陸軍五式高々度戦闘機「鳳雛」キ83−U(三菱重工業)

「鳳雛」
諸元
全長・・・12.5m
全幅・・・14.3m
自重・・・4,980kg
全備重量・・・6,950kg
発動機・・・三菱重工業ハ104−26ル(統合名称ハ42−Wル)
      空冷複列18気筒
最大出力・・・2,380馬力
最大速力・・・726km/h
巡航速力・・・435km/h
上昇時間・・・10,000m/12'48"
実用上昇限度・・・13,500m
航続距離・・・1,600km(標準)、2,960km(過荷重)
武装・・・30o機関砲×4
     爆弾30kg×4若しくは空対空噴進弾×4

 本機は、実戦参加した単発戦闘機の中では最も大きい機体として知られる。発動機もそれに似合うだけの大型のものが与えられた。だが、それよりも何よりも、本機が計画の初期には双発の遠距離戦闘機であった事は特筆に価しよう。
 陸軍は、昭和16年5月に三菱に対し爆撃機援護を主任務とした遠距離戦闘機の試作要求を出した。その機体はキ83と名付けられた(この頃はまだキ83-Tとは呼ばれていない)。
 開発にあたって三菱は当初、ハ43の単発でまとめ上げようとしていた。爆撃機護衛という事は、当然敵戦闘機との戦闘が起こる訳で、そのための軽快な機動を確保する為には当然の処置であった。しかし、陸軍は本機に遠距離戦闘機だけでなく高々度戦闘機、爆撃機、襲撃機、果ては司令部偵察機にまで転用すると言い出したのだ。陸軍の後から横槍を入れる癖は既にここの時点で芽吹いていたのだ。
 そこまで横からぐちゃぐちゃ言われると三菱も単発案の可能性を殆ど諦め、仕方なく同発動機の双発で進める事になった。ただ、三菱はその機体が実現できるかどうか相当怪しく思っていたらしく、大型の単発機も同時に研究されていた。
 双発案の開発は、やはりというか当然というか、難航に難航を重ねた。無理に小型化しようとした事もあるが、何より深刻だったのは、ハ43発動機が全然完成しない事であった。同発動機は、つぼにはまれば強大な出力を発揮するのだが、その反面軍用発動機としてはデリケートすぎるという側面を持っていたのだ。一時期は中島製ハ45発動機の使用まで検討されたが、こちらもまた信頼性が洒落にならないほど低く、何より他メーカー製発動機使用という点にプライドを刺激された設計者の強い意見によりこの案も取り下げとなった。結局、ハ43が完成する「だろう」との事で開発が続行された。
 一方、単発案の方は「火星」系統の発動機であるハ104のパワーアップ仕様を採用する事となった。こちらは意外なほど開発が順調に進んでおり、昭和17年の8月の時点で2,150馬力発揮のハ104−16が開発されたので、その採用が決定した。単発機としては今迄にない大型の機体として開発が進んでいた。
 そうこうしているうちに、戦局は一気に日本不利の所まで行ってしまっていた。昭和18年8月、陸軍は戦況の不利を理由に、試作機の整理・統合を始めた。三菱が開発していたキ83は真っ先にその対象となった。
 陸軍はその頃、アメリカが日本本土を直接叩ける超重爆の開発に成功したとの情報を得ていた。そして、キ83はその為の邀撃機として開発される事となった。双発案は廃案になり、単発案で進める事となった。
 同時期、立川、中島も同じ試作機開発命令を受けた。だが、開発が進んでいた三菱案には陸軍も最大の期待をかけていたようで、昭和18年10月に航空本部により公布された「航空兵器審査要領」では、「単発高々度邀撃機としては、キ83を重点とする」と記されている。
 新たな計画の発表後、三菱は発動機をハ104−16に更に排気タービンを装着したハ104−26ルの使用を決め、高々度性能の更なる向上を狙った。同発動機は基本は完成しており、後は排気タービンの実用性だけが問題であった。
 因みに、その頃の日本の他のメーカーの排気タービン発動機が難航していたのには訳があった。その原因の殆どが中間冷却器の不良であった(勿論、タービンそのもので難航しているメーカーも有った)。三菱は中間冷却器を用いず、排気タービンを通ってきた圧縮空気にメタノール液を噴射する事によって温度を下げる方式を採用した。この方式はトラブルが比較的少なく、高々度でも安定した高出力を発揮できるようになっていた。
 その発動機を搭載したキ83−U(この頃から−Uが付けられる様になった)は、昭和19年2月に初飛行した。数々の試験の結果、地上滑走時の悪視界は指摘されたものの、性能は「満足すべきもの」と判定され、昭和20年4月に五式高々度戦闘機「鳳雛」として制式化された。
 生産は三菱の工場の他にも、中島、川崎、立川、東京国際、満州で行われた。終戦までに402機完成したと伝えられる。そのうち実戦参加したのは300機程度であった。しかし、その少数でも本機はかなり大きな活躍をした。他の日本機にはないダッシュ力、高々度性能、意外とみやすい操縦性等も搭乗員から好意を持ってみられた。本気と対戦したB−29搭乗員からも恐れられ、護衛のP−51もそれまでのようなたやすい闘いが出来る訳でもなくなり、終戦まで互いに火花を散らし続けた。
             (大東亜社刊 帝国陸海軍航空機ガイドより抜粋)



 うへー、無茶苦茶長い文章になってしもうた・・・。これだけ打つのに1時間、二本指仮名打ちというものは疲れるものです・・・

 さてさて、キ83−Uです。個人的には双発のキ83がとても好きで、F7Fとの闘いを想像しては「うへへ・・・」とか呟いていたりしてました。史実では海軍も噛んでいたらしく、これに着艦フックを付けると面白かろうと思ったのですが・・・ま、史実は史実です。残念だろうが何だろうが変える事はできません。
 しかし、同時に双発形式の戦闘機というものに疑問符を浮かべていたのも事実でした。結局Me110と同じ事となっていたとも思います。それが具現化したのが、今回の単発キ83ーUです(なんか今回は異様に偉そうじゃな・・・)。
 ま、ご笑覧下さい(「鳳雛」は「ほうすう」と読みます)。
                     でわでわ。
林原めぐみ「Reflection」(劇場版『スレイヤーズぐれえと』主題歌)を聴きながら・・・
                      ゴムサンダル工業会会長 かDo