三式戦闘機V型改“津 波”−Tunami−






川崎 三式戦闘機V型改”津波”

全長――――11.2m

全幅ー―――8.95m

全高ー―――4.31m

自重ー―――3.250kg

発動機―――Jumo213改(水メタノ−ル噴射)/2540馬力

「片岡さん、片岡載三郎さんじゃないか。俺だよ、大和田だよ。」そう声をかけられたのは、戦争が終わって、生きるのに必死だった1946年、春だった。その日の夕暮、いつもの様にその日かせいだ日銭で闇市の安酒屋の前でおでんをつつきながら焼酎を立ち呑んでいた。その男は闇市の人ごみを掻き分けながら人懐こい笑顔で俺に近ずいてきた。「懐かしいなぁ、いつ以来だったかな。」男は右手をさしだした。おれもその男の右手を強く握り返しながら言った。「ああ、本当に懐かしいよ、大和田さん。最後に会ったのは20年の各務原だったかな。」男は丸眼鏡の奥の細い目をさらに細めながら言った。「そうだ、キ−100の試飛が終わった後だっけ。あの時は、あんたに呑みつぶされたんだ。」俺は細身の胴体に不釣り合いな空冷発動機を付けた、その飛行機を思い出しながら言った。「そうだったな、キ−100の試飛の後か、大和田さん五式戦は強かったな。」大和田は安飲み屋のドブロクを呷りながら答えた。「ああ、しかしキ−61はもっと強くて、速くて、美しかったじゃないか。片岡さん昭和16年12月12日を覚えているかい。」俺は少しムッとしながら答えた。「忘れるものかい、キ−61を始めて飛ばした日じゃないか。」大和田は少し思案してから、子供が悪巧みをした時の顔をしながらこう言った。「片岡さん、また昔みたいにキ−61を飛ばしてみたくないかい。」その時、俺は冗談を言っているのだと思った。いまだに日本の空を飛んでいるのはP−51かグラマンだし、依然飛行禁止令がでているはずだ。それを日本機であるキ−61で飛ぶなどと…。「ハハハッ、飛べるものなら飛びたいさ。」を俺は笑いながら言った。大和田は目を輝かせながらこういった。「そうか、飛んでくれるか!実はな、俺達今、飛行機を造っているんだよ。」大和田はさらに話を続け、詳しく聞くと、大和田達は来年英国で開催される”シュナイダ−カップ”に出場するのだといった。資金については驚くべき事にGHQから援助金がでているとゆう、機体は明野にあったキ−61U改の機体をベ−スに、徹底的に軽量化と垂直尾翼と主翼を切りつめ、冷却器にはキ−64用の翼面蒸気冷却器を主翼内に装備した。発動機には陸軍が研究資料としてドイツより輸入したJumo213に水メタノ−ル噴射装置と低空用過吸気を追加した改造型を搭載し、プロペラには二重反転6翔を採用した。主フロ−トは新規作成し、補助フロ−トには海軍の水上戦闘機”強風”から流用した。機体の設計は、懐かしい川崎の設計者があつまった。大和田技師をはじめ、キ−60の堅吉技師、そして復員してから実家でアル中になっていたキ−61の産みの親土井武夫技師がいるとゆう。そして、キ−61のテストパイロットだった俺がそろったのだ。本当にもう一度キ−61にのれるのだ。あの流麗な美しい機体に…。

−アトガキ−

どうも、毎度お馴染みゲルググです。シュナイダ− 三作目の投稿とあいなりました.。m(@@)m本当は四作目に考えていた機体なんですけど〜、三作目になる予定だった、ドルニエ社製の串型四発機が、重量過大、航続距離不足、冷却不足、強度不足etc,etc,問題だらけで暗礁にのりあげちゃいましたので、先に本機を投稿して皆様のご機嫌をうかがおうとゆうしだいです。(笑)

デザイン的には先の”アドリア海の花束”号と同じ、実機改造の液冷単フロ−ト機であります。フロ−ト支柱の構造まで同じデス…。 「おいおい、ゲルググまたかよ〜。」とゆうような声が聞こえてきそうですが…(笑)名前については”飛燕”ベ−スで色々考えた結果、「レ−サ−だし”TUNAMI”でいいや。」ちゅうことになりました〜〜(^=^)

は〜〜串型四発機がんばろ〜〜…陸攻もがんばらなきゃ…… それでは、ゲルググでした〜

清酒 ”瑞泉”を呑みながら〜