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●艦型概要● 本艦型は旧式化した超弩級戦艦を時代に見合う物へと改装する中で生まれた、一種奇形的な形態を持つ艦艇である。 他国の艦艇に於いて本艦型と同様の近代改装を行った主力戦艦は例が無く、非常に特異な存在である、と言える。 ●改装に至る経緯● 奇異な形態を持つ本艦型は昭和10年1月に海軍省より発令された、超弩級戦艦『扶桑』型の近代改装要項に沿って誕生した。 改装前の『扶桑』型は、現在の基準からすると艦全体が弾薬庫と言っても過言ではない、非常に装甲が薄弱な低速戦艦であった。 『扶桑』型は建造当初、世界最強の砲戦能力を持つ世界最大の巨艦で、約1年半後に竣工した改『扶桑』型である『伊勢』型と共に戦隊を組む主力戦艦であった。 この主力艦隊と対応する巡洋戦艦戦隊を構成するのは『扶桑』型と同年度に竣工した『金剛』型巡洋戦艦4隻である。 この『扶桑』型戦艦と『金剛』型巡洋戦艦はロンドン条約後の日本海軍中最古参の主力艦であった。 『金剛』型巡洋戦艦は大正12年〜昭和6年に掛けて近代改装が実施され、戦力を向上させたのに対し、本艦型の近代改装は未着手であった。 これは他の主力艦を整備に大型ドックを使用していた為で非常に不本意な結果であった。 だが近年、本艦型の陳腐化は主力艦として是正できる範疇を大きく超過した為、『伊勢』型と共に早急に改装を実施する運びとなった。 本艦型は、その近代改装が計画された当時、日本海軍が進めていた第二次補充計画(通称A計画 〜昭和9年度より実施〜)の影響を強く受けている。 このA計画は、主に艦隊航空戦力の増強に重点が置かれた物で、航空母艦『蒼龍』『飛龍』及び、有事には空母への改装を考慮した給油艦『剣埼』『高崎』等が計画されていた。 本艦型の近代改装に際し、海軍航空隊発展に大きく貢献していた『小林 躋造』大将を中心に海軍次官『山本 五十六』、『米内 光政』大将、『塩沢幸一』中将、『井上 成美』少将、等の連名の下、初期計画案が艦政本部に提出された。 その案とは本艦型の航空母艦化である。 旧式化した戦艦を大砲のプラットホームとして再生するより、性能躍進著しい航空機のプラットホームとした方が海軍戦力の向上に繋がる、を基本とする改装案である。 この初期計画案に従って艦政本部の『藤本 喜久夫』造船大佐は全通式飛行甲板を持つ純粋な航空母艦として計画を進めていた。 …しかし、艦政本部でこの航空母艦案が検討されていた時、他所では別の『扶桑』型改装案が思案されていた。 この改装案は純粋な主力戦艦への復帰を基本とし、『金剛』型改装案を範とする旧態依然とした物であり(機関出力増大による高速化は盛り込まれていない)、概要設定には『金剛』代案時にも私案提出問題を起こした『平賀 譲』(海軍技術研究所所長)氏が大きく関係していた。 この航空重視主義者と大艦巨砲主義者の間の溝は思わぬ事件を引き起こす事になる。 『平賀 譲』氏によって技術的問題を解決した大艦巨砲主義者は強制手段を持って、自らの訴えを表明したのだ。 戦艦至上主義を掲げた若手海軍将校数名が武装して『高橋 三吉』連合艦隊長官(大将)公室に突入し、『扶桑』戦艦改装案(『平賀 譲』試案)と共に『戦艦改装を旨とする血判嘆願書』を提出する事件、いわゆる『長官公室事件』が発生した。 この血判者には海軍内部で非常に強い影響力を持つ将官の名も見られ、関係者は一時騒然となった。 事態を重視した『高橋 三吉』連合艦隊長官は意見調整委員会を設け、海軍内の意見統一を第1とする姿勢を見せた。 この委員会によって双方は歩み寄りを見せ、航空母艦『蒼龍』の原案である『G6』を基本とする方針で纏められた。 これは昭和10年3月の事である。 ●船体● 本艦型は航空機の発艦を容易とする為に、高速化を第1とする船体の改造が実施された。 