昭和16年3月発令
艦種:
防空巡洋艦
基準排水量:
7,000t前後(航空機を搭載する場合に限り
10,000t前後まで可)
兵装:
搭載する銃砲はすべて高角射撃が可能であること
用途
海軍が入手した米戦備計画によると、今後米海軍
は、あらゆる艦船、 特に空母戦力の急速な増勢が
必至である。このような情勢を考慮し、 米航空戦
力への対抗手段として、艦隊防空を主任務とする新
型防空 巡洋艦を計画する。
なお、対空以外の任務には他艦種を充当すること
を想定しているため、 対空能力以外の兵装につい
ては一切不問とする。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本帝国海軍所属
防空軽巡洋艦 「空知」
基準排水量 9,500t
満載排水量 10,500t
全長 200.2m 全幅 20.7m
機関 艦本式タービン4機4軸 120,000馬力
速力 34kt(公試35.06kt)
航続距離 18kt 8,000海浬
武装 62口径15.5cm連装砲3基
65口径12.7cm連装高角砲8基
九六式25mm三連装機銃26挺
61cm四連装魚雷発射管2基
カタパルト 両舷計2基
零式水上偵察機2機塔載(後に瑞雲と交代)
同型艦 「綾瀬」「四万十」「犀」「女鳥羽」
「仁淀」「千種」「高梁」 他計12隻
1、2番艦を原型、3、4番艦を改良型
5〜12番艦を後期量産型と呼ぶ
昭和16年3月。海軍には対米戦の緊張が見え隠れしていた。
その中で海軍筋が入手した情報によると、米海軍は今後、航空戦
力、特に空母の増強が必至であるということが判明した。
この事を知った山本五十六GF司令長官以下、航空主戦派の面々
は、強力な防空戦力の増強を迫られた。
日本海軍でも9月には新鋭空母「瑞鶴」「翔鶴」には竣工し、7
月には装甲空母「大鳳」が起工され、改蒼龍型雲龍級の計画も進め
られている。
世界有数の機動部隊を保有していた日本海軍が、防空戦力の充実
を迫られるのも必然的ことだった。
しかし、大艦巨砲主義が主流を占める現海軍にとって、艦隊防空
の必要性を理解するのは容易なことではない。そこで山本GF司令
長官は、当時の海軍大臣及川古志郎に進言、彼もまた大艦巨砲主義
者だったが、山本の大勢を見据えた観点と、昨今の欧米の流れをく
み、それを承諾した。
及川は御前会議にて天皇へ上奏、陸軍などから「海軍の本懐であ
る艦隊決戦」を目的としない艦に懐疑する声も出たが、南方への進
出の際に護衛艦隊を派遣するなどの条件付きで了承、天皇の英断に
より勅許を得ることが出来た。
蛇足だが、陛下はこの時、航空戦力の必然性を知っていたとのこ
とである。前々から航空機に興味をお持ちになり、個人的に航空戦
についての講義を受け、自身研究なさっていたとのことである。
どのようにあれ、防空艦の建造が認められたのである。
ただ、建造中である大和級戦艦等の主力艦の建造へ影響を出さな
いというのが、大艦巨砲主義派の条件であった。
建造には漕ぎ着けたものの、海軍にとって防空を主眼に置いた艦
艇の建造というのは初めての試みであった(秋月型を建造していた
が大型艦という点では未知であった)。技術陣の試行錯誤をなどを
経て、巡洋艦程度の船体に強力な対空兵装を塔載するというコンセ
プトに落ち着いた。
防空艦に求められていた能力は、
1.高速な機動性
2.一定の防御力を保有すること
3.機動部隊に随伴できる航続力
4.艦隊の露払いとして索敵能力も付加
のような項目であった。
そこで最初に目をつけられたのが「阿賀野」級軽巡洋艦だった。
快速な機動力を誇る「阿賀野」級は防空任務には打ってつけで
あったが、設計段階において防御力の不足が露呈されることとな
った。改良を加えられたが解決には至らず、出直すことになる。
そこで次にモデルシップとなったのが「妙高」級である。
「妙高」級の発揮する高速力は言うにおよばず、防御力の点でも
合格点を与えられ、条約型重巡洋艦の船体は試験の結果、良好であ
ると判断された。
そして「妙高」級にいくつか「阿賀野」級の技術を加味して再設
計し、「空知」級となるのである。
昭和16年7月。3月の発令から4ヶ月が経過し、起工となった。
発令から起工までの異例な速さは、蓄積されたノウハウの応用と、
艦隊決戦を主眼に置かれていない為、あれこれと注文が来なかった
からだ。逆に言えば誰も期待していないということでもある。
