第2、第4)を編成し、本型や条約型駆逐艦で主力艦の護衛を主とする第一艦隊の水雷戦隊(第1、第3)を編成、大正期の一等駆逐艦と二等駆逐艦のような関係を作る計画であった。

 しかし、甲型の実際の航続距離が計画より遥かに長かった事、時局の悪化で蘭印が原油の輸出を停止した事、開戦となった場合でも南方航路の護衛は重視の必要が無いと予想されること(たとえば想定された初年度の原油産出はわずか年産30万トン)など、存在価値に直結する前提が崩れてしまい、最初の4隻で建造は取りやめられた。

 昭和16年、開戦に備えて全艦が二次状態に改装された。計画では1週間で改装できる筈であったが、計画では主砲と発射管、いくつかの武装だけだったのが機密保持に凝りすぎて測距儀や酸素発生装置、探照灯なども換装する必要が生じた為に手間取り、おまけに「作り置き」してある筈の部品が他に流用されてしまっていたりで1ヶ月近くかかってしまっている。

 時局の変化と甲型駆逐艦の設計の見積ミス(計画より航続距離が長かった)により、設計当所の目的は無意味となってしまったが、低速故に前線部隊には不評だったので早くから護衛部隊にまわされ、対潜装備を復活させ有力な対潜艦となり、本来の目的である海上護衛戦においてそれなりの活躍を残した。


山雨 Yamasame 昭和12年度計画、建造所摂津大阪造船所。昭和15年1月16日竣工、昭和16年9月11日改装完了、昭和19年12月30日戦没。昭和20年1月15日除籍。

海雨 Umisame 昭和12年度計画、建造所舞鶴工廠。昭和15年3月15日竣工、昭和16年11月15日改装完了、昭和17年12月5日戦没。昭和17年12月30日除籍。

氷雨 Hisame 昭和12年度計画、建造所藤永田造船所。昭和15年7月3日竣工、昭和16年12月16日改装完了、昭和18年5月2日戦没。昭和18年6月15日除籍。

霧雨 Kirisame 昭和12年度計画、建造所浦賀船渠。昭和15年2月3日竣工、昭和16年9月13日改装完了、昭和18年3月6日戦没。昭和18年4月1日除籍。


  要  目(新造時)
基準排水量 2000トン
全長118.0m
水線幅長10.4m
吃水3.7m
主機艦本式オールギヤードタービン2基2軸
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専燃)3基
速力25.0ノット
燃料搭載量重油780トン
航続力14ノットで10000浬
兵装12.7cm50口径連装砲3基(1番砲改C砲、2番砲C砲)
8cm迫撃砲8基
25mm連装機銃6基
13mm単装機銃4基
爆雷投射機(Y砲)5基
爆雷投下台10基
53cm魚雷発射管四連装1基
乗員210名
山雨(第一次状態)





  要 目 差 分(二次状態:昭和16年)
速力30.0ノット
燃料搭載量 重油580トン
航続力18ノットで5000浬
兵装12.7cm50口径連装砲3基(1番砲改C砲、2・3番砲C砲)
25mm連装機銃4基
爆雷投射機(Y砲)1基
爆雷投下台6基
(実際には迫撃砲や単装機銃を一部残した)
61cm魚雷発射管四連装2基(次発装填装置)
乗員237名
山雨(第二次状態)

<添付資料> 
 新型駆逐艦に関する提案書 −設計時に海軍に出された提案書(抜粋)−