日本海軍は艦の高速化には、伝統的に船体縦横比率を大きく取り、流体抵抗を軽減させる方法を選んでいる。 軍艦は通常、艦尾の延長によって縦横比を変更するが、本艦型は主に艦首の延長によって縦横比を変更している。 この艦首延長には飛行甲板長保有の観点から執られた必要手段でもある。 本艦型の近代改装には現在設計が進行中の新型航空母艦『第3号艦 〜後の『翔鶴』型』の事前実験的要素が盛り込まれている。 その第1は延長工事と共に装着された新設計の艦首であった。 この新艦首は今までの変形クリッパー型と異なり、かなりの傾斜を持つクリッパー型で大きなフレアーが付いていたが、シアーは剰り付いていない。 これは本艦型が大型艦である事と甲板高を1階層高めた為、乾舷に余裕があったからである。 又、全く新しい試みである球状艦首(バルパス・バウ)を装備し、造波抵抗の大幅な軽減に成功している(欧州の客船に於いては比較的ポピュラーな技術であった)。 この球状艦首は極めて良好な結果を示し、後に新規設計された大型高速艦の全てに装備される事になる。 この様に空母型へと改修された際に、艦首、艦尾の形態を大きく変化させた先例には『赤城』『加賀』の両艦が挙げられる。 だが、艦尾も約7m程延長され、高速型に成形が実施されている事も忘れてはならない事項である(計算上では、この艦尾延長のみでも約1,4ktの増速が見込まれた)。 この艦尾延長は日本に於いて昭和8年以降の全改装戦艦に実施されているが、諸外国に於いては伊国に僅かに例があるのみである(この伊国の戦艦は『コンテ・デ・カブール』型と、『カイオ・デュリオ』型で両型とも船体は新造に近い改修を受けていた)。 艦尾延長は速力増加の面に於いて好成績を収めたがその反面、標的面積の増加、旋回圏の増大などの問題が新たに発生している。 船体側面には従来通り、バルジが装着された。 バルジは対水中弾効果軽減より艦浮力向上に重点を置いた物で、他の主力戦艦と比較した場合、比較的小型であった。 これは艦の高速性に与える影響の軽減を考慮した薄型の物であった為である。 ●艦橋● 本艦型の艦橋施設は二転三転した。 当初の予定では航空母艦『龍譲』と同様に艦首飛行甲板直下に設けられる事としていた。 だが36cm主砲を装備し、戦艦としての砲撃力を持たされた本艦型は先に挙げた『G6』(航空母艦『蒼龍』原案)に類似した箱形大型艦橋と直立煙突の装備を予定していた。 だが『第4艦隊事件』発生によって、またもや計画は見直され、艦橋規模は大きく縮小された。 この規模縮小によって主砲弾の測距に重大な悪影響が予想された。 初期計画時の艦橋でさえ、その測距義高は問題とされていた。 これでは幾ら仰角を増しても遠距離射撃自体が実施できない。 そこで本艦型では通常の戦艦が搭載する的測機数の倍以上である3機、観測機4機をもって飛行機索敵射撃を主とする物とした。 新たに設計された艦橋は4階層で最上段には94式方位盤、武式8m二重測距儀、及び対空指揮所が設けられた。 この中で特異な点は武式8m二重測距儀が艦首より見て背面部を向いている点である。 この測距儀は後部を中心に左右約120度範囲を測距可能で、有効測距距離は約13kmであった。 最大の変更点は煙突であった。 搭載が予定されていた直立煙突は重心が上昇する為、廃棄され、従来の日本航空母艦標準である下向き湾曲煙突が装備された。 ●機関● 機関は現在竣工間近の新型軽巡洋艦『最上』型と同じ物(ロ号艦本式重油専燃缶 * 8 基)が、改めて搭載された。 これにより出力は以前の3倍以上となり、152,000馬力を発揮した。 この機関部の搭載スペースには従来の機関区に足して、撤去された第3砲塔の大部分が宛われた。 戦艦改装路線からでは考えられない大馬力獲得に成功したのだ。 