
画:海野土左衛門氏
・性能要目
基準排水量:6800トン
全長 :150.9メートル
全幅 :26.4メートル
喫水 :6.4メートル
飛行甲板長:142.4メートル(改装後151.2メートル)
飛行甲板幅:26.8メートル(最大)
機関 :艦本式13号内火機関(ディーゼル)2基2軸
出力 :15600馬力
速度 :22ノット
航続距離 :14ノットで7200海里
兵装 :航空機20機(F1M2−Q) 89式12.7センチ連装高角砲4基
96式25ミリ3連装機銃6基 零式発艦補助装置1基
同型艦 :「瑞鷹」「慶鷹」「撃鷹」「襲鷹」「第1号海防航空母艦」「第2号海防航空母
艦」「第3号海防航空母艦」「第4号海防航空母艦」「第5号海防航空母艦」
・建造の経過
「仮名称第128号艦」の建造について艦政本部では様々な案が提出されたが、大別す
るとこの艦を従来の空母である「蒼龍」などの小型版とする案と、要求の主となる部分は
最大に努力し、他の能力は必要以上に欲張らず最低限に押さえるというものだった。前者
は古参造船官、後者は若手造船官に支持者が多かった。
しかし、設計を進める内に従来型では基準排水量1万トン以下という条件は難しいと分
かってきた。飛行甲板の長さを滑走のみで満たそうと大きくすると艦型も大きくなり建造
期間も長くなる。艦型を小さくすると発艦時の合成風力を得るためかなりの速力が必要で
機関容積が増大し艦型も大型化する上「夕張」の様に建造が難しくなる。古参造船官達は
匙を投げ、若手造船官達が設計を担当した。その骨子は
1.船団護衛専門艦なので低速でも良く航続距離は出来るだけ長くする
2.F1M2−Qのみ運用する
3.建造期間の短縮をはかる
となった。まとまった設計案はかなり冒険的で
・ 船体は軟鋼製で全て電気溶接とし、鋲接分の重量を軽減し同時に建造期間を短縮する。
・ 機関は内火機関で燃費を良くして燃料搭載量を減らす。
・ 格納庫は1段で済ませる。
・ 艦橋は繰艦と航空機管制を考え島型艦橋を採用。
・ 航空機の運用面からエレベーターは2基にし、飛行甲板は出来るだけ大きくするが艦首
に射出機を設けて発艦甲板の面積を小さくし艦型の小型化も図る。
という物だった。
この内、経験がないのは艦首の射出機だったが射出機自体は既に戦艦、巡洋艦で使われ
ており、F1M2−Qも本来水上機として射出を前提として設計されているため、問題は
射出機の搭載位置や運用だけと思われ、実験のために呉式二号五型射出機を改造し地面に
埋め込んでF1M2−Qの射出試験を行ったが結果は問題無しとなった。
こうして昭和14年10月7日に横須賀海軍工廠で起工された「仮名称第128号艦」
は建造に際して潜水母艦「大鯨」で行った様に船体をいくつかのブロックに分けて建造し
最後に接合するという形を取った。この結果、実に半年で進水し「天鷹」と命名され、昭
和15年11月12日、建造期間1年1カ月で竣工して関係者を驚かせた。
・就役後の改装について
完成後公試を順調にこなした「天鷹」は昭和16年2月10日第3航空戦隊に配属され
た。しかし、ここで「天鷹」に問題が起こった。訓練時に速いペースで発艦を行ったとこ
ろ、射出機の爆発筒が割れるという事故が多発し、さらに甲板に埋め込まれた射出機の軌
条が船体にかかる応力から歪み、滑走台が射出の途中で引っかかって止まるという事故も
起こった。射出機が飛行甲板に埋め込まれていることが災いし、こうなると帰港しなけれ
ば修理が難しく、これらにより「天鷹」は予備艦となり改良されることになった。
しかし、もともと発艦時の滑走距離が短いF1M2−Qを射出機で発艦させていたこと
から、更に滑走距離の短い新機種を使うか何らかの発艦促進方法を考え出さない限り「天
