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●機体概要● 本機は1944年9月10日に空軍省より発行された緊急戦闘機計画〜国民戦闘機計画〜要求仕様書に基づいて製作された。本機最大の特徴は今までに前例の無い翼型である『円筒翼』を採用している事である。 大戦末期に多くの革新的航空機を生み出したドイツに於いてさえ、本機は非常に興味深い存在である、と言える。 ●要求経緯● 本機は緊急簡易小型戦闘機開発計画、いわゆる国民戦闘機計画の空軍省要求によって、この世に生を受けた。 現在、ドイツ工業界は米国陸軍4発重爆撃機による昼間爆撃によって国内産業そのものがマヒ状態に陥る程、深刻な打撃を受けていた。 この状況を打破する為に空軍省は、革新的推進機関であるジェット機関を搭載した高速戦闘機による防空体制の確立を急務とした。 だがジェット戦闘機の中核たるMe262『シュワルベ』は大型双発で、生産性に於いて著しい制限を受けていた。 幾ら革新的な高速性を持ってしても兵器は十分な数量がなければ組織的運用は行えない。 生産性に優れた小型単発高速機…それこそが今、求められていた機種であった。 偉大なる大ドイツ千年帝國〜ミレニアム〜を救える救世主創造こそ本計画の骨頂であった。 本計画への参加は全ドイツ航空機メーカーに強く促され、非常に重要な競争試作審査となった。 空軍省の具体的な要求は以下の通りであった。 01)最大速度:800q/h以上 02)航続距離:巡航2時間+戦闘0,5時間以上 03)武装:前方固定武装 20m/m×2以上 04)乗員:1名 05)発動機:Jumo004B 又は BMW003E ドイツの置かれている状況は非常に厳しく、本計画機に対し空軍省は3〜5日以内に計画案を提出し、3ヶ月以内に原型機を完成、初飛行させる、と言う途方もない要求を提示した。 その他特記事項としては最終的には月産1,000機を可能とする機体構造とする事や、極力戦略物資の使用を押さえる旨等が明記されていた。 ●開発経緯計● 本機の設計は非常に困難を極めた。 先ず第1に原型機の3ヶ月以内の進空が挙げられる。 この特記事項の成就を設計陣では不可能と判断したが、社主であるエルンスト・ハインケル博士の悲願である主力戦闘機に対する情熱は彼等の心を大きく動かした。 古くはレシプロの He 112、昨今ではジェットのHe 280、ロケットのHe 176 等、優れた性能、革新性を持つ機体の多くがナチス党の冷遇によって日の目を見る事無く、消えていった。 彼等の頭にジェット機関の先駆者である、と言うプライドが過ぎった。 連合国による戦略爆撃は本機が最後の主力戦闘機生産の機会である事を否応無しに物語った。 本機こそ、我が社が長年望んできた最後の機会なのだ、との認識が皆の頭に浮かんだ。 『やりましょう』。 誰とはなく、その言葉が口を突いて出た。 『社長、やれます』『今こそ、我が社の威信を示す時です』『我が社の機体で祖国 大ドイツを、いや国民のみんなを護りましょう』『トニーやヤンキー共から国民を守れるのは私達だけです』『メッサーシュミットの奴等に本物のジェットを教えてやりますよ』 小さな流れは集まり、流れは奔流となって皆の中を駆けめぐった。 ハインケル博士は技師達に囲まれ流れる涙を隠す事無く、大きく頷いた。 そして社員全員の意志は本機の元、強固に結束し ―― 共に走り出した。 ●機体設計● ハインケル社は同社が進めていた計画案 P.1071−30 を空軍省に提出した。 このP.1071−30 は1943年12月に計画された戦闘機案でダクテット・ファンを持つ戦闘機案P.1071−25 をジェット化した物であった。 このP.1071−30 は円筒翼を持ち、機体中央上部に背負い式に BMW 003B 発動機1基を装備する先尾翼機であった。 空軍省提出時に社内で他に候補に挙がった案に P.1073 があった。 P.1073 計画は −04、−18、−20 が計画されており、これ等は背負い式にジェット発動機を搭載する単座の戦闘爆撃機案であった。 上記の機体は直線翼、又は後退翼にV字型尾翼、もしくは双安定版式尾翼を持つ機体であり、空軍省要求に非常に合致していた。 ハインケル博士は両案を熟慮し、より革新的な P.1071−30 を選択したのだ。 空軍省は各社より提出された案を検討し、数社を選んで試作を指示した。 試作機による飛行試験の結果を見て選定を行う旨を発表したのだ。 