米海軍機アイコン | 解説協力:和来名春さん . 舞沙Pさん . 人見 忍さん . ささきさん . 群馬帝国空軍工廠さん. 巣田@うぐぅさん . 中村さん . J1N1-Saさん . F4Fさん . |
 (2003/1/27更新) | カーチス F6C-3- カーチスが陸軍向けに開発した P-1「ホーク」を海軍向けに改修した機体が F6C である。F6C-3 はカーチス V-1150 液冷 12 気筒 435hp を搭載した初期生産型で、35 機が量産された。最高速度 248Km/h、航続距離 565Km、武装 7.62mm 機銃 x 2。
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 (2005/9/07更新) | ベル XFL-1 エアラボニタ(Airabonita)- 1938 年、次世代高速艦戦を求める米海軍の要望に応え社内呼称 Model5 として開発された機体。基本設計は P-39 に基づいているが着陸装置は尾輪式に変更され、胴体は僅かに細く・短くなって背の高いキャノピーを装備、翼幅を 30cm 延長して主翼面積が拡大され、主翼下面に素通し式のラジエター/オイルクーラーを装備するなど相違点は多く、基本的には「よく似ている別の機体」である。
試作機は 1940 年 5 月に完成したが自重は予定値を 400Kg も上回っており、また前脚撤去・武装変更による重心後退対策の設計見積もりが甘く、機首に 150Kg ものバラストを積まなければ致命的安定性不良を起こすという有様で、はっきり言って欠陥機の失敗作であり試作一機にとどまった。 アリソン V-1710-6 液冷 12 気筒 1150hp x 1、最高速度 547Km/h、航続距離 1725Km、武装 12.7mm 機銃 x 1 + 7.62mm 機銃 x 2。 |
 (2003/5/17更新) | ブリュースターF2A バッファロー (Brewstar F2A Buffalo)- 1935年の米海軍の艦上戦闘機の要求に対する新興ブリュースター社の提案。老舗グラマンが旧態依然な複葉機などを提案しているのを尻目に最新型の全金属単葉機で受注を掻っ攫うも、グラマン社の巻き返しに遭いF4Fに主力艦上戦闘機の座を追われる。その後は海兵隊等で使用されたほかフィンランド、英国、オランダ領東インドなどに輸出され、太平洋戦線でも日本陸海軍機と交戦している。アイコンは主機をライトR-1820-40(1,200HP)に換装して機首がちょっとだけ長くなったF2A-2。
最高速度:515km/h、航続距離:1,550km、武装:12.7mm×4 |
 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン FF-1 Fifi- 米海軍初の引込脚戦闘機。ボーイング F4B-1 を引込脚式に改造できるかどうか軍から尋ねられたグラマン社が、独自の艦上複座引込脚戦闘機を提案し、開発されたものがこれである。当時最新の密閉式コクピットを採用している。ライト R-1820-78 750hp を装備。初飛行 1931 年。最高速度 323km/h。索敵型の SF-1 も作られた。
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 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F2F-1- FF を小型化した単座艦戦。ずんぐりむっくりで、「飛ぶ樽」とも呼ばれた。P&W R-1535-72 650hp 装備で最高速度 372km/h。初飛行 1933 年。
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 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F3F-2- F2F の発展型。米海軍最後の複葉艦上戦闘機である。海兵隊でも使用された。初飛行 1935 年。F3F-2 はライト R-1820-22 850hp を装備。最高速度 410km/h。
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 (2003/1/6更新) | F4F-3 ワイルドキャット- F4F-3 は二段過給器つき P&W R-1830-76 1200hp を搭載した初期生産型で、主翼の折り畳み機構は装備されていない。エンジンを R-1830-90 に換装した F4F-3A、写真偵察型の F4F-3P、フロートを付けた水上型 F4F-3S(試作1機のみ) などの派生型がある。武装 12.7mm 機銃 x 4、最高速度 531Km/h、航続距離 1400Km、生産機数 285 機(うち -3A が 95 機)。なお -3A のうち 30 機はマートレット Mk.Ⅲの名で英国に送られた。
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 (2004/10/17更新) (2005/3/14更新) (2005/6/23更新) | グラマン F4F-4 ワイルドキャット- 主翼を折り畳み式にし、機銃を6挺に増やす等したグラマン社の後期量産型F4F。
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 (2004/10/17更新) (2005/3/14更新) (2005/6/23更新) | ジェネラルモーターズ FM-2 ワイルドキャット- ワイルドキャット最多にして最終生産型。ジェネラルモーターズ社のイースタン航空機部門で製造された。大戦後半、護衛空母に搭載されて活躍。