鷹」は空母として運用が不可能ではないが難しいとの結論が出され、そんな欠陥のある艦
を設計した造船官達へ責任の追求は彼らの進退問題にまでなっていった。
そんな中「天鷹」設計の中心だった屯造船官は故郷の従弟からの手紙を受け取った。北
海道札幌からの手紙は昭和16年予定の札幌冬季オリンピックに向けて大倉山シャンツェ
でスキージャンプの練習を重ねてきたがオリンピックは中止になってしまった事を伝えて
次のオリンピックを目指して今年も練習するつもりだと結んでいた。
これを読んだ屯造船官は従弟の練習姿を思い出しながら「スキージャンプ競技が高いと
ころから滑り降りるのは飛び出す時の速度をかせぐためだ。ジャンプ台の先端で選手は踏
切をして斜め上に飛び出す。これによって水平に飛び出した時より滞空時間が長くなり飛
距離も伸びる。「天鷹」の飛行甲板を飛び立つF1M2−Qは必要な速度を滑走だけである
程度得ることが出来る。そこでさらに発艦の時上向きに飛び出したら発艦できるのでは。」
と考え、直ちに実験に移った。
地面に5度の傾斜をつけた台を置いてF1M2−Qを滑走させたところ、上向きに飛び
出し通常より短い滑走距離で離陸できた。続いて「天鷹」飛行甲板に同様の台を設置した
結果、F1M2−Qは発艦に成功した。この台は「零式発艦補助装置」として採用され後
に「瑞鳳」などにも搭載された。
・「天鷹」級の戦歴について
改装後再び第3航空戦隊に編入された「天鷹」は僚艦「春日丸」と共に16年12月8
日の開戦を迎え、第3艦隊に所属して南方作戦に投入され、零式哨戒機(F1M2−Q)
と共に索敵、艦隊直援、陸上爆撃、対潜攻撃などをこなした。昭和17年に入ってからは
専ら航空機を輸送する「春日丸」や「八幡丸」の護衛につき、敵潜水艦を発見し攻撃した
こともあった。
昭和17年4月1日付で「天鷹」は新設の第1海上護衛隊第1航空護衛隊に配属され主
にトラック、ラバウル方面の輸送船護衛に当たった。
この後、ミッドウェー海戦で空母を多数失った日本海軍は「天鷹」と新造なった姉妹艦
「瑞鷹」を連合艦隊所属に戻そうとしたが海上護衛隊から猛反発を受けた上、零式哨戒機
以外の機体は10機以下しか搭載できず戦力にならないとしてこの件は見送られた。
昭和17年後半、「天鷹」と「瑞鷹」はソロモン方面でガダルカナル島への増援部隊の
護衛任務につき、米海兵隊機の攻撃で「天鷹」が艦載機13機を撃墜破された他「瑞鷹」
が1000ポンド爆弾を受け沈没するなど大損害を受けたが、増援は成功し日本はガダル
カナル島を保持し続けた。結果、連合軍はこの方面から後退し日本軍は米豪遮断を達成し
た。
昭和18年になってからは米軍が中部太平洋方面に侵攻し始めトラック、サイパンなど
の戦力強化が叫ばれた。このころから米潜水艦の活動が活発になり、輸送船の被害が急増
したため補助艦艇の中に海防航空母艦籍が新設され「天鷹」級や「大鷹」級はここに所属
し、護衛任務に専従することになった。
「天鷹」級は増産を指示され、名称も「海防航空母艦某号」という様に改められた。4
番艦「撃鷹」以降の艦は建造の簡略化をはかり「第3号海防航空母艦」は起工から竣工ま
で7ヶ月という同型艦中建造最短記録を建てた。不足した艦載機の搭乗員については水偵
からの転科者を中心に増員が行われた。
この頃「天鷹」はサイパン方面への物資、人員輸送及びラバウル方面からの人員、機材
撤収の護衛を行っていたが11月30日八丈島沖で米潜水艦「セイルフィッシュ」の雷撃
を受け沈没し12月22日除籍された。
この他の「天鷹」級空母は主に蘭印方面からの輸送船団の護衛についたが、昭和19年
