アルゼンチン
解説協力:まなかじさん   .
     舞沙Pさん     .
     和来名春さん   .
     zonoさん     .
    ささきさん     .
     Schumpさん    .
    えりゅさん     .
     桐緒さん     .
     J1N1-Saさん    .
     中村さん     .
    たま、さん     .
        ユイル・イル・テル・メーズさん.
     HIGUさん     .
     C.L.Dさん     .

(2002/10/17更新)

IAe 27 PulquiT
南米で開発された最初のジェット機らしい、20mm機関砲4門を搭載する予定だった。ドヴォアチンの設計。
全幅11.25m 全長9.96m 全高3.39m 全備重量3,600kg 最大速度850km/h

(2002/10/17更新)

IAe 33 PulquiU
クルト・タンクが開発した本格的ジェット戦闘機のはずだった。
しかし、着陸性能に問題があり生産には至らず、終了。
全幅10.6m 全長11.6m 全高3.3m 自重3,600kg 全備重量5,550kg 最大速度1,040km/h 20m*4

オーストラリア

(2002/11/11更新)
(2003/8/16更新)

コモンウェルス「ワイラウェイ」多用途機(1939)
オーストラリア空軍初の国産機。T-6テキサンの原型であるBT-9(固定脚)とBC-1(引込脚)にオーストラリア独自の仕様を盛り込んで改良したもの。
日本との開戦時、本機以外にまともな作戦機を持たなかった空軍は、本機を偵察、連絡、地上部隊支援、はては防空戦闘にまで投入、米英からの輸入機が安定供給されるようになるまでの間、よく戦線を支えた。
アイコンは、1942年12月26日にニューギニアのゴナ付近で零戦を撃墜した機体(操縦士ジョン=アーチャー中尉、偵察員N.J.ミュイア軍曹)。これはT-6系列の機体として唯一の空対空戦果であるとされている。
"Wirraway"とは、アボリジニ語で「挑戦」の意味。

(2002/10/14更新)

CAC CA-15 Kangaroo
オーストラリアが戦闘攻撃機として開発したムスタングに似た機体。グリフォン積んでおきながら二重反転プロペラを採用していない。
試作機1機が完成したのみで終わってしまった。

ブラジル

(2003/8/30更新)
(2004/3/13更新)

エムブラエルEMB-312トゥカノ練習機(1980)
300馬力級レシプロ練習機T-25ウニヴァーサルを代替し、750馬力級ターボプロップエンジンによりジェット機に近い飛行特性を持たせることでブラジル空軍の訓練課程を革新するために開発された初・中等練習機。当時の新世代ジェット練習機に範をとって後席位置を高くしたタンデム式のコクピットは一体型のバブルキャノピーで覆われ、射出座席までも装備する。1930年代後半の戦闘機に勝るとも劣らない性能は軽攻撃機としての使用にも堪え、国情によっては実用機転換訓練への直接移行すら可能なことから輸出商品としても人気が高く、1999年までに英仏向けの強化型を含めて15カ国から650機を受注する等の成功を収めた。さらに1300馬力級に強化された高等訓練/軽攻撃型EMB-312Hも生産されており、今後も市場を広げることが予想される。
アイコンは、ブラジル空軍曲技チーム「エスカドリラ・フマサ」の2001年シーズンまでの塗装。

ブルガリア

(2003/6/29更新)

Bf109E
ブルガリア空軍仕様

カナダ

(2003/3/19更新)

Fairey Battle(練習機)
カナダ空軍のバトル練習機仕様です。
ちなみにイギリス本国の妙な練習機型とは別のものです。

(2002/9/29更新)

ホーカー・シーフューリー FB.Mk.11
ブリストル・セントーラス空冷スリーブバルブ 18 気筒 2400hp、プロペラは五翅左回り、武装はイスパノ Mk.V 20mm 機関砲四挺に加え爆弾ロケット弾など 900Kg、航続距離約 1200Km、最高速度 732Km/h。
タイフーン、テンペスト、フューリーと発展したシドニー・カム設計によるレシプロ戦闘機の最高峰で、朝鮮戦争では MiG-15 も撃墜している。
塗装はカナダ空軍のもの。

(2002/10/19更新)

CF-101・B Voodoo
F-101・B Voodoo のカナダ空軍仕様

(2002/10/17更新)

Avro Canada CF-105 Arrow
カナダが自力で開発した大型迎撃戦闘機、の筈だった。
全幅15.24m 全長23.715m 全高6.477m 自重22,245kg 最大離陸重量31.118kg 最大速度2104km/h

中華人民共和国

(2003/2/26更新)
(2003/3/31更新)

瀋陽 殲撃8型 J-8「Finback」
中ソの関係が悪化していた1960年代後半に中国が独自で開発した超音速戦闘機。
当時コピー生産していたMIG−21を大型/双発にしたような機体。
初飛行は1969年だが、それと前後する形で起こった文化大革命の影響で以後の開発は停滞、生産が開始された頃には既に旧式化していた。
生産数は旧式化が明らかであった事からそう多くないものと思われる。

(2005/10/1更新)

成都 殲撃9型 FC-1「梟龍」(2003)
国内においては殲撃7(MiG-21)と強撃5(MiG-19改)の、輸出市場においてはMiG-21、F-5等の代替となるべく開発中の機体。1986年の当初計画は、空力設計は殲撃7のまま機首レドーム・電子機器搭載スペース拡大のためにエアインテイクを胴体両脇に移設する「超七」と呼ばれるものであったが、1989年の天安門事件をきっかけに提携先のグラマンが撤退、計画はいったん頓挫した。その後、ロシアからの技術導入とパキスタンからの資金参加を得て計画は再始動したが、年月の経過により広がったF-16等の西側戦闘機との技術的・性能的格差を埋めるための徹底的な改設計がなされ、殲撃7の面影は胴体周りに残るだけとなった。
 F-16に似たストレーキ付き小後退角のものとされた主翼により、翼端AAMランチャーを含む片翼3箇所のハードポイントによるマルチロール能力と遷音速域での機動性を獲得した半面、エアインテイクを固定式にしたこともあって最高速度はマッハ1.6にとどまる。操縦系は二重系のデジタルFBWだといわれるが、単に縦方向の強力な安定増強装置を持つだけとの推測もある。宣伝されているステルス設計にしても、外板や塗装にRAMを適用した程度の限定的なものである。火器管制装置は、試作機ではイスラエル製EL/M-2032だが、中国空軍向け量産機にはロシア製コピョー又はジューク、輸出用にはイタリア製グリフォS-7が予定されており、2台の多機能表示装置を持つコクピットから的確な操作が可能である。
 「F-16の半値で性能は同じ」との売り文句こそ勇ましいが、RD-93エンジンを提供しているロシアが第三国向け輸出に否定的なこともあり、F-5、MiG-21、ミラージュ等の近代化改修やF-16中古機に対してどれだけの市場競争力を持ちうるかは少々疑問である。しかし、やや心許ないとはいえF-20程度の能力はあり、同級の殲撃10よりも安価で技術上のリスクも小さいことから、中国空軍向け200機程度、パキスタン空軍向け150機程度の生産が見込まれている。
 アイコンは、試作3号機。宣伝用にパキスタンの国籍標識をつけているが中国空軍所属機である。1号機に見られた境界層板は廃止されている模様。

