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1936年9月イタリア海軍は充実されつつあるフランス海軍に対抗すべく独自の海軍強化の計画を立てた。政府の基本方針は「できるだけお金をかけない」事であったという。 政府は戦艦に戦艦で対抗するのではなく、もっと安い艦種で対抗しようと考えたのだ。 その脳裏には1931年に就役したドイツのポケット戦艦「ドイッチュラント」があった。 わずか1万トンでありながら、ほとんどの戦艦を振り切る快速と、戦艦並みの重兵装。 あれこそがあるべき軍艦の姿であると確信したのである。 コンセプトは「フランスの戦艦を上回る射程距離を持つ主砲と36ノットの快速で常にアウトレンジに徹する」ことであった。 2万トンの船体にフランス海軍艦艇のあらゆる砲を上回る射程距離を持つ主砲として、60口径14インチ砲を搭載し、快速36ノットを発揮させるべく15万馬力の機関を搭載。 常にアウトレンジに徹すればこちらが攻撃を受けることはないから、装甲は極力薄くして、軽量化に努める。 問題は60口径14インチ砲という、いまだかつてイタリア海軍で作られたこともないほどの長大な砲身の製造だった。 この砲身を生産するため世界三大海軍国の1つで大口径砲の生産の経験の豊富な、かつイタリアと直接交戦の可能性がきわめて少ない、日本に技術支援を依頼した。 日本はこれを快諾、早速イタリアについた技術陣は当時の日本の最新技術(というより、実験段階の技術)を使用して21.3mという異例の長さの14インチ砲身の製造を開始した。 日本はヨソの国の予算と資材を用いて最新技術の実地データをたっぷり取ったのである。 ちなみに日本技術陣は帰国後、このデータを用いて新型軍艦の砲身を製造したのは言うまでもない。 1937年4月1番艦「B=ムッソリーニ」が起工、8月には2番艦「クラウディウス」が起工される。 イタリアの指導者ムッソリーニはこの大型巡洋艦に大きな期待をかけた。 その期待度は15インチ砲搭載の「ヴィットリオ=ヴェネット」級新型戦艦起工を1940年に遅らせてまでこのクラスの大型巡洋艦の建造を優先させたほどだった。 1938年の3月に3番艦「アウレリアヌス」を、1938年11月に4番艦「プロブス」を起工させたのである。 さらに1939年6月に5番艦が起工予定であったが予算の都合上これは延期となる。 1939年6月完成した「B=ムッソリーニ」の主砲射撃試験では40300mの射撃距離を記録、関係者を狂喜させた。 一方速力は公試で34.4ノットと予定の36ノットは発揮できなかった。 23600tにまで増えた排水量が原因と考えられる。 「B=ムッソリーニ」のデビューは鮮烈だった。 2番艦「クラウディウス」と共に英海軍地中海艦隊と1940年7月9日スパルチベント岬沖で遭遇、英艦隊旗艦「ウオースパイト」の艦橋に主砲弾がラッキーヒット。 混乱する英艦隊を尻目に34ノットの快速で見事逃げおおせたのである。 英仏はこの大型巡洋艦を脅威と考え徹底的にマークされるようになる。 イタリア海軍が情報分野でイギリスに太刀打ちできなかったこともあり、以降は有効に運用できなかったようである。 タラント湾空襲で3隻の戦艦が沈められると実質的な主力艦として運用されたが、あまり戦果は挙げられなかった。 また、60口径14インチ砲はやはり技術的に無理があったようで砲身の精度が低く、弾薬を強装するため砲身の寿命も短く、主砲散布界が異様に広いという弱点を持っていた。 また発射速度も遅く、カタログスペックでは恐るべき性能だが、実際の攻撃力は低かった。 加えて、装甲の薄さは致命的で、航空機攻撃により、2番艦「クラウディウス」と3番艦「アウレリアヌス」は沈められている。(「アウレリアヌス」は偵察機の落とした爆弾1発で轟沈してしまった。) 「B=ムッソリーニ」は英駆逐艦との砲戦により沈められ、「駆逐艦と撃ち合って負けた」という、汚名を残してしまう。(魚雷を受けたという説もある。) アウトレンジ砲撃戦法は机上の空論であり、実際には命中弾を得るにはもっと近距離に踏み込まねばならないこと、必ずしも遠距離から戦闘が始まるわけではないことを考えると、結局、モデルとなったポケット戦艦と同じく「恐るべき艦に見えて実際の戦闘力は高くない」艦だったといえよう。 なお、このクラスの建造をとりやめ、「ヴィットリオ=ヴェネット」級の戦艦を優先して建造していれば、戦局は変わっただろうとの意見は多い。 全長205m 全幅26m 排水量23600t 機関出力15万馬力 速力34knt 兵装 60口径14インチ3連装砲塔2基 13mm単装機銃4基 「B=ムッソリーニ」1939年7月就役、1943年6月英駆逐艦と交戦し沈没 「クラウディウス」1939年12月就役、1941年3月英空母艦載機の爆撃を受け沈没 「アウレリアヌス」1940年8月就役、1942年2月英軍長距離偵察機の爆撃を受け沈没 「プロブス」1941年6月就役、1943年1月タラント港で連合軍の空襲を受け着底 5番艦 計画のみ |