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さすらい日記

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[ 現在日記は ]
まあ、誰も見てないと思いますが
現在日記はMixiの方に書いています。
プロフィール検索で
「パクノフ伍長」
で検索かけてみてください。

またけったいなHNって?
いやーんほっといてちょうだい!

facebookもやっていますが、ほとんど見ていません。
まあ、メールアドレスで検索かければ出てきます。
2010/07/28(Wed)

[ 帰宅 ]
今日帰宅しました。

日本は・・・相変わらずですね。
女学生の足は相変わらず太いと思います。
2008/09/03(Wed)

[ なぜかカンボジア ]
ラオスを南下してたら気がついたらカンボジアにいます。
それまで何してたかというと、メコン川のほとりで一週間ほど飲んだくれてました。
ネットも田舎なので高いし日本語読めないのでしてません。

いんやあ、カンボジアの北部は外人いなくて良いですね。
最近ツーリストに開放したようなもの(道の整備が終わっただけなのと、ラオス〜カンボジア国境が開いたのでプノンペンに引き返す必要がない)なので、しょうがないのでしょう。
明日プノンペンに行って、そっからバスでダイレクトにバンコクに戻ります。

まあ、帰国は来月頭になるのかな?

2008/08/27(Wed)

[ エキストラ日本兵日記 ]
タイから駄目なのにラオスから書き込めるとは・・・
ウツー人さては.th全部弾いてるでしょ。

というわけでエキストラバイト関連の話。
穴木屋さんの掲示板には書いたけど、タイ陸軍の95式軽戦車が登場。
映画はもう首が編み籠に入ってたりしてもうありきたりの日本軍像の映画ですが、そういう所だけは妙にこってます。

95式軽戦車、ちゃんと稼動してます。
いやあ、きびきび動きますねほんと。
車載機関銃も撃ってますすげえすげえ。
37mmからも空砲だけだけど撃ってます。

で、これ、誰がどこでどんな風に持ってるか、映画の軍事考証担当に聞いてやっと判りましたよ・・・

所有者はタイ陸軍。
所在地はタイのサラブリ県(アユタヤの北側、だからバンコクからそう遠く無い)
ホームページがあるそうなので事前予約すれば乗れるそうです。
所有台数は2台!すげえ!

95式の稼動動画もとってきた(一緒に参加した日本人からコンデジ借りて撮影に成功。こういう時一眼はだめね・・・)のでこうご期待って感じです。

あと、王立空軍博物館にもちくと顔出してきました。
隼は無かったけど、98直協の正体はやはり99式高等練習機でした。
後部座席のキャノピーこっそり開けて写真とって着ました・・・だめこちゃんですね私・・・

というわけでもう一便ビアラオを・・・
やっぱうめえやビアラオ・・・
2008/08/16(Sat)

[ なぜかタイランド日記 ]
現在タイランド。
ようはタイ王国。
昔懐かしきバンコクに居る。
今日で1週間。

俺はここで何をやっているかといえば,ボーっとしている以外何もしてない。

てえかおめえさんえうろっぱ行ったんじゃないかというひと,その通りというか,
ちゃんとエウラシア大陸最西端ロカ岬に行った後にここに飛んできました。

下の日記後,
トルコ-ブルガリア-ル−マニア-セルビア-モンテネグロ(素通り)-コソボ-モンテネグロ(バスターミナルで野宿)-クロアチア(ドブロヴニク)-ボスニア・ヘルツェゴミナ-クロアチア(ザグレブ)-ハンガリー-スロバキア-オーストリア-チェコ-ドイツ-フランス-スペイン-ポルトガルと周り,8/1にここに飛んできたのである。

いやあ,えうろっぱ高かった。
エウロッパ回ってる最中はコーラ一滴も口にぜず,ひたすらお茶作って水筒に入れて持ち歩く毎日だ。
なぜかって,コーラ500mlが340円(2えうろ)の世界だ。
そんな金あるんだったらビールにはらっとるわぼけぇ!!!

で,ビールおよびワインはヨーロッパ各国安かったりするのである。

宿も一泊15えうろあたりまえええ!!!!