(2003/4/26更新)
(2003/8/16更新)

成都 殲撃10型(1998)
Su-27/30MKKとのハイローミックスにより次世代の中国空軍を担うべく開発中の軽戦闘機。80年代にイスラエルで開発されていたラビに範をとった(技術供与を受けた?)クロース・カップルド・デルタ形式の単発機だが、大型のロシア製AL-31Fエンジンを積んだために胴体はひと回り太く、カナードと主翼の位置関係や可変断面積式エアインテイクにはユーロファイターの影響も見られる。これらは抵抗の少ない低いキャノピーや大型の垂直尾翼とあわせて、本機がラビとは違って高速・高高度での迎撃任務をも担うことを示している。
試作機(6機?)に試験が続けられる一方、2002年末までには先行量産型による試験部隊が編成された模様。アイコンは、その先行量産型(一部推定)。

(2004/10/24更新)

南昌 殲撃12型(1970)
ベトナム防空戦におけるMiG-17の活躍を戦訓に、仮設飛行場からゲリラ的な防空戦闘を行うために開発された中国初の国産超音速戦闘機。中ソ対立による殲撃7型(MiG-21)の生産・戦列化の遅れを補うため、また毛沢東思想に合致した運用方法ゆえに大きな期待がかけられ、計画開始後20ヶ月足らずで初飛行にこぎつけた。空戦時には1に達する推力重量比と低翼面過重で高機動性を発揮するはずだったが、ロール性能の低さやダッチロール傾向の修正等に手間取り、1975年には外翼の形状変更、空気取入口へのショックコーン追加、アヴィオニクス増設等の改良を施した第二次試作機が投入されたものの、根本的な改善には至らなかった。そのうち殲撃7型の量産に見通しがついたこともあり、航続距離わずか688kmでAAMの運用も困難な本機の開発を継続する意味はなくなり、1978年に計画中止となった。試作機製造数は第一次・第二次あわせて4〜6機と推定されている。
アイコンは、第一次試作機の2号機と思われる機体。

(2007/6/6更新)

貴州 殲教(高教)9型 FTC-2000「山鷹」(2003)
 殲撃7型(MiG-21)近代化型、殲撃10型、殲撃11型(Su-27/30)といった新世代戦闘機の乗員を効率的かつ安全に養成するための新世代超音速練習機として開発された機体。同社で生産してきた殲撃7型系列をベースとしているが、同機を単に複座化しただけのような殲教7型とは異なり、空気取入口を胴体側面に移して機首にレーダー火器管制装置(オプション)等の電子装置を搭載するスペースを確保、前後席に28cmもの高低差がつけられた視界の良いコクピットにはHUD・多機能ディスプレイ2基・HOTAS操作系を採用、主翼も離着陸性能と機動性を改善するために面積を13.7%拡大した小後退角・大アスペクト比のダブルデルタ翼とするなどして面目を一新している。しかし、ポストストール機動やFBWによる可変操縦性といった第4世代以降の戦闘機に対応した性能を有しないため、中国空軍においては、同時に開発が進んでいる完全新設計の洪都L-15が失敗したときの保険としての位置付けにとどまっている。しかし、L-15の開発が難航していることから、機体価格の安さと技術的リスクの低さを武器に、同機が進出しようとしている輸出市場の一部に進出できる可能性は残っており、意欲的な開発とセールスが続けられている。
 アイコンは、試作2号機と思われる機体で、エアショー向けの塗装を施している。

クロアチア

(2003/6/29更新)

Bf109G-10
クロアチア空軍仕様「黒の4号」
これは1945年、イタリア北部で活躍していた機体のようです。

チェコ

(2003/9/9更新)

Avia B-71
ソヴィエト製ツポレフSB-2のチェコにおけるライセンス生産版。同国空軍で使われたほか、ブルガリアにも輸出された。しかし、程なくチェコスロバキアはドイツによって解体され、保有していたB-71も殆どがドイツに接収されてしまったとか。

(2003/8/30更新)
(2003/9/6更新)

アエロL-39アルバトロス練習機(1968)
L-29デルフィンに代わる新世代のワルシャワ条約機構加盟国軍統一練習機として開発された機体。世界的に見ても第2世代のジェット練習機の嚆矢となった機体であり、一段高い教官席や低燃費ターボファンエンジン、兵装訓練/軽攻撃にも使用可能な装備類等といった特色はその後の各国ジェット初等・中等練習機の必須要件となった感がある。基本型L-39Cのほか、兵装訓練型ZA、攻撃兼用型ZO、西側規格型L-139、エンジン/火気管制装置強化型L-59/159系列等が開発・生産され、ワルシャワ条約機構崩壊後も商品価値を失わないロングセラーとなっている。
性能・価格・運航経費の低さ・信頼性等が高いバランスでそろった機体であることから、ソ連・東欧圏以外の諸国にも数多く輸出されており、冷戦終結後には民間登録されてアクロ機やエアレーサーとして活躍している機体もある。
アイコンは、分裂前のチェコスロバキア空軍で使用されていたL-39ZA。

エジプト

(2002/10/25更新)

Halwan HA-300
エジプト・ハルワンの国営航空機工場がHispano Aviacion社の開発していた設計を譲り受け開発した、純国産軽戦闘機。
メッサーシュミットの設計。エジプト政府が開発資金を止めたため生産せず、終了。
全幅5.84m 全長12.4m 全高3.15m 全備重量5,443kg 最大速度2,124km/h 戦闘半径643km 武装ヒスパノ30mm*2他

(2004/8/14更新)

CH-47C(M)

フィンランド

(2003/6/17更新)

Ilyushin DB-3
フィンランドでは1939年末の冬戦争中に不時着したDB-3を5機鹵獲し、更に1941年9月にはドイツからバルバロッサ初期に捕獲されたと思しき6機を追加購入している。数が揃わないこともあって、爆撃よりは偵察任務などに使用されたらしい。

(2003/8/30更新)

Douglass DC-2 ハンシン・ユッカ号
「弱きを扶け、強きを挫く」そんな熱き血潮がちょっと強く流れ過ぎていたスウェーデンのファン・ルーセン伯爵家。フィンランド独立戦争に際しては当主エリック・ファン・ルーセン伯爵が自ら飛行機に乗って義勇兵として参加。これが新生フィンランド空軍の礎石となり、これにより伯爵家に伝わる幸運の印たる青い鍵十字がフィンランド空軍の国籍標識になったのでした。

時は流れて1939年の冬戦争。先代同様いささか突き抜けた義侠心の持ち主であった次代当主のカールグスタフ・ファン・ルーセン伯爵も、そんな大国の横暴を看過できる人物では(良くも悪くも)ありませんでした。ソ連軍に正義の鉄槌を下すべく、商用輸送機DC-2に爆弾架と機銃を取り付けて爆撃機(のようなもの)に改装。ハンシン・ユッカ号と名づけたこの機体でフィンランドに乗り込んできます。護衛戦闘機としてオランダはコールホーフェン社でお蔵入りになっていた複葉戦闘機F.K.52の試作機2機を従えて…。

