戦艦建造のポリシー

欧州列強同士の総力戦となった第一次世界大戦において、 英独あわせて250隻が北海の制海権をかけて戦った世に言うジュットランド沖(独名スカゲラク)海戦は、大英帝国側が巡洋戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、駆逐艦8隻喪失、ドイツ帝国側が巡洋戦艦1隻、旧式戦艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦5隻を喪失、損害からみるとドイツ帝国の戦術的勝利、しかし戦略的には何もしなかったのとさして変わりのない結果しか得られず、艦隊の保有隻数比を維持した大英帝国の戦略的勝利と言われる。
ジュットランド沖海戦の意義は第一次大戦の帰趨に及ぼした影響よりも、その戦訓が戦後の戦艦の設計思想に与えた影響の方がより重要で、 戦艦のあるべき姿は砲力、防御力、速力の全てを兼ね備えたものであるという認識、 <ドレットノート>のポリシーを再認識させたことにより、以後戦艦はより強力で、 複雑で、なにより非常に高価な兵器となって行った。

まずは、その戦訓をあげる。
@大口径弾が敵艦に対しより重大な被害を与える事
A主力艦の遠距離砲戦によって大角度で落下してくる砲弾に対する水平装甲の惰弱さが露見甲板及び主砲天蓋の装甲強化また、主砲塔、弾薬庫に対する防火防焔対策の強化が必要
B巡洋戦艦は脆弱で、装甲は強化すべきであること
C重武装重装甲であっても、低速では交戦機会が得にくいこと

ジュットランド沖海戦後、その戦訓を取り入れた艦隊整備計画が成立した。 日本帝国の"八八艦隊計画"や、合衆国の"3年計画"がそれである。 これらの艦隊整備計画に基く建艦競争は国家財政を圧迫、第一次大戦後の不況と厭戦風潮をうけて 1921年12月、列強各国の主力艦保有トン数比率と主力艦の建造制限が定められた "ワシントン海軍軍備制限条約"が調印され建艦競争は終わりを告げた。
同条約によって各国の戦艦の基準排水量は35,000t、主砲口径16インチ以下とされ、 16インチ砲戦艦を持たない大英帝国は<ネルソン>級<<ネルソン>Nelson><ロドネーRodney>の2隻の 建造を認められたが、この排水量で16インチ砲を必要門数搭載し、充分な防御を施した上で高速力を 得る事は不可能で、16インチ砲搭載を前提とした<ネルソン>級は高速力を捨て、速度的にはジュットランド 沖海戦以前の状態にもどってしまった。 ジュットランド沖海戦の戦訓を生かせたのは、より高速な戦艦<<長門>>級を作り出した日本帝国ということになる。

<扶桑>級の戦力化

1937年軍縮条約の5年延長を受けて、日本海軍は<大和>級の建造を無期限で延長する事に決定した。 かわりに、1935年に建艦設計技術の維持向上・研究を目的として発令されていた<扶桑>・<山城>の二艦の近代化改装を行うことが決定、1937年1月31日、正式に予算化された。

もっとも旧式な<扶桑>級に対する改装は、当初1930年に呉工廠で行われる予定であったが、同級の改装はロンドン軍縮会議の結果中止。<扶桑>は練習戦艦とされ、1937年に改装が予算化されるまでの間第3砲塔を撤去されたこと以外は新造時とほとんど変わらぬ外形を保っていた。
<山城>はすべての主砲と副砲を撤去し実験艦とされた。<山城>で実験された球状艦首が後の日本海軍の艦艇に採用され、好評を博した事を鑑みれば両艦の近代化改装中止はそれなりに有意義だったともいえる。
しかし、<扶桑>と<山城>のこの違う用途への改装は1937年の戦力化の際に全く違う改装を行う原因となった。

1935年の<扶桑>級改装案の内容は
@機動部隊に随伴し得る速力を付与する。
A増大する航空機の脅威からの防御のために対空火力の充実。
B艦橋の近代化、射撃、対空指揮の充実。新型の塔型艦橋を装備する。
C艦首をバルバスバウへ変更する。

以上を基本軸に当時艦政本部でまとめられたのは、
艦橋は低重心の塔形状に変更、測距儀を別途高所に配置するために小タワーを艦橋後部に追加。これはアンテナも兼ねるために重量的にも節約になる。
すでに撤去されていた第3主砲にくわえ第4主砲は撤去し、空きスペースと以前からの機関を撤去してつくったスペースにあたらしい機関を配置します。<大和>級に搭載を予定していた150000馬力の機関をそなえ、艦尾を延長、艦首をバルバスバウに変更したことにより(これも船体を延長したのと同様の効果が得られ)、<扶桑>の推定速力は31ktをみこめる。
煙突は一つにまとめられ、その周囲に40口径八九式12.7サンチ連装高角砲を片舷3基計6基12門を配置。
これは言うまでもなく金剛級を上回り、日本最速の戦艦ということになる。
<大和>級の、15m測距儀、12.7cm高角砲はそのまま流用、各種射撃指揮装置もそのまま使用する。

1937年の改装において、<扶桑>はこの原案に基づいて改装を受けることになる。
軍令部からの1938年度中の完成要求のための工期短縮のために、改装は艦橋を従来の三脚楼を基本としたバゴダマストとし、煙突も2本とされ、副砲が全廃されることになった。
結果、<扶桑>の近代改装後の諸元は、
●基準排水量 32,480屯 ●水線長 210米
●水線下最大幅 33.1米
●喫水 9.7米 ●機関出力 150,000馬力
●速力(公称)31.4kt
●航続力 12,850浬
●乗員 1,221名
●武装 45口径35.6糎連装4基
40口径八九式12.7糎連装高角砲A1型6基
60口径九六式25粍連装機銃2基
60口径九六式25粍3連装機銃6基
●水偵 3機
●装甲 舷側305粍 甲板64粍
艦影もスッキリとした高速戦艦らしい姿に生まれ変わった。


作図 はしべエ氏

一方の<山城>は、1930年以来大型艦に対する新機軸の実験が繰り返されてきたために、今回は、戦艦として戦力化はされなかった。
7年間に成された実験は<山城>を戦艦とはほど遠い物にしていた。
実験からそのまま受け継がれたのは
@大型の球状艦首
Aインナーアーマー
B九三式61糎酸素魚雷発射管
の三つである。
改装当初、海軍は<山城>を<扶桑>同様の戦艦として戦力化しようと考えていたが、すでに多数の魚雷発射管を備えていたため、戦艦としての重防御がかなわず、艦隊決戦の際に役に立たないと判断した。そこで現状の過度の雷撃力を生かした新艦種、重雷装戦艦として復活させることとなった。
「夜戦戦艦」と将兵に呼ばれた<山城>の諸元は次の通り。
●基準排水量 32,480屯 ●水線長 210米
●水線下最大幅 33.1米
●喫水 9.7米 ●機関出力 150,000馬力
●速力(公称)31.4kt
●航続力 12,850浬
●乗員 1,221名
●武装 試零式6連装発射管4基
八九式連装発射管(舷側)16基
水中発射管60基
40口径八九式12.7糎連装高角砲A1型10基
60口径九六式25粍連装機銃2基
60口径九六式25粍3連装機銃6基
●装甲 舷側280粍 甲板64粍

作図 はしべエ氏


作者の渡部@猫乃手本舗です。
始めに、今回の作図を担当してくれたはしべエ氏に感謝の意を、〆切のことで面倒見てくれた胃袋さんにも深謝です。
今回の主旨は、「楽しい」です。<山城>の活躍(爆発)する様を想像してみてください。
なんのこっちゃ。