米 陸/空軍機アイコン解説協力:和来名春さん    .
     舞沙Pさん      .
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     J1N1-Saさん      .

(2005/10/27更新)
ボーイング P-26 ピーシューター(Peashooter)
 当時最新の『モノメイル』単発高速郵便機(1930)の技術を軍用機にも応用すべく開発された米国初の全金属製単葉戦闘機。大恐慌後の緊縮財政下での計画だったため、試作時にはボーイング社の自社開発に陸軍からエンジン、プロペラ、計器等を貸し出す体裁がとられた。
 胴体・翼ともに全面的に沈頭鋲を採用した全金属製モノコック/応力外皮構造であるが、速度性能重視の薄翼に強度をもたせるため、片持式主翼・引込脚とはせず、胴体と主脚固定部から張線で主翼を支える方式となった。飛行試験においては着陸速度の速さや急降下時の加速過大、地上姿勢での前方視界の悪さなどが指摘されたものの、高速と強固な構造は高く評価され、陸軍戦闘機戦力の近代化に必要な機材だとして制式採用された。量産機数は、米陸軍向けP-26A〜Cが136機と輸出型モデル281が12機。
 生産当初から本格的単葉戦闘機(P-35・P-36)の実用化までのつなぎと位置付けられたこともあり、同社製主力戦闘機P-12の後継機となるほどの数が配備されることはなく、また、米軍機としては事実上実戦に参加することはなかったが、フィリピンや中国国民党政府に供与された機体が対日戦で陸攻の迎撃等に活躍しており、グアテマラでは1950年代前半まで現役にあったとされるなど、実用性の高い機体であった。
 アイコンは、第20追撃航空群所属機。第95追撃航空群から移譲された機材なので、尾翼に「95」の数字が残されている。

(2002/11/29更新)
カーチス P-36A ホーク(Hawk)
低翼単葉、全金属モノコック構造、完全引き込み脚、R-1830 二重星型 14 気筒 1050hp エンジンなど、カーチスが 1935 年当時の先進技術を結集して製作した戦闘機。米陸軍で約 200 機が使用され、輸出型(Hawk75 または Mohawk と呼ばれる)を含めると合計約 1000 機が生産された当時のベストセラー。P-36A は 177 機作られた米軍向け主力生産型で、真珠湾では日本軍を迎撃し戦果を挙げてもいる。最高速度 500Km/h、武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺。

(2002/11/29更新)
カーチス YP-37
P-36 をベースに新鋭アリソン V-1710-11 液冷 V12 気筒エンジン(排気タービン付き) 1150hp を搭載した高々度高速戦闘機。排気タービン搭載のため機首が延長され、更に防火壁後方の胴体内にラジエターを埋め込んだためコクピットが著しく後退し、地上視界・前下方向視界は最悪となった。高度 6000m で速度 547Km/h を記録したものの、戦闘機としては問題が多く試作に終わった。武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺、生産機数は XP-37 1 機+YP-37 13 機。

(2006/01/17更新)
ロッキード P-38G ライトニング(Lightning)
 400mph(643Km/h)を超える高々度高速戦闘機 Model608 として自社開発され、1937 年に次世代戦闘機を求める陸軍に提出され採用された機体。排気タービンつきアリソン V-1710 エンジンを双ブームの独特な胴体に搭載、左右のプロペラは外回りに逆回転する。1939 年に初飛行した XP-38 は高度 2 万フィート(6096m) で目標を上回る 413mph(665Km/h)の速度を発揮、同時期に試作されていたベル XP-39 を差し置いて高速戦闘機の本命となった。欧州戦線では 1942 年秋から実戦に参加し、独特の外形のためドイツ軍から Gabelschwanz Teufel(尻尾の割れた悪魔)の渾名を頂戴した。
 G 型は初期ライトニングの主要生産型(偵察型 F-5A を含め 1082 機)。J 型以降との違いはスピナー下部の「アゴ」が無いことで、機首下面の小型インテイクはオイルクーラー、インタークーラーは主翼前縁を利用した表面冷却となっている。E, F, G, H 型はエンジンや艤装品が若干異なるだけで、外形的な違いは殆どない。アリソン V-1710-51/55 液冷 V 型 12 気筒 1325hp x 2、最高速度 643Km/h、航続距離 2816Km(増槽使用)、武装 12.7mm 機銃 x 4 + 20mm 機銃 x 1、爆弾最大 500Kg x 2。

(2006/01/17更新)
ロッキード P-38J ライトニング(Lightning)
 H 型までの初期型ライトニングは吸気冷却能力が不足し、カタログ通りのエンジン出力が出せない問題があった。J 型は吸気レイアウトを全面的に改定したモデルで、スピナー直下に「アゴ」上のインテイクを設けオイルクーラー・インタークーラーが配置されている。エンジンは H 型と同じ 1710-89/91 であるが、吸気冷却効率改良によるパワー向上は有害抵抗増加を上回り、J 型はシリーズ中最高速のモデルとなった。また遷音速時の操縦困難対策であるダイブ・リカバリー・フラップが装備され、生産型の途中(J-25 モデル)からはジェット機なみの油圧エルロンブーストも導入、300mph(480K/mh)を超える高速域では米軍機中最高のロール性能を有した。
 左右逆転プロペラに加え、これら各種の小道具を持った P-38 は他のレシプロ戦闘機と異質な運動性を持ち、相手の得意領域に引き込まれなければ大したことはないが、一旦そうなると殆ど手も足も出ず翻弄されるという、対戦する枢軸機にとっては厄介な特性を持っていた。太平洋戦線では当初日本機相手に巴戦を挑んで被害を重ね「ペロハチ」「メザシ」などの渾名で呼ばれたが、米軍側が機材の特性差を覚え一撃離脱に徹するようになると日本側の被害は急増した。Richard "Dick" Bong(40 機), Thomas McGuire(38 機)など太平洋戦線の米陸軍トップエースの愛機として活躍したほか、山本長官機を待ち伏せ撃墜したのも P-38(F/G 型)であり、日本人にとっては B-29, F6F とならび忘れがたい機種となっている。
 アリソン V-1710-89/91 液冷 V 型 12 気筒 1425hp x 2、最高速度 675Km/h、航続距離 3637Km(増槽使用)、武装 12.7mm 機銃 x 4 + 20mm 機銃 x 1、爆弾最大 800Kg x 2 または 5 インチロケット弾 x 10。アイコンはチノのプレーンズ・オブ・フェーム博物館が所有するシリアル 44-23314、民間登録 NX138AM の "Joltin' Josie" 号機。

(2006/02/02更新)
ロッキード P-38J Richard Bong 少佐機(42-103993 "Marge")
 40 機撃墜の米陸軍 No.1 エース、第五空軍 49 戦隊 9 中隊(9th FS/49th FG/5th AF)所属ディック・ボング少佐(Major Richard Ira "Dick" Bong)の愛機。高名なエースの損失による士気低下を懸念した軍は、1944 年にボング少佐の前線任務を解き、米国内でテストパイロット任務に就くことを命じた。しかし皮肉なことに、この人事が少佐の運命を決定づけることになってしまう。1945 年 8 月 6 日、テスト中のロッキード P-80 ジェット戦闘機は離陸直後のフレームアウトを起こして墜落、少佐は終戦を目前に殉職した。

(2006/02/02更新)
ロッキード P-38L Thomas McGuire 少佐機(44-24155 "Pudgy V")
38 機撃墜の米陸軍 No.2 エース、第五空軍 475 戦隊 431 中隊(475th FS/431st FG/5th AF)所属トミー・マクガイア少佐(Major Thomas Buchanan "Tommy" McGuire Jr)の愛機。マクガイア少佐は 1945 年 1 月 7 日、不調の No.131 Pudgy V に代えて No.112 号を借りフィリピン・ネグロス島での航空掃討作戦に出撃したが、低空の一式戦を相手に増槽を付けたまま空戦に突入するミスを犯して苦戦。乱戦に飛び込んだ四式戦が僚機の背後に回るのを見た少佐は、援護に入ろうと無理な旋回を試み、失速墜落して戦死した。

(2002/11/12更新)
(2005/6/12更新)
Bell P-39D エアラコブラ(Airacobra)
1937 年に米陸軍が応募した高々度戦術戦闘機案に対し、ベル社が自主開発していた「機関砲と排気タービンを備える重単発戦闘機」Model4 を応募した機体。しかし開発途上で軍は方針を変更し、排気タービンを外し低空用戦闘機として採用された。P-39 は頑丈で離着陸が容易とも評価されたが、短い航続距離・劣悪な高々度性能・凶悪なスピン特性など多くのパイロットからは嫌われたという。D 型は初期量産型で V-1710-35 1150hp, 最高速度 579Km/h, 航続距離 965Km。武装 M4 37mm 砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 2(機首), 7.62mm 機銃 x 4(主翼)。生産数約 554 機(P-39 全体で 9584 機)。

(2002/11/12更新)
(2005/6/12更新)
Bell TP-39
P-39 の機首武装を撤廃し教官席を設けた複座練習機型。

(2002/9/10更新)
Curtiss P-40C
1941 年の初期生産型で、フライング・タイガースの主力使用機体。機首形状がのちのタイプと大きく異なる。

(2002/11/12更新)
Curtiss P-40E
1942 年の中期主力生産型。機首武装を全廃し主翼に 12.7mm×6 を装備した。

(2002/11/12更新)
Curtiss P-40N
1943 年に登場した後期主力生産型。機体重量を大幅に軽量化した割に性能は大して向上しなかった。

(2002/11/12更新)
Curtiss XP-40Q
1944 年に3機が試作された P-40 最後の改良型。二段過給エンジンを搭載、ラジエターを翼内埋め込みに改め、水滴風防を装備。最高速度 679Km/h を記録したが時既に遅く、量産されなかった。

(2002/11/12更新)
Curtiss TP-40
P-40N のコクピット後部に教官席を設けた複座練習機型。

(2002/11/29更新)
カーチス XP-42
P-36 の性能向上案として1機だけ試作された機体。延長軸つきエンジンを搭載、カウリング前面を絞って大直径のスピナーを付け、カウリング下部の小さなインテイクから冷却気を取り込むことで空気抵抗削減を狙った。最高速度は 553Km/h に向上したもののエンジン過熱を解決できず、のち通常カウリングに戻された。武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺を予定していたが、試作機には装備されていない。

(2002/11/3更新)
リパブリック P-47B
P-47Bはサンダ−ボルト シリ−ズの初の量産型でありますが、専ら国内で練習用として使用された

(2002/11/3更新)
リパブリック P-47C
C型はB型を改良された結果B型より機首が伸びて全長が11mになってます。

(2002/11/3更新)
リパブリック P-47D
C型の改良型のD型はサンダ−ボルト シリ−ズの中では最も生産されたタイプであります。外観的にはD型には「レザ−バッグ風防型」「水滴風防型」垂直尾翼に背鰭を追加した「背鰭付き型」がありますが、これは、そのうちの「レザ−バッグ風防型」であります。

(2002/11/17更新)
リパブリック P-47D (水滴風防型)

(2002/11/17更新)
リパブリック P-47D (背鰭付型)
垂直尾翼に背鰭を追加した「背鰭付き型」

(2002/11/18更新)
リパブリック P-47H

(2002/11/17更新)
リパブリック P-47N
N型は、対日戦を意識して航続距離を伸す改良を施された型で、他にも翼端形状の変更、大型かした垂直尾翼の背鰭の装着等の改良点が上げられます。

(2002/11/12更新)
ノースアメリカン P-51B MUSTANG
エンジンをパッカード・マーリンに換装した性能向上型。

(2002/11/12更新)
ノースアメリカン P-51D MUSTANG
水滴風防を装備し、主翼機銃を 12.7mm×6 に強化した改良型。

(2002/9/7更新)
ノースアメリカン P-51H MUSTANG
量産されるも第二次大戦には間に合わなかった。

(2005/11/21更新)
ダグラス A-20G ハボック(Havoc)
原型は 1939 年に輸出用軽爆 DB-7 として自主開発された機体で、いわゆる高速軽爆万能思想の落とし子である。A-20G は 2850 機が作られた最多生産型で、爆撃手席を廃し固定機銃を装備した襲撃機仕様。低空での軽快な運動性を活かし、対地支援・船舶攻撃などの任務に活躍した。ライト R-2600-23 空冷星型 14 気筒 1600hp x 2、最高速度 545Km/h、航続距離 1650Km(標準武装時)、武装 12.7mm 固定機銃 x 6、12.7mm 旋回機銃 x 3、爆弾 1000Kg。

(2005/10/27更新)
ダグラス A-26 インベーダー(Invader)

(2008/03/08更新)
ダグラス A-26 インベーダー(Invader)

(2008/03/08更新)
ダグラス A-26 インベーダー(Invader)

(2002/11/12更新)
A-36A
P-51A をベースに急降下ブレーキと爆弾投下器を付加した対地攻撃型。

(2002/12/1更新)
パイパー PA-48 エンフォーサー(Enforcer)
AT-6 や T-28D に代わる安価な輸出用対地攻撃機として 1984 年に設計された機体。ライカミング T-55 2450hp ターボプロップを搭載、固定武装は持たず主翼左右 10 個所のハードポイントに各種爆弾・ロケット弾・ガンポッドを搭載する。P-51 の設計がベースになっているが、根本的に改設計されており部品の互換性は 10% 未満しかない。結局買い手がつかず試作一機に終わった。最高速度 648Km/h、航続距離 1500Km。

(2002/11/3更新)
Northrop XP-56 Black Bullet
1940 年、米軍期待の新型エンジン P&W X-1800 を搭載する新戦闘機開発計画「R-40C」に沿って開発されたゲテモノ三兄弟の一機。
R-40C は開発途中で肝心の X-1800 が挫折しそれぞれに代替エンジンを選択したが、XP-56 は空冷 R-2800(二重反転推進式) を積んだため食用ガエルのように膨れてしまった。
XP-56 は深刻な安定性不足と悪性スピンに悩み、最後まで解決できず没となった。
アイコンはヨクたん形状を改修し尾翼面積を拡大した二号機の姿。

(2002/10/27更新)
BELL P-59 Airacomet
アメリカ初のジェット戦闘機。
特に速いレシプロ機に速度で劣り、運動性等も良くなかったが、一応ジェット機なので、ジェット機取り扱い用の訓練機として使用された。
全幅13.87m 全長11.84m 全高3.66m 自重3,606kg 全備重量4,909kg 最大速度665km/h 航続距離885km 武装37mm*1 12.7mm*3 爆弾907kg

(2002/9/18更新)
カ−チス XP-60
数機製作された試作戦闘機

(2002/9/18更新)
カ−チス XP-60A
XP-60のバリエ−ション

(2002/9/23更新)
カ−チス XP-60C
XP-60のバリエ−ション。二重反転プロペラ装備

(2002/9/23更新)
カ−チス XP-60E
XP-60のバリエ−ション

(2002/10/7更新)
カ−チス YP-60E
XP-60のバリエ−ション

(2002/8/31更新)
ノースロップ P-61 ブラックウィドウ(Blackwidow)
バトル・オブ・ブリテンの研究から高性能夜戦の必要を感じた米陸軍が 1940 年暮れに発注した機体。機首先端をレーダー室とし、胴体下面に 20mm 機銃 x 4、胴体上面に後方防御機銃を兼ねる旋回式 12.7mm 機銃 x 4 の重武装を持ち、強力な R-2800 双発によって高速・高運動性を誇ったが、少々凝りすぎた設計のため実戦デビューは 43 年暮れまで遅れ、第二次大戦ではそれほど目立った戦果は挙げられなかった。残存機の一部は写真偵察機 F-15(RF-61) レポーターに改造され朝鮮戦争で活躍している。主生産型 P-61B(450 機)の仕様は R-2800-10 2000hp x 2、最高速度 594Km/h、航続距離 3058Km、武装 20mm 機銃 x 4 + 12.7mm 機銃 x 4、SCR-720 レーダー。各型合わせた総生産数は 706 機。

(2002/10/27更新)
カ−チス XP-62
数機作られた試作機

(2002/11/12更新)
(2005/6/12更新)
Bell P-63A キングコブラ(Kingcobra)
P-39 の発展型で、レイアウトは似ているが一回り大きな新規設計機。主翼は層流翼となり、二段過給器つきアリソンエンジンを搭載している。1942 年 12 月に初飛行し性能良好と認められたものの、航続距離不足などで米軍の需要を満たすことはできず、生産された機体の過半数はレンドリース機材としてソ連へ送られた。アリソン V-1710-93 液冷 12 気筒 1325hp, 最高速度 660Km/h, 航続距離 724Km。武装 M10 37mm 機関砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 4。総生産数 3303 機。

(2005/6/12更新)
Bell P-63D キングコブラ
P-63 の性能向上型。水滴型風防、より強力なエンジン、高初速の機関砲を備え、重量増加に対し翼端を延長して翼面積を増加してある。しかし完成は 1945 年にずれ込んでしまい、既に戦争の行く末は見えており試作一機に終わった。唯一の試作機はテスト中の事故で全損してしまい、現存していない。アリソン V-1710-109 液冷 12 気筒 1425hp, 最高速度 703Km/h, 航続距離 1528Km(増槽使用時?)。武装 M9 37mm 機関砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 4。

(2005/10/27更新)
マグダネル XP-67 バット(Bat)
1940 年 7 月に新興マグダネル社が自社開発した双発単座長距離戦闘機。胴体やエンジンナセルを滑らかな曲線でつながれた翼型断面とし、主翼に埋め込んだ排気タービンつきエンジンは延長軸で左右逆回転の四翅プロペラを駆動、タービン排気も無駄にせずナセル後方に推力排気管を設けて速度を稼ぐという凝った設計だった。しかし 1944 年 1 月 6 日に初飛行した試作機は IV-1430 の不調・出力不足に悩まされ続け、9 月には空中エンジン火災を起こして不時着全焼してしまい試作1機に終わった。
コンチネンタル IV-1430 液冷倒立 V12 気筒 1350hp x 2、最高速度 764Km/h(計画) / 652Km/h(実測)、武装 37mm 機関砲 x 6(予定)。

(2003/8/18更新)
XP72

(2002/12/2更新)
Bell XP-77
アルミ等の軽金属が不足すると駄目っぽいような気がした陸軍が、木製戦闘機なんかを作ってみた機体。
震動問題や、安定性に問題がある以前に、目的からして問題があるようで、結局不採用に終わった。詳しくは"世界の駄っ作機"参照
幅8.4m 長7.0m 自重1295kg 総重量1665kg
最大速度531km/h 航続距離880km 機銃12.7mm*2 爆弾100~300*1

(2002/12/2更新)
(2003/2/10更新)
XP-79 ノースロップ社
主翼に仕込んだマグネシウム合金のブレードで敵機(の主翼など)を切り裂き撃墜する構想のもと開発された全翼機。
通常攻撃も可能なよう 12.7mm 機銃×4も搭載する予定でした。
計画時はロケット動力機(XP-79 および 79A)だったのですが、のちに要求が変更されウェスティングハウス 19B ターボジェットエンジン双発に換装されたのが XP-79B です。
'45年9月12日に初飛行、最高速度は 880Km/h を予定していましたが15 分で墜落したので当然未測定です。開発中止となった。
全長4、26m 全幅11、58m

(2002/11/12更新)
Lockheed P-80 (Shooting Star)
米軍初の制式ジェット戦闘機。1948 年以降は F-80 と呼ぶのが正しいのだが、P-80 のほうが通りが良い。
P-80A,B,C のサブタイプがあるが外見上の違いは殆どない。各型あわせ約 1700 機が生産された。

(2002/11/12更新)
Lockheed P-80R (Racey)
P-80 の高性能に喜んだ米空軍が公式速度記録の為に製作した機体。
武装を全廃し、翼端形状を変え、キャノピーを小型化し、インテイクを NACA 型半埋め込み式に変更、機体表面はパテ埋め後に灰色の塗料を塗り平滑に磨き上げてある。
1947 年 6 月 16 日に 1003.8Km/h の公式速度記録を達成した。

(2002/11/27更新)
コンベア XF-81
初期ジェットエンジンの燃費の悪さを補完すべく、1944 年に米空軍が発注した混合動力機。アリソン J33 ジェットエンジンと GE XT31 ターボプロップエンジンを混載しており、通常はターボプロップで巡航、離陸および空戦時にパワーブースターとしてジェットエンジンを使用するという考えだった。しかし XT31 の調達が遅れ 45 年 2 月の初飛行時には代わりに V-1670 マーリンを搭載(P-51 の機首を丸ごと移植したという)、12 月には待望の XT31 に換装されたがこのエンジンは期待外れで、軸出力はマーリンと大差ない 1650hp にとどまった。最高速度はターボプロップで 442Km/h、両エンジン併用時 815Km/h。この頃ジェット機の水準は既に 900Km/h を越えており、XF-81 は戦闘機として実用化の見込みなしと判断され試作2機に終わった。

(2002/12/2更新)
ベル XF-83
1944 年に試作された長距離ジェット戦闘機。基本的に P-59A エアラコメットを拡大した機体で、二基の J33 エンジンを内蔵した太い胴体に 4400 リッターの燃料を搭載、増槽未使用時 2500Km・使用時 3540Km の航続距離を実現した。しかし最大重量 12t、翼幅 16m の巨体に比してエンジンがあまりに非力であり、戦闘機としての実用性なしと判断され試作2機に終わった。最高速度 840Km/h、武装 12.7mm 機銃×6。

(2002/11/12更新)
リパブリック F-84G サンダージェット(Thunderjet)
戦後に開発された中では米空軍初の制式採用ジェット戦闘機。アリソン J35 エンジンを搭載、最高速度 998Km/h、武装は機首4挺+主翼付け根2挺の M3 12.7mm 機銃に加え各種爆弾・ロケット弾を搭載可能。各型合わせ 4439 機生産、最多生産型の F-84G は 3025 機で7割近くを占める。朝鮮戦争時には既に旧式化して MiG-15 の敵ではなく、対地攻撃機として使用された。パイロットによる非公式な渾名は Hog(猪)。

(2002/11/12更新)
リパブリック F-84F サンダーストリーク(Thunderstreak)
F-84 に後退翼を装備した発展型。試作時は YF-96 と呼ばれていた。エンジンを J65 に換装したため胴体が縦長の長円断面となり、コクピットキャノピーも変更され、主翼・垂直/水平尾翼ともほぼ 45 度近い後退翼と相まってほとんど別機の印象となった。主翼には下反角が付けられているのも特徴。武装は相変わらずの 12.7mm×6 挺、最高速度 1102Km/h、非公式な渾名は「Super Hog」。生産数は 2711 機。

(2002/11/12更新)
RF-84F サンダーフラッシュ(Thunderflash)
F-84F から派生した写真偵察型。1.2m 延長された機首に各種写真機材(前方カメラ一台、下方カメラ1台、左側方カメラ1台、広角カメラ一台)を搭載したもの。機首を写真機材スペースに割いたため空気取り入れ口が主翼付け根に移設されている。原形の F-84 と比べると大化けぶりには笑うしかない。総生産数 715 機。

(2002/11/12更新)
XF-84H サンダースクリーチ(Thunderscreech)
1950 年代、ジェット戦闘機の短い航続距離に悩んだ米空軍はターボジェットより燃費の良いターボプロップに着目し、当時入手可能な最強のターボプロップエンジンであるアリソン XT-40 を F-84(正確には RF-84F)に搭載した試作機を開発した。XF-84H と名づけられたこの機体は2機が試作され、極薄ブレードを持ち超音速回転する3翅プロペラ(直径 3.65m)を装備、その回転時の凄まじい騒音から「サンダースクリーチ」という非公式の渾名を貰った。残念ながら最高速度は未公表。エンジンとプロペラにトラブルが多発し、満足な全力飛行を行っていないのかも知れない。アイコンの FS-059 はシリアルナンバー 51-17059 の試作一号機。

(2002/11/13更新)
RF-84K FICON
ジェット機の短航続力問題に悩んだ米空軍が考えたもう一つの解答。RF-84F の機首にフックを付け、超大型爆撃機コンベア B-36 の爆弾倉に半埋め込み式ドッキング装置を設け親子飛行機として運用を試みたもの。ドッキング時に接触しないよう、RF-84K の水平尾翼には 26 度の下反角が与えられた。合計 25 機の RF-84K が製作され専用の親機 GRB-36D とのペアで部隊配備されたが、運用上の問題が多かったうえ親機 B-36 の早期退役もあり短期間に終わった。ちなみに FICON とは Fighter-Conveyer の略で、厳密には RF-84K の愛称ではなく親機 B-36 も含む計画呼称を指す。

(2002/9/8更新)
マグダネル XF-85 ゴブリン(Goblin)
航続距離 16000Km に達するコンベア B-36 を護衛すべく、その機内から発進する「寄生戦闘機」として 1945 年に発注された機体。親機 B-36 は爆弾搭載量の一部を割いて F-85 一機を搭載、また爆弾を全く積まず F-85 三機を搭載する空中母艦型も考えられていた。
48 年 8 月から B-29 を改造した母機 EB-29B を用いて空中離脱・空中回収の飛行テストが開始されたが、離脱はともかく回収は容易ではなかった。ドッキングに成功したのはたった 3 回、残りは空中衝突寸前(1 回は実際に衝突し機体の一部を破損)でドッキングを諦め不時着という惨澹たる有様で、実用不可能と結論づけられ試作2機でキャンセルされた。
全長 4.3m、全幅 6.4m(主翼折り畳み時 2.2m)、全備重量 2067Kg、ウェスティングハウス XJ-34 ターボジェット x 1、最高速度 1047Km/h(推定:フルパワーテストは実行されていない)、武装 12.7mm 機銃 x 4(試作機は非武装)、行動時間 1 時間 20 分。