この様な切迫した情勢下で、尚も他社の航空機に固執する姿勢を見せたのだ。 その中には空軍省との癒着問題で大きく取りだたされている航空機企業『メッサーシュミット』社の名もあった…公式提出案の中に『メッサーシュミット』の名は無かったにもかかわらず…。 『ナチスのブタめ!“えこひいき”より、国民を護る方が先決だろう!!』 この発表に際し、その場にいた技師全員がそう憤った。 奮起した技師達の作業は夜を徹し、文字通り休む間もなく実行された。 設計が終了した分は、直ぐさま工場へと送られ製作が行われた。 設計と製作が同時に実行された本機は日々、その革新的な姿を現していった。 発令から、わずか2ヶ月後の11月5日には全設計が完了、原型機はそれから約3週間後の11月30日には完成を見るに至っている。 これは驚異的な早さであり、航空機史上、他に類を見ないペースである、と断言できる。 そして本機は見事、空軍省の指定通り発令から3ヶ月以内の12月8日、初飛行を実施した。 ハインケル博士は本機を『ファルケ 〜隼〜』と呼称した。 もし、人々の意志が具現化するとしたなら…ハインケル社の人々の意志・執念が具現した存在こそが本機である、と言えるだろう。 ●機体● 機体は高速性を追求した設計となった。 紡錘形の機体側面には機体下方に傾斜した空気取り入れ口が設けられている。 この配置は後に登場する『ショック・コーン』の魁とも言える存在で高圧縮空気による発動機の損傷を無くしている。 事実、初期のジェット機の多くは急降下中に高圧縮空気による発動機損傷・異常停止を多発しているが本機にはその様な事例は記録されていない。 機体内部の多くは燃料タンクで占められている。 これは初期の燃費の悪いジェット機関を搭載した機体の宿命である、と言える。 大型燃料タンク搭載の為、発動機は非常に機体後端部に装備された。 その為、本機は重量バランス釣り合いで苦労している。 先尾翼形態を選択した片鱗は、この問題の補填も関係している。 降着装置は前輪式を採用した。 特殊な主翼形状から主翼内への主脚格納が行えず、機体後端に引き込み式に収納された。 下面円筒翼が阻害する為、本機の前脚、主脚は長い物となった事は残念であった。 又、本機はその特殊な構造から主脚トレッドが非常に狭く、滑走開始直後の燃料を満載した時点での安定性が非常に低かった。 但し、着陸脚は前後とも鋳造製で強度的には幾分かの余裕を持っていた。 パイロットの脱出にはHe219で実績を持つ圧搾空気式射出座席が採用されている。 ●主翼形● 主翼は今までに前例の無い円筒翼を採用した。 この翼型の特徴は何処までが翼下面で何処からが翼上面かの明確な区分が無い所であり一種、複葉機的な特徴を持っていた。 円筒翼は機体の機動による最中に最大の効果を発揮した。 常に揚力を発生可能な円筒翼は、失速発生率を大きく低下させたのだ。 又、円筒翼は非常に直進安定性が高く、又、機体横幅の劇的な短縮、機体被命中率低下に大きく貢献している。 円筒翼は空気抵抗の増大が懸念されたが、綿密な風洞実験によって現有機とほぼ同等程度に押さえる事に成功している。 円筒翼の構造は鋼鉄製フレームに木材外鈑を取り付けた物で、円の持つ構造強度は非常に強靱で通常の翼型と比較し、軽量で同強度を得る事が可能であった、と言う。 剛性も十分強固で、急降下時のフラッター等の振動問題は報告されていない。 この主翼は高速性を追求したので可能な限り薄く設計されており、中央部より下方へ、又、中央部から上方に掛けて45度にも及ぶ大傾斜角が付けられていた。 この傾斜は当時開花し始めた前進翼・後退翼理論を導入し、衝撃波の発生を遅らせる目的で付けられた物である、と言われている。又、一説には、それよりも操縦席の後方視界・脱出経路の確保が重要視された、との見方もあるが、現在ではその両方を見込んで付けられた、との説が定説である。 機体上面円筒翼頂辺は発動機整備の為、簡易に取り外し可能とされた。 本翼型は翼端付近で発生する気流剥離に対し、1つの回答を示した翼型である、と言える。 本機は他の後退翼機とは異なり、ピッチ・アップが発生する事もなかった、と言われている。 翼の横面部分、機体との接合面に紡錘形の武装ポッド(ラインメタル・ボルビジ Mk103 30m/m機関砲 内蔵)を装着した点も非常に成功している。 後の研究によって、この武装ポッドは翼端気流剥離の予防に貢献していた事が判明した。 この武装ポッド上下部分には方向舵が設けられた。 