


日本初(世界初?)の4発戦闘機 当初はハ43、ハ44、ハ45の双発装備が考えられていたが、ハ45は要求性能を満た すためには出力が不足しており断念、ハ44、ハ43は生産が軌道にのっておらず、また多 数の機種に装備が予定されており供給量に不安があったため、結局2000馬力級の発動機 の装備見込みがつかず、それならば比較的供給に余裕があり使用実績も良好なハ112−U をナセルにタンデムに装備すれば正面面積も抑えられ、被弾・故障した時も双発機よりも生 存性が高く、出力もかなり余裕があり短期に開発するにはこの方式しか無いということとな った。また後方発動機の冷却には中止された海軍の試作機J4M「閃電」の設計時のデータ が生かされた。 発動機 装備発動機は決定したが、ハ112−Uをそのまま装備したのでは高々度性能が不足する ことは目に見えており、酸素噴射装置の搭載、2段過給器の装備、排気タービンの装備など が検討された。酸素噴射装置は能力向上が計算出来ない部分が多く、とりあえず研究課題と することとなり、2段過給器については新規に設計を行ったのでは試作機の完成が遅れるの で断念、結局排気タービン装備で設計を行う事となった。なお、重量・装備スペースの点か ら中間冷却器は装備せず、水噴射で代用することに決定された(これは当時計画中だった百 式司偵4型と同じ方式である)。しかし、試作1号機が完成し試験飛行を行って見ると排気 タービンの加熱による故障が頻発し全力飛行がまったく行えず、また中間冷却器を装備しな い方式では高々度能力の向上に限界があることが判明し、一時は計画中止が考えられた。し かし、同時期に完成した雷電三三型が高性能を示した事から、これに搭載された火星二六型 甲と同様な改良をハ112−Uに施し、これに換装し試験を続行する事となった。 ハ112−V(ハ33−71、72) ハ112−U(金星60型)に対し、過給器の大直径化及び回転数の増大、空気吸入通路 の拡大などの改良を施した型。全開高度が7500mにまで高められている。後方に装備さ れる72型は延長軸・強制冷却ファンが装備されている。 胴体の設計 胴体は計画中止となったキ83の設計をかなりの部分で流用している。キ83は陸軍の要 求により16年から設計されていたが、度重なる要求の変更(変更される度に性能が過大に なっていった)、偵察型(キ95)・襲撃機型(キ103)との互換性、発動機の開発の遅 れ(主に排気タービン)により、18年半ばに計画が中止された。 翼の設計 翼も基本的にはキ83の設計を参考にしているが、発動機のタンデム配置のため2本桁構 造となっている。当然翼形状は層流翼である。 武装 当初は57mm、75mmなどの大口径砲の搭載も考えられたが、重量が増える割には発 射速度の遅さからくる命中率の低さや、携行弾数の少なさから、20mm4門、30mm2 門に決定された。 航続力 巡航時に4発全ての発動機を稼動させたのでは燃料消費率が大きく、航続力の要求を満た せない可能性があったため、後方発動機を停止させ燃料消費率を低下させることになった。 このためフルフェザリング可能なプロペラが開発された。形式はVDM電気式4翅で直径は 3.1m。同じハ112を搭載する機体に装備されたものよりも枚数が1枚増え、直径が若 干大きくなっているのはプロペラ効率を重視したためである。しかし、飛行試験の結果、上 空では発動機の再始動が困難なことが判明し、改良が行われたが完治せず、実戦部隊ではこ れを行う事は禁止されていた。当然航続力は低下したが、大戦末期の迎撃戦では問題になる ことは無かった。エンジン故障時にプロペラをフルフェザリング状態に出来る事は乗員には 好評だった。 要目 全幅 :17.00m 全長 :12.00m 翼面積 :43u 乗員 :2名 自重 :7500kg 全備重量:10000kg(正規)、11000kg(最大過荷) 発動機 :三菱 ハ112−V(ハ33−71型、72型)1500hp4基 出力:1500hp/2600rpm/離昇 1350hp/2600rpm/3000m 1250hp/2600rpm/7500m 武装 :20mm機関砲(ホ5)2門(各250発) :翼付根 20mm機関砲(ホ5)2門(各250発) :胴体 30mm機関砲(ホ155U)2門(各150発):胴体 (過荷)爆弾250kg×2 または 落下増槽×2 性能 最大速度:750km/h(高度8,000m) 上昇力 :5000mまで6分、10000mまで15分 巡航速度:420km/h(高度4000m) 航続力 :2000km(正規)、3200km(過荷) 実戦での状況 本機が実戦配備された時には米軍は硫黄島をすでに占領しており、B29での爆撃は高々 度爆撃から多数の護衛戦闘に守られた中・低高度爆撃に変更されていたため、懸念された高 々度性能の不足は問題にならず、早期探知に成功した時は有り余る上昇力・高速性能を生か しての1撃離脱戦闘でかなりの戦果を上げ、一時は昼間の中・低高度爆撃の中止を考えられ たほどであったが、配備数が少なく、特定の基地にしか配備されていないことが察知されて からは艦載機の基地襲撃などでの地上での損害が増え、工場の被爆もあり補充が追いつかず 戦果は急速に落ちていった。しかし、本機の低・中高度での加速性能・急降下性能は凄まじ く、敵機の発見が遅れなければP−51・F8Fなどでも離脱に入った本機を追撃する事は ほぼ不可能であった。また、ジェット戦闘機P−80を撃墜した唯一の日本機でもある(P −80は終戦までわずか2回しか戦闘任務についていない)。ただし、夜間迎撃任務につい た機にはレーダー装備がなかったことからP−61・F7F(夜戦型)などの純粋な飛行性 能ではかなり劣る夜間戦闘機に撃墜された不名誉な機体もあった。 本機は4発機であるため、1回の戦闘でのガソリン消費量が多く、配備された基地では他 の戦闘機の行動に制限がかけられる場合もあったという。 |