空技廠/愛知 15試局地戦闘機 迅雷(J2Y)

迅雷(J2Y)

 昭和15年に提示された15試局地戦闘機の仕様は、「高速性能」と「上昇性能」という、海軍機では必ずしも重視されていなかった部分を重視するという、それまでの機体とはまったく違う性格を持っていた。
 空技廠としても、提示された要求に満たす機体を開発する能力があることを内外に示すべく、主任技師にハインケル社での技術研修経験のある御子柴技師を任命し、高速性能を重視した機体の設計を開始した。
 エンジンは、抵抗を少なくするため、直径の小さな液冷のアツタ21型を改良したアツタ21型改(離昇1300馬力)が採用された。このアツタ21型改は、アツタエンジンの原型となったDB601Aの改良型であるDB601Dを参考にしたもので、離昇馬力の向上の他、二式水/メタノール噴射装置を装備するなどの改良が加えられていた。
 機体は、ハインケル社が開発したHe100G-0/G-1を基にしたスマートな形で、高高度性能を向上させるために、アスペクト比の高い細長い主翼を採用した。そのため全幅は13.6mとなり、それに合わせ機体尾部も延長された。
 ラジエターの配置個所としては、当初、He100G-0と同様に主翼翼面を利用した翼面冷却方式が考えられていた。この方式は、抵抗を極力排し、高速性能を発揮するために有利であったが、実戦(1937年〜1939年の硅緑戦争)でのG-0の稼働率の低さが問題となり、翼面冷却方式案は見送られた。その後、機首下や翼付け根などの案も出たが、結局は胴体中央下部に決まった。
 胴体中央下部のラジエター配置は、参考となったHe100G-1や同時期に設計されたキ-60/キ-61(後の三式戦闘機「飛燕」)などが採用している形式である。重量バランスや抵抗などの観点からも、この位置へのラジエター配置は理にかなっており、風洞実験においても、他の形式に比べて良好な結果が出た。このラジエター形式のため、試作機は「海燕」(海軍式飛燕という意味で)と呼ばれることになった。
 しかし、この形式では増槽を翼下に懸架することになり、増槽装備時の速度の低下、増槽未装備時の航続距離不足が問題になった。紆余曲折の後、生産型では胴体タンクを増量することで対応することになり、試作段階では、航続距離の要求値を満たせずに終わっている。
 コクピットは、当初与圧キャビンを採用する動きがあったが、機体重量の増加・試作期間の延長などの問題があり、計画は見送られた。キャノピは、He100G-0/G-1を参考にした視界の良い涙滴型とした。涙滴型の採用は、ファストバック型キャノピのHe100D-0と涙滴型キャノピのHe100G-0が、速度性能の差が全く無かったためであり、後に言われるような零戦並の視界を要求されての採用と、言うわけではなかった。
 設計作業は順調に進み、昭和17年6月に試作1号機が完成した。試作1号機には、搭載が予定されていたアツタ21型改が間に合わず、代わりにアツタ21型(離昇1100馬力)が搭載された。この試作1号機の完成を持って、「戊」と呼ばれていた15試局戦にはJ2Yの名称がつけられた。
 初飛行は昭和17年9月2日に行われ、特に問題も無く終了。細かい改修を行った後、10月12日に全力飛行を行った。その際、最大速度653km/h(高度6000m/無武装)を発揮。要求の一つをクリアすることに成功した。原型となったHe100G-0より遅い(G-0の最大速度は670km/h)のは、ラジエターの抵抗と、アツタ21型の出力不足、さらには、日本海軍とドイツ空軍の速度計測の条件が違うことが原因と考えられる。
 その後、直線飛行時の安定性を高めるために垂直尾翼が増積され、機体各部には5mmの防弾版が搭載されることになり、それを含めた小改造が行われた。
 昭和17年10月に、J2Yは愛知時計電機社に生産が移行された。この辺りの経緯は、J2Yの実質的な兄弟機である13試艦爆(後の彗星)に酷似している。空技廠としても、同じアツタを装備する2式艦上偵察機/彗星を生産している愛知を指定して、生産ラインの混乱を避ける狙いがあったと見られている。
 強度実験などに使用する増加試作機3機が作られた後、待望のアツタ21型改を搭載した機体が完成した。アツタ21型改を搭載した2機のJ2Yの性能試験は、昭和17年12月から行われた。
 試験中に、J2Yは最大速度702km/h(高度6000m/二式水メタ噴射装置使用時/無武装)を記録。上昇テストでも、高度6000mまで5分10秒(二式水メタ噴射装置使用時/無武装)という記録を打ち立てた。さらに高度12,100mという最大上昇高度を記録、8000m以上の高高度では運動性の高さを見せた。
 J2Yのテスト飛行を行った鷲尾大尉(当時)は、「癖の無い良い機体。高高度での運動性も高く、高度10,000mで編隊飛行を行えた時には、我が国の技術もここまで来たか、と思った。ただし、着陸速度が速く、着陸距離の長いのが欠点と言える」と、何度かのテスト飛行の後に述べている。
 試験初期に頻発したアツタ23型エンジンの不調も、整備員の熟達とともに減り、武装を搭載して行われた4月の試験飛行でも、予定どおりの性能を発揮した。
 昭和18年6月には、先行量産機14機が完成。この時点で、J2Yには「迅雷」の名称が与えられ、他社の開発した機体とともに、審査に臨むことになった。

空技廠/愛知 15試局地戦闘機「迅雷」
全長:11.2m。全幅:13.6m 全高:3.4m
エンジン:アツタ23型(離昇1300馬力/二式水メタ噴射装置使用時1700馬力)
武装:20mm九九式二号機銃×4(弾薬各250発)
   機首上面に、13mm三式機銃2門の搭載も可能
最高速度:679km/h(6000m/二式水メタ噴射装置使用時/武装搭載)
実用上昇限度:11,000m
上昇力:6000mまで5分40秒
航続距離:正規1200km/過荷1890km(増槽使用時)

設計者のコメント
 はじめまして。ホントは戦車屋の鉄猫です。
 芙蓉部隊の戦闘を描いた本「彗星夜襲隊」を読んでから、「アツタ」エンジン装備の戦闘機を作ろうと思っていましたので、今回の競作はちょうど良い機会となりました。
 開発記にもあるように、モデルは飛燕とHe100です。ここで登場するHe100G-0/G-1も、ある意味「仮想機」なので、機会がありましたら図面を公表したいと思いますデス。
 図面の塗装は、昭和20年にB29迎撃に参加した愛知時計電機私設防空隊のもので、友軍機にP-51と間違われないように垂直尾翼に白黒の段だら模様が、スピナーにはドイツ機譲りの対空砲火避けが描かれています。