【シュナイダー・トロフィー 1947】

 プロローグ 



 1945年11月のその日、授賞式会場のテーブルについていたのは200人を越えるイギリス軍関係者だった。
 正面に設置された舞台の上手からジョニー・シュナイダー大尉が登場すると、会場に居合わせた全員が立ち上がり、文字通りのスタンディング・オベーションで彼を迎えた。その拍手は、彼が舞台上の椅子に腰を下ろすまで鳴りやまなかった。
 「彼、シュナイダー大尉は遠いアジアの戦場から先日ようやく帰国いたしました。そして、彼の並々ならぬ武勲をたたえ、ここに勲章を授与するものであります」  この一言を発した将軍に勲章を授与してもらうため、シュナイダー大尉が立ち上がり書軍の方へ踏み出すと、再び大きな拍手が沸き起こった。それもそのはず、シュナイダー大尉はアジア戦線での日本軍との戦闘において、的確な指示のもとに窮地に陥った味方兵士の窮状を幾度となく救い、自らの大きな負傷をものともせず人命救済につとめ、本国ではその名を知らぬものがないほどの人物となっていたのである。それが、終戦間際に負った人命に関わるほどの重傷のため、終戦後も帰国することができず、現地で3ヶ月に及ぶ闘病生活を送り、ようやくこのたび帰国することがかなったのであった。
 将軍に促されて、シュナイダー大尉は壇上のマイクの前に立った。その顔は、なぜかある種の毅然とした決意に満ちあふれていた。
「このたび、母国イギリスにようやく帰国することができ、また、栄誉ある勲章をいただき、まことに感激の至りであります。しかし、それよりも私は、かの忌まわしき戦争が終結いたしましたことを喜んでおります。
 ドイツと日本とイタリアは去り、平和が訪れたように見えます。しかし、人々の心の中には、かの戦争が大きな傷を残していったと思います。これは、なかなか消えぬものでしょう。もちろん、人が競うことは止められないし、必要だとも思います。しかし、戦争はその最悪の手段ではないでしょうか。
 みなさんご存じのように、私の曾祖父はドイツ人であります。しかしながら、私は軍隊内において、そのことを以て差別を受けたことはありません。それは私がイギリス人であり、イギリスのために心底戦ってきたことを皆さんがご存じだったからだではないでしょうか。
 私は思います。国同士が競うことは決して悪いことではない。ただ、戦争という行為がいけないのではないかと。では、国同士が平和に競い合うことはできないものでしょうか?
 これはできます。第二次大戦前にはそういったことが、数々レースというかたちで行われていました。
 そこで、私は考えました。現代にこのレースを再現することはできないものかと。現在、敗戦国は航空技術の発展を止められ、新しい航空機を製作する事すら許されていません。かの戦争のことを考えるとこれはしかたのないことでしょう。では、今後、発展する可能性の少ないレシプロ小型水上機の分野で競ってみてはどうでしょう。
 戦前に、水上機のみで競われたレースがありました。そう、あのシュナイダー・トロフィー・レースです。綴りは違いまずが、偶然にも私もシュナイダーです。そして、さらに偶然にもシュナイダー・トロフィーそのものも現在このイギリスにあります。シュナイダー・トロフィー・レースの創始者、ジャック・シュナイダーはフランス人でしたが、戦争が終わった今、そして2度とあのような戦争が起こらないことを祈りつつ、今度は、ドイツ人とイギリス人の血を引くシュナイダーが平和の橋渡しを行いたいと思います。
 そして私は、ここに新しいシュナイダー・トロフィー・レース開催を要請いたします!」
 この演説が終わった瞬間、場内は先ほどに数倍する、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。そしてそれは、シュナイダー大尉が退場してしばらくも鳴りやむことがなかった。

 イギリス政府は、この提案を一も二もなく承認。イギリス海軍と空軍、およびイギリス国内の各航空機メーカーも協力を約束した。そして、このことは世界各国に通達され、大きな賞賛で受け取られ、レースの開催も1947年10月にイギリスということに決まったのであった。
 敗戦に打ちひしがれていたドイツ、日本、イタリアの各国には、とりわけ大きな賞賛を以て受け入れられ、3カ国は直ちに参加の意を表明した。他に、フランス、アメリカ、ソ連、など多くの国が参加を表明し、むしろ、戦前行われていた本家本元のシュナイダー・トロフィー・レースよりも多くの国の機体が集うこととなったのである。