もうね,鼻血が出る毎日です。

そうですよ。
6/18にエウロッパ入りましたが7/31に脱出しました。
ほとんど首都しか行ってません。

だって交通機関たけえし,頼みのえうろらいんぱすが使えねえ(国際線オンリーのうえ使える年も限られる)ときたもんだ。

もうね,じょーだんじゃねえよと。

けど,酒だけは欠かさず毎日飲む毎日でした。
ええ,一杯3.5えうろもする生ビール飲み歩きとかウィーンでやりましたよ。

人の冷たさも感じましたというか,東欧はダメ。
ソビエト人がうんざりいる。
特にハンガリー。
ウズベクよりひでえって何よ。

物価もチェコスロバキアは終わってる。
ドイツ以上の物価に感じる。
やってらんねえ。

宿も予約しなければ埋まってるときたもんだ。

あーあ,金ない人には厳しい処でしたよえうろっぱは。
計画性無い他人には厳しい所でした。

一番腹が立ったのはパリ。
小銭がないと何も出来ん都市の癖して両替は嫌がれる,地下鉄はコイン必須で地下鉄以外安い手段が無い,フランス人に道を聞くのは無駄,夜行バスでリクライニングするととっちめられる,
パリの人種構成はニューヨーク以上にカオスだ。
町にHISはおろかブックオフまであり日本語の看板だらけ。

あーあ,俺は嫌な都市でしたといいながら,ホームステイしたのでタダで滞在できたので文句はあまりこういうところでしか言いませんあと酔っ払ってる時。

ま,そんなこんなでユーラシア横断を終わらせてここにいるのである。

現在ここで映画のエキストラとして日本兵やってます。
長髪だったのがいきなり短髪になったので周りから笑われてます。
これが一段落したらラオスに行きます。
それがメインでここに居るだけなのです。

まあ,他にも色々理由があるんですがね・・・

おいおい,おめえさん大丈夫かいなとここで書くだけ書いておきましょう。そこのおめえさんだよ。

ではでは。
2008/08/07(Thr)

[ さて・・・帰国大丈夫か・・・ ]
問題は帰国だ。
前に書いたけど今日こっからミュンヘン経由でタイに飛ぶのだが、
所持しているチケットだと、ミュンヘンでの乗り換え時間がわずか45分しかない。
おまけに乗り換え先は別会社で、しかもそれは別ターミナルだ。
(買ったあとに気付くなよ。。。まあ、どうりで安い割にはなかなか埋まらないなあと思ったもんだ)
普通に考えれば、45分なんかで乗換なんか不可能だと思うのが普通だろう。
しかしミュンヘン国際空港は、乗換時間の最短が30分が自慢らしいのできっと、きっと大丈夫なのだろう。
ネットで調べてみても、おおわらわで乗換やってる方たちの体験談も見かけるので、たぶんそういう空港なんだろうが。。。

ほんとに大丈夫なんだろうか。。。
一応こっちで打てる手は全てうっておいたつもりではある。(ミュンヘンでの乗り継ぎ先の航空会社にはネット上でチェックイン済み、便利な世の中になったもんである。ミュンヘン空港のチェックインカウンターの位置も把握済み。別ターミナルといっても、中央出口から数十メートルらしい)
また、シェンゲン条約内の国間ではイミグレチェックは簡略されるので、ドイツ到着時のチェックはそうないだろう。

あとは、俺の糞重たい荷物がどんだけの時間で出てくるかだ。。。
ああしんぱいだ。
ほんとにおれはだいじょうぶなんだろうか。。。。

とりあえず。。。
酒でも飲んでくるか。。。(ゲンヂツトウヒ)

2008/07/31(Thr)

[ ユーラシア最西端到達 ]
本日グリニジ標準時15:36ニ於イテ、我ロカ岬ニ到達。
コレヲモッテ、ユーラシア打通作戦ヲ完了ス。
今後、我ハ明日午後ヲ持ッテ泰国ヘ移動、現地ニ滞在シ経由シ然ルベキ時期ニ合ワセ本国ヘノ帰国ヲ思案ス。
以上。
2008/07/30(Wed)

[ フライングバルセロナアタック! ]
いや、なんとなくやってみたかっただけ....
2008/07/25(Fri)

[ 那智寺 ]
ティーガーアポテケ(アポテケだけはロシア語と似たり寄ったりなんだな・・・ちなみに薬局はロシア語でアプテカです。アステカは日本ファルコムですよ〜)
に寄ってみようかな、まあ近ければで探してみれば、フランス国境の傍なのか?
こりゃまた随分遠い所に避難なさったもんで・・・
これも西側に降伏したから何ですかね。

