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●開発経緯● 本機は中島飛行機が完成させた総合艦上攻撃機である。 本機は昭和16年8月、海軍より発令された艦上偵察機要求案によって製作された。 この要求に中島航空機は戦前から研究が進められていた『N-50』の改良型を持って当たる事とした。『N-50』とは10試艦上偵察機の経験を持つ中島に対し海軍が1社特命で出された物で性能条件概要は非常に高い値が記されていた。 1:最大速度350nt以上(高度6.000m) 2:上昇力6.000mまで8分以内 3:航続力:巡航210ntで1.500浬(過荷重:2.500浬) 4:離陸滑走距離:風速13/mで170m以内 5:着陸速度:70nt以内 6:高々度・長距離偵察艤装装備 『N-50』要求に対し中島は技術部長『山本良造』技師指揮の下、福田安雄技師を設計主任に選定し研究を重ねていた。福田技師は『N-50』要求を1.000馬力級発動機を2器搭載する事でクリアする構想を練っていた。機体設計がほぼ終了しようとしていた昭和16年度、2.000馬力級発動機『誉』開発が終了した。そこで福田技師は、この『誉』を『N-50』設計機体に搭載する事を考えた。『誉』を2器搭載する事によって『N-50』設計機体をリファインし、艦上攻撃機・艦上雷撃機・艦上偵察機の全ての任務に当たれる航空機にしようとしたのだ。 この提案に対し、海軍は当初難色を示した。その様な万能機の開発は不可能であるとの見解を持ったのだ。だが中島は福田技師の意見を尊重し開発続行を決定した。 福田技師は13試双発3座戦闘機を担当した中村勝冶技師、大野和男技師と共に寝食を忘れ設計に没頭した。 ●開発● 本機の3点姿勢時の機体サイズは空母のエレベータ幅から11m以内とされた。この為、垂直尾翼は大きく前方へと傾斜した独特の形状とされた。機体は極力小型化された。機体の小型化こそ最善の性能向上への道だと福田技師は考えたのだ。 当然、機体は高翼面過重となる。艦上機としてはこれは致命的であった。 そこで福田技師は油圧式の親子ファウラー・フラップの搭載を決定した。 主翼は中翼配置とされた。 中翼配置としたのは胴体下部に内蔵式爆弾槽を設ける為でもあった。 主翼は急降下を可能とする為、5.5Gの引き起こし荷重に耐えうる強度を持たされた。 翼型は肉厚の層流翼を採用し十分な翼内内部容積には内袋式防弾タンクを搭載した。 この内袋式防弾タンクを搭載した為、インテグラルタンク搭載と比べると航続距離は約3割ほど低下するが福田技師は断行したのだ。 又、中翼配置は低翼配置と比較し誘導空気抵抗が減少する事も重視された。 本機の爆弾槽は偵察任務時の増槽格納場所しており、空気抵抗の大幅な減少を可能としている。爆弾槽には800s爆弾*1、又は500kg爆弾*1、又は250kg爆弾*2を搭載した。91式改航空魚雷を搭載する場合は爆弾槽に入りきらない為に機外懸架とされた。 この懸架装置には更に落下増槽を装備する事も可能であった。 発動機ナセル直径は『誉』の直径1.18mに対し1.3mにしか過ぎずなかった。 プロペラは住友VDM定速4翅、直径3.5mもの巨大な物を搭載した。 ●機体製作● 昭和17年4月、第1回木型検査が行われた。当初難色を示していた海軍側はこの双発機を見て完全に興味を失った。この事により中島は自由に計画を進める事が出来た。 昭和18年5月20日、試作1号機が完成した。この試作機は同月26日、初飛行に成功した。 同年7月30日に実施された全速試験で本機は水平飛行中に620km/hを軽く突破した。 海軍はこの出来事に狂喜した。 ●『 B6N1 雷星』性能諸元● 乗員:2名 発動機:『誉』22型(NK9K)*2基 プロペラ:住友VDM定速4翅(直径:3.50m) 全幅:14.40m 全長:11.46m 翼面積:36.0m 自重:4.820kg 全備重量:7.780s(荷重) 最大速度:649q/h(高度6.000m) 航続距離:経済巡航1.741km(荷重:3.449km 落下増槽使用時:4.460km) 武装:20m/m機銃*2 12.7m/m後方旋回機銃*1 爆弾搭載量 91式改航空魚雷*1 又は800s*1 又は500kg*1 又は250kg*2 ●技師 Olympia より一言● お久しぶりです、 Olympia です。 今回の要求を満たすにはと熟考した上(単に双発好きなだけですが)、またもや双発です。 双発しか描いていない気がしますが良いでしょう。 ps:私も戦記を書くのは止めました(時間が無いんすよ、これがまた)。 それでは失礼します〜。 |