(2002/11/12更新)
ノースアメリカン F-86F セイバー(Sabre)
言わずと知れた第二世代ジェット戦闘機の傑作で、米軍のみならず世界各国で採用された。もともと直線翼の艦載ジェット戦闘機 FJ フューリーを後退翼化した発展型として作られたが、その高性能に目を付けた空軍から先に発注があり F-86 として採用されたもの。F 型は 2500 機作られた最多生産型で、全動式の水平尾翼・主翼前縁スラット・エアブレーキなどの装備を持ち、優れた高速運動性を誇った。エンジンはジェネラルエレクトリック J47、最高速度 1107Km/h、武装 M3 12.7mm×6挺。A, E, F 型合わせた生産数は 3854 機。

(2002/11/16更新)
ノースアメリカン F-86D ドッグセイバー(Dog Sabre)
F-86 セイバーをベースに開発された全天候型迎撃機で、開発当初は YF-95 の名称で呼ばれていた。一見するとレドームを持つ機首形状が異なるだけに見えるが、アフターバーナー付き J47 エンジンを搭載したため後部胴体形状も異なり、大きなヒレを持つ垂直尾翼、上反角のない水平尾翼など F-86E 系列とは各所が異なる。D 型の最高速度は 1151Km/h。武装は機銃が全廃され、機首下面の引き込み式ポッドに 2.75in ロケット弾を 24 発搭載した。F-86D は 2504 機が生産され、のちに武装を M39 20mm 機銃×4に換装した F-86K が 120 機、バッジ迎撃誘導システムに対応した F-86L が 800 機、迎撃レーダーを外して戦闘爆撃機仕様とした F-86H が 475 機生産された。

(2002/10/27更新)
Curtiss XF-87 BlackHawk
機首に大型のレーダーを搭載する、夜間戦闘機として開発された。
四角い断面の胴体から伸びる四角い主翼の四角い断面のポッドにそれぞれ2基ずつ、計4発のジェットエンジンを搭載する。
しかし、正式発注から4ヵ月後、空軍から発注を全てキャンセルされ、多額の負債を抱えたカーチス社は軍用機、航空機産業から姿を消した。
見てのとおり、胴体後部が長く、着陸時に接触する可能性は高い、どうしてこのように間抜けなのか、それがカーチスだからか。

カーチスにしては格好良い戦闘機だ。
全幅18.3m 全長18.9m 自重11,780kg 総重量22,650kg 最大速度522kt(計画値) 航続距離865km(計画値) 武装20mm*4 12.7mm*2

(2002/10/19更新)
McDonnell XF-88 VooDoo
長距離侵攻戦闘機として開発された、一時計画を破棄されたものの、F-101として復活した。
全幅12.09m 全長16.49m 全高5.64m 自重5,450kg 総重量10,460kg 最大速度M1.03 航続距離1,450nm

(2002/12/2更新)
マクダネル・ダグラス XF-88B
不採用となった XF-88 の一号機(46-525)を改造して作られた混合動力機。他の混合動力機と異なり航続力延長が目的ではなく、亜音速〜超音速時におけるプロペラの空力特性を調査する為に作られた研究機である。そのため機首のアリソン XT-38 ターボプロップ(2750hp)は中心軸から左寄りに取り付けられ、これに合わせて前脚格納庫が右側に移動し、胴体右舷にはバラストが搭載され、ターボプロップ排気は機首下面からほぼ真下に向けて排出されるなど空力的洗練とはほど遠く、「とりあえず飛べばいいじゃん的」お手軽改造機となっている。1953〜1956 年にかけ 30 種類近いプロペラ形状/翼型/減速比などのテストに使用された。性能については資料なし。

(2002/10/27更新)
Northrop F-89 Scorpion
米空軍最初の本格的全天候ジェット戦闘機。
20mm機銃を搭載しているが、機動性は良くないため、火力をロケット弾に委ねている。
全幅18.24m 全長16.44m 全高5.37 総重量18,200kg 最大速度1,023km/h 航続距離2,200km 武装2.75inマイティマウス*104 (以上諸元F-89D)

(2002/10/27更新)
Lockheed YF-90
XF-88と同じ要求仕様で開発された長距離侵攻戦闘機。
トリム調整のため、垂直尾翼付け根が可動する。
性能不足の上、計画が中止になり不採用。
全幅12.18m 全長17.06m 全高4.8m 自重8,187kg 全備重量14,089kg 最大速度1,075km/h 航続距離1,690km 武装20mm*6 1000lb爆弾*2

(2002/11/27更新)
リパブリック XF-91 サンダーセプター(Thunderseptor)
ロケットの急上昇力とジェットの高速巡航力を併せ持つことに期待して作られた混合動力迎撃機。アフターバーナー付き J47 ジェットエンジン一基に加え、機体尾部上下に合計四基の XLR-11 液体燃料ロケットエンジンを搭載する。胴体は F-84 系の面影を残しているが、主翼と水平安定板は先端へ向かうほど厚く幅広な逆テーパー翼で、しかも主翼は -2〜+6 度の範囲で取り付け角を可変できる。これらは強い後退角(XF-91 は 35 度)に伴う翼端失速癖を何とか矯正しようという試みであった。XF-91 は全エンジン噴射時に水平飛行で 1812Km/h(マッハ 1.71)という高速を記録したが、2種類の全く異なる燃料を混載するのは高価複雑かつ潜在的に危険でもあり、薬液燃料タンクで占められた胴体内には全天候迎撃兵装を搭載するスペースもなく、何より増槽未使用時の航続時間 25 分という行動能力が致命的となって試作2機に終わった。

(2002/10/27更新)
Convair XF-92A
F-102の元になったデルタ翼機。
全幅9.53m 全長12.93m 全高5.39m 自重3,950kg 総重量6,800kg 最大速度M0.95

(2002/11/27更新)
ノースアメリカン YF-93A
名機 F-86 セイバーをベースに機内燃料容量を増積し、巡航抵抗削減を徹底することで XF-88, XF-90 に対抗し得る長距離侵攻戦闘機を作ろうとしたもの。当初は XF-86C と呼ばれていたが、殆ど別機になった為 YF-93A に改称された。しかし実機完成前に米空軍は長距離侵攻戦闘機計画を廃棄し、製作された2機の YF-93A は NACA において空力テストベッドとして使用された。アイコンは埋め込み型インテイクを装備した一号機初期の姿で、のち2号機ともに左右に張り出したインテイクに改造された。エンジンはプラット&ホィットニー J48、最高速度 1139Km/h。武装は 12.7mm 機銃×6を予定していたが試作機には装備されていない。

(2002/11/12更新)
ロッキード F-94B スターファイヤー(Starfire)
TF-80(T-33) をベースにした全天候型戦闘機。機首を延長してレーダーを装備、後部胴体を延長してアフターバーナー付き J33-A33 エンジンを搭載した。武装は M3 12.7mm 機銃×4挺。F-94A が 110 機、各所を改良し大型翼端タンクを標準装備した F-94B が 355 機生産された。

(2002/11/12更新)
ロッキード F-94C スターファイヤー(Starfire)
F-94B を更に発展させた機体で、試作時には YF-97 の型番が与えられていた。機銃は全廃され、武装は機首 24 発+主翼ポッド 12 発×2の 2.75 インチロケット弾である。後部胴体を延長してより強力な J48 エンジンを搭載、機首を更に延長してレーダー及びロケット弾を搭載したため、全長は P-80 の三割り増しに達してしまった。尾翼まわりは新規設計となり、水平尾翼にだけ後退角が付いている。生産数 387 機。

(2002/12/2更新)
ヒューズ F-98 ファルコン(Falcon)
米空軍史上最小の「戦闘機」。親機(主に F-102)から発進し、目標を自動的に追尾し体当たり攻撃をかける無人戦闘機である。…というより、空対空ミサイルそのものである。実際「F-98」の型番はすぐ廃止され GAR と改称(GAR-1, 2, 3, 4, 11 がある)、更にのちには AIM-4 と改称された。全長 1.98m、航続距離(と言うのか?) 8Km、武装は通常または核弾頭(GAR-11)。生産機数約 12000 機(「発」と言ったほうが正しいだろうが)。

(2002/12/2更新)
ボーイング F-99 ボマーク(Bomarc)
無人戦闘機シリーズ第二弾。普段は地上のコンテナに格納され、必要に応じて発射台に引き出され主翼を展開、胴体内蔵ロケット(A 型は液体、B 型は固体燃料)で垂直離陸したあと胴体下部にポッド装備された2基のラムジェット・エンジンで高度約 24000m を巡航、地上局からの指示に従って目標迎撃コースを飛び、最終的に目標を自己のレーダーで捕捉、急降下し体当たりをかける無人戦闘機である。…というより、地対空ミサイルそのものである。例によって IM-99 と改称されたあと CIM-10 に名を変えた。愛称のボマークとは開発元 Boeing とミシガン航空研究所(MARC)をくっつけた造語である。1960 年から国防任務に配備されたが、地対空ミサイル技術の進展は目覚しく瞬く間に旧式化して 1972 年に退役、一部は標的機 CQM-10A に改造された。全長 13.8m、航続距離約 700Km(B 型)、最高速度約マッハ 3、武装は近接信管付きの通常または核弾頭、生産機数約 700 機。

(2002/10/16更新)
NorthAmerican F-100「Super Sabre」
西側初の実用超音速戦闘機。
F-86「Sabre」を発展させ、超音速飛行を可能とした機体。1953年5月25日に初飛行で超音速に達する。
初期の頃は空力的な問題等から事故が多発するが、それらの解決後は戦闘爆撃型のC型、発展型のD型などが生産されている。

(2002/10/16更新)
NorthAmerican F-100「Super Sabre」Thunder・Birds.Ver

(2002/10/19更新)
McDonnell F-101・B Voodoo
元々は戦略空軍の要求で長距離戦闘機として開発された機体。
しかし戦略空軍での運用期間は短く、主に米本土の迎撃機として使用された。
また、偵察機型はベトナム戦争に参加、かなりの犠牲をだした。
F-101・Bは複座・長距離迎撃機で、武装に核弾頭装備のAIR-2・A「ジーニ」を2発装備する。

(2002/11/10更新)
Convair F-102A デルタダガー(Deltadagger)
1950年に計画された全天候迎撃機計画MX1179に基き設計された機体。
原型機1号機が1953年に初飛行するが音速を突破できず不採用の危機に見舞われるも、NACAが発表したエリアルール理論に則って再設計した結果、見事マッハ1を突破、正式採用されたのは有名。

(2003/9/30更新)
ロッキード F-104A スターファイター(Star・Fighter)
1952 年にロッキードの「ケリー」ジョンソン技師の提案によって開発された機体。当時最新最強のジェネラルエレクトリック J-79 エンジンを可能な限り小型軽量の機体に搭載し、運動性よりも速度・加速力・上昇力を重視するコンセプトで、翼厚比わずか 3.36% のカミソリのように薄く小さな主翼を装備した。
J-65 エンジンを搭載した試作機 XF-104 は 54 年 3 月に初飛行し早速マッハ 1.79 を記録、本命 J-79 を搭載した YF-104 は 56 年 2 月から飛行を開始し速度、上昇、高度など次々と新記録を樹立、その高性能から「最後の有人戦闘機」とまで呼ばれた。しかし小柄すぎる機体が災いして全天候迎撃データリンクシステムなどの搭載に難があり、当初期待された迎撃戦闘機としての運用は(米軍において)限定されたものにとどまったが、比較的安価で高性能な高速戦闘/戦闘爆撃機として世界各国に輸出され一応の成功を見た。
F-104A は 170 機が生産された米空軍向けの初期量産型で、危険度の高い下方射出座席を備えていることで有名。スペックは最高速度 1669Km/h、航続距離通常 1175Km(最大 2253km)、武装 M61 20mm バルカン砲 x 1(725 発)+AIM-9B 空対空ミサイル x 2。

(2003/4/26更新)
リパブリック YF-105 サンダーチーフ(Thunderchief)
F-84 の発展型として 1950 年に計画され、結局ほとんど新設計の機体として完成した超音速戦闘爆撃機。遷音速抵抗を減らすため主翼付け根で絞られた「エリアルール」形状の胴体は当時の最新技術で、胴体内には戦術核兵器を搭載可能な大型爆弾倉を備えている。
搭載予定の J75 が間に合わなかったため試作機 YF-105A は一世代古い J57 を積んで 1955 年 10 月に初飛行し、早くもマッハ 1.2 を記録して素質を示した。YF-105A のインテイクは B 型以降と異なり直角に開口しており、わずかに RF-84 の面影が伺える。
P&W J57-P-25(推力 4626Kg / AB 6800kg) x 1、最高速度 1380Km/h(マッハ 1.2)、航続距離 1625Km(標準)、武装 M61 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 2。

(2002/12/16更新)
リパブリック F-105D サンダーチーフ(Thunderchief)
1959 年から量産された主要生産型で、いちおう全天候性能を持つ。ベトナム戦争では北爆「ローリングサンダー」作戦をはじめ米空軍の主力対地攻撃機として活躍したが、被害も少なくなく 300 機以上を失った。F-105 は翼面荷重を高く設計してあり低空高速侵入には向いていたが、離着陸はいかにも重々しく乗員からは「鉛の橇(Lead Sled)」や「ドサ野郎(Thud)」の渾名で呼ばれていた。
P&W J75-P-19(推力 7800Kg / AB 12020Kg) x 1、最高速度 2285Km/h(マッハ 2.1)、航続距離 1252Km、武装 M61A1 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 610。