ケルシャー曹長も、彼も西側で降伏したんですかね。

ベルリンを自転車で彷徨いましたが、ナチはうちらにとっては冗談なんだけど、現実だったんだなあと思わされます。

ベルリンの壁を跨いでると、何か不思議な思いがします。
場所によってはもう完全に過去の物になってますがね・・・

ティーガーアポテケを調べてて、ベンゼン中尉(懐かしい〜)の名前が出てきましたが、実感無いんでしょうねえ。

いや、無くても良いとは思います。

次は一緒にやろうな。
とは、本当に彼らが言う言葉だけど、その前に冷戦という現実があるからこそ言える言葉にしかここに居るとおもえないのだよなあ・・・

2008/07/20(Sun)

[ ベルリンで思うこと ]
自炊する限りはドイツは安い。
正直東欧より安いというか、チェコやクロアチア等、妙に高い国は不自然に物価上げすぎのような気がする。

ひき肉500gで2ユーロ以下なのはかなりGoodだ。
だけど、まあユーロ圏というか、ルーマニアから上の話だけど、(ブルガリアが例外なのが悲しいのか何なのか)人が間に挟むと途端に値段が上がる。
こんなの2ドル以下で作れるだろうと言うのが3ドルとか4ドルに跳ね上がるのだ。

で、大体ヨーロッパ人が言う決まり文句がこうだ。
「日本だっておんなじだろう」

違う。断固として違う。
吉野家の牛丼並より高いケバブやハンバーガーがこっちには存在する。
日本のハンバーガーの値段を言ってやったら「俺絶対次は日本行くよ!!」とのたまった欧米人が何人も居る。
そして、日本に興味を持ってる欧米人はざらにいる。
中国よりも。

正直、日本は中国や韓国よりもヨーロッパから観光客呼んだほうが良いと思うんだけど、
日本の肝は、交通費と宿代だからなあ・・・ほんと、そこさえクリアできれば、欧州より安い物価を武器にどうとでもなるとは思うのよ。

東京、京都以外に安宿が存在しないのは致命的なんだよなあ・・・
まあ、そこさえ行けば大抵の外人は満足するんだろうけど、他にも良いとこ一杯あるのに宿代が・・・


けどそういうところって25ユーロか、安いな・・・
やっぱ欧米人日本に呼ぶべきだよほんと。


と酔ってますはい。

2008/07/19(Sat)

[ ベルリン高い ]
たけえここは!
ベルリン到着。

ハイネケンが日本より高い(2ユーロ)って何よ!!
あほかぁ!!
2008/07/18(Fri)

[ プラハ日記 ]
現在プラハでござい。
今日ウィーンより到着。
しっかしやっぱユーロ圏は高いねえ。
もうハナジがブーって感じでござい・・・

日本って安かったんだなあとつくづく思います・・・

けどね、ウィーンのビールは確かに高い。
ドラフトで3.3〜3.5ユーロ(スロバキアで1.1〜1.3ユーロ)なんだけど、しかし飲んでしまうのは飲み屋の雰囲気だろう。
昨日は3件ほどはしごしましたが、どこもなんかね、良かったですはい。
落ち着くんですよ。
旧共産圏、特にキリスト教圏の方はね、なんかもう「はーい私仕事でヤテマース」ってのが鼻につくのかなあ、なんかそんな感じがするんですよねえ・・・

それを確かめに明日よりプラハの飲み屋も覗いてみます。
はたしてどうなることやら・・・

そうして、旧共産圏ともおさらば。
ベルリンに到着すれば、あとはダッシュでポルトガルへゴーですわ・・・


伸さんが最近現れんからどうしたのかなあと思ったら、改造手術ですか・・・
きっと百鬼丸宜しく足から酸性の液が出るようになるに違いない・・・

2008/07/16(Wed)

[ ]
本日グリニジ標準時15:36ニ於イテ、我ロカ岬ニ到達。
コレヲモッテ、ユーラシア打通作戦ヲ完了ス。
今後、我ハ明日午後ヲ持ッテ泰国ヘ移動、現地ニ滞在シ経由シ然ルベキ時期ニ合ワセ本国ヘノ帰国ヲ思案ス。
以上。
2008/07/12(Sat)

[ サラエボで帰国のことを考える ]
そろそろ帰国のことを考えていろいろネットであさってみてるけど。。。
どこもたけえ。。。
そういやハイシーズンだものねえ。。。
いったんニューヨーク飛んで、値段が下がるの待とうかとも思ったが、
えうろぱ-ぬえぼよーくもたけえしなあ。。。
どうしようかねえ。。。

てえか、だれかえうろぱからアメリキや日本に飛ぶのにどっから飛んだら安いかしらんかねえ。。。
しらねえよな。。。

ちなみに現在サラエボ。
どこもかしこも建物に穴が開いております。
南無阿彌陀仏。。。
2008/07/05(Sat)