エンジンは一段二速過給器を持つライト R-1820-56 空冷 9 気筒 1350hp に換装されており、背の高い垂直尾翼を装備していることが外見上の特徴 |
 (2004/10/17更新) (2005/3/14更新) (2005/6/23更新) | グラマン F4F-3S ワイルドキャットフィッシュ- エド社によって改造されたワイルドキャットの水上戦闘機試作型。双フロート式。最高速度 428km/h。百機生産の計画もあったが、結局量産されなかった。
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 (2002/9/19更新) | チャンス・ボ-ト F4U-1- 御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機
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 (2002/9/19更新) | チャンス・ボ-ト F4U-1A- 御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機
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 (2002/9/25更新) | チャンス・ボ-ト F4U-1D- 御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機
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 (2002/10/13更新) | チャンス・ボ-ト XF4U-3B- F4U-1Aを改造して試作された試作高高度戦闘機で下部の顎に排気タ-ビンが入っている。
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 (2002/10/13更新) | チャンス・ボ-ト XF4U-4- XF4U-4二重反転プロペラ装備型はF4U-4の試作型にエアロプロダクツ製六枚二重反転プロペラを取り付けた試作型で1945年6月6日~8月22日までテストが行なわれた結果、二重反転プロペラに拠る震動の問題の他、性能そのものも通常型コルセアに劣ると言う散々な結果であったと言われている。
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 (2002/9/25更新) | チャンス・ボ-ト F4U-4- 機首が若干延長され、エンジンカウル/カウルフラップの若干の形状変更、排気管位置の変更 等が実施されている。
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 (2002/9/29更新) | チャンス・ボ-ト F4U-5- コルセア シリ-ズの中では一番全長が長い(10.52m)
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 (2002/10/13更新) | グッドイヤ- XF2G-1- 日本機の攻撃(カミカゼ攻撃 等)から艦隊を防衛すると言うコンセプトの元にグッドイヤ-社で試作された低空専用迎撃機。
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 (2002/10/13更新) | グッドイヤ- F2G-2- XF2G-1の方向安定性対策の為に垂直尾翼を30.5cm延長 等の改修を施した型。ちなみに、このF2G-2は5機生産されたのみである。
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 (2003/3/14更新) (2003/8/16更新) | グラマンXF5F試作戦闘機 (1940)- 軍港や艦隊に対する長距離爆撃を迎え撃つための大上昇力・重武装の防空戦闘機として、主力戦闘機たるXF4U、XF6Fと平行して開発された双発単座艦上戦闘機。R-2600、R-2800両エンジンの開発失敗・遅延に対する保険の意味もあって1200馬力級R-1820の双発とされた。しかし、R-2800が搭載機ともども順調に完成したうえ、本機自身が重量超過、防漏化できないインテグラルタンク一体の主翼構造、搭載予定のデンマーク製マドセン23mm機関砲の入手不能などの問題を抱えてしまったため、開発は中止された。
しかし、機首集中武装、エンジンに邪魔されない前下方視界、全力飛行時の直進安定性の高さといった点は評価され、陸軍型XP-50を経て、そのコンセプトはF7Fタイガーキャットに結実する。 アイコンは初期飛行試験における状態で、フィレットのない主翼と集合排気管が特徴。 |
 (2002/8/31更新) (2003/1/22更新) | グラマン F6F ヘルキャット(Hellcat)- 米海軍期待の新鋭艦戦ボート F4U が初飛行から一年以上もトラブル続きで実用化が遅れたため、中継ぎとして 1941 年 6 月に発注された機体。グラマンは堅実極まりない設計でこれに応え、早くも一年後には試作機の初飛行に漕ぎつけ 42 年暮れには量産型 F6F-3 の生産を開始、44 年までに 4402 機を量産。各部を強化しエンジンをパワーアップした F6F-5 は 44 年 4 月から終戦までに 7868 機が生産され、米海軍空母戦闘機隊の屋台骨として大活躍した。F6F は極めて頑丈で火力と防御力に優れるうえ、31m² という大きな主翼により米軍戦闘機としては飛び抜けて旋回性能に優れており、低速巴戦に引き込まれない限り零戦との挌闘戦でも引けを取らなかったという。F6F-3 の仕様は P&W R-2800-10 空冷星型 18 気筒 2000hp、最高速度 597Km/h、航続距離 2400Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾最大 1t。