(2002/12/16更新)
リパブリック F-105F ワイルドウィーゼル II(Wild Weasel II)
もともと低空侵入・航法・爆撃などを単座でこなさねばならない F-105 の技術習得が困難だったため、F-105D をベースした複座練習機として開発されたもの。ベトナム戦争で猛威を振るった地対空ミサイル(SAM)への対策として対レーダーミサイル AGM-45「シュライク(Shrike、もず)」が開発され、F-100F を母機として 1965 年から実戦テストが行われていたが、この結果を受けて本格的な対レーダー攻撃機として作られたのが F-105F ワイルドウィーゼル II である。
F 型 147 機の過半数を占める 86 機がこの仕様に改造され、友軍攻撃隊の最先端を飛ぶ危険な任務に投入され活躍した。

(2002/12/21更新)
リパブリック F-105F コンバットマーティン(Combat Martin)
F-105F をベースとして後席のスペースに QRC-128 VHF 電波妨害装置を積んだ電子作戦機で、背中に四角いアンテナが付いているのが特徴。QRC-128 は北ベトナム軍 MiG 戦闘機の機上無線装置を妨害する能力を持ち、地上誘導局からの連絡を絶ち切って迎撃を断念させることを目的としていた。
十数機が製作され 1967 年暮れから作戦を行ったが、あまり効果がなかったのか 70 年頃に作戦中止、機体はワイルドウィーゼル仕様に改造されたという。

(2002/12/23更新)
リパブリック F-105G ワイルドウィーゼル III(Wild Weasel III)
F-105F をアップグレードした改良型で、電子兵装が大幅に強化されたため当初は EF-105F とも呼ばれていた。電子機器搭載スペース確保のため燃料タンクが一部削られている。
56 機が製作され、うち 14 機は海軍の艦対空ミサイルを改造した AGM-78 スタンダード(Standard)対レーダーミサイルを搭載可能に発展した。

(2002/11/10更新)
Convair F-106A デルタダート(Deltadart)
F-102の発展型。
当初はF-102Bと呼称されていたが、内容・外見共に全くの別機となってしまった為、F-106と改称されている。
米空軍が開発した最後の迎撃機
Ultimate・Interceptor。

(2002/11/12更新)
F-117「ナイト・ホーク」
言わずと知れた「ステルス・ファイター」。
1970 年代から極秘に研究が進められてきたステルス技術に基づいた初の実用機として 1981 年に初飛行した機体。
対空戦能力は皆無に等しい事実上の戦術爆撃機だが、F 型番であることも、その数字がイレギュラーな 117 であることも情報撹乱を狙った意図的なものらしい。
エンジンはジェネラルエレクトリック F404 双発、最高速度 1100Km/h、武装 2000 ポンド誘導爆弾2発。生産機数は試作 5 機+量産 59 機、うち一機はエアショー中に尾翼がモゲて墜落、別の一機はコソボで撃墜されたので 2002 年現在の配備数は 57 機のはず。

(2003/4/1更新)
(2003/4/20更新)
McDonnell F-4E PhantomII
アメリカ空軍版 ファントム

(2003/4/26更新)
F-4Gワイルドウィーズル機

(2003/12/25更新)
ノースロップ F-5A フリーダム・ファイター(Freedom Fighter)
1955 年にノースロップ N-156 として自主開発された戦闘機で、絞り込んだスリムな機体に安価な巡航ミサイル用の小型ジェットエンジンを二基搭載している。F-5A は単座の対地攻撃/軽戦闘機用の量産モデルで、ほぼ同仕様の複座型に F-5B がある。F-5A は極めて運動性に優れ空対空ミサイルの搭載能力も持ってはいるが、レーダーなど電子兵装は最低限のものしか備えておらず空戦能力は限定されている。
1960 年代は冷戦が深刻化していった時代であり、ソ連は共産圏友好国に大量の兵器を供給し始めるが、アメリカ政府はこれに対抗すべく自由主義圏の軍事増援プログラム(MAP:Military Assistance Program)を発動、本機を MAP 向けの輸出用戦闘機として位置付けてセールスに励み、韓国・台湾・タイ・南ベトナム・トルコ・ギリシャ・エチオピア・モロッコ・ノルウェーなど多くの国々に輸出された。米空軍はこれらの国々のパイロットや整備員を養成する錬成部隊も設立、少数の F-5A/B が米空軍マークを付けて配備された。
F-5A/B は安価な割に高性能で操縦の易しい傑作機であり、1963 年から 1972 年まで 10 年近くにわたって合計 836 機(うち 200 は F-5B)が量産されるベストセラーとなった。F-5A の仕様はジェネラルエレクトリック J85(推力 952Kg)x2、最高速度 1489Km/h(マッハ 1.4)、航続距離 2232Km、武装 M39 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 2.8t。

(2003/12/25更新)
(2004/2/26更新)
ノースロップ F-5C スコシ・タイガー(Skoshi Tiger)
ベトナム戦争において米陸軍は大苦戦、空軍は地上部隊への航空支援で忙殺され、深刻な機材不足に直面する事になった。米空軍は安価で量産向きの F-5A を機材不足解消に適した機材と考え、能力調査のため実戦部隊が組織された。この実戦テストプログラムには「スコシ・タイガー」の暗号名が与えられたが、「スコシ」は日本語の「少し」を「小さな」と勘違いしたもので、本来は「小さな虎」の意味である。
MAP の輸出ラインから 18 機の F-5A が抽出され、空中給油装置の付加やコクピット床面への防弾装甲追加、電子・工学機材のアップデートが施され、新たに F-5C の呼称が与えられた。F-5C に制式な愛称は無いのだが、プログラム名称にちなんで「スコシ・タイガー」と呼ばれたらしい。
F-5C を装備した第 10 戦闘中隊はベトナム南部での地上支援に投入され、対空砲火の高い回避率、整備性・稼働率の高さなどを実証したが、爆撃精度の低さやエンジン出力の不足などの問題も顕在化し米空軍制式採用の座は得られなかった。スコシ・タイガー計画は短期間で終了し、機材は南ベトナム空軍に払い下げられたという。
F-5C は結局空中戦を経験していないが、対空砲火によって 2 機を損失している。アイコンは胴体中央+両翼端に 150 ガロン(568 リッター)増槽を装備した姿。

(2003/12/25更新)
(2004/2/26更新)
ノースロップ F-5E タイガー II(Tiger II)
F-5A の欠点であるパワー不足と電子機材の貧弱さを改良した機体で 1972 年に初飛行。胴体を延長してより強力なエンジンを搭載、主翼付け根にストレーキと呼ばれる突出部を設けて高迎角時の機動性を増強、主翼も空戦フラップを備えた新型に換装(翼端タンクの機能は撤廃された)、機首には捜索/照準レーダーが備えられた。
F-5E は F-5A の後継機として歓迎され世界各国に輸出されたほか、MiG-21 に近い飛行特性から米軍の仮想敵部隊(アグレッサー・スコードロン)に配備され空戦技術の研究にも使われた。なお、ヒット作となった映画「トップガン」には海軍アグレッサー部隊に所属する F-5E が「ソ連の新鋭戦闘機ミグ 28」として登場している。
F-5E の仕様:ジェネラルエレクトリック J85-GE-21(推力 1488Kg)x2、最高速度 1699Km/h(マッハ 1.63)、航続距離 2483Km、武装 M39 20mm 機銃x2(280発)、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 3.2t。

(2003/7/7更新)
Boeing F-15E Strike Eagle
F-15Dをベースに開発された戦闘攻撃機。
元々はF-111の後継戦闘攻撃機として計画されていたが、後にATF(次期戦術戦闘機)完成までの繋ぎとしても用いる為に制空戦闘能力も要求された事から、全天候下での対地攻撃に加えて、原型機のF-15に匹敵する高い空対空戦闘能力も持つ。
外見的にはベースとなったF-15Dと大差はないが、機体側面にコンフォーマルタンクを装備するなどの違いもある。
ストライクイーグルという名称は本来開発メーカーであったマクダネル・ダグラス社がつけた愛称であり、米空軍で正式に採用された名称ではない。

(2004/7/4更新)
ジェネラル・ダイナミクス YF-16A
1973 年 12 月 13 日に初飛行した F-16 の試作一号機、シリアルナンバー 72-1567。生産型に比べると全長が約 30cm 短く、レーダーを搭載していないためノーズコーンが細い。星条旗をあしらった派手な三色のデモ用塗装で、75 年のパリ航空ショーにも参加して耳目を集めた。現在はヴァージニア州の博物館に展示されている。

(2004/7/4更新)
ロッキード F-16C ファイティング・ファルコン(Fighting Falcon)
1971 年、米空軍は高性能だが高価な F-15 を補佐する為の補助戦闘機を開発する LWF(Light Weight Fighter)プロジェクトを発動。これにジェネラル・ダイナミクス社(のちにロッキードと合併)が応募し、ノースロップ YF-17 との競作に勝って採用された軽戦闘機が F-16 である。胴体と主翼をなだらかな曲面でつないだブレンデッド・ウィングボディ形状を採用し、主翼付け根を前方に延長したストレーキを備え高い運動性を持つ。操縦系は操縦桿の代わりに圧力検出式のサイドスティックを用い、コンピューター経由の電気信号で舵面を動かすフライバイワイヤー・システムを採用。 30 度後傾したシートを前方枠のない水滴型キャノピーで覆ったコクピットには2基の多機能ディスプレイ(MFD)とヘッドアップディスプレイ(HUD)が装備され、そのハイテクぶりから「エレクトリック・ジェット」の渾名が付けられた。
F-16 は比較的安価ながら対空対地ともに優れた性能を持ち、米空軍には各型あわせ 2200 以上が納入されいまだに改良型が生産中であり、かつ世界 20 ヶ国以上に輸出された傑作機と言える。なお、長ったらしい愛称はダッソー社のビジネスジェット機「ファルコン」の登録商標を回避するためと伝えられるが、米軍パイロットはむしろ非公式な愛称である「ヴァイパー(Viper、毒蛇)」と呼んでいるらしい。
F-16C は 1984 年から生産された改良型で、エンジンを強化し全天候能力を付加したもの。性能緒元:P&W F100-PW-220 ターボファン推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.04、航続距離 3943Km(増槽使用)。武装 M61A1 20mm バルカン砲 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、ほか空対空/空対地ミサイル・爆弾・ロケット弾など 5638Kg。
アイコンはユタ州ソルトレイク市の Hills 空軍基地に所属する 388 Fighter Wing の所属機で、両翼端に AIM-9 訓練弾を積んだ状態。

(2003/8/2更新)
ジェネラル・ダイナミクス F-16A サンダーバーズ仕様
1983 年、サンダーバーズは T-38 から F-16A に機種変更し、1992 年 F-16C に更新されるまで米空軍の看板役を務めた。A 型と C 型の外見上の相違は殆どないが、垂直尾翼基部の形状がわずかに異なり、アンテナ類の装備形態が異なる。

(2003/8/2更新)
ジェネラル・ダイナミクス F-16XL
F-16A の発展型として 1982 年に自主開発された機体。胴体は約 1.4m 延長され、主翼はサーブ・ドラケンを連想させるダブルデルタ翼となり、水平尾翼および腹ビレは削除された。独特の形状の主翼は超音速巡航(スーパークルーズ)能力を目指した結果だとも言われる。米空軍は F-111 に代わる全天候戦闘爆撃機としてマグダネル・ダグラス F-15E と比較検討したが、結局 F-15E が採用されたため F-16XL は試作2機にとどまり、やがて NASA に移譲され高速飛行の研究に用いられた。
P&W F100-PW-200 推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.05、航続距離 4587Km。武装 M61A1 20mm 機銃 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、AIM-7 空対空ミサイル x 4 または対地兵装 6800Kg。

(2003/12/25更新)
ノースロップ F-20 タイガーシャーク(Tigershark)
輸出戦闘機として大成功した F-5A/E の後継機として 1980 年代にノースロップが自主企画した発展型。新鋭 F404 ターボファン単発に換装した胴体は新規設計で、火器管制装置など電子兵装も最新鋭機を搭載し、舵の駆動系にはフライバイワイヤーが取り入れられた。F-5A/E との部品互換性は殆ど無く「別の飛行機」であるが、当初は輸出の利便を図って F-5G の名称が与えられていた。
しかしレーガン政権下で F-16 の輸出規制が緩和されると各国は競ってこの「米空軍の最新鋭機」に飛びつき、同等以上の性能を持つ F-5G は見向きもされなかった。新しさを強調するため F-20 と改称し、退役したばかりのチャック・イェーガーを顧問に雇ったりしたがセールスは捗らず、あまつさえ 1 号機が 1984 年に韓国、2 号機が 1985 年にカナダでデモ飛行中に墜落しパイロットが殉職する事故まで起こし、(どちらの事故もパイロットエラーと結論づけられたにも関わらず) F-20 のセールスはもはや絶望的となった。
プロジェクトは中止され、完成間近だった 4 号機はスクラップ処理、唯一生き残った 3 号機はロサンゼルスの工業技術博物館に収められ、ここに 12 億ドルを費やしたノースロップの賭けは幕を閉じた。アイコンは民間機登録(登録コード N44671)ながら制空迷彩を身にまとい、ダミーのサイドワインダーを積んで営業活動に励んでいた頃の 3 号機。
ジェネラル・エレクトリック F404-GE-100(推力 7711kg)x1、最高速度マッハ 2.1、航続距離 2500Km、武装 M39-2 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、外部兵装 3.6t(AIM-7 スパロー空対空ミサイル搭載可能)。