[ コソボ日記 ]
現在クロアチアはドゥブロウニクに居ます。
まあ、よくある話で
「某宮崎のモデルになった!」
とかいう謳い文句の町ですが、
ほんとかよと言った所かどうかは今着いたばっかなので判りませんが、旧市街が遠くから見る分にはよさげでございます。
しっかし物価たけえのなんの。
コーラ500mlで2ドル半でございますよ。
鼻血が出そうでございます・・・

二泊するつもりだったけど明日サラエボに出ようかしら・・・

>酒匂さん
いんやあ、ようは前線次第ってことでしょう。
前線でトンパチ!ってなったらもう脱出の準備してもおせえんだろうなあ・・・

まあ、プリティシュナしか居ませんでしたけど、町は至って平和ですわ。
治安上、夜歩いたらやばそーだなみたいな場所はありましたけど、そういう所を避ければ問題は無い、普通の町というべきでしょう。
特筆すべきは、飲み屋が外国人好みを判っていること。
いやね、ベオグラードでもブカレストでも、雰囲気だけはよさげな飲み屋は多数あるんですが、中入るとMTVかけっぱなしというか、何も考えてねえだろみてえな残念な所が大多数でして、
その点プリシュティナの飲み屋さんはまあ、UNの人が旨く教え込んだんでしょうねえ、JAZZをCDからちゃんとかけてましたよ。
しかもまあ、一応アルバニア人でムスリムだから愛想はいいですな。

しかし、人は、まあしょうがないんだろうけど、田舎だなあ。
宿の兄ちゃんとアメリカ人と私で映画の話してたら完全に置いてけぼりだったものなあ・・・
アメリカ人が日本映画大好きで色々話してたら兄ちゃんは
「日本と言うとジャッキーチェンか」
と、良くありがちな文句が・・・

もうがっくし。
いやあ、お前、はなさんでいいよ無理してと思いましたわ。
2008/07/02(Wed)

[ イェレヴァンにて ]
現在トルコはイスタンブールからとんぼ返りしてコーカサス旅遊中でござい。
現在はアゼルバイジャンを通り抜けてグルジアと抜け、アルメニアに滞在中。

日記更新随分サボってたなあ・・・

イスタン到着後、パムッカレ、カッパドキア、サフランボルと周ったはいいけど、よりによってカッパドキアでカメラがご臨終・・・

α-7D、結構気にってただけにショックだった・・・
おかげでイスタンに10泊も滞在する羽目になる。
ひたすら毎日飲んでゲームしての毎日だった・・・
しかしイスタンの宿、騒げないのが苦痛というか、こういう日本人宿は生まれてはじめてである。
音もれないように騒いでるにもかかわらず、管理人室に音が漏れる(建前は近所に騒音が漏れるが下の階にも漏れてないので漏れてるはずがない)だけでストップがかかる。
おまけに毎日客は漫画読むだけで終わる。
会話がなく息苦しい日本人宿は初めてだ。
しかし、宿代が安い、日本から荷物が届きやすいという理由で宿泊ぜざるを得なかったのだ。

そうして日本から発注、家からイスタンまで含めて9日目で到着。
到着したのはSONYのα-200である。
さすが最近のモデルだけあってほんとに軽い。
だけど、変にオート化されていて撮影してるとストレスが溜まるのが頂けない。
前のα-7Dだとホワイトバランスや露光調整はすべてレバー・ダイアルでコントロールできるので一々液晶画面を見ずに調整可能なのだが、こいつは一々全て液晶画面を見る必要がある。
(露光調整はファインダーのぞきながら出来るが、さくっと調整となるとやり難さを感じる)
中級機から初級機になったので仕方ないところなのだろう。
けど一番ストレス溜まるのは撮影結果が液晶に表示されるまで時間がかかること。
画素数が上がったのでやむをえないのだろうけどこれはなんとかならんのか。

まあ、ボディ価格が5万切ってたので仕方ない。
正直他メーカーのレンズキットも考えたが、手持ちのα-7D用のレンズはそれなりのものだ。
レンズもグレードダウンしてまで他のメーカーに切り替える理由がない。
しょうがないのだ。
しょうがない・・・

というわけでカメラ到着後、イスタンの韓国領事館(アンカラにしかないと思ってたら実はイスタンにもあった!もうちょいわかりやすく作れよ通商外交省のページ!)にて増ページ(5$!)に成功。
しかし、パスポートを切り替えろといわれたときは正直参った。
てえかいまさらできるかっちゅうの1ヶ月以上もここで待てというのか!
拝み倒して手持ちのパスポートに増ページさせる。
まあ、5$でできたのでOKとしておこう・・・