建造中は陰で「山本の御召艦」などと呼ばれていた。山本GF司
令長官は主戦派の将官たちの噂を聞き、苦笑したという。
「空知」型は艦隊直衛の防空艦として設計された。
設計案では7,500t前後のとなるはずだった。流用したとはいえ元
は「妙高」級の船体である。これほどまでに軽減されたのは、高角
砲のみで主砲を積まない予定だったからである。
それにより他の艦船とは一線を隔すものになるはずであったのだ
が、結局、駆逐艦程度は撃退できるようにと15.5cm連装砲を3基を
塔載した。この15.5cm連装砲は「阿賀野」級の15cm連装砲の改良型
で、大和級に塔載されている15.5cm3連装砲塔と同じく、俯角−10
度から仰角+75度と対空能力が強化されている。また、速射のため
に自動装填にされ、人員の省力にもつながっている。
高角主砲は最大仰角+75度で発射すると高度16,000から17,000m
に到達する。これは高々度爆撃を行う米軍のB29をも理論上は迎撃
することが可能で、事実、洋上訓練のためトラック島を出港した姉
妹艦の「千種」が、飛来してきたB29に対して迎撃射撃を加えてい
る。その際、三式弾により何機かの機体に損害を与え、米軍を驚愕
させた。
その対空戦闘の立て役者である高角砲は、世界で最も優秀と呼び
声の高い12.7cm連装高角砲である。
初期の案では主砲が5基、高角砲が6基であったが、その設計図
を見た他の設計していた主任が「これでは防空艦の意味がない」と
設計の変更を助言し、主砲を2基減らして高角砲8基16門と、他
に類を見ない対空能力を得ることとなった。その助言を与えたのは
かの高名な平賀譲博士である。
ほかにも対空兵装として、25mm三連装機銃を26挺塔載している。
過剰とも言えるこの装備に、目の当たりした人は軍艦特有の優美さ
に欠けると不評し、最新のジェーン海軍年鑑内で一番艦「空知」を
「まるで海を走るハリネズミのようだ」と愚評した。
内外でもあまり評価のよくない「空知」型だが、内容においては
どこに出しても恥ずべきことのない仕様に仕上がっている。
最終的に基準排水量は9,500tとなった。これほど大型化したのは
対空戦闘時における戦隊司令部の完備、主砲3基の塔載、船体主要
部の防御力の再強化、小型バルジ等を試験導入するなど、当初の案
よりも個々に強化されているからである。
その中で、一つだけ防空艦として不必要なものが付加されていた。
後部航空甲板の下に装備された61p魚雷発射管である。4連装2
基と数こそは少ないものの、艦隊防空が任務である「空知」型には
手に余るものだった。
これは断固として塔載すべしと、水雷屋と呼ばれる人間たちの後
押しだったと言われる。軍艦に魚雷がないのはおかしいと思ってい
る彼らにしてみれば、それが当然なことなのである。渋々、自衛用
という名目で発射管を積んだものの「一撃必殺」の機会はなかった。
大戦末期、発射管は「空知」から撤去され、後期量産型から当初
から全廃された。
戦隊司令部の設備等に見受けられるように、「空知」艦橋はやや
大型である。「妙高」級の名残という点もあるが、これは平時にお
いて海外への親善訪問等の際に、迎賓をすることなども考えられた
と言われる。ただの防空艦で終わらせたくないという、技術陣の親
心だろう。
機動部隊随伴というように、航続距離にも特筆すべき点がある。
18ktで8,000浬を行けるのは、「妙高」級ほど重くない分、燃料
や、機関に改良ができたからである。
だが、入れ物をつくればそこまで行けるというわけではない。
長距離を航行することを想定し、これまでの海軍にはない居住性
の改善を図っているのもまた、特筆すべき点であろう。将兵の間で
「空知」級に配属されるのを羨む声がでるのも無理はない。
日本海軍初の防空艦は、艦種的には15.5cm連装砲を塔載している
こと、魚雷発射管を塔載していることなどから軽巡洋艦に分別され
たが、排水量9,500tと、一部の重巡洋艦を凌ぐ大型艦となった。
そして奇妙なことに、米海軍が建造した「クリーブランド」級軽
巡洋艦に排水量、対空戦を主眼に置いた武装など酷似している。そ
のため、この両艦は何かにつけ各国の海軍や戦史研究家の間で比較
されることとなる。
起工から1年後、「空知」は呉にて進水、さらに半年後に竣工に
至る。時は昭和18年1月、ミッドウェー海戦において日米両軍の
