軍艦の種別は様々である。
そして、ほぼ同じような諸元を持っていても、その国の考え方次第で種別は変わってくる。
例えば日本の超甲巡は名前の通り巡洋艦、
アメリカの「アラスカ」級も扱いは巡洋艦であるが、
かなり酷似した諸元を有するドイツの「シャルンホルスト」級は巡洋戦艦である。
また、各国海軍のそれぞれが重視する艦艇の種別にも違いがある。
例えばドイツは潜水艦、イギリスは航続距離の長い植民地護衛艦、
アメリカは巡洋艦、日本は水雷戦の見地から駆逐艦を重視していた。
さて、日本には異色の理由で重視された特色のある艦艇がある。
それは「水上機母艦」であり「潜水母艦」である。
水上機母艦は空母の搭載機の一部で、潜水母艦など徴用商船で十分代用しうる。
では何故そんな艦艇が重視されていたのか。
それが「異色の理由」であり、第2状態を考慮された結果である。
すなわち、他艦種───具体的には空母───への改装が可能と言う物である。
その水上機母艦の新規建造するとの話が出てきたのは既に無条約時代に突入し、
ヒトラーの野望に基づいてドイツが海外進出を始めた昭和13年になってからだった。
そのため、計画当初から「最初から空母として計画してはどうか」と言う意見がかなり存在した。
なお、この艦の要求諸元は偵察艦として運用し得る事、
そして工作の簡易化に勤める事で、具体的な諸元は記されていない。
これは、既成の水上機母艦を基にせよとの事であろうと考えられた。
一方、海軍技術会議においてとある計画が頓挫しつつあった。
潜水艦隊旗艦として計画されていた軽巡、175号艦の計画である。
この船の用途は潜水艦隊の旗艦として進出、要所に偵察機を送り艦隊の動静を確認することにあった。
そして、軍令部からの要求諸元はこれに沿って5000トン、36ノット、18ノットで1万浬、
八九式12.7cm連装高角砲4基、高速偵察機8機と言ったものだった。
だが、駆逐艦にすら劣る攻撃能力に軍務局からクレームがつき、
「最上」の15.5cm3連装砲を搭載する事として計画が進められていた。
だが、肝心の特殊水偵(後の「紫雲」)と二式一号一〇型カタパルトの完成が危ぶまれる事態となって、
建造計画がストップしてしまっていたのだ。
そこへもって新造水上機母艦の話が持ち上がってきたのだ。
日本海軍の有する水上機母艦は、ある意味で多目的艦種でもある。
例えば「千代田」は戦中、水上機母艦、甲標的母艦、高速輸送艦、空母とその姿を様々に変えている。
そこで、くだんの軽巡計画の潜水艦隊旗艦としての役割を持たせつつ、
若干デチューンした艦が計画される事となった。
空母に改装するのに、わざわざ別の艦として就役させる必要性はもう無いのだ。
だが、別個に計画されていた2隻の艦を1隻にまとめてしまうのである。
こうすればドックもしくは船台を2つも2線級の艦艇が占める事は無く、
その開いたドックで別の艦艇の建造、もしくは改装を行える。
予算圧縮と施設活用の効率化、まさに一挙両得である。
だが、何の犠牲もなく2つの物を1つにまとめられる筈はない。
そのために幾度と無く会議が持たれ、どの部分で妥協するかが検討され
175号艦の最終案とほぼ同様の船体に相応の搭載能力を有する艦としてまとまるかに見えた。
だが、ここで日本海軍の悪い癖が出た。
「水上機母艦としては搭載機は少なくとも10機は確保したい」
「特殊潜航艇の搭載も考慮すべきだ」
等々の様々な横槍が入り、紆余曲折を経た結果、船体は「水上機母艦」としては異例の
「最上」型(準同型艦と言える「鈴谷」「利根」も含めて)をベースに、
排水量1万2000トン程の艦として計画がまとまった。
様々な任務に向けられるよう仕向けられた突拍子も無い計画の割に、
作りなれた船体の構成を弄くって計画する所など、意外なところで堅実な道を行っている。
こうしてまとまった計画艦は外観上、条約型よろしく全長200m弱の軽巡である。
艦首は日本海軍らしく著しいシアーラインを形成し、15.5cm3連装砲が2基、煙突は「高雄」に似て2本。
舷側に八九式12.7cm連装高角砲が2基づつ。
また、魚雷発射管の搭載位置とその搭載口と思しき窓が01甲板側面に開いていて、
飛行甲板はその01甲板上に艦尾付近まで続いおり、艦尾付近で終了。
そこからは日本の軍艦に独特な艦尾の緩やかな傾斜となっている。
特徴的なのは対空兵装で、日本海軍の大型艦にあって唯一前後方向に高角砲の指揮系統を分けている。
ところで、この船は「水上機母艦」の筈だが、これではどこから見てもただの「偵察巡」である。
だが、腹の中はその「軽巡」している外観とは裏腹で、缶室はたった6室。
その缶室からの排気は全て1番煙突に導かれている。
すなわち、2番煙突はダミー・ファンネルなのだ。
当然ながら、これは時に応じて着脱が可能である。