マリアナ沖海戦で米海軍が大きな損害を出しつつも日本海軍を敗ってマリアナ諸島を占領
米機動部隊が南シナ海からフィリピンにかけて活動し始め、さらにニューギニア方面に連
合軍が再上陸を果たして蘭印方面をうかがうようになると日本は輸送船団を送る事も困難
になり、その中で「襲鷹」「第1号海防航空母艦」「第2号海防航空母艦」「第3号海防
航空母艦」「第4号海防航空母艦」が航空機、潜水艦により撃沈されていった。
昭和20年に入り、フィリピンの日本軍が玉砕し、水際防御に失敗した硫黄島は占領さ
れ、B29による戦略爆撃が本格的に始まった。日本の生産力は落ち込み昭和21年2月
沖縄が陥落するに至って南方からの航路は完全に遮断され、ほとんどの海軍大型艦艇は燃
料不足で動けず、軍港で浮き砲台となっていた。
そんな中「撃鷹」「第5号海防航空母艦」はソ連の参戦を警戒しての樺太や大陸からの
引上船の護衛を行っていた。昭和21年6月3日雪解けを待ちソ連が日本に宣戦布告し大
陸方面で侵攻を開始、日本海で引上船を攻撃し始めた。この一連の戦いで「撃鷹」はソ連
潜「L19」の雷撃を受け北海道沖で沈没したが、その艦載機が「L19」とその僚艦の
「L20」を撃沈し、樺太からの最後の引上船団は損害なく北海道小樽港に入港した。
同年6月14日広島、6月16日小倉に原子爆弾が投下され、6月18日に日本は連合
国に降伏した。
その後日本の空母の中には復員輸送船に改造された物もあり「第5号海防航空母艦」も
復員船になり、行動していたが、昭和22年3月4日豊後水道で触雷し大破、付近の海岸
に座礁し後に解体された。
・「天鷹」級の評価
戦後の「天鷹」級についての評価はそれほど高い物でなく技術面、運用面で
・建造が比較的簡単だった事
・日本の艦としては珍しく目的を絞り、かつ当初は必要十分な能力があった事
・零式発艦補助装置を初めて搭載した事
が評価された位で、欠点として
・ 射出機について搭載に失敗した事
・ 構造が脆弱で防御も無きに等しく魚雷や爆弾1発の命中で沈没した艦が多い事
・ 後期の艦はディーゼル機関の量産の不調から建造期間が延びた事
・ 乗員が予備士官や応集の兵で能力が低かった事
・ 零式哨戒機しか運用出来なかった事
が上げられた。また、ミッドウェー以降連合艦隊に所属しなかった事について連合艦隊の
元将兵から八つ当たりに近い評価を受けている。
しかし、艦隊決戦のみを目指した大日本帝国海軍の中で、船団護衛という真の意味での
海軍の任務を果たし続けた事は敵であった米海軍から高く評価され、ニミッツ米太平洋艦
隊司令長官がその著書の中で賛辞を贈っている他、当時潜水艦の艦長で航行中の空母「雲
龍」撃沈の経歴があるニコラス・ローウェル氏は「コンバインドフリートのウンリュウク
ラスよりエスコートフリートのテンヨウクラスの方が梃子摺らされた。対潜護衛のケイト
やジル、グレースは爆雷を搭載している分一気にばらまいたら行ってしまうので怖くない
がアダム(零式哨戒機)は潜水艦を一度見つけたらコンボイが安全圏に移動するまで上を
しつこく飛び続けて攻撃してくる。欺瞞にオイルやジャンクを放出しても疑り深く飛び続
ける。奴らこそ最も恐るべき存在だった。」と回想している。
以前は「無くてもあまり変わらなかったのではないか」と言われた「天鷹」級だが現在
ではその価値が見直されている。当時日本の戦争遂行能力は南方からの資源に依存してお
り、地味で報われないが大切な任務をこなした海上護衛隊と「天鷹」級が無かったら日本
はもっと早い時期にシーレーンを絶たれ、降伏していたという説が一般的となっている。
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