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昭和16年8月、日本海軍は愛知時計電機に対し、艦上偵察機の試作指示を行った。 その内容は、その当時の艦上偵察機としては過酷な、580km/hの最大速度高い機体強度を必要とする 機動性という、相反するものであった。 このため、愛知側では早々と通常形式の機体デザインを放棄し、 機体抵抗を減らすデザインの検討に入った。 いくつかの案が出された中で、最終的に決定されたは、基本形態を単発双胴型とし、 エンジンのみ中央胴体に配して、延長軸で双胴部先端のプロペラを駆動するというものであった。 エンジンの前方に操縦員、後方に偵察員を配置し、操縦席直後にエンジン冷却用の空気取り入れ口を 開口するデザインで、主翼は双胴部までの中央翼が水平で、双胴部から外側にのみ上反角がついており、 主翼の桁は、エンジンを囲むように配された円形の肋材に結合される形式であった。 水平尾翼は、双胴部後端の垂直安定版の間に結合されていた。 武装は、機首に九九式20mm機関銃1丁、中央胴後部の偵察員席に二式12.7mm旋回機銃1丁で、 爆弾は両内翼下面に最大1発ずつの250kg爆弾を搭載可能となっていた。 試作1号機は昭和17年12月に初飛行した。 飛行試験を開始してまもなく、大迎え角時に水平尾翼にバフェッティングが発生することが判明、 第一次改造型として、双胴のブームの後端を上方に持ち上げる改修が付される。 この改修により、バフェッティングの問題は解消し、18年3月に軍に領収された。 しかし、今度は偵察員席の側方視界の悪さと、後部旋回銃の射界の狭さが問題となった。特に射界の 狭さは問題で、ほとんど真後ろしか射撃できないため、「なんのための防御武装だかわからない。なくても 同じではないか」とまで、酷評された。 そこで、第二次改造型として、内翼部に大きな上反角を付け、双胴部そのものの位置をさらに上方に 移動した。これにより、不満足ながらも偵察員席の側方視界の悪さと、後部旋回銃の射界の狭さは、 一応改修された。 ただし、この改修によって、元から不調だった両翼のプロペラを駆動するための延長軸部分が、 さらに不調を連発するようになり、その改修にさらなる日数を要することになるのであった。 諸元(第二次改造後) 全長:10.34m 全幅:12.02m 武装:前方固定 九九式20mm機関銃×1 後方旋回 二式式12.7mm機関銃×1 爆弾 250s×2、または60s×4 エンジン:火星21型 空冷複列星形14気筒 1850馬力 最大速度:606Km/h(6,000m) 航続距離:標準1600q 最大2600q ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |