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一一型 二二型 全長 8.9メートル 8.9メートル 全幅 8.3メートル 9.2メートル 全備重量 2450キロ 2940キロ エンジン 火星一一型 火星二三型 出力 1430馬力 1850馬力 最大速度 585キロ 625キロ 航続力 1600キロ 1820キロ(増槽 X 2) 武装 20mm機銃 X 4 20mm機銃 X 4 乗員 一名 一名 生産機数 1200機 350機 昭和15年に発令された局地戦闘機の開発に乗り出したのは中島や三菱だけでは なかった。永らく練習機を生産していた 大刀洗製作所がが開発の乗り出したのである。大刀洗製作所は1938年から九六 式艦戦の生産を開始していて、三菱のこの成功作を 研究していた。これでノウハウ を手に入れた(完全にとは言い難いが)大刀洗製作所は一攫千金を夢見て開発に乗り 出した。 最大の問題は速度である。日本機は発動機の低出力もあって速度を稼ぐ場合、ど うしても機体を軽くしなければならなかった。 高出力エンジンは重爆用ぐらいのものである。そこで技術陣は迷わず火星エンジン を選択、開発を開始した。火星エンジンを搭載しなが ら空気抵抗を減らすため、技 術陣はプロペラに延長シャフトを設け、機体前面を絞り込むデザインにした。これは 三菱機 (「雷電」もこの競争試作で開発されることになりますよね?)と同様であった が、大刀洗機はさらに徹底した絞込みにし、液冷機並にし た。また、冷却用の空気 は機体前部に空気口を設け、そこから吸気する方式をとった。 翼は短くされ、空気抵抗はさらに減少した。このため生じた運動性の低下は二重 親子フラップ等で解決した。それでも運動性 は低かったが、性質が局戦なのであまり問題とはならなかった。武装も20mm長 銃身機銃が採用され、初速が速く、威力が零戦 のものより大きかった。 防弾性能は零戦よりあったが、ギリギリまで減らされてあった。重量を少しでも 軽くするためである。 開発当初、火星20型系が選択されていたが、エンジントラブルが発覚し技術陣 は早急に火星一一型に換装した。 後に改修された火星二三型も搭載された。 これらの努力の甲斐があってか、41年に初飛行した一五試局戦は優秀な性能を 見せたが、三菱機と同様、 延長シャフトの起こす異常振動が問題となった。技術陣の努力の結果、三菱と違い 何とか解決した技術陣は42年に入り、 最終テスト飛行を続けた。 このとき、空母「ホーネット」から発艦したB-25ドーリットル爆撃隊が三機を横 須賀海軍基地で実戦テストをしていた 一五試局戦二機と遭遇した。B-25は三機全機が撃墜された。 海軍側は三菱機の稼動率が低いことと、横須賀上空の迎撃戦を見て大刀洗機をい ち早く採用、三菱機にも改修を 命じた(中島は陸軍機で忙しく、開発を中止した)。三菱機が「雷電」の名をもら い、改名し九州飛行機となった大刀洗製作所機 は「天電」と命じられた。 「天電」はすぐさま生産され、1943年2月激戦地のラバウルに派遣された。 ここでB-17を中心とする爆撃機をいとも簡単 に撃墜し防空戦で活躍したが米軍の物量の前に押し返され、活躍の機会を失った。 「天電」が大活躍したのはマリアナ沖海戦のときである。火星二三型を搭載し、 運動性能を高めた「天電」二二型が 零戦に代わって主力戦闘機として配備されたのである。F6Fに対抗できない零戦に 業を煮やした首脳部が、熟練パイロット を期待の「天電」二二型に乗せ、反撃を計画したのである。このため対戦闘機戦に 向いた二二型に優先的に燃料等を 与え、訓練させた。「天電」部隊は練度が完全になるまで実戦を禁止された。首脳 部がいかに期待していたかわかるであろう。 「天電」はもともと迎撃機であったため、米軍のようにヒット・アンド・ラン戦 法をとったパイロット達は意外にも 大成功を収め、久々に制空権を取り戻した。これはパイロットの練度もさることな がら、ドッグファイトに持ち込む零戦との 連携プレーでF6Fが効果的な空戦ができなかったからである。 機動部隊も「天電」を搭載し、増槽を二つぶら下げ航続力を限界まで伸ばした 「天電」に護衛された攻撃隊は TF58のF6Fの攻撃はかわしたものの、VT信管で壊滅してしまった。だが、F6Fの迎 撃が「天電」の活躍でなんとかなった こともあり、TF58は「エセックス」「ワスプII」「モントレー」の撃沈に成功し た。これは米軍がちょうど発艦作業中で、 命中弾が誘爆を発生させたこともある。 機動部隊は「天電」の防空で無事であったが、潜水艦の雷撃による「大鳳」「翔 鶴」の沈没は防げなかった。 だが、「飛鷹」等の残存空母は航空攻撃から守り通し、高い空戦性能を見せた。そ の後、B-29の邀撃に動員されたりと、 激戦を続けた。 レイテ沖海戦にては囮機動部隊(「瑞鶴」「雲竜」「天城」「隼鷹」「飛鷹」) の防空任務をし、 「龍鳳」「瑞鳳」から「大和」「武蔵」等の戦艦部隊を護衛空母機から守り通し、 無事突入を成功に導いた。 「天電」の活躍はフィリピンにおいて米軍に多大な損害(十数万の死傷者・百数十 隻の艦船)を出させ、フィリピン防衛を成功 させるまでに至った。影に零戦や紫電との共同空戦の成果があったのは当然であ る。 この勝利でアメリカ議会を和平交渉に動かすことに成功し、日本は破滅から救わ れたわけだが、「天電」の活躍は これに多大な影響を与えた。 「天電」の成功の最大の鍵は機体自体のずば抜けた優秀性ではなかった。「天 電」自身の性能はF6Fにこそ勝るもの、 驚異的な性能ではなかった。むしろ軍部の期待による熟練パイロットの養成と零戦 等との共同空戦がF6Fを翻弄するなどの、 用兵的な成功作であったのである。 <コメント> 航空機は好きだけど難しい・・・ |