更に、この新型機関によって、いわゆる4機4区画の理想的な機関は位置法が実現され、防御面でも甚だしい向上を見せている。 新型発電器の搭載による注排水能力強化は特筆に値する。 この発電量の向上は本艦型の薄弱な装甲に由来する。 直接防御(装甲)による防御の向上が諸事情により余り望めない本艦型はダメージコントロール能力によって損害の拡大を軽減する方式を選択したのだ。 ●兵装● 本艦型は戦艦と航空母艦のキメラ的存在で、その兵装も極めて特殊であった。 元の戦艦『扶桑』配置から最も効率よい選択を実施した結果、背負い式に3基の36cm連装砲を装備する事で配置は決定された。 大艦巨砲主義者は艦首方向に射撃可能な主砲を望んだが、航空機発艦には是非とも艦首を飛行甲板とする、との航空重視主義者の意見が通り、飛行甲板は艦首に設けられた。 この艦首飛行甲板に対し、大艦巨砲主義者は『公算射砲』の観点から主砲門数5門以上を要求した。 本来『公算射砲』が必要とする最低門数は3門であるが、大艦巨砲主義者は航空重視主義者の権限削減を目的に主砲塔3基の装備を譲らなかった。 艦政本部は両者の案を纏めるのに非常な苦心を重ねた。 第1の問題となったのは、飛行甲板長である。 主砲塔3基を保有した場合、本艦型の飛行甲板は僅かに130m程しか取れず、航空機の運用に重大な影響を与える事になる。 この問題を解決する為に艦首延長を実施したと言っても過言ではない。 船首延長によって後部甲板部に3基の主砲塔を得た本艦型は、砲撃能力を向上させる為に主砲塔の改造を実施した。 この改造によって最大仰角は43度に引き上げられ、最大射程は3万mを超過した。 又、砲戦距離の延長による大仰角砲弾防御の為、主砲塔天蓋は従来の115mから150mmに増厚が行われている。 副砲は全廃され、代わりに対空火力が強化された。 これは対航空機戦闘機会の増大に伴う重量配分によって決定された。 この決定には自己より優速な駆逐艦撃退を主目的とする副砲は、駆逐艦より遥かに優速な航空機を装備する本艦型にとって脅威では無くなった事が大きく影響した。 対空兵装には12,7cm連装高角砲が8基、装備された。 13m/m4連装機銃の総数は16基である。 この対空兵装は全戦艦中最強であった。 右舷主砲塔群後部に配置された対空火器には排気煙防御用の防盾が設けられている。 ●航空兵装● 従来の第1砲塔直前から第4砲塔直前の全スペースは平坦に成形され、航空機格納庫となった。 当初の計画では格納庫は3段式で搭載機数は62機を予定していたが、本艦改装初期の昭和10年9月に『第4艦隊事件』が発生した。 この『第4艦隊事件』は昨昭和9年に発生した『友鶴事件』と異なり、本艦型に非常に深刻な影響を与えた。 1万tを超過する大型主力艦艇である空母『龍譲』でさえ復元性が不足している現状に本艦型の設計案は再考慮がなされた。 この時の『扶桑』は上部構造物の撤去を実施している最中(特に三脚構造の艦橋構造物、及び主砲塔バーベットの撤去は非常な困難を極めた)で、船体改装に着手していないのを幸いに本艦型も重心低下を目的として格納庫を1段減じて2段とした。 飛行甲板の装甲化は最後まで論議されたが本艦型改装に於ける最大目標の1つである、との山本次官の言が通り、厚さを減じながらも実施された。 改装後の本艦型格納庫は各層に2区画、合計4区画に分けられて、防火壁によって分けられていた。 エレベータは前後に2基を装備した。 大きさは縦横共に13mで前後とも同じ物を使用していた。 これは本艦型が1機種(戦闘機のみ)の運用を行う事を前提としている事の明確な表れでもある。 又、本艦型は直援の戦闘機運用を主に設計されている為、魚雷用弾庫(魚雷調定装置含む)、揚魚雷筒を装備していない。 急降下爆撃機の使用は一応考慮されており、後部エレベータ部分に300kg爆弾まで揚昇可能な揚爆弾筒を装備していた、と言う。 ●装甲● 戦艦時の甲板装甲(下甲板) 32mm厚 はそのまま残されている。 本艦中、白眉の事象は薄弱ながらも飛行甲板に装甲板が装備された事である。 この飛行甲板装甲の厚みは 50mm であった。 本艦型改装計画当初、遠距離砲撃戦の防御を主目的として、金剛型と同程度以上の垂直防御能力保有が計画された。 この計画案では戦艦時の甲板装甲(下甲板) 34mm を40mm に強化、戦艦時の上甲板(格納庫直下)位置に 50mm を追加し、計 90mm (金剛型は 70mmで、後の近代改装によって機関部直上に 76mm、弾庫直上に 102mm を追加している)の装甲を保有、更に機関部直上に 70mm、弾庫直上に 110mm の装甲を追加する予定であった。 この装甲追加計画は後に藤本喜久夫造船大佐の手によって、より野心的に変更され、上甲板装甲は飛行甲板装甲へと発展した。 より合理性を追求する藤本造船大佐にとって、遠距離砲撃戦を主目的とした装甲と耐急降下爆撃を主目的とした飛行甲板の装甲は容易に合致する物であった。 この装甲取り付け位置変更によって脆弱な飛行甲板は、耐 500kg 航空爆弾の能力を保有するに至ったのだ。 この装甲甲板は世界初の試みで非常に革新的な発案であった。 だが飛行甲板の装甲化は重心位置の上昇を伴い、艦安定性の低下を招く物として、これを危惧する関係者の声もあった。 だがこの装甲飛行甲板は、それ等、警鐘の声を押さえるにたる非常に魅力的な内容であった。 計画は順調に進む物と思われたが『第4艦隊事件』によって、大幅な修正が行われた。 当初の予定では飛行甲板装甲厚は75mm( 25mm CNC鋼3枚重ね)であったが復元性回復の為、これを減じて 50mm へと修正された。 飛行甲板に装甲を有する本格的装甲空母の登場は英国空母『イラストリアス』(1940年竣工)迄、待たねばならない。 日本海軍に於いて、この艦種が登場するのは『大鳳』(昭和19年竣工)以降であった。 本艦型の舷側装甲は戦艦時と同等の300mmで増強は行われていない。 本改装によってバルジ装着が実施されている。 船外電路は本改装工事の際に艦内に装着された。 本艦型の改装は全船体の約7割にも及ぶ大きな物となり、新たな艦影から改装前の戦艦姿を忍ぶ事は、どんなに想像力逞しい者でも不可能となった。 工期は途中の様々な事件に伴う各種設計の変更により当初の3年以内を大幅に遅延し、3年10ケ月を要す大改装となった。 ●性能諸元● 基準排水量 32,800t 満載排水量 36,400t 馬力 152,000馬力 最大速力 29,8kt 水線長 224,6m 最大幅 33,1m 飛行甲板長 155,9m 飛行甲板全幅 33m 兵装 36cm連装砲 * 3 12,7cm連装高角砲 * 8基 13m/m4連装機銃 * 16基 搭載航空機 戦闘機 * 36 着弾観測機 * 12 予備機 * 4 ●造船官 olympia より一言● 皆様、お久ぶりです、olympia です。 今回は『扶桑』型改装案ですか…。 『扶桑』って言うと私には『悲劇』しか浮かびません。 低速・軽防御の老朽艦でありながら『スリガオ海峡夜戦』での壮絶なる最後。 『金剛』型と共に最年長戦艦である両艦型が、連合艦隊が夢見た砲撃戦によって最後を遂げているのは非常に比喩的だと思います。 今回の改装案は非常に、ご都合主義的改装となっています。 何と言うか『こんな事は無いだろう』って改装です。 この改装なら、きっとスリガオには突入しないでしょう。 …でも、『マリアナ沖海戦』で沈んでしまうでしょう。 悲しい艦ですね…『扶桑』って…。 う〜ん、何だか、しんみりしてしまいましたね。 次回は、もうちょっと明るい『お題』の新造艦が良い様に思います。 日本の実在艦はどれも悲しすぎますから…。 それでは失礼いたします。 olympia でした。 PS:戦記は無しです。 |