(2008/6/21更新)
ロッキードマーチン F-22 ラプター(Raptor)
F-15 に次ぐ制空戦闘機としてノースロップ YF-23 との競作に勝ち採用された機体。ステルス能力、超音速巡航(スーパークルーズ)、高度なデータリンク機能と高い運動性を併せ持つという。
全幅:13.56m
全長:18.92m
全高:5.05m
自重:14,500kg
全装備重量:27,000kg
搭載エンジン:P&W F-119-PW100×2
最大出力:12,000kg(A/B使用時18,000kg)
最大速度:M2.5
兵装:20mmバルカン砲・AAM・AGM・GBU弾などを搭載可能
乗員:1名

(2008/6/21更新)
ロッキードマーチン FA-35A ライトニングII(Lightning II)
JSF(Joint Strike Fighter) X-35 として計画された機体の空軍仕様。

(2008/6/21更新)
ロッキードマーチン FA-35B ライトニングII(Lightning II)
JSF の海兵隊向け仕様で、垂直離着機能を持つ。

(2003/5/13更新)
De Havilland Mosquito PR.MkX VI
1944年6〜7月、米陸軍航空隊 第8航空軍 第25爆撃航空群 第653爆撃飛行隊所属
白と黒のストライプはオーバーロード作戦参加機の証、二ヶ月限定のレア塗装な“モッシー”

(2004/2/26更新)
LTV A-7D コルセアII(Corsair II)
1960 年代中期、ベトナムで対地支援攻撃に苦戦を続けていた米空軍は海軍の新鋭攻撃機 A-7 の優れた素質に着目、独自の追加仕様を施した A-7D を発注した。A-7D は P&W TF30(推力 5148Kg) に代えてアリソン TF41 を搭載し、機首下面の連装 Mk.12 20mm 機銃は M61A1 バルカン砲に換装された。主翼付け根上面には空軍式の「フライング・ブーム」給油口が設けられている。A-7D の性能向上は目覚しく、海軍はこれをベースにした海軍仕様 A-7E を発注した。
空軍ではコルセア II という愛称が定着せず、単に「A7」あるいは「スラフ(SLUF)」の俗称で呼ばれた。SLUF とは Short Little Ugly Fella(小さな醜いチビ野郎)の意味であまり名誉のある渾名ではないが、パイロットの信頼と愛情を裏返しに表現した渾名でもある。
A-7D は 459 機が生産され、ベトナムでは旧式化の目立ってきた A-1 スカイレイダーに代わって対地支援に活躍した。第一線機としては 1980 年代から A-10 に交代したが、予備役や州空軍の装備として 1990 年代まで現役にとどまった。
アリソン TF41-A-1(推力 6577Kg)、最高速度 1067Km/h、航続距離 4828Km(最大)、武装 M61 20mm 機銃(装弾数 1000 発)、爆弾・ロケット弾など 6.8t。

(2003/8/2更新)
フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(Thunderbolt II)
1971 年 にA-7D に代わる直協機として開発、ノースロップ A-9 との競作に勝って採用された機体。操縦席は最厚部 38mm もあるチタン合金製の「バスタブ」装甲板に囲まれ、二基のエンジンは対空砲火を受けにくい胴体後上部にポッド式で搭載されている。独立した二系統の操縦系に加え人力操舵のバックアップを持ち、車輪は単純なヒンジ式で前上方に引き込むため油圧損失時にも自重/風圧で引き出すことが可能であり、更に胴体着陸を考慮し収納時でも主輪の一部が露出する半引き込み式となっているなど、徹底した生存性が追求されている。
A-10 には高い対戦車攻撃機能力が要求されたため、30mm 劣化ウラン徹甲/焼夷弾を 4000 発/分で発射する火力を持つ GAU-8 7 砲身 30mm ガトリング砲と 1000 発+の弾倉を搭載し、近代ジェット機としては異例に太く角ばった胴体となった。無骨極まりない外観から「ウォーホッグ(Warthog, イボイノシシ)」の渾名が付けられ、むしろ制式な愛称である「サンダーボルトII」とは滅多に呼ばれないと言われる。
1991 年にソビエト連邦の崩壊によって冷戦が終結すると大規模戦車戦の脅威も減り、A-10 は「時代遅れの役立たず」として退役が検討されたが、湾岸戦争において低空を長時間飛べる攻撃機の有用性が再評価されて米空軍にとどまった。低速での運動性が非常に優れており、整備性が良く可動率が高いことも A-10 の特長である。しかしその後、米空軍はステルス化と精密誘導兵器による先制ピンポイント攻撃に傾倒するようになり、このコンセプトに適合しない A-10 は惜しまれつつも徐々に退役が進んでいる。
ジェネラルエレクトリック TF34-GE-100 推力 4100Kg x 2、最高速度 675Km/h、航続距離 1300Km。武装 GAU-8 30mm ガトリング砲 x 1、各種ミサイル・爆弾・ロケット弾など最大 7200Kg。アイコンは湾岸戦争に参加した 23th TFW「フライングタイガース」所属機。

(2005/4/26更新)
フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(灰色迷彩)
ワルシャワ機甲軍団による地上侵攻の脅威に備えて開発された A-10 攻撃機は、配備当初は欧州戦域の森林地帯を想定した濃緑色の迷彩が施されていた。しかしソビエト連邦の崩壊によって欧州における対戦車戦闘の可能性が薄れたこと、また湾岸戦争やボスニア紛争などで A-10 が単なる「戦車キラー」ではなく近接支援・前線観測などの適合性を示したことなどにより、1994 年頃からより幅広い任務に適合する灰色ベースの二色迷彩へと切り替わっていった。アイコンはアリゾナ州ツーソンの 355FS 所属機。

(2003/2/12更新)
Curtiss B-2 Condor
1927 年に開発された双発複葉の「重」爆撃機。鋼管羽布張り構造でカーチス・コンカラー V-1570 水冷 V12 630hp 双発、エンジン直上に縦長のラジエターを持ち、左右ナセル後部に旋回銃座が設けられているのが特徴。1928 年から量産が開始されたものの、大恐慌の真っ最中に一機7万5千ドルという価格は高価に過ぎると判断され量産発注はわずか 12 機。1929 年から 30 年にかけてノンビリと手作りペースで生産されたが、ただでさえ古臭い設計の本機は航空技術日進月歩の時代にあってますます旧式化し、1934 年頃には早くも退役してしまった。機体は全てスクラップ処理され現存していない。最高速度 209Km/h、航続距離 1255Km、爆弾搭載量 1134Kg、武装 7.7mm ルイス旋回機銃 x 4、乗員 5 名。

(2002/9/26更新)
マーチン B-10B
1932 年にマーチンが独自開発した Model123 爆撃機は全金属応力外皮構造、引き込み脚、タウネンドカウリングなどの最新技術を結集した単葉機で、当時の戦闘機を凌ぐ 317Km/h の高速を発揮した。これに注目した米陸軍は XB-10 として仮採用し、何度かにわたる改良の末に量産仕様 B-10B を決定した。B-10B は空力的に一層洗練され、エンジンもパワーアップして速度は 346Km/h に向上、防御武装も改善されている。B-10B は米陸軍向けが 103 機が生産されたほか、エンジンなど細部の異なる輸出仕様 Model139W がオランダ、中国、アルゼンチン、トルコ、シャムなどに合計 189 機が輸出された。
B-10B の仕様は全長 13.6m、全幅 21.5m、全備重量 6668Kg、ライト R-1820-33 空冷 9 気筒 775hp x 2、最高速度 346Km/h、航続距離 2200Km、武装 7.62mm 機銃 x 3 および爆弾最大 1t。

(2003/8/31更新)
ボーイング B-17E
意外に撃たれもろかったB−17Dに対して、後部胴体を完全に再設計し、背びれの追加、尾部銃座の追加、水平尾翼の再設計等を実施したタイプ。この改造により安定性が向上し、爆撃照準能力も上がっている。
その他、コクピット後上方の連装回転銃座など、武装がすべて12.7mm機銃に換装されており、防御能力も飛躍的に向上している。
胴体後下部の銃座は、当初、ベンディックス社製のペリスコープを用いた遠隔操作式のものであったが、非常に不便であったため、以降の型で使用されることになる、スペリー社製の人が中に入って操作するタイプにものに変更された。
諸元
全幅:31.63m,全長:20.68m,全備重量:27,216kg,最大速度:510km/h,航続距離:3,200km,爆弾搭載量:5,440kg(最大),エンジン:ライトR-1820-65 空冷星形9気筒 1,200HP

(2003/8/31更新)
ボーイング B-17F
元々は1934年8月に米陸軍から出された多発爆撃機の競争試作に、ボーイング社がモデル299で応募したものであった。試作機から高性能を発揮していたが、機体サイズとコスト高がネックとなり、一旦はダグラス社のB-18に敗れたが、その高性能と世界情勢の変化等により量産されることとなった。
このF型は、E型に対して、翼内燃料タンクの増設、機首武装の強化等、400カ所以上もの改修が施された機体であり、外観上は機首の爆撃機席風防が枠の少ない大型のものになったことで容易に識別ができる。
主に欧州戦線で多用され、ドイツ昼間爆撃の主戦力として重用された。
諸元
全幅:31.63m,全長:22.78m,全備重量:29,484kg,最大速度:510km/h,航続距離:2,400km(爆弾2,300kg),爆弾搭載量:4,350kg(最大),エンジン:ライトR-1820-97 空冷星形9気筒 1,380HP

(2002/9/23更新)
B-17F「バーミンガム・ブリッツクリーク号」 空中集合目標機

(2006/6/6更新)
ダグラス XB-19
1935 年、超大型長距離爆撃機を求める米陸軍航空隊の「プロジェクトD」に応募し採用された機体。しかし予算不足と度重なる計画変更によって試作機製造は遅延を重ね、41 年 5 月に一号機が完成した時には既にキャンセルされており、ただ一機のみ完成した機体は超大型機のデータ収集、エンジンテストベッド及び大型輸送機として用いられた。エンジンは当初はライト R-3350-5 空冷 2000hp だったがトラブル多発し、のちにアリソン V-3420 に換装して XB-19A と改名、戦後の 1946 年まで安全に飛行を続けたが、やがてスクラップ処理されてしまった。
ライト R-3350-5 空冷星型 18 気筒 2000hp x 4、最高速度 360Km/h、航続距離 12408Km、武装 12.7mm 機銃 x 5 + 7.62mm 機銃 x 6 + 37mm 機関砲 x 2、爆弾 8t。

(2002/9/23更新)
コンソリデーテッド B-24J リベレイター(Liberator)
1938 年、米陸軍から B-17 ライセンス生産を打診されたコンソリデーテッド社が「より優れた性能を安価に提供できる」として自主開発した機体で、社内呼称を Model32 と呼ぶ。独特の細長い翼には試作に終わった Model31 双発飛行艇(P4Y)で培われた技術が応用されており、縦長断面の胴体に高翼を付けたレイアウトも飛行艇に似ている。試作機 XB-24 は 39 年 12 月に初飛行、防御武装強化・排気タービン装備など量産型 B-24D の仕様が決定し引き渡しが始まったのは 42 年始め。 43 年中頃から生産された J 型は総生産数の約 1/3(6678/18484)を占める主力モデルで、戦訓に基づいた武装強化などが施されている。B-24 は主にイタリア方面からのドイツ本土爆撃に従事したほか、優れた航続性能を活かして物資輸送や洋上哨戒にも活躍した。これらの任務に特化した派生型として輸送機型の C-87 リベレイター・エクスプレス(287 機)や米海軍向け PB4Y-2 プライベティア(739 機)などが存在する。
P&W R-1830-65 空冷 14 気筒 1200hp x 4、最高速度 482Km/h、航続距離 2735Km(爆装時)/6000Km(最大)、武装 12.7mm 機銃 x 10 + 爆弾 2.3t(通常)/5.8t(過載)。

(2002/11/22更新)
NorthAmerican B-25 ミッチェル(Mitchell)
全長:16.13m 全幅:20.6m 全高:4.98m 自重:8.84t 全備:15.9t 乗員:6名 最大速度:438km/h(高度4,000m) 航続距離:2,175km 発動機:ライト サイクロン R-2600-92(1,700馬力)×2 武装:12.7mm×12 爆弾:最大1,360kg 130mmロケット弾×8 生産数:約11300機

