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昭和12年7月7日、蘆溝橋で日中両軍が激突、日中戦争がはじまっていた。それにより上海への輸送量が増加しつつあり、今後より多くの輸送船の往来がかんがえられた。しかし日本海軍首脳部は、艦隊決戦至上主義に骨髄まで侵されており通商路及び補給路の防衛に艦隊を裂く(以後海上護衛)ことには無関心と言っていいほどだった。 しかし、転機は訪れた。 1939年に始まった第二次世界大戦は、多くの意味において日本海軍にとって良い教訓を得られる”参考書”のようなモノだった。 日本が参戦するまでの2年3ヶ月の間の、所謂『大西洋の戦い』では潜水艦を中心にした戦術をとるドイツ海軍によって、大英帝国を、第一次大戦においてもそうだったように、通商破壊によって干上がらせようとしていた。この事実は当時の日本海軍首脳部に、近い将来の総力戦において、国家の継戦能力の維持のための通商路防衛の必要を認識させた。 時局を鑑み、海軍は海上護衛隊を独立させ、連合艦隊(以降GF)と同格の海上護衛総隊(以降EF)司令部を発足させた。 しかし、EFの実態は旧式艦艇ばかりを連合艦隊からおさがりでもらっただけの貧弱な艦隊であって年々高性能化がすすむ潜水艦に従来の海防艦では役に立たなくなると言う見通しと、艦隊決戦に重きを置く海軍は駆逐艦を輸送船の護衛ごときにまわすつもりはなく日本海軍は艦隊決戦用と船団護衛用の駆逐艦を分ける事とし、本来水雷艇として開発されていた「鴻」の改良とすでに開発を指示していた新型海防艦の一本化を計り、駆潜艦という新艦種開発を行なっていた。後の「88m級」である。 「88m級」の建造が開始されたころ、英海軍に供与された米国製の小型低速の航空母艦が、Uボートにとって有効な戦力となっていることを『大西洋の戦い』からEF司令部は学びとった。将来「88m級」と組んで船団をエスコートするには、やはり航空母艦が必要であるとされ、GFとの間で協議がもたれたが、新GF長官山本大将は航空母艦をGFの決戦戦力と考えていたため、水上機母艦「千代田」「千歳」を獲得するに終わった。 まがいなりにも海上航空戦力を獲得したEFだったが、水上機母艦では運用上問題があった。敵潜のいる可能性のある海域で停止しない限り、搭載機と搭乗員は使い捨てにするよりない。 やはり航空母艦が是が非でも欲しい。しかし、予算もGFの様に潤沢なわけでもなく、戦時量産船舶の設計と先行建造も行われていたため、とても航空母艦建造を行える状況ではなかった。 艦政本部からEFの戦時量産高速油送船の建造のために派遣されていた、七篠権兵衛海軍中佐(戦艦扶桑級の改装試案作成にあたって、重雷装戦艦改装案を提出して艦政中央から遠ざけられていた)は、このとき安上がりな護衛空母を考えついた。 「建造中の戦時量産高速油送船をベースに、「88m級」の兵装を使って作ってはどうだろう?」 彼は、閑職についていたこともあり、一人で安上がりな護衛空母の図面を2ヶ月で作り上げ、EF司令部で披露した。 EF司令部は早速安上がりな護衛空母の建造費を試算してみたが、油送船1隻、駆潜艦3.5隻の予算で建造が可能なことが判明した。
最初の護衛空母が公試をしたのは、昭和16年11月のはじめだった。 |
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作者の渡部@猫乃手本舗です。 今回から3Dでつくることにしました。簡単な共通パーツとか作っていって、みんなで3Dで出品できたら良いなぁなどと野望を抱いています。 添付の絵は、1944年時のもので22号、13号電探がついてたりしますが、ご愛敬ということで。でも時間が無くて合成がしっくり行ってないし、起倒式クレーンが発艦中だというのに起きてるわとリアルじゃない出来映え。<\(__ ) ハンセィ。 今後の課題は、艦首波は手書きしないでモデリングしようということ。アングル変えるたびに書き直してたらたまらんもん。 それと、文章も走り書きっぽいですが、ご勘弁を。このあと1時間くらいで、胃袋さんに言われたサムネイル用の画像をレンダリングしないとなりません。 言い訳ばっかりだけど。そんなこんなで、また〜。(^_^)ノ"" |