1940年2月に行われた第一回の爆撃行は伯爵の(いささか突き抜けた)義侠心が天の感じるところとなったのか、はたまたこんな飛行機がのこのこ爆撃に来ること自体が信じられなかったのか、迎撃を受けることもなく成功(と言っても戦果のほどは不明)。しかし帰路に片方のエンジンが故障し、何とか帰り着いたもののそのまま終戦を迎えます。修理なったハンシン・ユッカ号はその後はまっとうに輸送機として使われ、過酷な継続戦争をも戦い抜きました。退役後はコーヒー・ハウスとして使われたりもしたハンシン・ユッカ号は、今はTikkakoski Finnish Air Force Museumに保存されています。

(2003/8/30更新)

ツポレフSB-2bis

(2003/6/29更新)

Dornier Do.17Z
爆撃機としては旧式のブレニムを主力としていたフィンランド空軍への梃入れとして、1942年からJu-88と共に供与を開始。Z-1からZ-3までの各型合わせて15機が配備された。1940年中に生産が終了していることを思えば体のいい廃物利用な気もするが、それでもブレニムやSB-2と共に軽爆隊の主力を構成し、1944年の“流血の夏”を凌ぎきるのに一役買う。

(2003/2/21更新)

フィンランド空軍仕様 Blenheim Mk.IV
フィンランドでは1939年の冬戦争に際し、ブレニムMk.I、Mk.IVをそれぞれ12機ずつ購入したほか、後には同国内でライセンス生産を行った。冬戦争には間に合わなかったものの、続く継続戦争の期間を通じて軽爆隊の主力として活躍した。

(2003/5/21更新)

フォッカー D.21 (Fokker DXXI)
1936年にオランダから購入後、国内でもライセンス生産を開始。1939年の冬戦争時、フィンランド空軍が保有していた戦闘機は旧式のブリストル・ブルドッグを除けば実質この機体だけであった。僅か42機の“フォッケル”は、しかし性能と数に勝るソヴィエト空軍に対して果敢な邀撃戦を展開し、祖国の独立の保持に貢献。“雪中の奇跡”の空の主役となる。その後主機をツイン・ワスプJr.として1944年までライセンス生産が続けられ、1948年まで使用された。
フィンランドでの実績:装備97機、撃墜191機 損失16機

(2003/5/17更新)

フィンランド空軍仕様 Brewster 239
フィンランドで使用された米海軍のF2A-1 Buffaloの輸出型。武器輸出法に引っ掛らないようにエンジンや艤装品を換装している。現場では「ブルーステル」で通っていた模様。冬戦争末期から44機が引き渡され、1943年から始まるBf109Gの導入までフィンランド空軍の主力として活躍した。継続戦争では450機以上のソ連機を撃墜する戦果をあげ、“空の真珠”とまで呼ばれる。
フィンランドにおける実績: 装備数44機、撃墜478機、損失23機

(2003/5/13更新)

モラーヌ・ソルニエ MS406 (Morane Saulnier MS406)
1939年の冬戦争に際してフランスから30機を供与される。更にドイツから対仏戦で鹵獲したMS406及びMS410計57機を購入し一気に戦闘機隊の最大派閥となるのだが、実際には数的には約半分しかないブルーステルのほうが大活躍するのはつまりそういうことなのではないかと…。現場では「モラン」で通っていた模様。後半には既に旧式化したMS406の主機を拾い物のクリモフに換装した所謂メルケ・モランも登場するが、それでやっとMS406本来のカタログデータが出せるようになったに留まったという話も。(詰まり、それ以前の状況は推して知るべしなわけで…。)

フィンランドでモランの撃墜戦果が目立たないのは、20ミリの威力を買われて地上攻撃にも出てたこともなくはないかもしれません。28戦隊は敵機が少ないカレリア北東部でムルマンスク鉄道沿いにパトロールし、列車がいたら撃つ、ムルマンスクから南下してくる偵察機を見つけたら撃つというのが基本的な任務でしたから・・・。
戦闘機として駄目っぽい(空戦性能とか速度性能とかというより整備がめんどくさいとか被弾に弱いとか)からという理由もまた当然ありそうですが、G50の26戦隊はいちおうBWと並んで主戦線にいたので、やっぱりHS404の大威力を買われての機関車攻撃機だったのでしょう。

(2003/6/17更新)

Fiat G.50
お馴染み冬戦争に間に合わなかった戦闘機の一つ。本国では今ひとつ不評だったが、フィンランドでは高く評価されたのか他に戦闘機がなかったのか、ともかくブルーステルと共に戦闘機隊の最前面に立つ。戦果もさることながら、空中戦による喪失わずか2機は立派。
フィンランドでの実績:装備35機、撃墜101機 損失5機

フランス

(2003/9/9更新)

ミラージュIII
フランスの傑作無尾翼デルタの小型戦闘機。
輸出市場でも、後継の5/50含めて大成功。未だに現役として活躍中の国も多い。
第三次中東戦争(6日間戦争)での活躍により、一躍ミラージュの名が知れ渡る。
また、イスラエルのクフィルや南アのチータ等のベースとなっている。
最大速度:2.2M(12200m) 自重:7050kg 航続距離:3150km 上昇限度:18300m

(2003/9/9更新)

ダッソー・バルザック(Dassault Balzac)
1960〜70 年代、「先制核攻撃による飛行場壊滅」の脅威に対応すべく世界各国で盛んに試作された VTOL 機のひとつで、実用機(と目されていた)ミラージュ IIIV のスケールダウン試作型。実機はミラージュ III 試作機の部品を流用して作られたが、胴体はほぼ別物で内部に 8 基ものリフトエンジン+1 基の推進用エンジンを内蔵していた。機体は 1962 年 7 月に完成し拘束状態での浮上テストを開始、真の意味での「初飛行」は 63 年 3 月 1 日、早くも 3 月 29 日には垂直離陸−水平飛行−垂直着陸を実現。63 年パリ航空ショウでも喝采を浴び順風満帆と思われた本機の未来には悲劇が待ちかまえていた。空軍納入後の 64 年 1 月 27 日に姿勢制御困難に陥って墜落半壊、パイロット殉職。機体は再生されたが 65 年 9 月 8 日に飛行中の燃料カットによって再び墜落全損、またしてもパイロットは殉職した。
ブリストル・オルフェウス(推力 2200Kg)x1、ロールスロイス RB-108(推力 1000Kg)x8、最高速度マッハ 0.9、武装なし。

(2003/9/9更新)

ミラージュ5
第三次中東戦争における運用実績から、イスラエルはミラージュIIIが戦闘爆撃機(攻撃機)としても優秀であると知った。そこで、攻撃機としては不要の部分を廃止し、その分昼間戦闘機/攻撃機としての能力を高めた機体の開発をダッソーに依頼する。
こうして開発されたミラージュ5であるが、フランスの中東政策見直しから、イスラエルへの輸出は中止される。(その結果として、イスラエルでダガーやクフィルが開発されることとなる)
最高速度:2.2M(11000m) 自重:6500kg 航続距離:3700km 上昇限度:20000m

(2003/9/9更新)

ダッソー・ミラージュF1C
デルタ翼のミラージュシリーズで知られる仏ダッソー社が開発した、後退翼と尾翼という配置の機体。

(2002/12/8更新)
(2003/8/16更新)