(2003/1/6更新)
B-25B ミッチェル
昭和17年4月18日、ドゥリットル中佐はこのB型を駆って日本を初空襲しました。

(2005/10/27更新)
マーチン B-26B マローダー(Marauder)
1939 年 1 月の米陸軍高速双発爆撃競作にマーチン社がモデル 179 として応募した機体。空力的に洗練された胴体に大馬力 R-2800 二基を装備したデザインは軍を魅了し、試作機初飛行前に量産命令が発注された。B-26 は特に中低空での速度に優れ、神出鬼没の戦術任務に欧州・太平洋を股にかけ活躍したが、高翼面過重による離着陸特性は危険で事故が多く「後家づくり(ウィドウ・メーカー)」とも陰口を言われた。このため末期生産型の F/G 型は最高速度低下を忍んで主翼取りつけ角を 3.5 度増加し、着陸速度を下げる改良が施されている。
B/C 型は 3093 機が作られた主生産型で、尾部・後部銃座の火力が強化されている。P&W R-2800-43 2000hp x 2、最高速度 453Km/h、航続距離 4500Km。武装 12.7mm 機銃 x 8 + 爆弾 2.5t。

(2002/9/11更新)
B-29 「ス−パ−フォ−トレス」

(2006/12/27更新)
コンベア B-32 ドミネーター(Dominator)
1940 年、革新的に過ぎ成立性に不安のあったボーイング B-29 のバックアップとして、より堅実な機体としてコンベア社に発注された長距離重爆撃機。しかし B-29 が傑作機として仕上がった反面 B-32 は堅実以下の凡作に仕上がってしまい、試作機 XB-32 および練習機型 TB-32 を含め 123 機が生産されたにとどまった。一部の B-32 は太平洋戦線に偵察機として配備され、終戦直後の 1945 年 8 月 17 日および 18 日に「気象偵察任務」として日本側に無通告で東京上空に侵入した B-32 は高射砲と戦闘機による迎撃を受け、機銃手一名が戦死している。また 8 月 28 日には離陸事故と悪天候で 2 機が損失、合わせて 15 名の乗員が失われる惨事も起こしてしまった。B-32 は 戦後まもなく全機スクラップ処理され現存していない。
ライト R-3350-23 空冷 18 気筒 2500hp x 4、最高速度 575Km/h、航続距離 3862Km、武装 12.7mm 機銃 x 10 + 爆弾最大 10t。

(2003/4/26更新)
ノースロップ XB-35
1941 年に米陸軍が発注した「10x10 爆撃機」構想…10,000 ポンドの爆弾を積み 10,000 マイルを飛ぶ爆撃機…に応募しコンベア B-36 と競作になった機体。B-35 はジャック・ノースロップの持論であった全翼機で、この特異な形態をテストするため 1/3 サイズの N-9 実験機が数機作られてテストされた。
しかし始めての巨人全翼機ということで開発は難航、初飛行は戦後の 1946 年 6 月 25 日になってしまった。テスト飛行ではエンジンまわりの故障が多発、とりわけ 3x2 翅二重反転プロペラとその駆動用ギヤボックスに破損が多発した。このため 48 年 2 月には 4 翅プロペラに換装し大幅な信頼性の向上を果たしたが、冷却ファンや延長軸などにまだ多くの問題を抱えていたという。
そもそも B-35 の量産発注は 44 年 5 月すでにキャンセルされており、戦後のテスト飛行はジェット換装型 B-35B(のち XB-49) 研究用の意味しか持っていなかった。XB-35 一号機・二号機とも 49 年 8 月にスクラップ処理されている。
全長 16.1m、全幅 52.4m、全備重量 81.6t、プラット&ホィットニー R-4360-21 空冷 28 気筒 3000hp x 4、最高速度 629Km/h、航続距離 13100Km、武装 12.7mm 機銃 x 20 + 爆弾最大 23t。

(2006/4/17更新)
ボーイング B-47 ストラトジェット(Stratojet)

(2005/10/27更新)
マーチン XB-48

(2002/9/27更新)
B-58「Hustler」(ミッションポッド装備型)
高空高速侵攻を目的に開発されたマッハ2級の爆撃機。
もっとも、足の短さと仮想敵国の早期警戒網とSAMの発達が原因で早々に現役を退いている。
ちなみにポッドには核爆弾を搭載したMB-1、偵察機材を搭載したMC-1、電子偵察ポッドのMD-1、他3種類があった。(ただし、実用化されたのはMB-1のみ)

(2002/9/27更新)
B-58「Hustler」(ミッションポッド無し)
高空高速侵攻を目的に開発されたマッハ2級の爆撃機。

(2002/9/22更新)
ノースロップ・グラマン B-2 Spirit
言わずと知れた、全身翼なステルス爆撃機。
革新的な装備だかなんだかで、凄いらしい。
幅52.43m 長21.03m 自重50,000kg 総重量180,000kg
最大速度M0.85 航続距離12,300km 爆弾沢山

(2004/2/26更新)
ノースアメリカン T-28A トロージャン(Trojan)
AT-6 テキサンの後継機として発注された機体で、初飛行は 1949 年 9 月 26 日。三輪式降着装置、エアブレーキ、射出座席などジェット時代の練習機として必要な仕様を備え、頑丈で飛ばし易く癖のない機体だった。T-28A は空軍予備役部隊の P-51 補充機としても割り当てられ、「貧者のムスタング」という有難くない渾名も頂戴している。T-28A の仕様はライト R-1300-1 9 気筒星型 800hp、最高速度 455Km、航続距離 1610Km、乗員2名、武装 12.7mm 機銃ポッド x 2 または 50Kg 爆弾 x 2, 2.25in ロケット弾 x 6 を搭載可能。生産数 1194 機。

(2004/2/26更新)
ノースアメリカン T-28D ノーマッド(Nomad)
T-28 は射爆練習機としてある程度の武装搭載が可能だったが、原型から 2.5 倍近くパワーアップした R-1820 搭載モデルでは更に余剰搭載量が増していた。T-28 の攻撃機仕様は T-28D と呼ばれ、主要部に小口径弾に耐える装甲を施し、12.7mm 機銃ポッドが標準装備となり、片翼 3 箇所づつのパイロンが追加された他、戦闘用の無線装置などが増設されている。T-28D は南ベトナム空軍に供給されたほか、アジア・アフリカ・中南米など世界各所の紛争地帯で使用された。性能仕様は T-28B/C とほぼ同一、武装 12.7mm 機銃 x 2、爆弾・ロケット弾など 544Kg。アイコンはタイからラオス・カンボジアで秘密作戦に就いていた米軍 606 特殊航空隊の所属機。

(2002/11/12更新)
Lockheed T-33
P-80 から派生した複座練習機。胴体が約 1m 延長されており、後席増設によって減少した燃料タンク容量を補うため大容量翼端タンクが標準装備されている。約 7000 機が生産され世界中で使用された。

(2002/11/8更新)
T-33 Thunder・Birds仕様

(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A タロン(Talon)
N-156 は当初から練習機型への派生が考えられており、これは米空軍に T-38 として制式採用された。機首前方に操縦席を増設し、学生席と教官席をつなぐキャノピーは優美なラインで結ばれ、視界も優れている。T-38 は安価で飛ばしやすく保守も容易、しかも超音速や特殊飛行も可能な理想的練習機で、合計 1189 機が生産された。なお、少数は主翼を強化し爆弾搭載能力を持たせた射爆練習機 T-38B に改造されている。
T-38 は本業の練習機だけでなく試験飛行のチェイス機や写真撮影、連絡、将校の個人用機など雑用機としても使われ、1972 年に生産終了したが 2003 年現在 500 機以上がまだ在籍している。米軍では構造強化やコクピット機材のアップデートにより 2010 年まで使われる予定。
ジェネラルエレクトリック J85-5(推力 1315Kg)x2、最高速度 1306Km/h(マッハ 1.08)、航続距離 1600Km、武装なし。

(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A タロン NASA 仕様
NASA は 1960 年代から T-38 を愛用して、宇宙飛行士の訓練や各種実験のチェイスプレーン、スペースシャトルの着陸監視などに無くてはならない存在として大活躍している。白地にブルーのストライプを入れた塗装は T-38 のスリムな機体によく映える。

(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A サンダーバーズ仕様
1970 年代の石油ショックと軍事予算削減により、米空軍デモンストレーション飛行隊「サンダーバーズ(Thunderbirds)」の使用機も燃費が悪く維持費も嵩む F-4 ファントム II から経済的な T-38 へと交替した(海軍のブルーエンジェルスも同様の事情で A-4 スカイホークを採用)。サンダーバーズの鮮やかな塗装は T-38 のスリムな機体に映え、小柄で高い運動性を持つ機体を活かした緊密なアクロバットはむしろ好評で、1974 年から 1982 年まで米空軍の看板として活躍したあと F-16 に後を譲った。

(2004/2/26更新)
レイセオン T-6A テキサンII(Texan II)
空軍のセスナ T-37 と海軍のビーチ T-34 を置換する空海軍共同プロジェクト JPATS(Joint Primary Air Training System) として 1992 年に開発開始、98 年 7 月に初飛行した初等練習機。当初はピラタス社との共同開発により PC-9 の発展型(ビーチ/ピラタス PC-9 Mk.II)として計画されていたが、大幅な設計変更によって外見以外はほぼ別機となって完成した。PC-9 譲りの優れた運動性を持ち、良好な視界を持つ座席はゆったりしたキャノピーで覆われ、酸素発生および与圧機能によって高々度運用が可能、電子化されたグラス・コクピットは完全な計器飛行設備を備えている。2017 年までに輸出用も含め 約 900 機が生産される予定。P&W PT6A-68 ターボプロップ 1100hp、最高速度 574Km/h、航続距離 1574Km、乗員2名、武装なし。

(2003/8/18更新)
(2003/8/22更新)
Douglas AC-47D ガンシップ
ジェット戦闘機/攻撃機が高速一撃離脱の準核攻撃機と化していった 1960 年代、それらの機体が高速すぎ滞空時間も短いため通常の対地支援任務では有効に使えないことが明らかになっていった。あたかもベトナム戦争時、応急対策として T-6 や T-28 などの高等練習機、A-1 スカイレイダーや A-26 インヴェイダーなどの骨董品が投入されそれなりに有効に使われたが、制空権下における対地支援のあり方を別の方向から模索した解答が「ガンシップ」である。
母機には信頼性・航続時間・搭載能力などから C-47 が選択され、SUU-11/A 7.62mm ミニガンポッド3基(携行弾数 16500 発、最高 21000 発)を胴体左舷に俯角 15 度で搭載した。砲門を確保するため左舷後部の窓2つと貨物扉の半分は取り外されている。なお、初期にはミニガンの生産が間に合わず、cal.30 M-2 機銃を 8〜10 門搭載して代用した型もあった。操縦席左舷には Mk.20/mod.0 反射照準器が横向きに装備され、パイロットはこれを覗きながら 30 度バンクの旋回で目標を捉えつつ連続射撃を浴びせるという趣向である。対空砲火に対する脆弱性から作戦行動は夜間を原則とし、目標照射用に 50〜60 発の照明弾も携行していた。
AC-47 は 1964 年暮れからベトナム戦争に投入されその有効性を証明したが、ミニガンの射程が短いため高度 1000m 以下での作戦を余儀なくされたうえ、機体の老朽化や夜間行動支援装備の欠如もあって損害も多く(53 機中 15 機を損失) 69 年 9 月には米空軍から退役し、残存機は南ベトナム空軍に譲与された。
AC-47 の愛称は「パフ・ザ・マジックドラゴン(Puff the Magic Dragon)」、また唯一の実戦参加部隊である第4空挺強襲中隊(4th Air Command Squadron) のコードネームからスプーキー(Spooky, 幽霊)」とも呼ばれた。

(2003/8/18更新)
(2003/8/22更新)
Douglas C-47A スカイトレイン(Skytrain)
DC-3 の軍用輸送機型が C-47 であり、後部ドアが大型の観音開きに変更されている点が旅客型と大きく異なる。エンジンは P&W R-1830-92 ツイン・ワスプ 14 気筒 1200hp。米軍による制式な愛称はスカイトレインだが、乗員達はむしろ親しみと信頼を込めて「グーニー・バード(Goony Bird)」と呼んだ。貨物輸送時は標準 2.7t/過搭載時 4.5t の貨物を、兵員輸送仕様では 28 名の兵士を、また患者輸送仕様では 14 名の傷病者を輸送できるほか、パラトルーパー母機およびグライダー牽引機として空挺降下作戦にも多用された。

(2003/9/22更新)
ダグラス C-124 グローブマスターII(Globemaster II)
1942 年、アジアと欧州での二面同時戦争という事態に直面した米陸軍は、大兵力を高速で長距離輸送するため超大型輸送機 C-74 をダグラスに発注した。しかし C-47・C-54 の戦時生産による多忙や R-4360 エンジンの開発遅延などに引きずられ、初飛行は終戦後の 45 年 9 月 5 日になってしまい C-74 は 14 機の生産にとどまった。だが冷戦体制のなかで再び巨大輸送機の必要性が認識され、C-74 の拡大発展型として作られたのが C-124 である。主翼・尾翼などは C-74 からの流用だが箱型の胴体は新規設計で、両開きの機首下面には昇降ランプが備えられ車両・人員などの迅速な積み降ろしを可能にしている。試作型 YC-124 は 49 年 11 月に初飛行し、量産型 C-124A 204 機と改良型 C-124C 243 機が量産された。R-4360 エンジンと巨大なプロペラが生み出す独特の振動から「オールド・シェイキー(Old Shakey)」の渾名で呼ばれ、米空軍では 1970 年頃まで使用された。C-124C の仕様は P&W R-4360-63A 空冷星型 28 気筒 3500hp x 4、最高速度 515Km/h、巡航速度 322Km/h、航続距離 3500Km、武装兵士 200 名または貨物 33.6t。