本機は非常に直進安定性が高かった為、方向舵は4面もあり、総面積は大きな物となった。 上記した通り、機体との接続は機体中央部に設けられた接続用中翼によってなされている。 この中翼は後退翼と前進翼を組み合わせた独特な形状をしており、後端にはフラップが付けられている。この中翼は揚力発生を主目的とはしておらず、通常機における尾翼的役割である安定性を担う物と思えば理解しやすい。 機首部分には先尾翼が設けられ、重量バランスの釣り合い、低速時の安定性向上を狙っている。 ドイツ機に於いても、この先尾翼を採用した機体は前例が無く、P.1071−30 の基礎研究、風洞実験のデータを元に本機の設計は行われた。 本機最大の欠点はこの翼型の製作が複雑であった事であり、特に操縦系の煩雑さは大きな問題であった。 ●発動機● 発動機は軸流式ターボジェットエンジン Jumo 004 B−1を機体後部に装備した。 ハインケル社としては現在開発中のハインケル・ヒルト HeS 011(予定推力1,300kg)の搭載を希望したが、空軍省は緊急戦闘機計画に開発中の発動機は使用できないとの強固な姿勢を示し、その搭載は惜しくも見送られた。 使用発動機はMe262とのバッティングから来る生産遅延を警戒してBMW 003Eの選定も考慮されたが、Jumo 004 B−1の推力900kgと比較した場合の出力差100kgの差は非常に大きく、早期に選定より外された。 Jumo 004 は本機開発中も改良が続けられ、現在試験中である Jumo 004 F(アフターバーナーによって推力1,150kgを発揮し、更に水噴射による短時間推力向上機能を持つ)完成の暁には、本機への装備が予定されている。 ●武装● 武装は対大型爆撃機攻撃用に30m/m機関砲の装備が急務とされた。 戦闘機に搭載されてた30m/m機関砲と言えばメッサーシュミット Me262 に装備されているラインメタル・ボルジビ Mk108 が有名であるが、設計陣は敢えて大重量、長砲身のラインメタル・ボルビジ Mk103 30m/m機関砲を選んだ。 このMk103機銃は Fw 109 F−8 に翼面下に追加装備され、対爆撃機・対地攻撃に猛威を振るった。 しかし、同じ30m/m機銃であるMk108の本体重量58kgに対し、実に3倍にも及ぶ146kgの大重量は航空機搭載用としては剰りにも重すぎ、これを当初より主武装として選択する機体は今まで登場していない。 本機はこれを円筒翼外周に、ポッド状にして装備した。 Mk103は大口径から来る強反動、長砲身から来る安定性の悪さが指摘されるが、それ等はいずれも追加装備として装備された場合の弊害であり、当初より考慮された本機に於いてそれら欠点は露呈していない。 余談になるが他社が Mk103 の搭載を希望し、この機銃が品薄になり製作に影響を及ぼす中でも、本機の試作は順調に進んでいた。 機首部にはモーゼル MG151/20 20m/m機関砲が2基、搭載された。 この20m/m機銃は非常に優秀であり、ドイツ敗戦まで主力火器として使用された航空機銃であった。 携帯弾数は Mk108 がそれぞれ150発、MG151/20 がそれぞれ125発分を搭載していた。 30m/m機関砲薬莢は機体外に投棄されたが20m/m機関砲は機内に回収された。 これは空気取り入れ口への異物侵入を防ぐ事と、重量バランス釣り合いの為であった。 本機の円筒翼下部には対大型爆撃機用のR4M対空ロケット弾20発が搭載可能であった。 照準器にはジャイロスコピック式の EZ 42 照準器を装備した。 ●初飛行● 本機は1944年12月8日、初飛行を実施した。 原型機の塗装は実戦機と同様にスポイティング迷彩が施された。 これはドイツの制空権が完全に連合国に握られている事を意味している。 円筒翼には本機の試験が実施されたブランデンブルグ基地に展開していたジェット戦闘機装備部隊『JG7 第7戦闘航空団〜通称 ノボトニー隊〜』の本土防衛識別帯が付けられ、切迫した情勢を写していた。 本機の離陸は、その安定性の悪さを心配したが、それ程悲観した物ではなかった。 Me 109 の操縦を経験したパイロットにとって本機の安定性は、余り問題にならなかった様である。 当初の予定では8日は滑走路の走行のみで、本格的な飛行は10日を予定していた。 しかしパイロットが、Me262のつもりでスロットルを上げると、より軽量だった本機は、つい離陸してしまった。 