帝国海軍戦艦『越中』型

越中

帝国海軍戦艦『越中』型諸元
全長・228.0m 全幅・28.5m 基準排水量・35,000t
機関出力・120,000hp 最大速力・31.5kt 航続距離(浬-kt)・9,000-18
武装・53口径14in砲3連装4基,65口径5in連装2基
    45口径12.7cm高角砲連装6基,61センチ魚雷発射管8門
乗員・1,310名 同型艦・『越前』『越後』『能登』

                  〜〜〜〜解説〜〜〜〜

 1936年1月15日に一度は第二ロンドン条約を脱退した日本だったが,1937年3月14日に突然条約に参加し,各国を驚かせた。この為,1937年4月までに不参加の国が出なければ,との条件で上がっていた戦艦の制限『主砲は14in以下』を各国海軍は呑まなければならなくなった。その結果,日本は『大和』級戦艦を中止し,牧野茂が以前より温めていた14in砲搭載戦艦『108号艦B‐2』を改設計し,建造を開始した。

 1937年10月,『108号艦B‐2』は『越中』と命名され,よく11月4日に起工,1941年2月,3年と4ヶ月をかけて完成した。他の同型艦3隻は,それぞれ『越前』『越後』『能登』と命名され,それぞれ1937年12月,翌1月,2月に起工され,『越中』に続き次々と完成した。
 『越中』は1941年12月8日の開戦時は『越前』とともに南雲機動艦隊の護衛のため,ハワイ沖に居た。一方の『越後』『能登』は南方作戦に参加している。

 『越中』型4隻は,米国の『バーモント』型をライバルと目しており,一度だけ砲火を交えている。ガダルカナル攻防戦においての第4次ソロモン海戦において,単独行動していた『越中』型戦艦4隻の第三戦隊と,『バーモント』型戦艦4隻の第65任務部隊は偶然遭遇した。激しい砲撃戦の末,敵戦艦『オレゴン』『ミネソタ』を撃沈し,『バーモント』を小破させたが,『越前』『越後』を撃沈させられ,『越中』が中破となった。

 その後,終戦まで大した被害も無く『越中』『能登』は残存,両艦とも米国に引き取られた。『越中』は調査の後『ユタ』と改名され,1985年まで現役であった。現在はモスポール化されており,旧乗組員を中心とする一部返還要求運動が起きている。『能登』は『長門』と共にビキニでの原爆実験の標的艦となった。現在もビキニの海底にその巨大な艦体を横たえている(1988年に日本の某大新聞社が確認)。

製作者(甚八)のコメント・・・
 八八艦隊計画に近いもんとなってしもうた。でも,ま,現実的にはこんなもん。

作画者(かDo)のコメント・・・
 製作者のコメントがあまりにも貧弱なため,ちと補足です。
 作画においては,甚八が手で描いた絵と八八艦隊の計画艦を参考にしました。故にこそ,スプーン・バウなのです。設定は,言うまでも無くオール甚八です(送信する際,文法が違ってたり意味が通らない所を一部変更)。おかしな所が多々有ると思いますが,勘弁してやってください(泣)。
 ・・・にしても,ホンマにご都合主義的な設定だな・・・(私のも凄いけど^^;;;)

 という事で,それでは〜〜。

(財)郷研聯盟ゴムサンダル工業会雑務課長 甚八

*代筆・・・(財)郷研聯盟ゴムサンダル工業会会長 かDo