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 (2002/10/14更新) | グラマン F7F タイガーキャット(Tigercat)- 大火力・高上昇力を持つ艦隊防衛戦闘機として 1941 年 6 月に発注された機体で、形状こそ大きく異なるが試作に終わった F5F スカイロケットのアイデアを踏襲したものである。試作機は 43 年 12 月に初飛行したが、海軍は既存の F6F や TBF の量産を優先事項としたため量産機の引き渡しは 45 年春にずれ込み、実戦を経験する前に終戦となり生産数は 361 機にとどまった。第二次大戦では実戦を経験せずじまいだったが、朝鮮戦争では夜戦型の F7F-3N および偵察型の F7F-3P がある程度の活躍を見せている。F7F-3 の仕様は P&W R-2800-34W 空冷星型 18 気筒 2100hp x 2、最高速度 700Km/h、航続距離 1931Km、武装 20mm 機銃 x 4 + 12.7mm 機銃 x 4、爆弾最大 1t または魚雷 x 1。
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 (2002/9/5更新) | グラマン F8F-1 ベアキャット(Bearcat)- Fw190 や零戦など敵国機の研究成果を取り入れて開発された機体で、護衛空母からも作戦可能な小型軽量で高性能な戦闘機を得ることを目的としていた。1943 年 11 月に発注、初飛行は 44 年 8 月。45 年 5 月から実戦配備されたが、戦闘を経験することなく終戦を迎えた。戦後余剰となった機体はフランスに供与され仏印紛争で対地攻撃に投入されたが、爆弾搭載量が少なく被弾に弱いなどあまり評判は芳しくなかったという。F8F-2 の仕様は P&W R-2800-34W 2100hp、最高速度 719Km/h、航続距離 1778Km、武装 20mm 機銃 x 4。総生産数 1266 機。
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 (2002/9/13更新) | ボーイング XF8B- 機動部隊の攻撃力を飛躍的に向上させる重武装の長距離戦闘爆撃機として 1941 年 6 月に発注された機体。当時最強のレシプロエンジン R-4360 を搭載した大型(レシプロ単発単座戦闘機としては世界最大)の単発機で、爆弾 3t または魚雷 2 本という凄まじい量の攻撃兵装を搭載し 1600Km 以上の行動半径が要求されていた。しかしボーイングは B-29 の開発生産に注力したため XF8B の開発は遅れ、試作機は 44 年 11 月に初飛行したが既に戦争の先行きは見えており試作 3 機でキャンセルされた。P&W R-4360-10 空冷星型 28 気筒 3000hp、最高速度 695Km/h、航続距離最大 4473Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾 3t または魚雷 2 本。
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 (2002/11/29更新) | カーチス XF15C- ライアン FR ファイヤボールと同じ要求仕様に応えて作られたカーチス最後の艦戦だが、FR とは似ても似つかない異形の大型機となった。機体のどこを見ても、間違った前提に基づいて一生懸命真面目に取り組んだ形跡が見られるのが可笑しくも哀しい。機首には複列 18 気筒 2100hp の P&W R-2800 に露骨なダウンスラストを付け、胴体下部にはアリソン J36 ジェットエンジンを搭載し、尾翼はジェット排気流を避けて細長いブーム状の後部胴体に取り付けられている。しかし試作1号機ではブーム基部の水平安定板がジェット排気流に煽られて激しい振動を発生し、水平安定板は垂直安定板上のT型に改められた。20mm 機銃4挺を装備する主翼の上反角は異様なほど強く、尾部ブーム上には XP-62 以来カーチスの持病となっただらしないドーサルフィンが伸びているが、これでも安定性不足でブーム下部にも細長いベントラルフィンが追加された。最高速度だけは FR より速い 754Km/h を記録したが、他は問題だらけの欠陥機であり試作3機に終わった。
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 (2002/11/29更新) | ライアン FR-1 ファイヤボール(Fireball)- 初期ジェットエンジンの推力不足は、短い空母甲板上からのジェット機の発進を非常に困難にしていた。着々とジェット機開発を推進する陸軍に対し焦った海軍は 1943 年にジェット/レシプロ混合動力戦闘機を発注、ライアン社がこれに応えて設計した機体が FR-1 である。機首にライト R-1820 9 気筒 1350hp、胴体内にジェネラルエレクトリック I-16 ジェットエンジンを搭載(燃料は 1820 と共用のガソリン仕様)、三輪式降着装置を採用。練習機のような機首、妙に切り立った背の高い風防、どうも冴えない丸翼端などあまり高性能機には見えないが、米海軍機として始めて層流翼を採用し、機体全面に沈頭鋲を使用し全舵面を金属化するなど細かいところでは凝っている。しかし最高速度 692Km/h は高性能レシプロ機に比べて大したことはない割に航続距離は短く、12.7mm 機銃×4の武装は貧弱、しかも沈頭鋲の工作に問題があって荷重を伴う機動を行うと機体の疲労が著しく進行するという欠陥機であり、約2年という短期間で退役した。生産機数は 66 機。