ドヴォアチンD.510戦闘機 (1934)
最強のエンジン(イスパノスイザ12Y・860馬力)に最強のモーターカノン(イスパノスイザ50・20mm)を組み合せた最強戦闘機…のつもりだったが、量産ペースがあまりに遅く、120機しか作らないうちに後継機に道を譲ることになった。なかでも1939年になってから海軍に納入された機体は、たった4ヶ月で退役してしまった。
しかし、日本とソ連が本機を技術資料として購入、それぞれにおけるモーターカノン戦闘機の開発に寄与した…はずだが、日本でモーターカノン戦闘機が量産されることはなかった。

(2004/9/21更新)

ブロッシュ210(1934)
マルセル=ブロッシュ社(現ダッソー)が海軍の水上雷撃機と空軍の重夜間爆撃機の要求に共通の機体で応えるために開発した機体。前作ブロッシュ200の大柄な四角断面胴体を踏襲し、長時間飛行に必要な居住性と作戦に応じた多様な爆弾搭載パターン(500kg2発〜10kg128発)を実現している。試作機は固定脚であったが、水上雷撃機型が採用されなかったこともあって量産型は引込脚となり、消炎排気管の追加やエンジン換装等の改修を経て1939年初めまでにスペイン及びルーマニアへの輸出分を含めて253機が生産された。
 アイコンは、1938年に第23爆撃航空団第2飛行隊第4中隊に所属していた機体。同飛行隊は1940年5月のドイツの侵攻開始時にはLeO451への機種更新を開始しており、本機での実戦参加はしていない。

(2004/12/20更新)

アミオ143M(1934)
フランス初の全金属製爆撃機とはいえ暫定生産型の感があったアミオ140M(1928年初飛行)の最終改良型として開発された機体。保留されていた機内配置と防御武装の見直しを実現したほか、出力強化にあたっては戦闘機への液冷エンジン優先供給方針をうけてノームローン14K系列を採用した。低翼面荷重による良好な離着陸性能と戦略目標攻撃から地上部隊直協までこなせる多様な搭載能力を有してはいたが、1935年部隊配備の機体として鈍足の固定脚機はいかにも時代遅れであり、第二次大戦開戦時には機種改変が半ばまで進んでいた。独仏戦緒戦の昼間爆撃で大損害をこうむってからは夜間の爆撃・偵察に散発的な活動を見せるにとどまり、ドイツ占領下・ヴィシー政権下では輸送機に転用されてしまった。生産機数は178機。
アイコンは、本機の最初の配備先である第22爆撃航空団第2飛行隊(配備開始後に第3飛行隊から改組)所属機。

(2003/2/21更新)

マーチン 167F (Martin 167-F)
XA-22として開発されたものの、本命の合衆国陸軍では不採用。しかし、何がウケたかフランスで採用され、さらに追加発注まで貰う。フランス降伏で宙に浮いた機体はイギリスが引き取りMarylandの名を与えるが、これまた気に入られて強化型(Mk.II)まで発注される。本来の軽爆としての用途の他、洋上哨戒などにも活躍。

(2003/5/13更新)

Morane Saulnier MS.406
フランス政府は 1934 年に低翼単葉引き込み脚の新鋭戦闘機を発注し、モラン・ソルニエ社の MS.405 案をベースとした MS.406 が採用され 1938 年から量産開始された(4 年もモタモタしていたのは予算と熱意の不足か?)。鋼管羽布張り構造の機体にイスパノスイザ 12Y-31 水冷 V12 860hp エンジンを搭載し、プロペラ軸を通して発射する HS404 20mm モーターカノンを装備している。胴体下面のラジエターは引き込み式となっているのが特徴。出現当事は「画期的高性能機」と言われ輸出の商談も多かったが、第二次大戦勃発により実際に輸出された量は少数にとどまった。MS.406 は約 1000 機が配備され、フランス空軍の主力戦闘機として対独戦で敢闘した。ドイツの新鋭 Bf109E に対してはほぼ全ての性能で劣ったが運動性は悪くなく、空中戦では互角以上に戦ったとも言う。最高速度 485Km/h、航続距離 800Km、武装 7.5mm 機銃 x 2〜4, 20mm 機関砲 x 1。

(2003/11/12更新)

ラテコエール298 (Latecoere 298)

(2002/12/2更新)

Loire Ln130
ロワールLN130は1933年のフランス海軍の艦載汎用飛行艇の要求に応えて設計されたものです。1934年11月に初飛行しましたが安定性が悪く、アイコンでもわかるように水平尾翼にも安定ひれを立てたり苦労しています。
そんなわけで実戦化は遅れ、艦隊や基地航空隊への配備の開始は1939年に入ってからとなります。
仏領インドシナにも配備されており、意外ながら日本機と並んで飛んでいた機体もあるわけですね。
紛らわしいのですが、よく見ればこのアイコンでも忠実に再現されているように、操縦席はエンジン架のすぐ前、左舷に寄せて置かれている開放式の単座座席です。
機体前方の窓があるキャビンは偵察席になっています。
幅16.0m 長11.3m 全備重量3,400kg
最大速度226km/h 航続距離1,100km 機銃7.5mm*2 爆弾・爆雷150kgまで

(2002/9/29更新)

F4U-7 コルセア
第二次大戦後フランス海軍向けに生産された、コルセア シリ−ズの最終量産型。

(2002/9/29更新)

F-5(P-38)

(2002/12/7更新)

SNCASO SO-9050 Trident
1953 年からフランスで計画された混合動力迎撃機。Trident はフランス風に「トリダン」と読むらしい。胴体に SEPR.631 ロケットエンジン1基+両翼端にチュルボメカ・ジェットエンジン2基を装備、直線翼ながら最高速度マッハ 1.95 を達成。武装は胴体下に抱いた空対空ミサイル一発きりという漢らしさ。試作2機+増加試作6機が製作されたが、例によって例のごとく短航続力、ロケット燃料の取り扱い不便、地対空ミサイルなどの発展によって 1958 年に計画キャンセルされた。

(2006/3/04更新)

SA321Gb シュペル・フルロン
1963 年からフランス海軍に導入された輸送/哨戒ヘリコプター。エグゾゼ・ミサイルを搭載し対艦能力を持たせることも可能である。愛称の SUPER FRELON とはスズメバチの意味で、本機がシュド・エスト SE3200 FRELON からの発展型であることに由来する。

インド

(2002/10/19更新)

Hindustan HF-24 Marut
インド空軍の純国産戦闘機、開発の初期にクルト・タンクが設計を請け負った。
全幅9.0m 全長15.87m 全高3.6m 自重6,195kg 全備重量8,951kg 最大速度M1.02

(2005/11/21更新)

HAL ドゥルブ(1992)
 インド初の国産ヘリコプターとして1984年に開発が始まった機体。西ドイツのMBB(現ユーロコプター)から技術協力を得ることとしたものの、軍の仕様変更や政府との融資・調達計画の調整に手間取ったこともあって、1992年8月の試作初号機初飛行後にも設計や生産計画の見直しが相次ぎ、インド三軍及び海上警備隊向け約300機の本格量産開始は2002年までずれ込んだ。現在、国内外に向けて軍民両用に積極的な販促活動が展開されている。「ドゥルブ」とはサンスクリット語で「北極星」の意。
 形態は川崎/ユーロコプターBK117(EC145)に似るが、これよりふた回りほど大きい最大登載量2.5トン・12〜14席級の機体であり、複合材の使用率も向上しているという。また、複合材製ヒンジレスメインローター、ベアリングレステイルローター、デジタル飛行制御装置、一体式駆動ユニットなど、2000年代のユーロコプター系ヘリコプターとして標準的な技術的特長を有する。
 アイコンは、インド空軍ディスプレイチーム「サラング(孔雀)」の機体。

