|
空は静かだった。
スローモーションのように曳光弾が飛び交う。おとなしげな光だが、あたると痛い目にあう。高度を失いつつある状況を打開すべく、一度操縦桿を戻した。 そのくらいの事は、搭乗員用の薄くなりつつあるボンベを吸いながらでもわかる。 速力を取り戻しつつあった。川崎の工場を襲ったB−29に攻撃をかけるにはこれが今日最後の機会、第4撃である事はわかっていた。失敗は許されない。大日本帝国の大反撃の旗印はB−29を落とす事で掲げられるのだ。 にっくき敵機の巨体が群れていた。彼らへの絶対的攻撃はただ一つ。直上方から操縦席を射抜く事。それ以外では速力と火力に物を言わせて逃げられてしまう。今日返りうちにあった3機も、それを守りきれなかったためである。 頃合を見計らって、私は切り札を使った。機体の加速が激しい。背面にロールしてから操縦桿を思いきり引く。目の前には半球形をしたコクピットがあった。迷わずトリガを引き絞る。戦果がどうとか考える時間もない。そのままダイブを続け、私は戦域を離脱した。
1年ほど前から戦局は厳しさを増していた。海軍自慢の機動部隊は事実上壊滅し、我が陸軍の中支戦線も補給が追いつかず、米軍の飛び石作戦を止めるだけの航空戦力などどこにも無かった。一方、敵は戦略爆撃機B−29を開発。中国の奥地から北九州への本格的な爆撃を開始した。製鉄量が激減し、我が方の補給がさらに苦しくなる中、米軍は南方の基地からも本土空襲を開始。ついに帝都も炎に包まれたのである。 陸軍は南関東に持てる限りの迎撃兵力を展開。私の配属された戦隊は福生を砦に決死の防空戦を繰り広げていた。 飛行学校をでたての私の最初の乗機は4式戦だった。速度と巴戦性能のかねあいがとれた素晴らしい機体ではあったが、B−29相手には火力が不足していた。B−29相手には巴戦性能よりも速力と火力が求められる。そういう現場の声が反映したのか、5式双発双胴戦闘機が配備された。まだ愛称は定まってなかったものの、その優れた高空性能から搭乗員間でこう呼ばれるようになっていった。「昇鳳」と。 サイレンがけたたましく鳴り響いた。発動機が一斉に回り出す。補充の少ない戦闘機だ。今日も機体の奪い合いになる。一足先に操縦席へ駆け込めた。さあ、出撃だ! スロットルを一気に開く。身体が席へ押しつけられた。尾翼が浮いた。操縦桿を引く。いっきに高度8000mまで駆け登る。その間,わずか7分。遠くから大きい影が近づいてきた。あれこそ目指すB−29。高度は大体11000mだ。さしもの昇鳳の高空性能に恐れをなしたか? 排気タービンは相変わらず気紛れな代物だったが,無いよりはずっとマシだ。それを補うべく酸素噴射が採用された。昇鳳が双胴であるため,この2つを設置するのは極めて簡単だった。敵の防漏タンクに穴を開けるため,30mm砲8丁を環状に配置している。8丁全部命中するとそれぞれの弾は炸裂し,その弾痕は隣の弾痕とつながる。結果として配置直径の70cmに及ぶ大穴を開けることになる。防漏タンクがあろうとも,燃料流出は防げない。
「各機攻撃開始せよ。」
さすがに超空の要塞。それも尾部銃だけあった。飛んでくる弾丸の密度が違う。かわすだけでも精一杯だった。すぐさま無線電話で連絡をとる。
|

全幅:14m 全長:10m 全高:3.6m 使用発動機 : ハ104ル(酸素噴射機構付き)×2 最大速度:640km/6000m(計画値680km/h) 664km/10000m(計画値720km/h) 武装:30mm砲×8 爆弾合計200kg 航続距離:正規1200km 増槽使用:2000km 全備重量:7.6tキー87の保険案として満州飛行機が高々度戦闘機の試作命令に応じて作られた機体。高速性と航続力を求められたため,必然的に双発が採択された。双胴にしたのは撃墜したP38の空力計算をしたときにその抗力の低さが明らかになったためである。 双胴では尾翼のパフェッティングが生じることがあるが,翼を厚くして対策とした。 エンジンはハ104ルを採用したが,排気タービンの信頼性の低い日本である。搭乗員用ボンベだけでなく、エンジン後方に酸素ボンベも搭載して高空での燃焼効率を改善している(そのため、無理矢理タービンにこだわったキ87よりも1年以上早く初飛行を果たしていた。) 要求値より航続距離が短かったが,比較審査当時は本土爆撃が激化しており,高々度迎撃機が求められている戦局では問題とされなかった。こうして満州飛行機の機体は制式採用された。 武装は30mm砲を8門を機首に搭載。その重武装は「一撃必殺」としてB−29クルーに恐れられた。 配備されるや否や,重武装と速度からB−29キラーとして名を馳せた。その反面,酸素ボンベを搭載しているため,護衛戦闘機や防御砲火によって爆発する機体が多かったのも事実である。 あーどもども。SADAでーす。今回は割と楽でしたな。20年3月の審査だから,航続力は多少満たせなくても構わんだろうというわけで,ひたすら高々度性能に的を絞った機体を送らせていただきました。名作でも迷作でも,エンジンパワーで無理矢理引っ張る機体が好きだから,あえて今回は翼幅を抑えました。いかにP38に「似せないで」いくかに悩んだんですが・・・,努力の後が見えんな。やっぱP38は偉大なり。 ・・・・と高をくくっていたら、「昭和19年前半に初飛行していないと厳しい」とのこと。急遽思いついた案がキ87の保険で開始されたと言うもの。これで今度は余裕で間に合いました。めでたしめでたし。 |