航空母艦ドクトル・エッケナー

解説
ドイツ海軍航空兵力の起源は第一大戦にまでさかのぼることができる。 航空兵力に関しては各国ともスタートラインはほぼ同じだったわけだが、 今次大戦における日米海軍とその他の国々の航空母艦運用思想の違いは、今ここで述べるまでもなく明らかである。 その理由を地理的要因、各国の海軍の地位戦術環境、指導体制に求める事が出来る。
仮想敵との間に広大な大洋を抱える日米海軍の運用方法や地中海のような狭い海域での運用方法が異なるのはだれ にでもわかる所であるが、WW2のドイツに限っては独特の運用をみることができる。

ドイツ海軍航空隊は後の三大海軍国英米日に遅れることなく第一次大戦中に確立された。
陸上に基地をもつ海軍航空隊は1918年の時点で2000機前後にまでそだっていた。
一方艦隊航空兵力は少なく、巡洋艦を水上機母艦に改造した例が幾つか見られるのみで、空母の建造はされなかった。 飛行船ツェペリン号の完成までは3隻の水上機母艦で19世紀の覇者大英帝国にささやかな抵抗をするに過ぎなかった。
しかし、同飛行船の完成によって、海軍飛行船隊として英本土へ世界最初の戦略爆撃を敢行、 それをかわきりに、徐々に勢力を大きくしていった。

戦後のヴェルサイユ体制下の大幅な軍備制限によって航空機の保有を禁じられたためドイツ海軍航空隊は消滅した。 1930年代に入りナチス体制にはいるとドイツは公然と再軍備を始め、1935年にヴェルサイユ条約軍事条項破棄を宣言すると ドイツ海軍も本格的に再建される事になったが、欧州各国同様独立した空軍が設立されたことと、航空相であるナチス第二 の実力者H.ゲーリングの影響力によって海軍独自の航空兵力を持つ事はできなかった。
しかし、ドイツ海軍は空母に関してはその実力を正当に評価しており、1934年にはグラーフ・ツェペリンの基本計画に着手していた。 全通式の近代空母のように見えるグラーフ・ツェペリンの研究に日本へ研究団を送ったほどである。
しかし、総統の(いつもの)天才的ひらめきによって単艦運用を前提とした航空母艦の建造に計画が変更されたことによって 近代空母グラーフ・ツェペリンは机上の計画のみに終わり完成しなかった。

さて、唯一完成したドイツ艦隊航空兵力について話を進めたい。
連合軍に「海魔」と恐れられた航空母艦ドクトル・エッケナーは 1937年に計画変更されたドイツ海軍建艦計画によって誕生した。 シャルンホルスト級と同じ28cm3連装砲を2基、艦尾からB砲塔直後までにカタパルトを含む 航空儀装を施す事によって予備機を含め50機におよぶ搭載機の搭載と常時24機の運用を可能とした特異な航空母艦として 誕生した。
艦容はブラッセイ海軍年鑑1926年版に掲載された航空戦艦A及びBをドイツ流に咀嚼した結果 であったが、設計期間の短縮と建造効率を鑑み船体設計はシャルンホルスト級ものを流用し、若干の全長の延長が 行われたものの、基本的な性能はほぼシャルンホルスト級に準じている。
艦名はツェペリン伯爵の協力者であり、飛行船の名艦長であったエッケナー博士にちなんだもので本来は グラーフ・ツェペリン級に予定されていたものを命名した。

1940年2月28日に完成したドクトル・エッケナーの要目は以下の通り。
基準排水量32,620t、最大速力31kt、蒸気タービン3基3軸165,000馬力、 全長235.4m、全幅33.3m、舷側高7m、飛行甲板長149.2m、飛行甲板幅21.5m、 飛行甲板高14m、火薬式カタパルト1基、 装甲はニッケル・クローム・モリブテン鋼を使用し舷側150mm、甲板80mmで同様の装甲を飛行甲板にも施した。 主兵装は54.5口径28cm3連装2基6門、10.5cm連装高角砲4基8門、40mm連装対空砲14基28門、 艦橋前方にFMG39G"ウルツブルグ"、メインマストにはFUM022"フライヤ"を装備。  搭載機は Ar168艦上戦闘機 10/20機、 Ju187 D-4艦上爆撃機 6/12機、 Fi167 A-0艦上攻撃偵察機 12/24機 と予備機を含めて50機 で、当局の要求をほぼ満たしていた。分解搭載された予備機は長期にわたる出撃の間、実運用 機を常に一定数揃えるためのものであった。
また当初、日本空母から学んだ艦側面へ下向きに突き出したファンネル(煙突)や小型のアイランド(艦橋)を装備する筈だったらしいが、 艦側面に大穴をあけた日本風ファンネルは、単艦で通商破壊作戦を行い小艦艇と砲火を交えることが前提であったので 直撃をうけたら大被害を被るおそれが強いという理由で却下された。
結局日本風アイランドに準じた形のアイランドを垂直に立てたファンネルと一体型にし、右舷中央に配置した。
当局は全く予想しなかったのか、アイランドはその位置関係から出港時の視界を大きく制限されるため、 艦首機銃座には特別に航海艦橋直通の電話が備えられていたとも伝えられている。