(2003/8/31更新)
ダグラス XCG-17
1943 年頃、ヒマラヤ山脈を超える航空輸送の効率向上案として試作された無動力グライダー。とは言っても C-47 の一機(41-18496 号)のエンジンを取り去って整形カバーをかぶせただけである。おそらく重心位置を合わせるためのバラストを搭載し、油圧を失った脚は下げ位置で固定されたと思われる。
1944 年からテストが開始されたが、「このクラスの大型グライダーを牽引するには B-17 あるいは C-53 クラスの大型機が必要」という当たり前の結果が出ただけだった。四発輸送機が大量投入できるならば貨物グライダーなど必要ない。そもそも悪天候と乱気流と日本戦闘機が跳梁するヒマラヤ上空でこんなグライダーが使い物になるかどうか、考えるまでもなく判りそうなものだが。
テストが終わった XCG-17 は再びエンジンを搭載し、戦後は余剰機材としてメキシコに転売され普通の輸送機として余生を送ったと伝えられる。

(2003/8/18更新)
(2003/8/22更新)
Douglas XC-47C
1943 年、太平洋戦線での島嶼作戦において飛行場設営能力や洋上輸送・揚陸能力の不足に危惧を抱いた米陸軍は C-47 の水陸両用型を発注した。フロートの老舗エド社(Edo)はステップ直後に主輪・フロート先端に引き込み式の先輪を持ち、1140 リッター増槽の機能を兼ねる全長 12.5m の特製フロート「モデル 78」を製作、C-47 の一機 42-5671 号に取り付けて試作機が出来上がった。フロートの性能は優秀で陸上・水上ともに良好な操作性を示したが、搭載量や最高速度の低下によって軍用輸送機としての価値は下がり、何より心配されていた「飛行場設営能力の不足」が杞憂に終わったため試作一機に終わった。エド社のフロートは 150 基が作られ、一部は現地改造用パーツとして前線にも送られた。戦後余剰となったフロートは民間に払い下げられ、大型の水上輸送機を欲するアラスカやカナダのブッシュ・パイロットの間で使われたという。

(2003/11/14更新)
WACO CG-4A
米陸軍は来るべき空挺作戦時代に備えて 1941 年に空挺グライダーの競作を実施、これに採用された機体が軽飛行機の老舗 WACO 社の CG-4 である。使い捨て機にふさわしく鋼管・木材・羽布などの素材で安価かつ簡素に作られており、胴体・主翼は輸送の便を考慮して分割式、コクピットを含む機首先端は簡単な仕掛けでパックリと開き人員・貨物の迅速な昇降が可能になっていた。乗員 2 名、完全武装の兵士 13 名または貨物 1.7t を搭載、最高速度速度 193Km/h。第二次大戦では C-53(DC-3 のグライダー牽引型)とのペアで神出鬼没の空挺作戦に活躍した。

(2006/7/12更新)
パイパーL-4グラスホッパー(1941)
 1940年に採用したO-49ヴィジラント観測機がやや高級に過ぎたことから、米陸軍は1941年に改めて連絡・観測機の選定に着手、テイラークラフトO-57、エアロンカO-58とともに採用されたのが本機である。3機種とも似たような設計と性能の軽飛行機だったことから、まとめて「グラスホッパー」と呼ばれた。本機の採用当初の名称はO-59だが、1942年の呼称規則改正によりL-4となった。
 すでに量産体制が整い、軍用練習機としての実績もあったJ-3型軽飛行機をベースにしていたこともあって「グラスホッパー」3機種の中では最も多く作られ、生産数は米陸海軍及び英空軍向けの約6000機に達した。用途も本来の砲兵観測・部隊間連絡にとどまらず、VIP輸送や患者輸送、対戦車攻撃にまで及んでおり、朝鮮戦争期に後継のセスナO-19や各種ヘリコプターに代替されるまで活躍を続けた。
 アイコンは、ノルマンディ上陸作戦に参加したL-4H。

(2004/2/26更新)
ベルOH-13スー(1945)
新興メーカーとして他に先んじる製品を欲していたベル社は、早くも1943年には独自技術によるタイプ30試作ヘリコプターを完成、その成果を活用して開発された実用機がベル47である。
ベル47は1946年3月に世界初の民間ヘリコプターとして型式証明を取得、同年12月には米陸軍がYR-13/H-13として導入を開始している。その後民間型の改良にあわせて軍用型も順次新型が導入され、米陸軍は朝鮮戦争からベトナム戦争の時期にかけて観測、偵察、連絡、救難、患者輸送、軽攻撃等に活用したほか、西側各国も標準的な軽ヘリコプターとして採用した。日本でも海上自衛隊が1995年まで使用している。
アイコンは、アメリカ陸軍のH-13H(民間型47G-2相当)。

(2006/03/13更新)
シコルスキーCH-37モハーヴェ(1953)
 米海兵隊の要求により開発された双発大型輸送ヘリコプター。ローター基部下から左右に伸びた短翼両端のポッドにR-2800エンジンと主脚を収納、さらに燃料タンクをこのポッドの後半と短翼取付部の前に配置することで、胴体内に長さ9.14mにわたる障害物のない搭載スペースを確保した。機首には車両の自走登載も可能な観音開き式のドア、胴体右側面にはホイストの装備も可能な大型ドア、床中央には容量4.5トンの吊下げポイントを持つ開口部を有するなど、積載重量だけでなく、多様な荷役作業への対応能力も重視した設計となっている。また、海兵隊型では主ローター及びテイルローター・パイロンが油圧折畳み式とされ、自動安定装置が標準装備となるなど、艤装面でも非常に先進的な機体であった。
 試験飛行段階からペイロード別高度記録や速度記録を樹立する高性能ぶりを示し、ベトナム戦争では兵員・物資の輸送や航空機の回収などに威力を発揮したものの、機構が複雑で整備性が悪く、高燃費なうえにエンジン重量が燃料搭載量を圧迫して航続力が不足するなどしたため、生産数は海兵隊型55機と陸軍型94機にとどまり、1960年代後半にCH-54やCH-47といったタービン動力の大型ヘリコプターが充足すると姿を消していった。

(2003/2/12更新)
CH-54 スカイクレーン
ペイロード9t(改修後のCH-54Bはペイロード12.5t)。
ベトナム戦争では多数の墜落機を回収した。
現在でも民間型が木材運搬や消防用に運用されている。

(2004/11/14更新)
ヒューズ OH-6A カイユース(Cayuse)
1961 年に発注された米陸軍の小型偵察ヘリコプター(LOH)要求仕様に基づき、Model369 として開発された機体。独特な卵型の胴体形状は低い空気抵抗と優れた視界、高い対衝撃性能を実現しているという。軽快で操縦性に優れる OH-6 は折からのベトナム戦争に投入され「Loach(ドジョウ)」「Little Bird(小鳥)」などの渾名で乗員から親しまれたが、小柄すぎる機体による運用上の問題も顕在化し後継機 OH-58 の開発を促すことになった。
OH-6A は 1434 機が米陸軍に納入された他、改良型を含め世界 23 ヶ国以上で採用されている。アリソン T63A-5A 317shp x 1、最高速度 240Km/h、航続距離 500Km。武装 7.62mm ガンポッドまたは 7 連装 2.75in ロケット弾ポッド x 2、乗員 2 名+乗客 3 名。

(2004/11/14更新)
OH-58D OA
特殊作戦用機として、OH-58Dに限定的ながらステルス性を付加した機体。ローターヘッド周りに電波吸収性能のあるカバーをかけ、機首には電波吸収材を詰めたカバーを追加しているのが外見的特長。ステルス性保持のため、武装しての運用は考えられていない。
18機が製造され、すべて第82空挺師団に配備されたといわれている。

(2004/11/14更新)
ベルOH-58Dカイオワ・ウォーリア(1983)
1969年の導入開始以来、エンジン・航法システムの強化やスティンガー運用能力の付加等で性能向上を図ってきたOH-58系観測ヘリコプターに、マスト・マウンテッド・サイトとレーザー照射装置を中心とする索敵・目標指示能力を追加し、メインローターを4翅化して機動性を向上させることで、AH-64や精密誘導兵器との連携を可能にした機体。1988年3月引渡し分からは、ヘルファイア対戦車ミサイル、ロケット弾ポッド、ガンポッド等の搭載が可能な武装型となっており、その後も赤外線ジャマーの追加、エンジン強化、衝撃吸収座席への換装等、順次改良が加えられている。機器の追加に伴う乗員の負担増大や重量増加による操縦性・オートローテーション能力の低下といった問題を抱えてはいるが、後継機となるべきRAH-66が計画中止となったため、2020年頃まで現役にとどまるといわれている。生産数は初期のOH-58A改造機125機を含めて373機。
アイコンは、2000年4月ごろ、ボスニア=ヘルツェゴヴィナに展開していた機体。

(2006/03/13更新)
マクドネルダグラスAH-64アパッチ(1977)
 1972年の米陸軍要求仕様に対する各社案から選ばれたヒューズ案により開発された、世界初、かつ21世紀初頭にしてなお最強の座を誇る生粋の攻撃ヘリコプター。当初から対機甲部隊戦を主目的とした重武装、殊にヘルファイア対戦車ミサイルの運用能力と全天候能力とを主眼として開発されたため、兵装搭載量の多さと多様さばかりでなく、全天候下での精密攻撃を可能とするTADS/PNVS(目標補足・指示照準/操縦手暗視センサー)を中心とした高度な探知・情報処理能力を最大の特長とする。また、数を頼むワルシャワ条約機構軍との戦闘を見据えた生存性にも重点が置かれ、探知されにくするためのs低騒音型テイルローター・大型排気冷却装置、23mm機関砲の直撃を受けても30分間の飛行が可能なローター・駆動系統、片方への被弾損傷が他方に波及しないよう胴体左右に分散されたエンジン、墜落時に壊れることで操縦席への衝撃の伝播を防ぐ機首 30mm 機銃・電子装置装着部構造などを備える。
 被弾時に容易に制御を失うテイルローター系統、額面どおりの性能と安定性とを発揮していないといわれる機首光学センサー群、整備性の悪さなどが指摘されてはいるものの、事実上同級機にライバルが存在せず、湾岸戦争での活躍もあったことから、1990年代以降は大きくセールスを伸ばしており、米陸軍のほか、英国、ギリシャ、サウジアラビア、UAE、イスラエル等に採用されている。

(2004/11/14更新)
ボーイング/シコルスキーRAH-66コマンチ(1996)
米陸軍LHX計画に基づく攻撃・観測ヘリコプター(1981年の当初案ではUH-1後継の軽輸送任務も含んでいた)として、1991年に試作が開始された機体。切子面構成・格納式機関砲・密閉式兵器倉によるRCS低減、低騒音型のメインローター及びダクテッドテイルローター、内部を丸ごとエンジン排気の消音・冷却装置としたテイルブーム等により、ヘリコプターとしては世界初の全面的ステルス設計となっている。また、可視・赤外線画像センサー、レーザー測距・照準装置、ロングボウ・レーダー(オプション)等からなる索敵・目標指示システムを備え、自らもヘルファイア、スティンガー等を運用可能な攻撃力を有する。飛行性能面でも巡航速度298km/h、横進速度130km/h超、最大旋回率100°/秒等の高レベルを誇る。
しかし、高性能ゆえに単価は約1億2000万ドルにも達し、対テロ戦では正規軍相手のようなステルス性も不要なことから、米陸軍はAH-64Dのセンサー・データリンク強化やUH-60改・UAV・簡易偵察ヘリの調達の方が効果が高いとして、2004年2月に開発中止を決定した。

(2006/11/27更新)
ユーロコプターUH-72
 救難、防災、国境監視、患者輸送等に用いられる米陸軍のUH-1後継機(LUH)の選定に参加、ベル412、AW139及びMD902を破って2006年6月に採用が決まった機体。ユーロコプターEC145(川崎BK117C-2相当)をベースとしており、後方任務用ながら全天候航法能力を備える。総計322機はユーロコプター・アメリカ社で生産されることになっており、運用支援担当にはボーイング、システム統合担当にはウエストウインド社をパートナーとする「バイ・アメリカン」の調達計画となっている。
 アイコンは、社有デモ機。量産機では、ワイヤカッター、赤外線ジャマー、各種通信アンテナの追加などの外見的変化があると思われる。

