十五試局戦「J2M 虹電(こうでん)」

「J2M1 虹電」

 昭和15年9月に海軍から、大型爆撃機邀撃を主任務とする「十五試局地戦闘機」の仕様を受け取った三菱は、「十二試艦戦」が実戦配備を開始したばかりで、その改良に追われ設計陣が極めて多忙であった。そのため、「十五試局戦」にかけられる工数が限られており、設計の省力化が必須の命題であった。
 有効な案も出ないまま数日が過ぎた頃、川崎航空機においてキ48からキ45改が生み出されようとしているという事実を知ったある技手から、当社においてもこの設計方式を採用してはどうかという提案が出された。すなわち、「十二試艦戦」により強力なエンジンを搭載し、主翼の面積を縮小する等の変更を行って機体の空気抵抗を減らすことにより要求値をクリアしようというものであった。
 この案に対し、設計主務者の堀越技師、および曽根技師はかなりの難色を示した。それは、元々艦戦として設計した機体は局戦として使えるものにはなりにくいという考えと、そのような設計手法で要求値をクリアすることは難しいと考えたからであった。
 しかしながら、すでに多忙であるにもかかわらず、さらに大きな作業量の増大が見込まれることを考えると、この提案は大きな魅力でもあった。
 最後には「十二試艦戦そのものが20mmという大口径機銃を搭載し、軽量故に上昇性能も悪くないので、局戦としても運用可能ではないのか?」という考えが堀越技師の心中に去来したことにより、もし、この「十五試局戦」が失敗した場合でも、その任務を「十二試艦戦」が肩代わりしてくれるだろうから、大丈夫であろうという考えのもとに、この提案が採用されることとなった。

 さてそうなると、まずは具体的な変更箇所の検討である。主翼面積を縮小して翼厚比を下げることはすぐに決まった。「十二試艦戦」は運動性が設計の重大な要素であったので、かなり抵抗の大きい主翼を採用していた。これを高速機向きの低抵抗のものに変えるだけで、少なくとも最大速度は大きく向上することが予想された。
 むしろ、エンジンの選定に時間がかかった。
 いくら主翼の抵抗を減らしたところで、かなり出力の向上したエンジンを搭載しなければ、最大速度の要求値「620km/h」をクリアすることは難しい。そこで、同社の「十四試へ号」搭載が検討されたが、十二試艦戦が搭載している「栄」に比べ直径が225mmも大きいため、とても搭載できそうにないし、万が一搭載できたところで、視界が大きく妨げられるうえに、重量の増加が甚だしいため重心位置の補正が許容範囲を超えてしまうであろうと予想された。
 もう一つの選択肢として、ドイツのDB601のライセンス生産に近い改良型である愛知の「十三試ホ号」液冷12気筒エンジンか浮かびあがったが、液冷であるが故に機体の大改造が必要となるであろうし、重心が前方に移動し過ぎて、やはり重心位置の補正が許容範囲を超えてしまうことが予想された。
 こうなると、他には自社製の「金星」しか存在しない。しかし、「金星」は今テスト中の50型ですら離昇出力で1300馬力と、「栄」の330馬力増しでしかないため、要求値のクリアは難しいと思われた。
 ところが、「金星」のテストを進めていたエンジン部門から、「近い将来、離昇出力で1500馬力は可能。また、過給器の改良により中高度以上の大幅な出力向上も可能である」との報告が入った。計算によると、この値で要求値の620km/hはなんとかクリアできそうである。これらの事実を海軍側に示して、なんとか搭載エンジンを「金星」とすることの了承をとりつけた。

 ものが零式艦上戦闘機(このころには十二試艦戦が制式採用されてこの名称となっていた)の改造であるので、試作は割合スムーズに進行した。なお、主な改造点は以下の通りであった。
(1)主翼の翼弦長を小さくし、翼厚比も下げて徹底した空気抵抗の減少を図った。当然燃料タンク容量も減少するが、元々零戦に比べ航続距離の要求値がはるかに低かったため、これは問題とならなかった。
(2)元々が脚の頑丈な艦上戦闘機であるため、主脚はそのまま使用された。このため、プロペラの直径を増すことができなかったが、4翅プロペラにしてトルクの増大に対処した。
(3)エンジンの重量と全長が増加したことにより、そのままでは重心位置が前方に移動するため、エンジンマウント位置を後方に下げた。このため防火壁ごとコクピットも後方に下げられた。
(4)キャノピーは零戦よりもフレームが少なく曲面の多いものが採用された。
(5)機首の7.7mm機銃を廃止し、直径の増加したエンジンに合わせて機首上部を整形した。
(6)少しでも空気抵抗を減らすために、尾輪を完全引き込み式にした。

