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ブリュースターXP−76 『スピリッツ』諸元(上図はXP−76−Cをあらわす) 全長・・・14.00m 全幅・・・19.00m 自重・・・13,000kg(−C) 全備重量・・・17,500kg(−C) 発動機・・・P&W『X−1800』2,000馬力×2(−A) クライスラー『XI2220−11』2,500馬力×2(−B) P&W『R−4360−25』3,000馬力×2(−C) 最大速力・・・749km/h(−C,) 航続距離・・・2,020km(標準)・3,200q(最大) 上昇率・・・9,000m/10min(−C) 実用上昇限度・・・12,900m(−C) 武装・・・37o機銃×8 ≪解説≫ 米陸軍は,1939年12月に本土防空用の高性能重戦闘機の要求を出した。そして,国内の各社がこれに応じた。その中の一つに,ブリュースター社の名があった。 ブリュースター社は,同年の夏,米国で初めての単葉引き込み脚艦戦であるF2Aを完成させた事で知られていた。だが,その栄光とは裏腹にその機体の格好の醜さは相当な物であり,ブリュースター社は不恰好な機体専門というイメージが定着してしまっていた。 「これはいかん!」ブリュースターの首脳陣は苦悩した。そもそもF2Aの採用が奇跡的なだけあったために,こんなイメージが定着しては今後の社の評判に差し支える・・・そう考えた矢先の,米陸軍の要求である。ブリュースターは真っ先に飛びついた。これにより,汚名を返上しようと考えたのだ。 だが,言うは易し,行うは難しというのが世間一般の常識である。米陸軍の要求は,なかなか難しい物であった。別に,項目が多すぎるとかそういった意味ではない。ただ単に「要求が高すぎる」だけであった。 具体的には,最大速度が720q/h,上昇力が6,100mまで5分30秒以内というものである。本土防空用の迎撃戦闘機としては,妥当な性能である。ここまでは,まだいいのだ。 問題の項目とは,「通常形式の機体は控えろ」,正にこの事である。マトモなデザインの機体を作ろうと意気込んでいたブリュースターの設計陣は,多いに混乱した。通常形式の機体でないのならば,たとえ飛行性能が良かったとしても今度こそ決定的に「不恰好専門」の烙印が押されるのではないか,そういう声が,あちらこちらから上がった。 だが,結果的にブリュースターはこの要求を飲む。「形式は妙でも誰もが唸るような流麗な機体を作ってやろうじゃないか!」と,軍用機の設計をするにしてはいさささか不純な動機により,設計は行われた。 通常形式では駄目だということで,さまざまな案が出された。通常の双発型で発動機を逆に置く方式,後方に配置されたプロペラを延長軸により回す方式,幅広の胴体に液冷発動機を2基並べて置きコントラペラを回す方式,一つの発動機で2つの反転するペラを回す方式,さまざまな案が出されては消え,出されては消えた。 これらの案でも,確かに充分ラディカルではあった。しかし,『ヒコーキとして流麗なのか?』や『性能が満たせるのか?』等の問題により,悉くボツになった。 「格好を考えているうちに他のメーカーが制式化されてしまうのではないか?」そんな考えが,首脳陣に広がっていった。設計陣の焦りもかなりの物となった。このままではその危惧が本当になる・・・半ば強迫観念みたいな物が,各人を支配した。 しかし,救いの手は突然やってくる。ある時設計者の一人が帰宅すると,彼の子供が飛行機の模型で遊んでいた。その模型は彼が息子の為に作ってあげた手製の物であり,息子はそれを多いに気に入っていたのだ。しかし,何回教えても遊ぶ時は逆に持つという妙な癖があったのだ。その日も,彼はいつもの様に持ち方が逆だと指摘しようとした。だが,その時彼は突然妙案を思いついた。「前後が逆に飛ぶ飛行機はどうだろうか!?」と。 時間外にも関わらず会社に戻った彼は,製図版の前に取りつき,一晩かけて図面を完成させた。