
画:かDo氏
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基準排水量 35.000トン (改装後39.600トン) 満載排水量 42.500トン (改装後44.100トン) 全長 232.5m 全幅 32m(改装後32.6m) 喫水 9.1m 出力 160.000馬力 速力 33.5kt(改装後32.5kt) 航続力8.500海里(18kt) 武装 主砲: 50口径31センチ砲三連装砲三基 (改装時 45口径41センチ砲三連装三基) 副砲:六十口径15.5センチ三連装砲四基 高角砲:六十五口径10センチ連装砲八基 機銃:25mm三連装八基 航空機 18機 乗員 1.600名 同型艦「周防」、「飛騨」、「相模」 (「大和」級建造予算獲得のため三・四番艦は名称のみ) 装甲(最大)・舷側 340mm・甲板 130mm・砲塔 280mm(改装後 370mm) 概要 「安芸」級戦艦は、ロンドン条約制限下、同じく建造される他国の条約型戦艦に対抗するために、速力と防御力を重視し、条約失効後に40センチ砲に変更する上で建造された戦艦である。「大和」級の建造データ獲得のために各種の新機軸が取り入れられた戦艦でもある。 この戦艦の設計時に参考にされたのが、英「ネルソン」級ならびに、仏「ダンケルク」級であった。これらの戦艦の特徴は、主砲塔を艦前部に集中配置しているということである。「ネルソン」級は、その運用面において様々な問題のある戦艦ではあったが、防御区画を局限して総重量を浮かせるという設計思想は、条約制限を遵守する上で十分に納得できるものであった。 後部に砲塔を持たない事に対する用兵側の抵抗はあったが、最終的には35.000トンという排水量制限には集中防御により対抗するという艦政本部サイドの主張が通り、「安芸」はこのスタイルで建造することが決定した。またこれは「安芸」だけの特徴であるのだが、「大和」級ならびに「阿蘇」において採用される三連装砲の運用実験を行うために、「安芸」は、先行試作された「阿蘇」級用の50口径31センチ砲三連装砲塔を搭載している(「周防」は16インチ砲のみ)。 そして「安芸」級の別称でもある「航空戦艦」、それを特徴付けるのが艦後部に設置された航空機関連設備である。これは同時期に計画・建造された「利根」級の影響を多分に受けたものであった。 この過大なまでの航空機搭載数は、「安芸」級三・四番艦を隠れ蓑に極秘に建造されている「大和」級の弾着観測支援を行うためでもあったのである。そのために「安芸」級では極めて大きな水上機格納庫を持っており、それは「大和」級を始めとする各戦艦の水上機をも整備することが可能であったのである。 こうして新戦艦である「安芸」級の建造は、ロンドン海軍軍縮した1937年一月一日に「安芸」が横須賀で起工し、二番艦の「周防」はそれより遅れた五月に佐世保で起工された。「安芸」級建造と同時に廃艦となったのは「扶桑」級二隻であった。 当時、日本は「大和」級戦艦や、「阿蘇」級巡洋戦艦、「翔鶴」級航空母艦等の建造を始めており、同時に「金剛」級、「伊勢」級の改装も行われるなど各工廠、工場において建艦ラッシュが始まっており、「安芸」級もまた昼夜を問わず突貫工事で建造が行われていた。 「安芸」の建造と同時に、「大和」級、「阿蘇」級で装備される予定の三連装砲塔を利用した十六インチ砲用の砲塔も一部で計画されており、バルジ幅の拡大で対処できると判断した海軍は、当初「長門」級大改装時において開発に成功した発射速度の速い装填装置によって、連装砲塔三基六門で建造されていた「安芸」級の設計を変更し、三連装砲を装備することとなった。このため工期の遅れていた「周防」は、最初から41センチ主砲を装備して竣工している。 「安芸」が竣工したのは1939年9月である。しかしながら「安芸」が竣工して日を追うことなく世界情勢は激変することになる。ドイツのポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦の開戦である。同時にロンドン条約は失効し、各国海軍は大手を振って海軍力の向上を図った。 「安芸」もまた条約が失効したため主砲の換装を行う予定であったが、新型三連装砲の運用実験を行うため、また、大型ドックのほとんどは建造中の戦艦、空母で手一杯であったため、艤装中の「阿蘇」級一番艦「阿蘇」に配属予定の乗員を使って訓練が行われることになり、その改装は遅らされることになった。 「安芸」は、その演習時において高速戦艦へと改造された「金剛」級を相手に高初速の31センチ砲でもって「撃沈」している。そしてこの演習が「安芸」級を機動部隊の直衛艦としてその偉容を見せつける要因になったのである。