(2007/6/6更新)

ADA/HALテジャス(2001)
 インドが2010年の本格量産開始を目指して1983年から開発中の軽戦闘機。実際の作業は、1984年にHALを中心として結成された産学連合ADAが行っている。ダッソー、エリクソン、ロッキード・マーチン等から技術や機器を導入した部分も多いが、複合材一体成型品を多用して製造・整備工数を減らした機体構造、デジタルFBW、NVG・HMD対応の統合型グラスコクピット、超音速ターボファンエンジン「カヴェリ」等は自力開発されており、「純国産」の売り文句も伊達ではない。開発課題の多さ、予算の不足、仕様確定の遅さ等から、技術実証機の製造開始は1991年半ば、同1号機TD-1の完成は(当初の量産開始予定年である)1995年末までずれ込み、さらに1998年の核実験に対する経済制裁の影響で技術や機器の供給が滞り、機体構造・FBWの改修に手間取ったこともあって、初飛行は2001年1月まで延期されていた。その後の飛行試験も、エンジン(初期量産型20機まではGE製F404を搭載)や各種搭載機材の開発を待ってゆっくりと進めざるを得ない状況にある。計画の遅延からすでに旧式機に属したとして量産化を断念するともいわれていたが、投資の回収と航空技術維持のため、空軍のMiG-21系代替として120〜220機、海軍のハリアー系代替として40機程度が調達される模様。愛称Tejasは、サンスクリット語で火の元素、または光明のこと。
 基本的に無尾翼デルタ翼機だが、胴体が短いため、翼付根がコクピットにかからないよう内翼前縁の後退角は小さくされている。静安定緩和方式と内翼前縁の渦流制御用スラットでカナードの機能を代替し、形状の単純化により限定的ながら超音速巡航も可能な空力性能とRCSの減少を達成している。小型機ながら7つ(+ターゲティングポッド用1)のハードポイントに合計4トンの兵器搭載が可能で、マルチロール機としてのまとまりも悪くはない。
 アイコンは、正式試作1号機PV-1。量産仕様試作機PV-3以降は、垂直尾翼上端に電子戦用アンテナが追加される。

国際共同

(2002/10/16更新)

Rockwell/MBB X-31A
推力変更ノズルによる機動能力向上テストと、「ヘルプスト機動」の実証を目的に開発された。
計画はNASA/DAPRAによって運営されており、ITO(国際テスト機関-米空、海軍・ロックウェルエアロスペース社・ノースアメリカン・独国防省・ドイチェエアロスペース社)の支援を受けた、国際共同開発になっている。
全幅7.26m 全長13.21m 全高4.75m 自重5,176kg 全備重量7,228kg 最大速度M1.28

(2002/10/17更新)

EF2000 Typhoon
イギリス・西ドイツ・スペイン・イタリアによる国際共同開発機。
計画と基本設計が古い割に、まだ完成していない。F-35の出現もあり、先が危ぶまれる。(2002年現在)
全幅10.5m 全長15.75m 全高6.4m 自重9,750kg 総重量17,000kg 最大速度M2.0 戦闘行動半径500km 固定武装27mm砲

イラク

(2003/8/13更新)

ブレダBa.65 イラク空軍第5飛行中隊所属機
1935年に初飛行したイタリア製の軽爆撃機。
本来は迎撃戦闘機兼軽爆撃機として設計されたが、スペイン内乱における実戦経験から戦闘機としては不適格とされ、以後はただの軽爆撃機として使用された。
イタリア以外ではイラクに25機が輸出されており、その内の23機が本アイコンの銃座付きの複座型であった。

イスラエル

(2002/10/17更新)

イスラエル空軍仕様 アビアS199
この機体も、メッサーシュミットBf109系列なのですが、大戦終了後にチェコスロバキアで開発され、のちにイスラエルで実戦に使用された、アビアS199という機体です。
良く見ると、エンジンを換装しているので、機首回りのラインは他のメッサーシュミットBf109系列と異なります。しかし操縦席から後ろはどこまでもBf109なのです。
アイコンはイスラエル空軍仕様の塗装。

(2002/10/10更新)
(2003/4/28更新)

IAI KFIR C2
イスラエルがフランスのミラージュをベースに開発した戦闘機。
エンジンがアター09からGE J-79に換装されている。
C2はエアインテーク直後にカナード翼を取付けているのが外見的特徴。

(2003/4/26更新)
(2003/8/16更新)

IAIラビ試作戦闘機(1986)
旧式化しつつあったクフィルとスカイホークを代替するために開発された単発軽戦闘機。クフィルで実績のあるクロース・カップルド・デルタ形式にアメリカから技術供与を受けたFBWや複合材の技術を取り入れた軽量コンパクトな設計が特徴。背もたれの傾斜を浅くして下方視界を良くしたコクピット、右腕被弾時にも操縦しやすいセンタースティック、11か所ものハードポイント、低空侵攻に適した主翼平面形など、地上攻撃用としてはF-16よりも優れた面をもっていたが、開発費の高騰と輸出市場でF-16と競合することとを理由に、開発への援助をしていたアメリカが開発中止を勧告したことなどから、試作機3機を作ったところで計画はキャンセルされた。

アイコンは、試作1号機。


(2005/2/17更新)

マグダネルダグラス MD500MD トウ・ディフェンダー(Tow Defender)
 輸出用に開発された MD500D の軍用モデル。偵察/軽攻撃仕様のスカウト・ディフェンダーと対戦車能力を持つトウ・ディフェンダーの2種類があり、後者は後部胴体左右に合計4本の BGM-71 TOW 対戦車ミサイル発射チューブと、副パイロット席に照準カメラを持つ。アイコンはイスラエル軍の機体で、テイルブームに増設電子機器がフル装備されている。
 アリソン 250-C20B 420shp x 1、最高速度 240Km/h、航続距離約 390Km。乗員 2 名、武装 TOW 対戦車ミサイル x 4。

イタリア

(2003/9/9更新)

アエルマッキMB326練習機(1957)
軍用機の急速なジェット化に対応するため、初等訓練段階へのジェット機導入までも想定して開発された第一世代ジェット練習機の完成形ともいえる機体。イタリア機らしい俊敏な操縦性ばかりでなく、安全性や整備性、運用コストの低減にまで配慮の行き届いた設計は高く評価され、中南米、アフリカ、中東、オーストラリアへの輸出・ライセンス生産分を含めて生産数763機のベストセラーとなった。特に輸出市場においては最大1800kgにも達する搭載量を活かした攻撃兼用機としての性格が強調され、30mm機関砲2門を搭載する単座攻撃型MB326K系列も全生産数の約18%を占める。近年はMB339やホーク等の新世代機に道を譲りつつあるが、民間に放出された機体も含め、まだまだ活躍が続くことであろう。
アイコンは、1960年代に南伊レッチェ空軍基地で使用されていた機体。

(2003/9/9更新)

