
戦艦側面図 戦艦基本デザイン 藤田
仕上げ 渡部さん
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かつて海洋国家であったオランダは17世紀半ばに新興海洋国家と して台頭しつつあったイギリスと数回にわたり戦争となった。この戦 争の影響で国力を衰退させてしまったオランダは海洋の覇権をイギリ スに奪われてしまい、それゆえに以前にまして東南アジアに残された 植民地が重要さを増したのだった。 20世紀前半、アジアに帝国主義の嵐が吹き荒れた。東洋の新興国 家でる大日本帝国が日清戦争に清を破り、また日露戦争では列強で大 国ロシアを破りアジアに影響力を及ぼすようになった。また、アメリ カはスペインの間に起こった米西戦争により、グアム、フィリピンを 領有した。この事に危機感を感じたオランダは植民地艦隊を本国艦隊 よりも強力な東インド艦隊として再編した。 1930年代に入り日本海軍は続々と強力な条約型巡洋艦を建造し ていった。もし日本海軍が東南アジアのオランダ植民地に侵攻すれば 防ぎきれない.....。こうして、オランダ海軍は強力なフネを建 造する計画に着手した。 強力なフネ...。オランダ海軍は戦艦を建造しようとしたのであ る。最初の試案において、巡洋艦に対して圧倒的な戦闘力で有利な戦 闘を行い、また戦艦と遭遇したならばその速力で戦闘を回避するとい う巡洋戦艦として計画されたがユトランド海戦の戦例から防御力の優 れた巡洋戦艦、つまり高速戦艦がもっとも有効である事に気がついて 計画を修正したのである。戦艦建造計画自体は政府の承認を受けたが、 オランダ海軍は戦艦の建造経験がなかった。そこで技術蓄積を目的に 1隻めの戦艦は他国に建造を発注することになった。近隣の戦艦を建 造できる国の中でフランスに注目したのだった。ドイツのポケット戦 艦に対抗し、これを凌駕するフランス海軍が建造中だったダンケルク 級に目を付けた。オランダ海軍はダンケルク級を母体にして大幅な改 正を加えた戦艦を発注した。大幅な改正とは艦前部に2基搭載された 4連装主砲塔を背負い式に改め、また主砲もダンケルク級の33セン チ砲から35.6センチ砲に拡大された。艦橋もダンケルク級とは異 なり、煙突と一体型の艦橋であり、その艦型はダンケルク級よりも短 縮された中央構造物と背負い式に配置された主砲塔など集中防御をさ らに徹底したものだった。起工されて数ヶ月も経たないうちに新海軍 軍縮条約が締結されたが、条件を満たしていたため、そのまま建造は 続行された。 オランダ独立の指導者として知られているオラニエ公ウィレムを記 念して命名されたこの戦艦は38年秋に竣工した。慣熟訓練を終えて、 1939年春に東インド艦隊旗艦として東南アジアに向け出港した。 そして、第2次世界大戦が勃発した。アジアも戦火の気配が見えつ つあった。 1941年12月8日、日本海軍が真珠湾を奇襲して太平 洋戦争が勃発した。マレー沖海戦で英戦艦が撃沈され、<ウィレム> は東南アジアで日本海軍の唯一の脅威となった。1942年になり、 日本は南方資源地帯を押えるため航空撃滅戦を開始し瞬く間に連合軍 航空部隊を殲滅し、上陸船団を出航させた。上陸船団出航の報告を受 けABDA艦隊は出撃した。しかし、日本海軍基地航空隊の攻撃を受 けて上陸船団攻撃を断念した。<ウィレム>に攻撃が集中したが、幸 いにも前部主砲塔に爆弾の直撃を受けただけで無傷だった。2月27 日、上陸船団攻撃のため出撃したABDA艦隊は上陸船団の護衛部隊 とスラバヤ沖で交戦し護衛部隊に戦艦がいなかったため有利に水上砲 戦を展開したが、駆けつけた第3戦隊第2小隊(金剛級2隻)の活躍 によって船団攻撃を断念した。この海戦で日本海軍に痛撃を与えたが ABDA艦隊も損害が激しかった。これにより日本海軍は空母を投入 し早期の制海権の獲得を目指した。そして,3月11日、第2次スラ バヤ沖海戦で日本海軍第5航空戦隊の空襲を受け、<ウィレム>と巡 洋艦2隻を残しABDA艦隊は壊滅した。この海戦の後、オーストラ リアに残存艦艇と共に逃げ込んだ。ミッドウェー海戦で日本海軍が大 敗し連合軍はソロモン諸島で反撃を開始した。<ウィレム>はこの戦 いで英、豪海軍の混成部隊に参加して活躍した。1943年末、ソロ モンをめぐる戦いは連合軍が勝利を掴んだ。<ウィレム>は生き残っ た蘭巡洋艦<デ・ロイテル>と共にサンデエゴに回航され修理を受け た。修理の後、<ウィレム> は <デ・ロイテル>と共に援英船団の 護衛についてイギリスに到着した。蘭本国艦隊の残存艦艇と合流し自 由オランダ海軍艦隊を編成した。何回か船団護衛に参加し1944年 6月6日、欧州における連合軍の反攻作戦”オーヴァー ロード”が 開始されノルマンディ上陸作戦が開始された。ここで<ウィレム>は 対地艦砲射撃に活躍した。この後、英海軍機動部隊と共に太平洋に戻 り沖縄攻略戦に参加。ここで <ウィレム> も神風攻撃にさらされた が幸いにも至近弾で損害も微少だった。太平洋戦争が終結して東京湾 のミズーリ艦上の降伏文書調印式にはオランダ代表を乗せて参加した。 戦後、インドネシアが独立し植民地防衛の任務が消滅したオランダ 東インド艦隊は解散し<ウィレム>は本国に帰還した。それから本国 艦隊の帰還をつとめたが1959年に除籍した。除籍後、アルゼルチ ンに売却されリバタビア(2代目)と改名された。フォークランド紛 争に参加し、英原潜の雷撃を受け中破し紛争終了後には除籍された。 現在は、アムステルダムで記念艦<ウィレム>として戦争博物館に 改装されて第3の人生を迎えた。 要目 −新造時 基準排水量32000t 全長220m 全幅30m 喫水9.6m 機関出力 150000hp 速力30.8ノット 航続力 10000海里/20ノット 武装 35.6センチL45砲4連装2基 15.5センチL60砲3連装2基 10センチL45高角砲2連装8基 40ミリ機関砲連装 6基 20ミリ機関砲連装 8基 初めての競作です。最初は気合いれて作ってましたが手抜きになって しまいました。手伝って頂いた皆さんありがとうございました。次回も あれば是非また投稿してみたいです。 |