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諸元 全長・・・11.72m 全幅・・・12.80m 自重・・・3,950kg 全備重量・・・5,790kg 発動機・・・三菱重工業「流星」(ダイムラーベンツBB603)一一型液冷倒立12気筒 出力・・・1750hp 最大速力・・・629q/h 航続距離・・・1,780km(標準)3,850km 実用上昇限度・・・12,000m 上昇率・・・910m/min 武装・・・20ミリ機銃×2(翼内),五〇番又は二五番爆弾×2 日本海軍は,開戦後暫く経つまで,艦隊の目として水上偵察機を使用していた。しかし,戦争が進むにつれ,その能力には不安が出てくるようになった。長大な航続距離は兎に角,下駄履き機特有の低い機動性,低速力による被害がかなり目立ち始めたのである。 そこで,海軍は専用の偵察機を作る事にした。要求は,速力が戦闘機以上,機動性も戦闘機と互角に戦えるくらいという,極めて過大な要求であった。 メーカーは,三菱の単独発注であった。これは,海軍が零式艦戦の高性能さにより,三菱に対して多大な期待を抱いていた事に起因するのだが,三菱にとって,この要求は厄介以外の何物でもなかった。 要求通りに期待を設計するのははっきり言って至難の技である。しかし,ここで辞退すると折角海軍に対して築いてきた信頼関係が吹き飛ぶ可能性すらある。そして,失敗は許されず,要求通りに設計せねばならない。作らざるを得ないのだが,作っても成功する可能性は限りなくゼロに近かった。 しかも,懸案事項はまだあった。当時,三菱は主要設計陣の殆どが多忙を極めていたのである。堀越技師は零式艦戦の熟成,十四試局戦の設計で手一杯,曽根技師も帰国後のごたごたで設計どころではなかった。本庄技師も林原技師と共に一式陸攻の熟成,十六試大攻でそれどころではなかったのだ。 主力設計陣の全てが手一杯で,かつ難しい機体・・・余りにも凄過ぎる逆境の所為か,三菱首脳陣はある大博打に出る。この十六試艦偵の設計を,独逸留学から帰国したばかりの坂本技師に命じたのである。 坂本技師は,当時26歳。機体の難易度からすると,異例の若さであった。曽根技師の渡独に乗じて,メッサーシュミット社に研修に行っていたのである。 坂本は,そこで高速機のノウハウを学んできていたのである。欧州流の最新高速機設計技術,三菱首脳陣は坂本のその知識に賭けたのである。 まず,設計は発動機の選定から始まった。先ず筆頭に上がったのがハ43とハ42である。しかし,両方とも直径が大きく,前面抵抗が過大になるという恐れから,ボツになった。 「発動機は何も空冷だけじゃない―――」彼は,ダイムラーとの提携で得たダイムラーの発動機に注目した。丁度三菱は,同時期にDB601の三菱版である「彗星」発動機を実用化していたのだ。DB601は,日本では川崎がライセンスを取得していたが,信頼性がイマイチであった。しかし,「彗星」はダイムラーの技師直々日本の製造技術に合ったような改設計が為されており,ハ40よりかなり生産性・稼働率の面でマトモな発動機であった。発動機は,「彗星」に決定した。 機体は,極力小型化に努めた設計となっている。全長こそやや長いものの,全幅を抑え気味にして,機動性の上昇に努めている。 主翼は,太い物が使用された。航続距離の面で多少不利になることは承知の上であったが,それは胴体内に大型タンク,さらに翼端に大型増槽を吊るす事で解決した。前縁スラット,ダブルスロッテッド式フラップ等,高揚力装置も採用された。 この機体は新機軸が生産性に余り影響しない程度に多用されていたが,中でももっとも目新しかったのが,圧板構造の採用である。これは,従来とは違い期待の強度を内部の骨を増加させる事によってではなく,外板の厚さを増やす事により確保するという,目新しい技術であった。戦後のジェット機にも採用されているこの形式は,世界レヴェルでも目新しかった。 初飛行は,17年の6月10日に行われた。その結果,「安定性は良好,しかし速力が不足気味」という判定を得た。そこで坂本は,発動機を「彗星」からよりパワーアップした「流星」に変更した。「流星」はDB603の三菱版であり,「彗星」の1,150hpから一気に1,750hpまで上昇していた。 発動機を換装した十六試艦偵二号機は,初号機の速度570q/hを,一気に629q/hにまで押し上げた。この性能に喜んだ海軍は,十六試艦偵を採用するとの通知を三菱に出した。 しかし,本当に採用されるまでは暫く時間が掛かった。これは,当時海軍当局が数々の試作機を抱えて混乱を極めていた事に起因する。十六試艦偵は増加試作という形で生産が開始され,19年の1月に制式化されるまで,「試作機」が394機生産されるという,異常事態となっていた。 数々の混乱をはらんではいたものの,四式艦偵は実戦部隊でその能力をフルに活用した。爆弾を搭載しての攻撃にも使えた事から,四式艦偵は艦爆としても使用され始めていた。 そこで海軍は,四式艦偵を艦爆としても採用することにした。これは,九九艦爆の後継機である空技廠二式艦上爆撃機(D4Y)に,機体の不具合が続出していた為である。四式艦偵は機体自体の不具合は殆ど発生していなかったのだ。 艦爆化に当たって,発動機はハ43「新星」に換装される事となった。「流星」がいくら日本向けに改修されているとはいえ,生産性はハ43の方が勝っていたからだ。 艦爆版四式艦偵は,艦上爆撃機「明星」として19年5月に制式化された。「明星」は日本機動部隊の主力艦爆として,20年12月8日の終戦まで,太平洋を縦横無尽に駆け抜けた。 ちなみに南方の基地(ラバウル等)では,四式艦偵の高機動性・高速性・汎用性をフルに活用し,夜間戦闘機にも転用された。南方に展開していたB−17やB−24の搭乗員からは,「ラバウルの缶切り」として有名になっている。 戦後は,中国空軍に機体のみ300機程度輸出され,現地でネイピア・セイバー発動機を搭載されて,共産軍相手に健闘した。1948年の北海道事変でも,ソ連陸軍の戦車部隊に対し,海上自衛隊所属機が迎撃を行っている。 コメント どうも,海野土左衛門です。歴史,捏造しまくっています(笑)。 ・・・・・・とうとう,禁じ手の「戦後」の話まで登場,ますます混迷を深めていくばかりのドザ‘sわぁるどは,一体何処まで暴走するのでしょうか(爆)!? まぁ,それは兎に角・・・ ここでは,ドザちゃんオリキャラ「坂本技師」が重要ポイントです。・・・うむむ,殆どバケモンや(笑)。いきなりこんな傑作機作るかっての。ま,そこいらへんは笑って勘弁してつかあさい。 今回は,艦爆「明星」も付けました。以下にスペックを書いておきますので,ご笑覧下さい。 そいでわぁ〜〜〜。 (財)郷研聯盟ゴムサンダル工業会会長 海野土左衛門 日本海軍艦上爆撃機「明星」一一型C6M2−D諸元 全長・・・11.20m 全幅・・・12.80m 自重・・・3,790kg 全備重量・・・5,520kg 発動機・・・三菱重工業「新星」一二型空冷複列18気筒2,250hp 最大速力・・・609km/h 航続距離・・・1,620km(標準),3,300km(過荷重) 実用上昇限度・・・10,600m 上昇率・・・932m/min 武装・・・20ミリ機銃×2(翼内),八〇番×1又は五〇番×2又は二五番×4 |