アエルマッキMB339練習機(1976)
L-39、ホーク等の新世代ジェット練習機に対抗してMB326を近代化した機体。改設計しにくい主翼付根エアインテイクのためターボファン化こそ断念したものの、実戦機の進歩にあわせて近代化された電子機器や学生よりも一段高い位置に設けられた教官席といった必須要件は備えており、MB326の後継機としてばかりではなく、ペルー、マレーシア、ニュージーランドといった新市場の開拓にも成功している。
アイコンはイタリア空軍向け基本型のMB339Aだが、80年代末から生産はエンジン・火器管制装置強化型MB339Cに移行している。このほか曲技専用型MB339PAN、単座攻撃機MB339K等が少数生産されている。

(2003/8/3更新)

アグスタA109K2
アグスタA109をベースに山岳救援仕様としたアグスタA109K2です。SA315Bラマの後継機としてスイスのアルプス救助隊向けの特別装備が、そのままカタログモデルになったそうです。とってもお高いらしいです。
日本では富山、静岡の県警ヘリと、なぜか?中日本航空運航のドクターヘリとして使われているそうです。
反対側に電動ホイストが付いてますが、アイコンでは省略してしまいました。

(2002/9/22更新)

A129アグスタ・マングスタ

(2008/03/08更新)

カプロニ・スティパ(Caproni Stipa)
1932年、イタリア航空省のルイージ・スティパ博士の持論に基づきカプロニ社で試作された円筒胴機。本機の胴体は翼型断面を持つ円筒(つまりベンチュリー管)であり、中空の胴体内部には支柱で支えられたデハビランド・ジプシー III 120 馬力が木製二翅固定ピッチプロペラを駆動し、プロペラ後流は胴体を素通りし垂直尾翼手前から排出される。主翼はワイヤー支持の単葉でフラップは装備されていない。パイロットと同乗者は円筒上に設けられた座席に収まる。
スティパ博士の理論によれば、円筒胴機は胴体自身が揚力を発生するうえ、プロペラ後流がベンチュリ効果によって加速されるため、通常形態機より高効率で高速飛行できる(はず)というものであった。
機体は 32 年暮れ成功裏に飛行したが、最高速度は 137Km/h とふるわなかった一方、皮肉なことに着陸速度 67Km/h と優れた低速性能を示したという。

(2002/11/13更新)

カプロニ・カンピーニ N.1(Caproni-Campini N.1)
1940 年にイタリアで製作されたジェット推進機。N.1 の他に C.C.2 という名称もある。ジェット推進であってもターボジェットエンジンではなく、胴体に内蔵したイソタ・フォラスキーニ RC40 液冷 12 気筒 900hp で圧縮機を駆動して推進力を得るというもの。圧縮機後部には燃焼室があり、一種のアフターバーナーとして増加推力を得ることができる。最高速度 330Km/h(アフターバーナー使用時 370Km/h)、4000m までの上昇時間 33 分、航続距離約 500Km、生産数2機。実用価値皆無の機体であり、しかも「史上初のジェット機」というタイトルすらハインケル He178 に奪われてしまったが、イタリア航空史を飾る仇花として今も実機は大切に保管されているという。

(2003/5/13更新)

Caproni Ca313
カプロニCa306ボレアから発展した偵察、軽爆撃機シリーズのひとつ。
イタリア空軍の他、スウェーデンでもまとまった数を購入、B16の名で1940~46年に使用した。
性能もまずまずの手頃な機体ではあったが、エンジン、油圧、電気系統の不具合による事故が多発した。
発動機:イソッタ・フラスキーニ・デルタRC35×2、全備重量:6,113kg

この頃のイタリー機は鋼管構造の胴体を持つものが多く、大きな窓を沢山つけても外板が強度を受け持たないから大丈夫なのです。

(2002/11/2更新)
(2003/8/16更新)

サヴォイアS.79(1934)
WW2イタリア空軍爆撃機を代表する存在である三発機。もともとはマックロバートソン杯英豪連絡飛行レース用に開発されたが、レースには間に合わず、輸送機、ついで爆撃機への転用が図られた。1936年10月から生産が開始された爆撃機型は、スペイン内戦やリビア、エチオピアで戦果をあげ、1938年(制式装備としては1940年)には雷撃任務もこなすようになった。後期生産型bisにいたっては夜間雷撃専用型といってもよい。
三発機形態をとったのは、双発機で済ませられるほど高出力のエンジンが入手できなかったせいもあるが、広大な地中海やアフリカの砂漠地帯を活動範囲とする本機にとっては、安全性を向上させる意味も大きい。また、搭載量が1200kg(フェリー状態なら魚雷2本+αで2000kg超)と多く、機内容積も大きいため、1950年代初頭までイタリアやリビアで捜索救難や輸送といった任務に重宝された。
シリーズ全体で1218機しか作られなかったわりには、カウリング、排気管(消炎タイプだけで3種以上)尾翼支柱、防御機銃、無線装置、脚収納部等にやたらとバリエーションが多く、モデラーやイラストレーターを困らせることが多い。
アイコンは、生産がbisに移行する直前の生産機で、夜間雷撃任務についていた機体。

(2003/5/13更新)

フィアット CR.42
フィアットの前作 CR.32 の発展型と言える複葉戦闘機で、初飛行は 1938 年 5 月。この時期としては旧式な鋼管羽布張り構造だが、機首のフィアット A74-RC38 空冷星型 14 気筒 840hp エンジンは流麗な NACA カウリングで覆われている。愛称は「ファルコ(隼)」。複葉ゆえの高い運動性を誇ったが、主力戦闘機としては速度も武装もあまりに貧弱だった。多くの機体は戦闘爆撃機仕様に改造され、夜間攻撃で大戦末期まで戦い抜いた。最高速度 430Km/h、航続距離 780Km、武装ブレダ 12.7mm 機銃 x 2、爆弾 200Kg。

複葉戦闘機最終世代の中でも、速度と運動性のバランスが良くて強い方に入る飛行機ですね。
単葉次期戦闘機計画より後から開発が始まるというす的な状況でしたが、スペインでのCR32無敵伝説もさることながら、G50の予想外の低性能とMC200の開発遅延、その他有象無象も欠点を抱えているという状況下に、堅実な設計で確実に急速な戦力化ができる高速複葉戦闘機を得るという部分ももちろんあったはずです。
事実、開発計画は平時としてはものすごく急がれています。
東アフリカやギリシアでは同世代の英国製グラジェーターに対して終始優位にあったとか。巴戦に巻き込めばハリケーンにも負けません(火力が無いのでなかなか『勝つ』ところまでいけない)
とはいえ、火力不足という評価は開発当時として酷かもしれません。
欧州で一線戦闘機の主武装を12.7ミリにしたのはイタリアが最も早く(G50)、アメリカよりも早いくらいで、日本には6年近くも先行しているわけで(笑
7.7ミリ4挺装備も率先していますし、イタリア空軍は実は重武装好みなような気がします。
ただ、850馬力クラスから1000馬力への移行に手間取りすぎて置いていかれた感じですねえ。

(2003/6/17更新)

フィアット G.50 フレッチア (Fiat G.50 Freccia)
1937年初飛行した単葉戦闘機。複葉のCR.32に旋回性で劣ることやら密閉風防の視界やらが不評で、早々に開放風防に改造されてしまった上、後から開発された複葉戦闘機CR.42と共存することになってしまう。末期のスペイン内戦にも投入されたがやはりCR.32よりも評価は低かったとか。不評も祟ってWW2開戦時には100機程度しか配備されておらず、最終的には800機弱が生産された。
最高速度:472km/h、航続距離:1,000km、主機:Fiat A74RC38 (840HP)、武装:12.7mm機銃×2