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 (2002/11/29更新) | ライアン XF2R-1 ダークシャーク(Dark Shark)- FR-1 の発展型として 1700hp の GE XT31 ターボプロップを搭載した機体。機首前方と垂直尾翼前方に取って付けたようなヒレが増設されている以外、機体はほとんど FR-1 そのままである。XF2R-1 は最高速度 805Km/h を発揮し、更に多くの改良を施した戦闘爆撃機型 XF2R-2 が計画されたが、モックアップ段階で計画キャンセルされた。XF2R-1 は生産機数1機のみ。
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 (2002/11/29更新) | ノースアメリカン FJ-1 フューリー(Fury)- 1946 年に初飛行した米海軍初の単発ジェット艦戦で、F-86 の母体となった機体。あえて冒険を避け直線翼を採用したため、機体には各所に P-51 と共通するラインが見られる。第一ロット生産 100 機が予定されていたが、より高性能なグラマン F9F の実用化によって 30 機に削減され、生産された FJ-1 は空母ボックス・カーの VF-5A 飛行隊で短期間使用されたにとどまった。エンジンはアリソン J35、武装は 12.7mm 機銃×6、最高速度 880Km/h。
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 (2002/11/13更新) | ノースアメリカン FJ-4 フューリー(Fury)- もともと米海軍のジェット艦戦 FJ フューリーを発展させた機体が空軍の F-86 セイバーだったが、今度は F-86E をベースに作られた「出戻り艦戦」が FJ-2 フューリーである。FJ-2 が 200 機、エンジンを J65 に換装した FJ-3 が 389 機生産された。最終生産型 FJ-4 は胴体燃料タンクを増積したため胴体が太くなり、弦長の長い主翼と水平尾翼・背の高い垂直尾翼など全面的に再設計されており F-86 の面影は殆ど残っていない。374 機生産された FJ-4 のうち 222 機は空対空ミサイル搭載能力を持つ FJ-4B である。FJ-4B の最高速度は 1094Km/h、武装は 20mm 機関砲×4+ブルパップ AAM×6(または対地兵装)。
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 (2002/8/31更新) (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F9F-5 パンサー(Panther)- 1946 年にグラマンで自主企画された機体で、数度のエンジン変遷を経て R&R ネーン(Nene)のライセンス生産型 P&W J42( 推力 2600Kg) を搭載する F9F-2 として 47 年 11 月に完成、425 機が量産された。-5 は R&R テイ(Tay 推力)のライセンス型 J48(推力 2800Kg)に換装したタイプで、胴体延長・垂直尾翼延長など外形も少し変更されている。朝鮮戦争では空母バレー・フォージ(Valley Forge)の CAG-5 所属の F9F-2 が主として対地支援攻撃に活躍し、MiG-15 撃墜の戦果も挙げている。F9F-5 は最高速度 932Km/h、航続距離 2092Km、武装 Mk12 20mm 機銃 x 4、爆弾・ロケット弾など約 4t。量産数 641(-5P 写真偵察型も含む)。
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 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F9F-8 クーガー(Couger)- パンサーを後退翼化したものが F9F-6/-7/-8 クーガーである。F9F-8 は、主翼と胴体を大型化し、速度・航続性能をアップさせ、ダイブ時に音速突破が可能となっている。なお、1962年に F9F-8 は F-9J と改称。多くが核爆弾搭載能力のある F9F-8B(AF-9J)に改造され、ドローン管制機や標的機になったものもある。偵察型や練習機型も含め、クーガーは各型合わせて 1985 機生産された。
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 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F9F-8P クーガー- F9F-8 の偵察型。機首を延長して、3台~7台のカメラを搭載。62年に RF-9J と改称。
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 (2005/3/30更新) (2005/6/23更新) | グラマン F9F-8T クーガー- F9F-8 の複座練習機型。T-33B の後継として採用された高等練習機である。400 機生産。62年に TF-9J と改称。
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