「安芸」の水上機による強大な偵察能力が、その搭載機を攻撃力に傾注している航空艦隊の偵察能力を補完すると考えられたのであった。また、航空機格納庫上部に備えられた巨大なアンテナは、通信機能の弱い航空母艦の機能を補完するものであったのだ。 翌四十年に「安芸」は、当初「周防」に搭載するはずの31センチ三連装砲を装備し工期の早められた「阿蘇」級二番艦「妙義」と交代でドックに入渠する事になった。その頃には対米戦に向けて各工廠で更なる突貫工事が行われていたことと、換装予定の三連装砲塔が既にできあがっていたことから驚くべきスピードで改装工事が行われることになった。この改装において「安芸」は、砲塔換装並びにバルジの拡大によって約4.000頓の重量増と約1ノットの速度低下にはなったが、それでも32.5ノットと極めて高速であった。 翌四十一年六月に改装された「安芸」は、「周防」と共に第二戦隊第一小隊として「扶桑」級の穴を埋めることになった。同時に空母六隻からなる南雲機動部隊の直衛艦として各空母と共に猛訓練に励むことになった。「安芸」級、「利根」級それぞれ二隻の搭載機は総計58機にものぼり、空母航空隊は攻撃力にその力を集中することが可能になったのである。 そして、1941年12月8日の真珠湾空襲において、「安芸」級の持つ偵察能力が見事に発揮された。「周防」三号機は、真珠湾へ向けて全速航行中のハルゼー機動部隊を発見、その位置を打電した。すぐさま差し向けられた第四次攻撃隊は、ハルゼ−提督座乗の空母「エンタープライズ」並びに重巡洋艦二隻を始めとする多数の艦艇の撃沈、開戦当初の日本の優位を決定付けることになった。 その後の「安芸」級二隻は、常に南雲機動部隊の直衛艦として、常にその奇妙なスタイルとともに米英に脅威を与え続けた。セイロン島沖航空戦、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、そして日米最後の決戦となったハワイ沖海戦全てに参加した戦艦として、短く熱かった対米英戦の停戦まで獅子奮迅の活躍をすることになったのである。 結局「安芸」級は、戦艦として敵戦艦とその砲火を交えることはなかったものの、その時代に応じた改装を加えられ、現在も洋上にあり続けている。 主要な改装点を述べれば、後部甲板のヘリコプター甲板への更新、新型対空システム(ASUKA)の装備、砲塔・装甲の撤去ならびにVLSの設置等が挙げられる。特に79年に「周防」により行われた運用試験において、その能力が確認された新型対空システムは、「霧島」級対空巡洋艦、ならびに「綾波」級対空駆逐艦に装備されている。 戦艦としては活躍の場を与えられなかった「安芸」級であるが、軍艦としてまた艦船技術史においてこれほどの名を残した戦艦はないともいえる。そのためか「安芸」級は、多くの戦艦が退役した90年代においても現役にある。もっとも戦艦の信条である大砲が127ミリ単装砲三基では、現在の「安芸」級はとても「戦艦」とは呼ぶことが出来ないのかもしれないが。 林民明書房『南雲機動部隊物語 別巻1「資料編」』より抜粋 あとがき 岩本です。ぶっちゃけた話「ネルソン」級と「ダンケルク」級と「利根」級をたして三で割って、「デ・モイン」級のエッセンスを取り入れた戦艦です。 改装時に16インチ連装三基六門というところまで攻撃力を削ることで速力と防御力に廻したフネになるというシナリオで考えていたんですけど、そうしたフネを採用する国はどこがあるか、当然アメリカは低速重防御艦でボツ、第一条約期間中にそんな船は造らない、フランスには「リシュリュー」級があるからボツ、イギリスは「ネルソン」級があるから採用するかもしれないけど、北海で水上機が活用できるのか…でまたボツ。 考えられたのは枢軸国になりました。で、最初に消えたのはイタリア、沿岸海軍で空母も保有しなかったところで水上機多数装備の艦艇の建造を行うかと思ったんです。 残るは日本とドイツ、特にドイツは「O」級という連装三基の通商破壊艦がありましたから前部に砲塔を集中し、後部に航空機運用設備を備えた艦艇であれば何とかなると思ったのですけど、Z計画という戦艦重視の計画において航空機設備を備えたフネにどれほどの価値があるかなあと思って無くなりました。 結局日本(^^;)攻撃力の低下から本来採用するはずはないと思うのですけど、それはそれ(爆)発射速度を増すということで納得させ(結局後で三連装砲を無理矢理装備することになりますけど艦腹があるのでOKでしょうかね…)、A-140の様な船体になりました。「ネルソン」級は不細工だというのが世界共通の認識だとどっかで聞きましたけど、「利根」級にはそのような評価はなかったですから何とかなるだろうと(笑)。日本によくある見切り発車的計画ですな。 最後にこの戦艦の絵を描いていただいたかDoさんありがとうございました。 |