(2003/2/12更新)
Cessna O-2 Skymaster FAC仕様 (ただしロケット弾ポッドは無し)
単発エンジンのセスナ O-1 バード・ドッグの後継機として 1967 年に採用された観測機で、スピナーおよび昇降ステップの省略、天井とドアへの観測窓増設、燃料タンクへの防漏ゴム被服実施などが民間仕様と異なる。主翼に左右各 2 基のパイロンを付けた観測/軽攻撃機仕様の O-2A 500 機、スピーカーとビラ散布装置を備えた心理戦仕様の O-2B 32 機が生産され、特に O-2A はベトナム戦争で前線攻撃指揮機(Foward Attack Control...FAC)として大活躍した。基本性能は民間仕様と同じだが、防弾タンクによって燃料搭載量が約 5% 減少している(航続距離 1620Km)。なお O-2 の愛称は 337 と同じ「スカイマスター」なのだが、前作 O-1 と同じ「バード・ドッグ」とも呼ばれたらしい。

(2002/11/12更新)
(2003/8/16更新)

XAT-6E 試作練習機
AT-6系のエンジンであるP&Wワスプの供給不足が懸念されたため、レンジャーV-770空冷倒立V12エンジンに換装してみた機体。機首が細く、重量も軽くなったため、速度が338km/hから391km/hに、実用上昇限度が7315mから9144mへと性能の向上をみたが、エンジンの信頼性があまりに低く、ボツになった。そして、懸念されたワスプの供給不足は起こることなく戦争は終わった。

(2002/10/9更新)
Bell X-1
超音速に挑戦した機体、世界ではじめて音速を突破したこになっているらしい。
幅8.53m 長9.42m 自重3,171kg 最大重量5,550kg
最大速度M1.45

(2002/12/2更新)
Douglas X-3 Stiletto
自力で離陸し、超音速に挑もうとした機体。
予定していた発動機が大型化し、替わりに搭載したエンジンが非力で、予定した性能を発揮できずに終わった。
"世界の駄っ作機"参照
幅6.9m 長20.4m 自重6,507kg 総重量9,435kg
最大速度1,136km/h 航続時間1時間

(2004/7/4更新)
ライアンX-13ヴァーティジェット(1955)
1947年4月に海軍が発注した技術研究計画から開発が始まったテイルシッター式の VTOL実験機。主に潜水艦から発進する戦闘機へと発展する構想であったが、朝鮮戦争終結後の海軍の予算縮小により、空軍の前線防空戦闘機を目指した計画へと移行した。ホバリング実験装置による試験を経て完成した機体は全備重量わずか3.3トンの超小型デルタ翼機で、2軸式の推力変向ノズルと両翼端の圧縮空気ノズルとでVTOL時の姿勢制御を行う。射出座席をVTOL時の視界確保のために45度前傾させるため、機体に比べて非常に大きなキャノピーを持つ。離着陸は専用の台車から行い、機首のフックを発射台上のワイヤに引っ掛けて機体を固定する。主脚に見えるのは発射台面に接触するときのためのダンパー。
固定式車輪を付けての飛行テストは1955年12月から開始され、1957年4月11日にはジェット機として世界で始めて垂直離陸〜水平飛行〜垂直着陸の完全VTOL飛行に成功した。しかし、通常離着陸機の速度・航続性能が向上して「前線からの緊急発進」を追求する必要がなくなったことと、エンジン推力未満の重量では兵装や燃料等裁量に著しく制限を受けることから1958年には計画中止となってしまった。
アイコンは、初の完全VTOL飛行に成功した2号機。

(2004/7/4更新)
X-13ヴァーティジェット(台車固定状態)
発射台は油圧シリンダーにより水平から垂直まで可動するようになっており、乗降は水平姿勢で行う。発射台頂部には着陸誘導員用のバケットも備えられている。フック引掛アームから伸びているのは着陸時の姿勢参照用バー。

(2002/10/28更新)
NorthAmerican X-10
核弾頭搭載の超音速巡航ミサイルSM-64ナバホのテストベッドとして、戦後ドイツから捕獲した誘導技術を取り入れ開発した。
製造されたうち3基は地対空ミサイルのターゲットにされた。
全幅8.58m 全長20.16m 全高4.5m 自重11,700kg 全備重量19,050kg 最大速度マッハ2.05 有効射程距離1,370km

(2002/9/14更新)
ベル X-14
1957 年に作られた VTOL 実験機。
ジェットエンジンの推力偏向(スラスト・ベクター)による浮上と圧搾空気噴出による姿勢制御(オーギュメント・コントロール)の実証実験モデルで、ビーチクラフト T-34 練習機やボナンザ軽飛行機などの部品を継ぎ合わせて作られており、固定脚・開放座席などいかにも急造機という雰囲気を持っている。
X シリーズには珍しく長寿で VTOL の操縦実習や基礎データ提供に貢献したが、1981 年に着陸事故で半壊し現役を引退、機体は修理されアラバマの空軍博物館に納められた。
ジェネラルエレクトリック J-85-GE-19(推力 1368Kg)x2、最高速度 277Km/h、生産数 1。

(2002/10/28更新)
MartinMarietta X-24A
リフティングボディ機のテストベッドとして開発された。
全幅4.16m 全長7.47m 全高3.15m 自重2,858kg 全備重量5,194kg 最大速度マッハ1.6 最高高度21,765m

(2002/10/28更新)
MartinMarietta X-24B
X-24Aに空軍航空力学研究所のデザインにより改造を受けた。
全幅5.84m 全長11.43m 自重3,538kg 全備重量6,260kg 最大速度マッハ1.76 最高高度22,595m

(2003/3/14更新)
ノースロップ・グラマン X-29A
1982 年に作られた前進翼実験機で、コンポジット素材の主翼とカナードは新造品、胴体は中古の F-5E を大改造し F404 単発に変更したもの(ただし F-20 とは異なるようだ)。
未来的なフォルムは当時の飛行機ファンに鮮烈な印象を与え、アニメや特撮に出てくる「未来の戦闘機」が悉く前進翼になってしまう現象さえ巻き起こしたが、X-29 自身はあくまで技術実証機であり実用性は殆ど持ち合わせていない。
1984 年から約 10 年間にわたって貴重なデータを収集したが、前進翼にはデメリットも多く実用機への採用は見送られた。
ジェネラルエレクトリック F404-GE-400(推力 7258Kg)、最高速度 1930Km/h(マッハ 1.6)、航続距離 740Km、生産数 2。

(2003/1/27更新)
LockheedMartin X-35JSF
F-16, FA-18, AV-8 の三機種に相当する次世代戦闘爆撃機を空軍・海軍・海兵隊の三軍共通装備(のちに英海軍が加わる)とする構想が JSF(Joint Strike Fighter)プログラムで、1993 年よりボーイング X-32 案とロッキード X-35 案の間で競作が行われた。最大の問題は超音速の小型ステルス戦闘機に AV-8 ハリアーを置換し得る VTOL 性能を組み込むことだったが、X-35 はヤコブレフが Yak-141 用に開発したアフターバーナー付き 90 度偏向ノズルをパテント購入して採用、機首側の垂直推力発生にはクラッチ付き延長軸駆動のリフト・ファンを新規開発して搭載した。2001 年 10 月に JSF プログラムの勝者として選定され、F-35 の型番で各型あわせ約 3000 機が量産される予定になっている。
全長15.41m(C型15.5m) 全幅10m(C型13.12m) 全高4.07m 最大重量22,680kg 最高速度M1.5 航続距離3000km

(2003/7/6更新)
ノースロップ「タシットブルー」試作ステルス偵察機(1982)
胴体側面にフェイズドアレイ方式の合成開口レーダーを埋め込むことで、ステルス性を有したまま電波偵察を行うことを目標に製作された機体。F-117では機体全体を平面構成にすることで実現していた電波反射方向の局限化を曲面を含む形状についても実現できる新世代ステルス設計用CADやステルス形状と飛行性能を両立できる飛行制御システムの実用実験も兼ねての開発であった。同一平面上においては軸線から左右10°方向と真横からしかレーダー探知できず、機体上面に設けられた吸排気口とV尾翼により、下方からの探知も困難となっている。
偵察機としては「電波を出しっぱなしのステルス機」という矛盾を解消できず、非ステルス機ながら敵防空圏の外からの画像取得が可能な大型合成開口レーダーを持つE-8ジョイントスターズ計画に取って代わられてしまった。しかし、B-2・YF-22/23以降の米国ステルス機設計に残した技術的資産は大きい。

 ミサイル・爆弾

(2008/6/21更新)
AGM-88 HARM
ワイルド・ウィーゼル任務で使用される対レーダーミサイルで、HARM とは Highspeed Anri Rader Missle の略。

(2008/6/21更新)
AIM-7 スパロー(Sparrow)
母機からの誘導反射波を使って誘導するセミアクティブ・ホーミング型の空対空ミサイル。

(2008/6/21更新)
AIM-120 アムラーム(AMRAAM)
ミサイル自身が電波発信能力を持つアクティブ・ホーミング型の空対空ミサイルで、母機からの照射誘導が必要だった前作スパローに対し「撃ちっ放し」(Fire and Forget)が可能となった。AMRAAM とは Advanced Mideum Range Air to Air Missle の略である。

(2008/6/21更新)
AIM-9 サイドワインダー(Sidewinder)
赤外線ホーミング型空対空ミサイルの古典的ベストセラーである。

(2008/6/21更新)
AIM-9X サイドワインダー(Sidewinder)
サイドワインダーの近代改修型。

(2008/6/21更新)
GBM-28 バンカーバスター(Bunker Buster)
強固な建造物や地下構造を破壊するために開発された浸徹型の大型爆弾。

 巨人機

(2002/10/14更新)
Hughes H-4 Hercules Spruce Goose
1947年11月2日、離水に成功、1マイルと少し飛んで、一応飛ぶことを証明、そして終わる。観光施設となっていたが、現在はオレゴンの博物館に展示されている。
320feet 219feet 400,000pounds pay 130,000p 全幅約98m 全長約67m 全備重量約180t ペイロード約60t

(2002/9/14更新)
ノースアメリカン XB-70 ヴァルキリー(Valkyrie) 2 号機
いかなる戦闘機よりも高速で高々度を飛び、あらゆる戦略目標を攻撃可能であることを目指し開発された超音速爆撃機。
しかし開発コストの高騰、地対空ミサイルの高性能化、ICBM 実用化の目処などによって試作 2 機でキャンセルされた。
試作 2 号機は先行量産型となる筈だった機体で 1965 年 7 月に初飛行したが、66 年 6 月に空中衝突事故を起こして失われた。
ジェネラルエレクトリック YJ93-GE-3(推力 14000Kg)x6、最高速度 3309Km/h(マッハ 3.1)、巡航速度 3219Km/h(マッハ 3.0)、航続距離 6900Km、核または通常爆弾最大 23t、乗員 2 名。

(2002/9/14更新)
ノースアメリカン XB-70 ヴァルキリー(Valkyrie) 1 号機
1964 年 9 月に初飛行した機体で、空軍で XB-70 計画がキャンセルされた後は NASA に委譲され、69 年まで高々度高速実験機として使われたあと博物館に納められた。

(2002/10/8更新)
Lockheed C-5 Galaxy
そこそこ大きい輸送機。でも最大離陸重量はどうやらB-747の方が重いらしい。まともに運用されている機体のなかでは最大。
競作で不採用に終わったBoeing機の方がB-747として商業で成功しているわけで、C-5の方はむしろ損。
幅67.88m 長75.54m 自重169,644kg 最大離陸重量379,657kg 最大速度490kt 航続距離5,526km

(2002/9/22更新)
Boeing C-17 GlobemasterV
M1戦車等も搭載可能で、搭載システムが改善されている。
なんかもう凄いらしい。
幅51.75m 長53.04m 自重125,650kg 総重量265,350kg
最大速度M0.7 戦闘航続半径920km 搭載量沢山

(2003/10/15更新)
マクダネルダグラスKC-10エクステンダー(1980)
米軍の海外展開能力を飛躍的に高めることのできる空中給油輸送機として、1977年12月にボーイング747改造案を退けて開発が始められた機体。当初16機調達の予定であったが、最終的には1988年までに60機が生産された。機尾にFBW制御式フライングブームとホース&ドローグ式の給油装置を持つほか、主翼にホース&ドローグ式の給油ポッドが装備でき、米空軍機のみならず、海軍・海兵隊機、さらに他国軍機への作戦支援も行える。
進出距離にもよるが、KC-135の2.5〜4倍の給油能力を持つほか、構造面で88%の共通性を有する原型機DC-10-30Fと同等の輸送能力も併せ持つため、戦闘機2〜4機に空中給油しながら支援機材・地上要員ごと大西洋越えの展開をさせることさえ可能である。
米空軍では、最新の航法装置の追加等の改修を重ねながら、本機を2043年まで運用する予定。

(2008/03/08更新)
Boeing VC-25A
大統領専用機エア・フォースワンとして有名だがVC-25は大統領が乗るときだけエア・フォースワン、副大統領が乗るときにはエア・フォースツー誰も乗らずただの移送のときは、サムとして飛行する。なお、VC-25は航空機動コマンド(AMC)第89輸送航空団プレジデンシャル・フライトが管理している。
1990年に2機のボーイング747-200を改造して導入された。移動時は、必ず1機が、バックアップとして同行する。機内に各種通信機器を持ち、執務室、会議室、随行員質などがある。