(2002/9/25更新)

MC205

(2005/1/8更新)

CRDA カントZ506(1935)
もともとは長距離洋上路線用旅客機として開発された機体だが、試験中から国際記録を樹立するほどの航続・速度性能を発揮したこともあり、イタリア空軍洋上兵力近代化の切り札としても開発が進められた。軍用型は幅を狭くした胴体の腹側に爆弾/魚雷倉を追加、後部胴体は背の低いものとして各部に防御銃座を設けた。1938年から実戦任務についたが、高速といっても水上機としてのそれにとどまり、高高度性能や防御武装も不足していたことから、爆撃・雷撃機としての命運は早期に絶たれ、6時間を越える航続時間と凌波性を活用できる洋上偵察、捜索救難といった任務に転用された。生産数は旅客型(軍用含む)が38機、爆撃型・救難型が315機。終戦時には36機が残存しており、1959年まで輸送、救難等に使われ続けた。
アイコンは、第171飛行隊所属の爆撃型Z506B後期生産機。

(2003/7/6更新)

Bf109G-6(イタリア空軍塗装)
1943年、イタリア空軍第3独立戦闘大隊第154飛行中隊所属機。

(2002/10/7更新)

Bf109G-6(サロ政府軍塗装)
国籍マークから、おそらくはサロ政府軍のものと思われます。

大韓民国

(2002/11/9更新)
(2003/8/14更新)

KN-1水上機(1951)
韓国海軍最初の航空機。前年12月に不時着して脚を折った米空軍第6147戦術管制航空隊所属のノースアメリカンT-6Fを鎭海(チンハエ)海軍基地に移送、ここで二式水戦のフロートを付けて水上機化したもの。補助フロートはP-80Bの翼端増槽を改造したもの。偵察や捜索救難に使われたらしい。

現存写真ではフロートに色の違う大きなパッチが数箇所あてられているのですが、当初からその姿だったとは思えず、アイコンではきれいなままの姿にしてみました。

(2003/8/30更新)
(2003/8/14更新)

T/A-50
韓国の練習機

朝鮮民主主義人民共和国

(2003/2/21更新)
(2003/6/20更新)

La-9(北朝鮮)

ラトビア

(2003/8/13更新)

グラディエーター MK.I (輸出仕様)

オランダ

(2002/9/13更新)

Fk55

(2003/5/21更新)

フォッカー D.21 (Fokker DXXI)
1935年にフォッカー社がオランダ領東インドの要求に対して設計した低翼単葉固定脚の戦闘機。翌年には出荷が始まっているところが何気に凄い。主機はブリストル・マーキュリーVIII(830HP)。オランダ本国で主力戦闘機としてドイツの侵攻を迎えたほか、フィンランド、デンマークでも使用された。
最高速度:460km/h、航続距離:950km、武装:7.92mm機銃×4(デンマーク空軍では両翼下に20mmガンポッドを装備)

(2002/12/12更新)

FOKKER D23
串形双発双胴機として有名。ドイツの侵攻により破壊されてしまった。

(2004/4/10更新)

フォッカーS.14マッハトレイナー(1951)
戦後軍事航空の急速なジェット化に対応して各国で開発された第一世代のジェット練習機のひとつ。むろん、オランダ初の国産ジェット機でもある。エンジン出力の割に大柄なため、最大水平速度が730km/hにとどまる等、性能的には平凡だが、遠心式のRRダーウェントエンジンがもたらす円断面の太い胴体に収められたサイド・バイ・サイド式の操縦席、癖のない操縦性を保証する大面積の直線翼、当時としては大型で減速性能良好なエアブレーキ等、ジェット機への慣熟を容易にする配慮の行き届いた設計ではある。
 アメリカとブラジルでは性能向上型を含むライセンス生産も検討されたが、いずれも契約不調に終わったため、生産数は試作機1機とオランダ空軍向け量産機20機(アイコンは第17号機)のみ。また、超音速機への移行には性能不足だったこともあり、1967年までに全機退役となっている。

(2006/4/17更新)

P-3C アップデート2.5
オランダ空軍 P-3Cは1982年から13機が導入されました。北極海の哨戒に活躍しましたが、冷戦の終了と共に存在意義が薄れ 2005年に部隊は解散。機体はドイツとポルトガルに売却されました。

ポーランド

(2003/5/21更新)
(2003/8/14更新)

WSK TS-11イスクラ練習機(1960)
ワルシャワ条約機構軍の統一初等・中等練習機を目指して開発されたジェット練習機。1962年のコンテストでは惜しくもチェコスロヴァキアのL-29デルフィンに敗れたが、ポーランド空軍は本機を採用、兵装訓練用の武装型やインドへの輸出用を含めて500機以上が生産された。
アイコンは、ポーランド空軍曲技チーム「イスクリィ」所属機。

ルーマニア

(2003/6/29更新)

IAR80
ライセンス生産していたポ-ランドのPZL.P24Eの胴体、尾翼構造を流用して製作したルーマニアの国産戦闘機。
油田地帯の防空等に奮闘した。
IAR.80は初期生産型。エンジンを強化し、全長が延長した80A、武装を強化した80B〜C、戦闘爆撃機型のIAR.81がある。
生産機数461機。
発動機:ノームローン14K(940hp)
最大速度:514km/h
航続距離:730km
武装;20mm×2,7.7mm×4

南アフリカ

(2002/11/9更新)

Denel チータ
人種隔離政策に対する経済制裁のために兵器輸入に制限をうけ、旧式化したミラージュ戦闘機の改良もままならなくなっていた時期の南アフリカ空軍が開発した戦闘機シリーズ。
まず、初期型としてイスラエル空軍余剰のクフィルC2のレーダーを同国製エルタEL/M-2001B換装したものが導入(単座C型38、複座D型6)され、次いでデネル(旧アトラス)社にて手持ちのミラージュIIID/IIIE/IIIRの改造による生産(単座E型16機、複座D型9機?、偵察機R型1機)が行われた。存在が公表されたのは1986年7月、90年代半ばからはエンジンをアター9系の最終型K-50やクリモフRD-33改に換装する計画もあったが、予算不足でのびのびになっているうちに人種解放・経済制裁解除によるグリペン導入決定によりこれ以上の改良は行われないこととなった。

スイス

(2003/8/13更新)

アグスタA109K2 スイスエアレスキューREGA仕様
REGAの要求がカタログモデル「K2」になりました。山岳地帯での右横風対策として、A109/Power型と比べテールフィンの省略、垂直尾翼が抉られています。(あまりアイコンでは再現出来ていません。)
REGAでは、14機保有しているそうですが、徐々に後継機EC145に代替されるそうです。

スペイン

(2002/10/7更新)
(2003/6/20更新)

(2003/6/27更新)

スペイン空軍仕様 Bf109B-1
B-1型はシュバルツ製木製2枚羽根固定ピッチ・プロペラを装備。ただ、これはエンジンのパワーを効率的に引き出してくれず、上昇力に不満が残った。(次のB-2型で金属製の2枚羽根可変ピッチ・プロペラに変更。)
又、プロペラ軸内武装を装備の予定であったが、この時期には発射時の震動問題が解決されておらず、未装備となる。