 設計開始にまごついたものの、既存機の改造であるため設計はスムーズに進んだ。ただし、当初からの目論見が設計陣の負荷の軽減であったため、設計の進捗そのものは特に早いというものでもなかった。それでも、試作1号機の製造に関しては、零戦の治具がかなりの部分で利用できたため、かなりのスピードで進めることができ、早くも昭和16年12月には初飛行に成功した。
 しかし、スムーズに進んだのが災いして搭載エンジンには1500馬力を発揮するはずの新型が間に合わず、やむなく離昇出力1300馬力の「金星五一型」を搭載して完成させることとなった。そのため、完成前から要求値をクリアすることはできないであろうと予想され、実際、その通りであった。しかしながら、主翼の小型化およびそれに伴う燃料タンクの容積減少により、エンジン/プロペラ重量が増加しているにもかかわらず、全備重量は零戦三二型よりも若干ながら軽くなっており、プロペラの推進力が向上したことと相まって、上昇力のみは要求値をわずかに下回る程度にとどめることができた。
 また、主翼の小型化により補助翼面積も縮小されたわけだが、これにより高速での補助翼の効きは零戦よりも向上しており、全幅の縮小と相まって高速時の横転性能が著しく向上した。コクピットを下げたことによって「零戦」より悪化した視界については、パイロットから苦言が呈されたが、要求順位として低かったことが理由となり特に強い改善要求は出なかった。その他の特筆事項としては、100発入りドラム弾倉式の九九式20mm一号三型機銃を装備したが、零戦よりもーかなり薄い主翼であったため、その弾倉が主翼内に収まらず、主翼上下面(特に上面)に涙滴状の大きな張り出しを作ることとなった。
 なお、最大速度は585km/h/4800m、上昇時間は6100mまで5分44秒であった。
 2号機の完成は、「金星」の新型が審査を完了するのを待って、昭和18年1月となった。その間、1号機にいくつかのトラブルは発生していたものの、13ヶ月にも渡る改修期間が用意されたのと同じこととなったため、2号機完成時にはその改修策のほとんどが盛り込まれており、最初から安定した飛行を行えた。この間に、推力式単排気管が速度向上に有効であることが確認されたため、この改修も盛り込まれることとなった。
 新型の「金星」(後に金星六一型と命名)は、過給器能力の向上も行ったことにより、6000mの高度では、「金星五一型」に比べても150馬力、そのころ実戦に投入され始めた「零戦三二型」の「栄二一型」に比べると、実に400馬力に及ぶ出力向上を果たしていた。このため、1号機に比べて諸性能も向上し、要求性能を上回っていた。
 上昇時間が6100mまで5分18秒、最大速度は、推力式単排気管の効果もあり、622km/h/6000mであった。最大速度の向上には、二号機で採用されたベルト給弾式の九九式一号四型機銃により、主翼上下面からバルジが消えたことも一役買った。
 そしてこれらの諸性能値は、海軍側を満足させるのに十分だった。

「J2M2 虹電」

諸元

 全長   :8.85m
 全幅   :10.21m
 自重   :1号機1790kg
       :2号機1840kg
 全備重量:2450kg(2号機)
 エンジン :1号機 金星五一型 空冷複列星型14気筒 1300馬力
       :2号機 金星六一型 空冷複列星型14気筒 1500馬力
 最大速度:1号機 585km/h(4800m)
       :2号機 622km/h(6000m)
 上昇時間:1号機 6100mまで5分44秒
       :2号機 6100mまで5分18秒
 航続距離:1号機 1125km(標準)、2010km(最大)
       :2号機 1030km(標準)、1860km(最大)
 武装   :1号機 九九式20mm一号三型固定機銃4丁
       :2号機 九九式20mm一号四型固定機銃4丁