この模様を見学していたハインケル博士は直ぐに速度を上げ、上昇する旨を指示した。 低加速のジェット機関で、障害物の多い地上付近もたもたしていると最悪、機体損傷を伴う大事故を起こす危険がある。 それよりも一気に飛び上がってしまった方が危険が少ない、との判断からだ。 博士は決して取り乱したりはしなかった。 博士は自信があった。 本機は地上を走行する為の物では無く、大空を飛行する為に製作された物なのだから… 。 当初、不意の離陸に慌てたパイロットは状況を把握すると、手慣れた動作でスロットルを操作し、凄まじい轟音と燃焼ガスを残して本機を蒼空へと飛び立たせた。 ピストに詰めていた技師達は、その様子を感慨深げに見つめていた。 それまで張り詰めた緊張と静寂に満ちていた空間に、爆発的な歓声が上がった。 ある者は両手を頭の上で打ち鳴らし、ある者は胸の前で静かに十字を切った。 抱き合って喜んでいる者や、汚れた袖で顔を隠し、真っ黒になりながら涙ぐむ者もいた。 …そう、本機は、離陸に成功したのだ! それから数分後、本機は飛行場周辺を数周すると着陸態勢に入った。 ハインケル博士は無線を通じてパイロットに燃料放出を指示した。 パイロットは慌てて機首を上げると、機体後端に設けられた燃料放出バルブを開き、余剰燃料を投棄した。 その後、機体は着陸に成功し、初飛行は見事に成功した。 ハインケル博士は滑走路に停止した本機に駆け寄ると降りてきたパイロットを抱きしめた。 技師達は本機の木製外鈑を労る様に“ポンポン”と叩き、布で磨いた。 だが原型機は、その数日後、主翼下面外鈑が欠落事故を起こし緊急着陸する事となった。 これは木製外鈑を止める接着剤の接着不良・強度不足が原因であった。 同様の問題は以前、フォッケウルフ Ta 154 でも発生しており、同機は開発中止となっている。 この事件の後、事態を憂慮した空軍省は同接着剤の改良に勤しみ、問題は解決した、と発表された。 そして空軍省は本計画には、万全となったこの改良接着剤の使用を各社に厳命した。 前回の失敗は決して無駄では無かった筈であった。 …だが、この接着不良は本機のみでなく、同接着剤を使用した他社の国民戦闘機計画機にも多く発生しており、非常に憂慮すべき最重要問題となった。 空軍省は現在、この指定接着剤問題の対応に躍起になっている。 ●性能諸元● 全長 9,58m 全幅 4,3m 全高 2,72m(脚含まず) 自重 2,315kg 全備重量 2,902kg 過荷重量 3,282kg 発動機 ユンカース Jumo 004 B−1軸流式ターボジェット * 1 推力 静止推力 900kg 最高速度 849km/h 航続距離 705km(巡航2時間 + 戦闘0,5時間) 武装 ラインメタル・ボルビジ Mk103 30m/m機関砲 * 2 モーゼル MG151/20 20m/m機関砲 * 2 R4M対空ロケット弾 * 20 乗員 1名 ●設計技師 olympia より一言● 皆様、お久ぶりです、olympia です。 何と、今回の競争試作は『国民戦闘機』ですとっ!? …と、言う事はきっと“怪しい機体”目白押しの事でしょう。 何と言うか『オラ〜、ワクワクするぞ!』状態です。 と、言う訳で私も思いっきり怪しい機体です。 『そもそも飛ぶのか?』すら怪しい『円筒翼』を採用しています。 この『円筒翼』を私が初めて見たのは遙か記憶の彼方、昔の某教育番組でした。 司会のお兄さんが長方形の紙の短辺どおしをセロテープで接着し、円筒形を作りその先端に重りを付けると無造作に投げました。 『けっ!そんなのが飛ぶかよ』。 当時既にひねた子供だった私は機能美の欠片もない、そんなただの筒をそう唾棄しました。 すると、どうでしょうっ!? その紙飛行機と呼べない物体が見事に飛んだではありませんかっ! 『おおうっ!凄ぇ!こんなのでも飛ぶんだ…』。 紙飛行機と言えば全翼機と決まっていた私は非常にカルチャーショックを受けたのを覚えています。 その時の想いが今回の作品の根底となっています。 …ってな訳ですので『飛ばないよ』みたいなツッコミはくれぐれもなさらない様にお願いしますね。何せ、私も飛ばないかな〜?と思っていますから(^^; そもそも、末期のドイツ機は非常にイロモノが乱発されていますし、本機の様な“怪しさ大爆発”ってのも良い様な気がしませんか? たまには肩の力を抜いて笑いながら見て下さいねぇ〜! それでは失礼いたします〜! olympia でした〜! PS:戦記は無しで〜す。 |