よく知られているとおりドクトル・エッケナーの実戦参加は1941年6月8日のノルウェー沖海戦である。
シャルンホルストグナイゼナウとともに英空母グローリアスに砲撃を加えた。 空母として生まれながら敵艦へ与えた最初の打撃は艦砲によるものだった。

その後、大西洋において通商破壊に従事。艦載機による索敵・攻撃を繰り返し、 ドイツ水上艦中最大の撃沈トン数を1940年〜41年の間に記録した。 竣工から実戦参加まで実に1年3ヶ月を"戦力化"の為に費やしているが、 ドイツ海軍初の航空母艦であり、空軍が海軍航空隊になんとか変身するまでの最低限の時間だったと考えるべきだろうが 、英軍の航空戦力回復、船団護衛戦術の充実を考えると戦力化がもう半年早ければと惜しまれるところだ。 対ソ戦が始まるとドクトル・エッケナーは北極圏へ配置された。 北極圏 では先述の撃沈トン数の1/3を2ヶ月で記録する。 「海魔」という異名はこの時期につけられたもので、まさにドクトル・エッケナーとその艦載機の絶頂期と言えるだろう。

しかし1943年12月26日の 北岬沖海戦 で飛行甲板に損害を受け以後は搭載機をノルウェーの各基地に陸揚げし、 アルテンフィヨルドでテルピッツとともに水上戦闘艦として戦闘を継続。 しかし連合軍の散発的な空襲にさらされ続け行動はおおきく制限されていった。
1944年4月3日のヴィクトリアスおよびフューリアス艦載機(計71機)による奇襲攻撃により沈没。その生涯を閉じた。

Doktor Eckener / Kriegsmarine


作者の渡部@猫乃手本舗です。
本格的な海軍航空隊をもち、艦隊型の空母を運用する事が出来たのは日米海軍だけでした。 両国には当時欧州各国のような独立した空軍が存在していなかった為、海軍は自身にとって都合の良い かたちでの航空兵力を育成する事ができたことが大きいかとおもいます。 あの大英帝国でさえ空軍から抽出した兵力をもって海軍航空隊に当てたが為に(だけが理由ではありませんが) 日米海軍のような空母運用はかないませんでした。
増してや今回はドイツの空母です。ゲーリングの空軍の1%に満たない兵力しか持たない(しかも借り物) ドイツ海軍航空隊から空母運用兵力を抽出して運用・・・・。正直どうしようかなぁと思いました。

それでもドイツ海軍の空母運用法を考えてみた時、ふたつの考えが浮かびました。

一つは月並みですけどやっぱり通商破壊艦。
通商破壊といえば単艦行動が多くなる可能性があります。 単艦行動を主にした空母とは・・・・と考えた時すぐに思い浮かんだのが 航空戦艦タイプの空母でした。伊勢型や後のアイオア改装案のような航空戦艦 ではなく、ブラッセイ海軍年鑑に掲載された英国航空戦艦案でした。

二つ目の案はあまりいいたくないのですが中継空母案です。
1940年の対英航空撃滅戦の際に、防御力と飛行甲板の広さを重視した 装甲洋上補給基地があればドイツ空軍はいくらか助かったかもしれないと思い付いたんですが、 2秒でやめました。

結局一つ目の通商破壊艦にした訳なんですけど、 この艦形で運用上問題がないかどうか自信は(あまり)ありません。(^^::::
飛行甲板後部の赤白ストライプなどの甲板上の線等は、わざわざ日本に空母建造のための視察団 を派遣したのですからあえて和風にしてみました。
なんとなくそれっぽくないですか?

なお、この空母の搭載機Ar168、Ju187は胃袋3分の1さんの手によるものです。 Ar168は第3回競作艦上戦闘機投稿用、Ju187はこの空母の為に無理言って作ってもらってしまいました。
快く引き受けて下さったことに感謝し、この場を借りてお礼申し上げます。(^−^)ゝスチャ