

|
1939年9月,ヨーロッパで第二次世界大戦の幕がきって落とされたのを見た米陸軍は、 「アメリカ参戦」という、まさかの事態に備えるべく、主力となる次期大型爆撃機の開発を 開始する決定を下すにいたった。 指定されたメーカーは、爆撃機の経験がありながら、当時、比較的余力のあった マーチンとダグラスの2社であった。 当初はマーチン1社のみに対する発注であったが、マーチン社が提示した基本設計がかなり 突飛なものであったため、失敗することを恐れた陸軍は、1940年に入ってダグラス社にも 発注を行った。 ダグラス社では、軍からの最大の要求が高速性能であったことから、かねてからアイディアを 持っていた、抵抗減少に効果の高いと思われる特殊なエンジン装備法を採用することにした。 それは、4発でありながら、3発程度の前面投影面積としたものであった。 すなわち、片側2発のエンジンを密着させ、そのうち1発をもうひとつのエンジンの後方に ずらして、半埋め込み式に装備するというものであり、後方エンジンのプロペラ軸はそのまま 前方に延長され、前方エンジンの前へと導かれて、前方エンジン前部の4枚ずつの2重反転 プロペラを駆動するようになっていた。 この方式により空気抵抗を減らす目処はついたが、それでもエンジンには強力なものが要求 されたため、老舗ダグラスの強みで、当時、戦闘機に優先配布することが決まりつつあった R−2800を獲得することに成功した。しかも、高性能な2段機械式過給器が装備される ことが予定されていたため、重くなるターボ過給器を廃しエンジンの外側に大型の中間冷却器 を装備することとして、良好な高空性能を得ることにした。 また、オイルクーラーは両エンジン間の上下の空間を使って設置され、このあたりにも空気 抵抗に対する細やかな神経を使っていた。 胴体のレイアウトも一風変わっていた。これも空気抵抗を少なくする目的から、機首を 操縦席の高さギリギリに押さえ、そこから爆弾倉に向かってなだらかに断面積を拡大する というデザイン手法をとった。このため、爆撃手席は操縦席の後下方に位置し、さらに その下方に前脚が、そしてその後方に、爆撃席からコントロールする遠隔操作砲塔を配置した。 それでいて、機内スペースに対しても十分配慮されており、この点はマーチンXB−28と 大きく違っていた。 ただし、元々がマーチン社に対する保険的意味合いの発注であったため、 その他の部分は保守的なデザインに終始し、特に銃座関係はすべて他機種からの流用とし、 尾部銃座をB−26、その他の銃座をB−17から流用していた。 1941年8月に初飛行した試作1号機は、過給器に対するトラブルは発生したものの、 心配されたエンジン冷却に関するトラブルは少なく、後方エンジンの吸気口のデザインを わずかに変更するにとどまった。 性能的には対抗馬のマーチンXB−28には劣ったものの、速度性能は要求値をクリアする 382マイル(615q/h)を記録した。また、爆弾搭載能力ではXB−28を大きく上回り、 居住性では圧倒的に差をつけており、陸軍のテストパイロットにはXB−28よりも好評で あった。 諸元 全長・・・23.5m 全幅・・・34.8m 自重・・・21,600s 全備重量・・・35,700kg 発動機・・・P&W R-2800-10W空冷複列18気筒2,200hp×4 最大速度・・・615q/h 巡航速力・・・4350q/h 航続距離・・・4,020q(標準)・5,200q(過荷重) 武装・・・12.7o機銃×10,爆弾最大6,000s 乗員・・・9名 胃袋3分の1です この機体のエンジンは、実は直前まで縦積み配置でした(後方エンジンが下)。 しかし、よくよく考えて見ると、横にしたほうが空気抵抗が少ないではないか!と、 いうことに気づき(最初から気づけよ!)、急遽、横になってしまいました。 ボディ・デザイン自体は、実は20年近く前の大学時代に考えたもので、今でも その時のノートが、家の中のどこかにあるはずです(笑)。ただ、そのときのデザインでは、 後部胴体も、尾部に向けて一直線に上がっていて、しかも尾輪式でした。 それを、「これじゃつまんないなぁ〜」と思い、エンジンを横に寝かせたときに、 この段つきデザインに変えたのでした。 ですから、自分としてはこちらのデザインのほうがお気に入りだったりします。 しかし、今回は怒涛の12日連続更新などがあり、ゆっくり構えていたのが裏目に出て すっかり時間がなくなってしまいました。今回の3作中、この機体が最後になって しまったのですが、なんと描き始めたのが締め切り日当日の20:30分。わずか、3時間 たらずで仕上げたため、かなり手抜きの絵となってしまいました。(^^;;;;;; う〜ん、投票が終わったら描きなおそうっと!(たぶんしないな・・・) |