機動部隊が打撃を受け、太平洋は休戦状態に陥っていた。
「空知」が進水したその翌日、南雲機動部隊の大破した空母「飛
龍」が駆逐艦に曳航されて呉に入港した。その際、「飛龍」を目の
当たりに「空知」の艤装委員長を拝命していた澤田耕太郎大佐が、
「あと半年、「空知」の進水が早ければ」
と、部下にこぼしたという。
待ち望まれずに竣工した「空知」は、この時点で護るべき機動部
隊は動けずにいた。ミッドウェー海戦で空母「赤城」と「蒼龍」
の2隻を失い、大型空母のそのほとんどがドッグ入りをしていた。
新造防空軽巡洋艦「空知」の初陣は、苦しくも防空とは関係のな
い輸送任務だった。いわゆる「東京急行」の一旦として、「空知」
は姉妹艦「綾瀬」と共にニューギニア方面への輸送任務従事するこ
ととなった。
本来、駆逐艦が行うべき任務だが、高速力をいかした機動性と、
制空権を完全に確保できていない海域における対抗手段として当て
がわられたのだ。
昭和18年3月2日、この日はニューギニア・ラエ基地への輸送
船団の護衛任務を行っていた。「綾瀬」と駆逐艦8隻で数十隻の輸
送船団を守るのは容易なことではなかった。同日、連合軍の爆撃機
による空襲を受ける。
回避運動を取りながら「空知」と「綾瀬」が応戦し、その対空能
力を如何なく発揮した。その結果、鈍足な輸送艦数隻が食われたも
のの護衛艦隊は無傷、爆撃機の半数を撃墜するという快挙を成し遂
げた。
戦果を聞いた本土では「空知」級の対空能力の意義を認め、再建
されつつある機動部隊の守護神たるべく、「空知」級の量産を急ぐ
こととなった。これが日本海軍でも異例の12隻の量産に繋がった
のである。
その後、マリアナ沖海戦に機動部隊と共に参加、米軍と痛み分け
にわけに終わるものの、その後、姉妹艦とともにウェーキ沖海戦、
マーシャル沖海戦、第二次ハワイ空襲に参加。常に機動部隊と行動
を共にした。
昭和22年8月16日のハワイでの日米講和の際は、日本側のホ
ストシップとして姉妹艦8隻とともに参列、「大和」「ミズーリ」
艦上で講和条約が結ばれるのを終生の好敵手、「クリーブランド」
級と並んで見守ったのである。
その後、日本は帝国主義から脱皮、講和条件の一つであるある南
方の植民地の独立を容認し、朝鮮半島も永きにわたる支配から解放
した。 南洋諸島も次々に独立。一部を国連統治領として預かって
いるが、独立に向けて動いている。
そして昭和25年。独立したもののくすぶり続けていた朝鮮半島
にて内戦が勃発する。
日本海軍(「帝国」の冠は取り除かれた)も国連軍として参加し
た。そこでも「空知」級の12隻の姉妹の姿が見られた。
初代「空知」艦長・澤田耕太郎退役海軍大将は、戦後史のインタ
ビューにおいて、
『「ミッドウェイ」と「フランクリン・ルーズベルト」を守った1
2隻は勇敢だったね。それにしてもあの空母は大きかった』
と、語った。空母「ミッドウェイ」はほんの数年前まで現役につい
ており、退役式典の際には澤田元艦長を招待し、朝鮮戦争での活躍
に感謝を込めて米大統領より勲章が享受された。
「空知」級は戦没艦が出なかったことでも有名であるが、その耐
用年数もまた驚きである。
「空知」は艦齢30歳に近い、昭和45年に大改装され、シース
パローやCIWSを装備、水上機の代りにヘリを塔載するなど、近
代化改装を受けた。
だが、よる年波には勝てず、昭和50年に三番艦「犀」が退役し
たのを皮切りに、53年までに11隻が現役を退いた。最後まで
踏ん張った「高梁」も54年に練習艦に種別替えされ、同年のうち
に現役を退いた。
早々と練習巡洋艦になった「仁淀」はその後、多くの幹部を輩出
し、現海軍司令長官もその一人である。
『1999年5月には、イージス巡洋艦「空知」が横須賀にて竣工
する。
時代は移り変わっても、必ずや新世紀の日本という国の海の守り
神となることだろう』
(澤田耕太郎監修「空を知る艦」より抜粋)
―――――――――――――――――――――――――――――――
後書
はじめまして。私もこういうのが好きなので一筆とらせていただ
きました。
「空知」なんですけど、北海道にある河川名ですね。
大変気に入っているので、この名をつけました。
それにしても艦の設計とかね戦後史とか、自分の作品ながら結構
無理してますね‥‥‥。
新参者ですが、よろしくお願いします。
99/04/26 服部 祐輔
|