独逸海軍艦上戦闘機 Da24(V−1)「シュツルムフォーゲル」

シュツルムフォーゲル

諸元
全長・・・9.55m
全幅・・・12.00m
自重・・・2,450kg
全備重量・・・3,970kg
発動機・・・ダイムラーベンツDB601A液冷V型12気筒1,100hp
最大速力・・・641km/h
航続距離・・・1,660km(標準),2,800q(過荷重)
武装・・・20o機関砲×2(機首上面),7.92o機銃×4(主翼)
     爆弾250kg×2又は60kg×2

 1937年3月,独逸海軍は独逸海軍初の空母に搭載する為の,艦隊防空用の艦上戦闘機を国内各社に要求した。これに対し,国内の殆どの航空機メーカーがこれに参加するという事態になった。その中には,航空機会社ではない会社も混ざっていた。それが,世界で初めて自動車を作った事で有名なダイムラーベンツAGであった。
 ダイムラーベンツは,航空発動機部門に関しては,既に確固たる基盤を得ていたが,機体そのものは手掛けた事が無かった。従って,ノウハウというものが全くと言っても良いほど存在せず,設計技師を余所から引っ張ってくる事となった。しかし,国内の主要各社はこの競作に参加しており,手を結ぶわけには行かなかった。と言う事で,自ずとし焦点は海外へと向けられる事となった。
 かと言っても,イギリスは駄目だし,フランス・イタリアは良い勝負をしたのは第一次大戦期まで・・・次々と候補が絞られていく中,残ったのが日本の三菱重工業であった。三菱重工業は,その当時世界最高性能の艦上戦闘機九六式艦上戦闘機を開発した会社である。そこにダイムラーベンツは目を付けたのだ。
 早速,交渉が行われた。ダイムラーベンツ側は三菱に対する発動機技術の提供を条件に話を進めた。交渉は極めて短期間に終わり,三菱が技師を独逸に派遣し,ダイムラーベンツが発動機関係の技師を日本に派遣する事で解決した。
 しかし,いざ人選に至って問題が起きた。ダイムラーベンツ側は主務者である堀越技師を要求したのだ。しかし,堀越技師は九六艦戦の改良で多忙を極めていたし,いずれ発注されると思われる九六艦戦の後継機には堀越の力が欠かせない。
 そこで白羽の矢が立ったのが堀越の弟子格にあたる曽根技師であった。曽根は主務者ではなかったものの,能力的に見ると堀越に勝るとも劣らないほどの能力を持っていた。更なる交渉の結果,独逸へは曽根技師が派遣される事となった。
 曽根は,海軍の独逸親善訪問艦隊旗艦重巡「足柄」に便乗させてもらう事になった。発動機技術は,海軍自身も喉から手が出るほど欲しがっていた為,このような扱いを受ける事が出来たのだ。到着してすぐ,ダイムラーベンツ側が用意した補助の技師ギュンター=ハウスベルガー技師と対面した。ハウスベルガー技師は,ケルンのとある飛行機工房から引き抜かれたのだ。
 曽根は,艦隊が到着するまでの間,新型艦戦の基本構想を纏め上げていた。当然,ハウスベルガーも概案を練っていた。対面して話をしていく内に,ハウスベルガーと自分の考えている事の共通点が余りにも多い事に驚いた。艦上戦闘機と言う事を考慮して,大き目の主翼にしたり,胴体に余裕を持たせ発展性を高くしたり・・・それらは,曽根が考えている事とほぼ共通していたのだ。
 従って,スタートが遅かったにも関わらず開発はどんどん進んだ。これは,曽根の環境適応能力の高さにもよる。堀越だったらこうは行かなかっただろう。
 発動機は,ダイムラーベンツが誇る新型発動機DB601Aを使用することにした。この発動機は,直接燃料噴射式の為に背面飛行時にも燃料供給が安定して行われるという特徴を持っていた。その時点では,世界最良の戦撞〕冏・圧,噺世辰討皺畍世任呂覆ねイ譴紳緤、世辰拭・・鹿届淋昭・埠暑uコ追崗柴藁圉竢跫鮟0旭旭・聲竇就◇w)皷B讐徐ぢ 主翼については,全ての速度域においてのロール性能を高める為,2分割式の補助翼が用いられる事となった。この方式は,曽根独自の発案によるもので,構造もなるべく簡素に纏められた。そのほかには,空戦にも使用できるダブルスロッテッド式フラップや,前縁スラットも装備された。
 武装は,やや重武装であった。従って,重量も少し重たくなったものの,翼面積を多めに取っていた為に艦上戦闘機としての欠点にはならなかった。
 初飛行は1939年1月,まあまあの早さである。試験飛行では,引き合いに出されたBf109Eよりも低出力にも関わらず,優れた高速性能を発揮,航続距離も遥かに勝っていた。操縦性も2分割式補助翼に多少の違和感が認められたものの,Da24の価値を損なうものではなかった。他の会社も負けず劣らず優れた機体を開発したものの,総合性能ではDa24が一番優れており,1941年12月,独逸海軍はDa24Aとして制式採用した。愛称の「シュツルムフォーゲル」は,海軍司令官のデーニッツ元帥が命名した名だ。
 ちなみに,B型以降の改良型は曽根の帰国により,全てハウスベルガーが行ったものだ。帰国した曽根は,帰国直後に十七試陸戦の開発命令を受ける。それにDa24で確立した技術が多く使われていることは言うまでも無い。


 ども,かDoでございます。
 仮想的設定独逸艦戦です。如何でしょうか?

 今回の競作について,とうとう自分の世界まで混ざってしまっています。・・・これでいいのか?かDoよ・・・(自問)

 さて,今回のDa24の画像についてですけど,捷風の時の胃袋さんの指摘「主翼が後ろ過ぎじゃあ・・・」というものに不安になったため,私より遥かに航空機(っちうか,交通関係以外飛行機・艦船・アニメに至るまで殆どの面)について詳しい友人に尋ねてみました(いつぞや捷風と雷光をボロクソに言った奴の事です)。すると・・・
「・・・・・・・・・(しばし熟考)・・・・・・・・・・ええんちゃうか?これなら。」
との返事・・・ふぅ,良かった・・・

 これ以上書くと,次々と襤褸が出てくる為にやめます。

 でわでわ〜〜。

 林原めぐみ「raging waves」(劇場版「スレイヤーズごぅじゃす」主題歌)を聴きつつ・・・
 (財)郷研聯盟ゴムサンダル工業会会長 かDo