
画:とわいらいと氏
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要目:全長 206m 全幅 20m 基準排水量 10000t 主缶 ロ号艦本式水管缶12基 主機 艦本式オール・ギヤードタービン6基6軸 出力 15万馬力 燃料搭載量重油3000t 最高速度 時速35ノット 兵装 60口径15.5cm3連装5基15門 50口径12.7cm連装高角砲4基8門 7.7mm機銃連装10基20門 61cm魚雷発射管3連装2基6門 呉1号1型射出機1基 水上機3機 同級艦 アスカフクダ ユウコナカザワ アヤイシグロ 設計から受注まで イブクロー王国の発注を受けた日本海軍では、特型駆逐艦や 条約発効による、計画変更などで、主力技師のほとんどが手一杯 の状態であり、どうせ費用は全て王国持ちだということで、新人 のテストを兼ねて設計さしてみようとなった。 そして、提出された計画の多くが、実用に耐えられるかどうか 疑問符が5つくらいつく代物ばかりであり、何とかできそうな中 から、平賀造船中将他艦本の重鎮たちが判断したのが、本級である。 そして、各国の代表者が集まり合同審査会が開かれた。 その中で、日本側の全権として参加した米内光政大使は、各国の 計画案にない射出機の装備と、艦橋の大きさと、金剛級巡洋戦艦 を凌ぐ出力を、前面に押し出した効果的な宣伝に成功し、当初2隻 の予定を5隻に押し上げるまでになった。 建造 受注に成功したものの、肝心の長砲身15センチ3連装砲は いまだ、開発途中であったが、受注してしまったからには、 帝国海軍の名誉にかけて完成させない訳にはいかないということで、 海軍砲科技術者を総動員して開発され、その当時では、軽巡の 主砲としては、最高の性能を誇る「八四式十五糎砲」が完成した。 その後、この砲を搭載した大型軽巡が大量に建造されたことは いうまでもない。 その後の建造は高角砲を新開発の八五式に変更するなどの小改正 を加えたものの、順調に進み1926年8月8日に就役し同じく 8月10日に就役した、2番艦ナツミアベと共に王国へ練習航海 を兼ねて出発した。 その後の戦歴 カオリイイダ 1926年8月8日一番艦カオリイイダ就役 同10日二番艦ナツミアベ就役 同12月17日三番艦アスカフクダ就役 1927年5月12日四番艦アヤイシグロ就役 同6月19日五番艦ユウコナカザワ就役 それぞれ第一艦隊1〜3戦隊を形成艦隊旗艦はカオリイイダ 1929年装甲巡洋艦隊就役に伴い第2艦隊へ移籍 1930年巡洋戦艦及び戦艦隊就役に伴い第3艦隊へ移籍 1939年4月18日第一次改装 機銃を12.7ミリ連装15基に変更 高角砲を両用砲に変更 1942年1月28日二式大艇によるパナマ運河爆撃により 太平洋戦争開戦日本側として参戦 同2月10日ハワイ沖海戦に参加 夜戦で水雷戦に参加米重巡サンフランシスコ撃沈 同5月27日ニュージーランド沖海戦に参戦 豪重巡キャンベラ撃沈 同9月9日チリ沖海戦に参加 英軽巡クレオパトラ撃沈 被雷1 中破 1943年1月26日フォークランド沖海戦に参加 英重巡サフォーク撃沈 同5月12日パナマ運河上陸作戦に参加 輸送船団護衛に専念 同9月9日北大西洋沖海戦に参加 同12月31日対米戦終結 1949年環太平洋連合艦隊に移籍第4水雷戦隊旗艦 1954年除籍 1955年保存艦として首都にて公開 ナツミアベ 1926年8月8日 就役 1946年7月8日 チリ海軍に売却 1963年5月24日チロエ島沖海戦で英潜水艦 の雷撃を受け大破自沈 アスカフクダ 1926年12月17日就役 1947年5月12日アルゼンチン海軍に売却 1948年6月18日対パラグアイ戦ラプラタ沖海戦に参戦 米製軽巡ナッシュビルと交戦撃沈 1967年4月18日退役 1967年9月9日 バイアブランカ港にて公開 アヤイシグロ 1927年5月12日就役 1949年環太平洋連合艦隊に移籍 1954年除籍解体 ユウコナカザワ 1926年就役 1942年5月27日ニュージーランド沖海戦に参戦 護衛空母スワニー艦載機の攻撃を受け大破 米潜水艦の雷撃により撃沈 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 どうも佑輔です、初投稿というとで、最上級をちょっと改造しました。排水量が多い分全長を伸ばして居住性をあげておきました。 名前その他は、全てモOニング娘。からつけました。 タンポポ大丈夫かな?(不安) ということでまた次の試作で会いましょう |