1945年8月15日、第2次世界大戦は枢軸国として最後まで戦った日本の無条件降伏によって幕
を下ろし、世界にはとりあえずとは言え、平和が戻った。しかし、戦争の傷跡はあまりにも深く、特に
全ての都市を焼け野原にされたと言っても過言ではない日本においては復興に向けた新たなる戦いの幕
開けに過ぎず、全てを失った日本国民の間では失望感が漂っていた。
そんな中、戦勝国であるイギリスでは、国家間の友好と戦災からの復興を夢見る一人の男の演説をきっ
かけにが、壮大なプロジェクトが始まろうとしていた。
「世界各国から参加機を募ってレシプロ水上機によるレース、シュナイダーカップを再開する」
この決定は世界各国を駆けめぐり、各国はこぞってレース用水上機の制作に取りかかることとなった。
1946年1月。日本に伝えられたシュナイダーカップ開催の報を四人の男が聴いていた。この時、
彼等は互いにまったく面識がなかった。
片山良三。戦時中は若手技師として、戦闘機の設計に取り組んでいた。戦後、GHQによる航空機開
発禁止命令を受け、居場所を失った。戦争を起こした首脳部の愚かさと運命の残酷さに打ちひしがれて
いた。
遠藤壱之助。陸軍航空隊の戦闘機パイロットだった。己の戦闘機を操る腕に絶対の自信を持っていた。
そしてその腕を見込んだ上官の命令で特攻隊の護衛と戦果確認に当たるよう命令され、国のために死ね
ない不甲斐なさに泣いた。戦後、闇市で生活の糧を得るために奔走していた。
山下太一。海軍で、航空機整備士だった。戦争末期の工業製品の質の低下を己の目で見てきた。日本
の行く末に悲観し、酒におぼれていた。
アレクサンダー・シリングワース。在日イギリス大使だった父の影響で、親日派だった。戦後日本に
渡り、愛した国の惨状に呆然とした。
彼等はみな、今の状況に絶望していた。希望を求めていた。そして、日本を蘇らせるため、自分の力
を生かす舞台を必要としていた。そして、彼等は、心の内に消えなかった情熱を抱いていた。
この物語は、日本航空史唯一、民間人の主導によって世界への挑戦が行われた、一つのプロジェクト
の物語である。
作者より
・・・・・・おい!! 機体の解説してないじゃないか!!!!!!
とまあ、お馬鹿なことは置いておいて、やりたかったことは本文を見れば気がつく人もいるかと思い
ます。「プロジェクトX」、面白いですよねえ(^^;;
で、本文でやらなかった機体の解説。基本的にはオリジナルですが、主翼は山本氏が終戦のどさくさ
の中でパクって来た「震電」の主翼(!)を流用しました。エンジンがロールスロイス・グリフォンな
のはシリングワース氏が務めていた航空基地に駐屯していたグリフォン・スピットファイアが一機事故
を起こして、そこから頂戴してきたためです。そのほかの部分については、基本的にワンメイクなのを
良いことに現物あわせででっち上げたオリジナルです・・・・・・って、んないいかげんな(−−;;
作画ですが、パネルラインは全部省略しました。レーサーだから、この方がいいだろうという判断も
あり、胴体は木製(材料入手が楽そうだし、イギリス人も混じってるし)という設定もあり、さらには
手抜きという側面も当然ありです。でも、省略して個人的には正解だと思います。この方がやっぱレー
サーらしいし。
最後に。基本的な設定その他がとりあえず頭の中でできあがっていたとはいえ、参加表明を行ってか
ら実作業がたったの6時間・・・・・・こうでもしないと、途中で飽きると思ったんです・・・・・・
明石耕作
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