[_Maggiore/Ge103]
_機体番号601番

全長11.25m(フロート除く) 発動機DB603A-2
全幅11.95m 出力/基数2100ps/2基
全高4.5m 速力部内秘
フロート長8.8m 航続力部内秘
重量部内秘
乗員1名 (C)Amagi
第2次世界大戦も終焉を迎えて2年。 イタリアの町からもようやく硝煙の臭いが消えた頃、 イタリアにとって因縁とも言える催しが再開された。 それが、シュナイダー・トロフィーである。 思い起こせば1931年、Mc72と言う傑作機を擁しながら初期故障の改修に手間取り、 みすみすイギリスにトロフィーの永久保持を許してしまったのだ。
「打倒イギリス、打倒スーパーマリン!」
瞬間湯沸し機の如く、猛烈な熱気が瞬時に湧き上がる。 直ちにイタリアはこれに参加を表明。 トロフィーを奪還すべく作業を開始する。

ところが勢いで参加表明をしたは良いが、すぐさま問題にぶつかった。 設計屋が居ないのである。 いや、人物が居ないわけではない。 だが、戦後の混乱の中で敗戦国であるイタリアの有能な技術者は職を求めて米ソの引き抜きに応じ流失してしまったり、 敗戦や工場焼失のショックから航空分野から手を引いてしまっていたのである。

結局、主任設計者としては商用機メーカー"Maggiore"社のA.M.Gee技師が最有力とされた。 このMaggiore社は戦中Mc202の製造もしていたが、 なにぶん小さい工場ゆえにドイツ侵攻を急ぐ連合軍からも無視され、施設も人員もほぼ戦前のまま生き残っていたのだ。 しかしながら、このGee技師は「実用性を考えると───」というのが口癖で Mc202の製造に関しても勝手に一部の設計を改変して前線を混乱に陥れたなんて、いわく付きの人物である。

しかしながら他に人選のしようが無い以上、主任設計者は彼に決定。 機体は彼の名を取って「Ge103」と命名され彼の意向に沿って設計が進められる事となった。 無論、レーサーを設計するに当たってもGee技師は相変わらずの口癖ぶりを発揮し、 人々を彼のペースで振り回す事となる。 その最たるものが機体のデザイン。 当時の首相をして
「ピサの斜塔がくっついてるようだ」
と言わしめる円筒形の機首。 Gee技師によれば
「量産性を考えると構造は極力簡易である方が望ましい」
だそうだ。 この機体はレーサーなのに、である。 しかしながらDB603を2基を搭載した状態では、多くのにわか航空マニアが考えていたMc72のような表面冷却のみによるデザインは事実上不可能。 また、円筒形の胴体の前面に設けられた冷却器はその大きさゆえに機体各部への冷却液管を減らし、機体構造の簡略化に大いに貢献した。

さらに技師は機体の運動性にも言及し
「これからは自家用機の時代である。一家に一台航空機があって、ゴンドラの様に気軽に利用できる時代になる。 そうなるとパイロットの技量は必然的に低下する。そこで素人でも操縦できる機体が必要なのだ」
と、いつもの台詞を繰り返すと離着水を容易ならしめるよう指示した。 結果、アスペクト比の大きな主翼とし、風防も高くならざるを得なかった。 おかげさまで操縦性と視界は戦闘機とほぼ同等となり、 国民の期待を背負って登場したバリバリのレーサーながら《レーサー入門機》との渾名を頂戴する。

一方で、エンジンは旧ドイツのダイムラー・ベンツ製DB603A-2なのだが、その搭載方式の都合上改造が加えられている。 まず、そのままでは機首が長くなりすぎるため過給器を取り外している。 そして2基のエンジンを向かい合わせに繋ぎ合わせ、前方エンジンのプロペラ軸の中を後方エンジンのプロペラ軸が通るようにされた。 これはMc72のアルファロメオAS.6と同様である。 また、過給器はスペースの都合上操縦席後方に設置された。 この過給器は自国では開発できずアメリカから輸入され、2基分の吸気系を1基の大型過給器で賄う事とした。 無論、エンジンのチューニングが行われているのは言うまでもない

かくして竣工したGe103第1号機は、飛ばしてみると意外な欠陥が発覚した。 航続距離が足りないのである。 計算上はDB603の2基として十分の筈だったのだが、低空でラム圧を加えた上に大型の排気タービンでさらに圧縮をかけるのである。 結果、バカみたいに燃費が悪くなったのだ。 止む無くフロート内部に燃料タンクを増設と言う処置を施した。 だが、他には取り立てて特に大きな不具合も無く、Mc72のような事故機も出なかった。 そして、Ge103は順調にレース当日を迎える事となる。

_ [index / comment] _