出力は11万馬力、2軸で30ノット。
なお、1軸で5万馬力以上の出力を受けるため、機械とシャフトは建造までの課題とされた。
さらに、巧妙な偽装はこれだけではない。
魚雷発射管も「水上機母艦」形態では搭載されていないのだ。
舷側の魚雷発射艦と思しき開口部分には、巧みに塗装された盲蓋が外板から少し奥に設置され、
01甲板上は居住区となっている。
しかし、装甲は軽巡「阿賀野」と同等の60mmが確保されている。
「水上機母艦」形態時の搭載機はたったの13機(最大)で、
搭載機の数では既成の各水上機母艦とは倍近い開きがある。
その上、これは格納庫と露天を合わせての数字なので、短時間での全機射出は不可能であった。
こう言った所はやはり無理に2隻をまとめてしまった部分が出てしまっている。
なお、特殊潜航艇の搭載はスペースの都合上諦められた。
だがしかし、何よりのこの計画艦で特徴的なのは艦尾、トランサム・スターンとなっている艦尾である。
艦尾には水密扉が備えられ、これは水上機格納庫に通じている。
もちろん、水上機が翼広げて通れるほどの幅は無い。
では何のための水密扉で格納庫からの通路なのか。
それは、特二式内火艇/特三式内火艇の搭載、発進のためである。
もちろん当時においては水陸両用戦車の寸法はまだ未定ではあるが計画自体は順調に進行していて、
計画だけで形の見えない特殊水偵(後の「紫雲」)に比べれば実現性は大いにあった。
そのため、この船で揚陸戦をもやらせてしまおうとなったのだ。
よく配置図を見て欲しい。
高射指揮装置がどこについているか、なぜ普段はダミー・ファンネルが要るのか。
また、内火艇搭載にしてはやけに広い高角砲の間隔、さらに日本艦にしては異常なまでに広い居住区。
これらは単に水上機母艦として艦載機運用に必要な人員のためではない。
揚陸戦を視野に入れ、陸戦隊の収容と大発の搭載を考えたためでもある。
さらに、まだこの船には用途がある。
缶室を「鈴谷」から減載した際に、満載燃料タンクを増設したため、
航続距離は18ノットで1万2000浬と日本艦としては異例の数字を弾き出した。
元々、この燃料タンクは駆逐艦「深雪」の戦訓に鑑み、
万が一缶室が満水となっても隣の缶室の隔壁を破って浸水が増大する事が無い様考えられた物である。
燃料タンクを置いておけば少なくとも油防・水防は大丈夫だろうと言う物だ。
これは元々駆逐艦「夕雲」において採用が検討されたが速力が減少するのが面白くない軍務局に握りつぶされている。
このやたらに長い航続距離が第1次世界大戦におけるドイツ海軍の通商船破壊の影響を大いに受けた一派に活力を与えた。
何しろ、単純計算で12ノットだと2万浬以上走る計算になるのだ。
それに居住区も広いし足も速く攻撃力も並の軽巡に勝るとも劣らない。
英国の軽巡の全てと対等に渡り合えるだけの能力があるのだ。
これほど彼らの夢見る通商船破壊活動に適した艦があっただろうか。
彼らは熱心に通商船破壊活動の必要性を説いてまわり、
この艦がいかに大きな戦果を挙げ得る船とできるかを力説した。
結果として彼らの熱意が実り、この船には通商船破壊艦としての性格も持ち合わせる事となった。
なお、ダミー・ファンネルや魚雷発射管の偽装はドイツ巡洋艦「エムデン」の戦訓に基づいた彼らの提案による。
この通商船破壊艦形態を成す時には、偽装の魚雷の搬入口の盲蓋を外して
そこに53cm3連装魚雷発射艦を搭載する。
53cm魚雷発射艦の搭載理由は、もちろん商船の処分のためである。
たかだか商船に対し61cm魚雷ではオーバーキルだし、何より勿体無い。
これに伴い、減少する居住区は水上機格納庫の艦尾側を閉塞してそこに臨時の居住区を設ける計画であった。
この場合、搭載機は10機(最大)まで減少する。
ただし外洋を長期航海するわけであるから、補用機の都合もあって6機ほどの搭載で限界であろう。
さらに、こんな有力なフネをただ水上機母艦としては勿体無いと、
有事には軽巡の肩代わりもできる様、計画が成された。
この場合には魚雷発射管側の盲蓋を外し、61cm4連装魚雷発射艦を搭載。
居住区は水上機格納庫全てを転用し、搭載機は露天のみで最大で8機となるはずであった。
ただし、水雷船隊の鈍足のためどこまで有力かは疑問の残るところだ。
最終的には「まるで女の子のように服や帽子を変える」事から、
たびたび入港/改装が予期されるため新型電探の試験運用艦としても運用できるような艤装とすることになった。
具体的には、八木式、ホーン式、マットレス式の各型を搭載できるよう、
所要のスペースを前檣と後檣に設けるもので、
これに関係して後部指揮所の一部に電探室を設けていた。
この、何とも万屋的な「水上機母艦」計画は昭和14年2月14日に軍令部に提出される事となった。
そしてその主要諸元を以下に記す。