その機体は,プロペラと主翼が後ろについていて,尾翼が先についている先尾翼式という物であった。機体の全体の格好は鏃の様に前にすぼまった形をしており,後方に配置されたペラとあいまってかなりの性能を発揮すると期待された。 翌日の会議に出されたその案は,かなりの好評を持って迎えられた。懸案事項であった発動機も液冷のP&WX−1800を使用することにより,解決した。 機体の細かい設計はとんとん拍子で進んだ。ラヂエターも機体に半埋め込み式で配置する事が決まり,いよいよモックアップ作成開始というところまで進んだ。 が,しかし,ここで意外な欠点が見つかった。航続距離が確保できないのである。機体自体は意外と大型だったのだが,予想される強武装搭載状態になると燃料のスペース確保が出来なくなる恐れがあったのだ。 ここで設計陣は,あっさりと物凄い決断を下す。何と「二つ繋げれば航続が伸びるだろ」と言う事で,双胴形式にしてしまったのだ。しかも,操縦席は内翼部の真ん中に設置するという,後にも先にも出て来そうにない強烈な機体となった。視界問題が取り沙汰されたが,「超大型のガラスキャノピー」使用と言う事で押し切ってしまった。 P&WX−1800を搭載したA型が初飛行したのは,1943年7月30日であった。飛行試験の結果,「運動性はロールがやや遅いが縦旋回はまぁまぁ,速力は及第,突っ込みは強烈この上ない,格好は流麗」との評価が下された。結構な好評価である。設計陣は,このまま制式採用か?と大いに喜んだ。 しかし,本機の不運はここから始まる。使用予定の発動機P&WX−1800の開発がストップしてしまったのだ。X−1800は試作の数基を残し,計画中止と相成ってしまったのだ。この計画には,X−1800の存在は欠かせない物となっており(何せ,その全てがX−1800搭載を計画していたのだから),競作は振り出しに戻り,各社とも新たな発動機を探すことになった。 ここでブリュースターはクライスラー製の倒立V型16気筒という大型発動機XI−2220−11を選択した。2,500馬力という強大な出力を誇るこの発動機と,増加した燃料を搭載する為に,胴体が1m延長された。試験飛行の結果は,A型にも増して好評であった。X−1800がぽしゃった時点で諦めたメーカーもあっただけに,敢闘精神も評価された。「今度こそ採用か!?」ブリュースターの面々はそう期待した。 だが,ここでもまた不運に襲われる。都合により,XI−2220−11までもが開発中止となってしまったのだ。「俺達に恨みでもあるのか!?」彼等がそう絶叫した事は,想像に難くない。 ここまできたらもう自棄糞になってしまったのか,ブリュースターはそれでも発動機を変更しこの計画を続けた。次に候補に上がったのは,X−1800で大きなワリを食らったP&W製の大型空冷発動機,R−4360である。空冷四列28気筒というこの発動機は,出力が3,000馬力と極めて強大で,重量増加にも対処できるとして期待された。 R−4360を搭載したC型は,1944年の12月に初飛行した。ここでも性能は充分以上と評価され,37o機銃8門という強力な武装とあいまって迎撃戦闘機としての能力が再確認された。 だが,何よりもブリュースターの設計陣が喜んだ事は,A,B,Cのいずれもが「優美な格好である」と評価されたことであろう。その言葉は,結果がどうであれブリュースターの面々を大いに勇気付けた事だけは確かである。 コメント ど〜も,海野土左衛門でございます。 米陸軍のヘンチクリン迎撃機です。 いやあ,ブリュースターの皆さん,がんばってますねぇ(笑)。苦労だけは認めてあげたいっす(爆)。 今回は,今までとは少し路線変更をして,設計時のドタバタを中心に解説を書きました。 したがって,今回は戦記はありません。ま,今までもロクな戦記書いた覚えはありませんが(笑)。 ドザヱモンとしては,初めて上面図を描いてみました。ご笑覧あれ。 それでわぁ〜♪ 奥井雅美「labyrinth」を聴きつつ・・・ (財)郷研聯盟会長 海野土左衛門 |