大日本帝国海軍 輸送船団護衛航空母艦 護隼 級

護隼 級

諸元

全 長 ・・・185.38 m
全 幅 ・・・20.80m
基準排水量・・・9520t
公試排水量・・・12630t
出 力 ・・・52000馬力
速 力 ・・・27.8ノット
搭載機数 ・・・15機
武 装 ・・・12.7cm連装高角砲 4基
       8cm単装高角砲 4基
       2.5cm 3連装機銃 6基
        爆雷投射機 4基
        爆雷投下軌条 2基


米国との関係が悪化しつつあった 昭和14年2月 日本海軍 軍令部では天然資源 皆 無の 大日本帝国では もしも 関係が悪化の為に資源獲得 が 困難になり 米国 英国 和蘭 と やむなく 戦争状態に突入した場合 戦争随行の為 しいては大日本帝国の 自尊自衛の為の資源獲得 の 為 東南 亜細亜 からの海上物資輸送が必至となると予 想したが 第一次大戦に 独逸による 英国への潜水艦の海上封鎖の脅威に 同じ島国 で 天然資源 の獲得を海上物資輸送に頼っていた 英国 が危機的状況に陥った事に 鑑み 日本海軍 軍令部より その対策の一つとして輸送船の 単独航行は避け 護衛艦 艇により護衛しやすく するため 輸送船団で航行することとした その輸送船団護衛 艦艇の試案として 輸送船団を主に敵潜水艦を航空機により敵を索敵 哨戒 即急に発 見し それらを駆逐 殲滅し輸送船団を敵潜水艦の攻撃から航空機により護衛すること を主任務とする航空母艦の戦力化 が要求された 基本要求性能は

基準排水量 10000t 以下
搭載機数 ・・・15機
(搭載機は13試小型艦上機(零観改造) を予定)
*追加事項
極力短期間での建造が可能なように配慮すること

であった しかし 潜水艦から輸送船団を護衛すると言う「防御的」な思想の航空母艦 を 設計するに 当たって 技術陣は 頭を悩ませた 今までは「相手を攻撃する」事の みに集中して設計原案を 纏め上げれば良かったのだが 今まで物とは 全く違うコン セプトの上の 基本要求性能だった(対潜護衛 量産性の考慮)為に 技術陣は四苦八 苦しながら原案を纏め上げた 船体は「龍譲 級」を 船体設計の参考にし 船体 各部 の 簡易化 簡略化を図り極力短期間での建造が可能なように配慮した 船体は オリジ ナルの「龍譲 級」より 大型の船体と なってしまったが 船体内部の簡易化 簡略化 を図った為 基準排水量 は 要求通り 10000tを 下回っている 搭載機に 13試 小型艦上機(零観改造) を予定していた為に 設計技師の間で「極力短期間での建造が 可能なように もっと 船体 飛行甲板を 小型化 するべきだ」との議論 が なされた が 設計主任は 「他の機体の運用も考慮に入れるべきだ」と主張を変えず 結局 この 設計案で 固まった その設計主任の主張「他の機体の運用も考慮に入れるべきだ」と 言う 主張の影響は飛行甲板の大きさの他にも船体内部の航空機格納庫に見られ 13 試小型艦上機なら15機以上積めるだけの容積があるが そこは名目上「汎用物資積 載庫」となっているが 仮に何らかの理由で13試小型艦上機 が搭載する事が でき なくなってしまった場合 又は 陸上基地への航空機運搬を する時の利便性を考えて 格納庫の空き容積を確保している 機関は 特型駆逐艦 (52000馬力)の物を使 用し 船体同様 量産性を考慮している 原案を纏め上げていた際 対潜哨戒任務が主 任務と言う性格から 潜水艦 の直接攻撃に晒される可能性が指摘され 「護隼 級」に は 航空母艦にも 関わらず 音波探信儀 爆雷投射器 爆雷投下軌条 が 装備され さら に8cm単装高角砲は 俯角が より付けられるように改造された物が 取り付けられ た これは もしも潜水艦からの砲撃を受けた時 反撃できる様にとの配慮で 取り付け られた物である(量産型では大口径 機銃を 装備する案が提出されていて のちの 「誉隼 」級 では その仕様にそって 建造された) もちろん 上層部からは「何故 航空母艦に その様な装備が 必要か?」と言う声が出たが 護衛/対潜艦艇の不足 (それゆえに輸送船団を敵潜水艦の攻撃から航空機により護衛することが考案 され たのだが) それと「輸送船団護衛航空母艦」の運用は 海の物とも山の物とも知れぬ 未知の分野であったため そのまま 対潜装備を付ける事となった こうして 「輸送船 団護衛航空母艦」と言う 海の物とも山の物とも知れぬ航空母艦の建造は まずは 実 験艦として昭和14年 9月建造が開始され 約1年後の 昭和15年 7月 完成と言 う 当時としては 驚くべき速さで完成した(同型艦 「寿隼」は 「護隼」建造時の経 験が生かされた為に昭和14年11月着工 昭和15年 8月完成)

なお 「護隼」が 後に起きた 「大東亜戦争」で何隻の潜水艦を自衛の為の対潜装備 で撃沈されたかは 定かではない(通説では 3隻 と言われているが 駆逐艦による 撃沈である との声が大きい)3番艦 「誉隼」級 からは 対潜装備を縮小し(爆雷投射機 2基 爆雷投下軌条 は そのま ま)8cm単装高角砲 を大口径機銃に 交換した 簡易量産型が 作られ さらに 対潜装備なし のタイプ 「栄隼」 級 が建造された事を 考えると 自衛装備 が有効であったか どうかは疑わしいとしか 言い様がないが...(もっとも自衛装 備縮小の理由には 対潜艦艇数が 充実してきた為と言うことも ある)

後に起きた 「大東亜戦争」で「護隼」 級(及び 「誉隼」級 「栄隼」 級)は 文字 通り「輸送船団護衛艦隊」の主力として海上物資輸送路の確保の為に他にも 上陸作 戦の支援任務 等 地味ではあるが 重要な役目を果たしたのだった