
「Day Dreamer」はアメリカのプライベートチームによる 1947 年シュナイダー杯出場機である。見ての通り放出品の P-39 を水上機に改造したもので、技術的に革新的なところは何もないと言ってよい。シュナイダー杯にこんな機体で挑むのは無謀とも思えるが、何故そこまでして出場したのかには理由がある。この機体を送り出した「Day Dreamers」はアメリカの黒人チームだったのだ。
第 332 戦闘飛行団は第二次大戦中、唯一実戦に参加した黒人飛行隊である。北アフリカ・イタリア・ドイツ本土へと転戦しつつ対地攻撃と爆撃援護に従事し、援護した爆撃機には一機の未帰還機も出さなかったという輝かしい記録を誇る。
「ジョー」ことジョセフ・T・マコーミックはアラバマ州タスキギー(Tuskegee)の黒人飛行兵養成学校を 1942 年度に卒業し、北アフリカからドイツ本土への侵攻作戦までに参加した歴戦戦闘機パイロットである。T.J ことトーマス・L・ジョーンズは彼と共に転戦した戦友で、 332 飛行隊の兵装員だった。
T.J は「Day Dreamers」の発起人であり、相続した遺産のほとんどを割いてこのプロジェクトに当てた。「親戚や友人から散々ご忠告を受けたけど、聞く耳は持たなかったね。『サイは投げられた』んだよ」。彼は戦友会の名簿を通じて参加者を募ったが、真っ先に声をかけた一人に「マイク」ことマイケル・M・バーンズがいる。彼は 332nd でチーフエンジニアを務め「整備の神様」と呼ばれた人物だ。
改造箇所を極力控えるのには、予算以外にも時間を節約するという大きな理由があった。なにせ、47 年秋のシュナイダー杯まで時間は1年半ちょっとしかない。その限られた時間のなかで陸上機から水上機への大改造だけでなく、上位入賞を狙えるだけのレーシングチューンを施そうというのだ。しかもプライベートチームの悲しさ、スタッフは本職の仕事も抱えておりフルタイムで作業できる訳ではない。ある意味、時間は予算よりも貴重な資源なのだった。 限られた時間を有効に使うため、作業は三段階にわたって計画された。まず放出品の P-39 をリストアし、不要な機材を全て取り払って軽量化すること。次に最大の難関である水上機化。最後にレース用のチューニング。当時は各種の軍用機パーツが比較的安価に放出されていたため、使えるパーツは徹底して流用品または改造品で済ませることにした。 チームによって幸いなことに、1946 年 9 月のトンプソン杯でベル社ワークスチューンの P-39 改造機「Cobra II」が 601.7Km/h の平均速度で優勝を果たし、P-39 も扱い次第では優秀なレーサーたり得ることが実証された。Cobra II のデザインは Day Dreamer の各所に影響を与えている。 ![]() 〓 主な改造点 〓
![]() [三面図 クリックすると拡大(860x740 79Kbyte)] (添付スケールは 1m 単位)
1946 年の秋までに P-39 の水上機化は完了し、タスキギーから 50 マイルほど北のマーチン湖にワークショップを移して作業を続行した。1947 年 2 月には待望の滞空証明が下りて初飛行を行い、刻々と迫るレース期限を横目に調整とチューンアップに明け暮れる多忙な日々が続いた。
1947 年 7 月、慌ただしい最終調整を終えた飛行機は分解されて船に積み込まれ、ジョー・T.J・マイク等総勢 15 名の「夢見る男達」と共にイギリス・ポーツマスへ向けて出港した。 |

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作者からのコメント 黒人のみで構成された戦闘飛行隊、"Tuskegee Airmen" こと 99 独立飛行中隊および 332 戦闘飛行団の活躍はアメリカでは半ば伝説的に語り継がれていますが、日本ではあまり知られていません。私も前大戦中の米軍に黒人の戦闘機パイロットがいたとは知りませんでした。彼らについて知るきっかけになったのは、はからずも Warbirds の「あなたはどっち」で示された小さな疑問です。「シュナイダー 1947」の話を聞いたとき、真っ先にに閃いたのが彼ら Tuskegee Airmen の出場でした。 しかし言うは易く行うは難く、飛行機を描くより資料調べのほうに時間を費やすことになってしまいました(笑)。しかも当初は小説風に仕上げるつもりだったのですが、アメリカ近代黒人史について生半可な知識では歯が立たないことを思い知り、このような紹介の形になりました。 「シュナイダー 1947」の趣旨からは少々変則的なアプローチとなりましたが、日本の皆さんが 99th, 332nd について知って頂ける機会になれば幸いです。 文・画とも Copyright by Y.Sasaki 2000 12/09 |