最高時速:470km
上昇力:離陸から9分48秒で高度5900m
自重:1477.8kg
全備重量:2197kg
武装:7.92mmMG17機関銃2挺(機首上面)
エンジン:ユンカースJumo210D(600hp)

(2002/10/7更新)

スペイン空軍仕様 Ha1112
この機体、Bf109の直系には違いないのですが、なんと1953年になってスペインで独自に開発されたとのことです。
最大の相違点はエンジンにイギリス製のマーリンを取り付けていることで、機首だけを見るとスピットファイアのようにも見えてしまいます。また、それに伴ってかプロペラが4枚ブレードになっています。
なおこの機体は練習機のようで、武装は皆無です。

スエーデン

(2003/5/13更新)
(2003/5/19更新)

スウェーデン空軍 第1飛行中隊所属 J30
ちなみに、英軍の分類では“Mosquito NF.MkXIX”になります。

(2002/11/11更新)

SAAB J35J ドラケン(Draken)
1955 年にスゥエーデンで開発されたマッハ2級の超音速戦闘機。独特のダブル・デルタ形態を採用し、この種の高速機としては驚異的な短距離離着陸性能を誇る。当初の開発目的は迎撃用だったが、汎用性のある機体のため対地攻撃型や偵察型など派生型が作られた。頑丈でメンテナンスの容易な構造が評価され、輸出市場でも F-5 やミラージュと覇を競った。最高速度マッハ2、増槽未使用時の航続距離 2000Km、武装は ADEN 30mm 機関砲×2に加え各種爆弾・ミサイル・ロケット弾。輸出仕様も含め総生産数 606 機。

(2002/11/20更新)

SAAB JA37ヤークトビゲン
J35ドラケンと同様、高速道路から離着陸できるSTOL性への解答としてコ・デルタ翼という独特の形状を採用している。コ・デルタ翼は、前翼で発生した翼端渦を主翼の渦と干渉させ、大迎え角時でも安定した揚力を発生する。
全長15.58m 全幅10.60m エンジン ボルボRM8B(推力7350Kg)x1 最高速度M2.1 武装 30mm機関砲x1

(2002/11/22更新)

SAAB AJ37ビゲン

中華民国

(2003/5/22更新)

中華民国空軍所属 Gladiator Mk.I
アイコンは、中華民国空軍 第5戦闘(追撃?)大隊 第29飛行中隊仕様

(2003/9/9更新)

Tupolev SB-2
1934年に初飛行した、その後第二次大戦前に大流行した双発高速軽爆撃機の先駆けとも言うべき爆撃機。Katyuskaの相性で知られる。折から勃発したスペイン内戦にも投入された他、中華民国に輸出されて日本軍と交戦したり、本国空軍機もノモンハンや冬戦争で実戦投入されたりと大戦前夜のごたごたに必ず現れる機体である。初期型はクリモフM-100(860HP)を装備し、一見空冷機のように見える独特のナセル形状が特徴。
最高速度:411km/h、航続距離:1,200km、武装:7.62mm機銃×4、爆装600kg

(2003/5/13更新)

中華民国空軍所属 De Havilland Mosquito FB.Mk26
数あるモデルの中で唯一中国でしか使用されなかったカナダ生まれの“モッシー”
でも中国に輸出されたのは全生産機数338機中の約200機だそうです。

(2003/9/9更新)

ボーイング 247Y
張作霖の遺児、張学良は 1934 年にボーイング 247D を一機購入し「白鷹号(Bai-Ying)」と名づけて愛用していた。247 が気に入っていた彼は 1936 年に追加の一機を発注したが、これは何と機首に固定機銃と胴体背部に旋回銃を備えた武装仕様であった。機内は前部客席を撤去しマックロバートソン競技で使用された増加タンクを装備してある。しかし 36 年暮れに国民党と共産党の会談を実現した彼は自ら蒋介石に投降し、37 年 3 月に機体が届けられた時は獄中の人となっていた。247Y は国民党軍に接収されて使用されたが、長くないうちに山地墜落事故を起こして全損したと伝えられる。最高速度 306Km/h、航続距離 2897Km、武装 12.7mm 機銃 x 3、乗客 6 名、生産数 1 機。

(2003/7/20更新)
(2003/8/16更新)

AT-3「自強(ツ・チャン)」高等練習機(1980)
老朽化したT-33に代わる台湾空軍の高等練習機として航空工業開発中心(AIDC)が開発した機体。ノースロップ、マクダネルダグラス等米国企業からの技術支援は受けたものの、ビジネス機用ターボファン2基に直線翼を組み合わせて特に低空・低速域での機動性を高め、離着陸性能や荷重係数の面でも優れた特性を有するオリジナリティの高い設計である。有事においては中国に対する作戦機の数的劣勢を埋める補助戦力たるべく、ハードポイント5つと両翼端AAMランチャーに合計2700kgの兵装搭載能力を有するほか、胴体下面にオプション機関砲収納スペースを持つ。単座化してAPG-66レーダーを装備した攻撃機型AT-3A「雷鳴(ルイ・メン)」も2機試作されたが、量産に至っていない。量産型の生産数は50機。うち20機はAT-3A用に開発された航法・攻撃用アヴィオニクスを搭載したB型である。
アイコンは、台湾空軍アクロチーム「雷虎特技小組」の機体。

(2006/03/13更新)

台湾空軍 P-3A CIA ブラック・オライオン
米中央情報局(CIA)が諜報活動のために利用した機体。3機(ビューロナンバー149669、149673、149678)が改造されました(所属は米空軍?)。名前こそ一般のP-3Aを名乗っていますが 完全な偵察機仕様のP-3で、これ以前のRB-69A(P2V-7U)、これ以降のEP-3という偵察機の流れの間に属します。実際、3機とものちにEP-3(試作機)に改造されています。
1964年(昭和39年)〜1969(昭和44年)まで、おもに沖縄・嘉手納基地から中国、ビルマ、チベット、ラオス、ベトナム方面を結構強引に偵察してました。 1969(昭和44年)以降はEP-3Bに任務を引き継いでいます(そして現在も)。

さて、この機体の特徴を列挙すると、
・ 全面黒色(ツヤあり)に。
・ 機体右舷前方に独特な形状のエアインテークを張り出し(資料によっては空気サンプルの取り入れ口(核実験絡み?)とも書かれている)。
・ 爆弾倉に宣伝ビラ散布装置を装備。
・ 磁気探知機(MAD)は いらないので尻尾は切り詰め。
・ 各所にアンテナ類(側面監視機上レーダー、赤外線観測装置、他)、背中には天測窓が。
・ 後部ドアは拡幅され、観音内開きの機材搬入・貨物ドアに。 もしかしたら空挺降下でもしたのかも?
・ 騒音低減のためプロペラブレードは切り詰められ、エンジンナセルを延長して赤外線の放出を抑えています。
・ 翼端パイロンにはAIM-9 サイドワインダー 短AAMを後ろ向きに搭載し、コレによって実際に中国迎撃機を撃墜したという噂もあります(驚いて逃げた所を撃墜か?)。
・ チャフディスペンサーも装備。

RB-69A同様、CIAはこの機体を1960年代中期に短期間 台湾空軍に運用させました。この絵はその時の状態で、台湾の国籍マークが描かれています。