新しいパスポートを見せてもらったが、顔写真を貼り付けるタイプではなく、スキャンしたのをパスポートに印刷する形式(ようは日本パスポートと同じ)にやっとこさ変更になったようだ。
今まではほんとすぐIDページがパスポートから離れ易かった。
今もってる前のパスポートは完全にIDページがパスポートから分離されてしまっている。
これでこういうのも改善されるだろう。

そういうわけでイラン国境そばの町、ドバヤズットに戻り、そこで一泊後、ナフチェヴァンという、アゼルバイジャンの飛び地(本国へはアルメニアを介さないと行けない状態)へ向かう。
ウードゥルから入るわけだがバスチケットがなぜかタダになった・・・
今をもって謎だ。なんでタダになったんだろう・・・

国境で散々チェックされ、そのおかげでバスの運ちゃんぶちきれてバスにおいてかれそうになりながらも無事ナフチェヴァンに到着。
ナフチェヴァン、ピリピリしてるかと思ったが何もない町だった。
兵隊もおらず、人もそんな多くない田舎な町である。

これで本国へ安ければいいんだけど、飛行機で100マナト(役120$外国人料金)という鬱憤物の価格でしかバクーに行けないので、はっきり行って行く価値は0だろう。

しかし、宿の親父と喧嘩腰になったのはここが初めてだ。
今をもって謎だ。
金払えと言われたので、じゃあパスポート返せと要求したら切れ始めた。
さっぱりよくわからず。
なんじゃあれ。

2泊後チェックアウトし、空港に向かう。
はじめアビアカッサ(券買所)に行ったが明日のしか扱ってないとのことで空港へ直接出向いて買ったら真夜中の便・・・
これでどうしろっちゅうねん!
変えろと言ったがだめ、キャンセルは有料だと抜かす。
あーあ・・・夜中まで俺どうすりゃいいんだろ・・・
まあ、空港内外で時間つぶすかと夕方6時に券買所の兄ちゃんが「今なら乗れるぞ!はやく!」
と券を7時発のに書き換えてくれた。
ラッキーと思ったが、空港の職員が全て金をせびってくるのに辟易する。
警官も「レキストラーチア(登録)料20$」だとせびってくる。
そんなの聞いたこともないので知るか!100マナト払ってさらに金払えというのか!、理解できん!と言ったら10$になった。
あー、これ賄賂だなとその時点で気がついて、知らん、とほっといたら請求がなくなった。
あほだな・・・
その後の職員もことごとく5$だとか抜かす。
無視して通過して、やっとこさ飛行機に搭乗。
来たのはアントノフでもイリューシンでもなくツポレフだった。
しかし、乗客にシートベルトを締めろとの案内もなく離陸・着陸させる航空会社はここが始めてだ。
ま、こんなボロイ機体じゃ締めてもしょうがないんだろう。
そういや飛行機の座席が前に倒れるのも初めてである。

そうしてバクーに到着。
空港からバスが切れていたのでアゼル人とタクシーをシェアして金を折半する。

バクーは・・・
俺アゼリー人好きじゃない・・・
頭に血が上るのが早すぎ。
人がソビエト人だ。
マルシュの親父とつり銭で喧嘩になりそうになったし、宿のおばちゃんはもう典型的ソビエト人で無愛想だ。

その後はシェキに移動。
シェキは田舎町で、民泊させてもらったけどそこが気分がよく、いい思いをさせてもらった。
ここでソ連国歌を流したら宿のじいちゃん大喜び。
日本人と泊まったのだが私は本の少々ロシア語を解すからいいのだけどロシア語さっぱりの日本人のほうに「ソビエツキーソユーズハラショーー!キャピタリストダローガ!アメリキダローガ!」とはしゃぐのはどうか。
腕を振って聖戦歌ってくれたのが印象的だった。

その後はグルジアへ。
物価の高いアゼルに6泊もすれば十分だろう。

グルジアの国境で散々もめる。
係員がまず韓国人がビザ必要かどうかが分からない。
で、要らないと判っても、私のパスポートが、Repubulic of Korea(韓国)か、Democlatic People's Repubulic of Korea(北朝鮮)か区別がつかない。
中央省庁と散々電話でやりとりして計40分、やっと入国スタンプが私のパスポートに押される。
まあ、最近ノービザになったばかりらしいのでしょうがない。
4年前のアルゼンチン入国(あそこでも同じことがあった)の記憶がなかったらかなりびびっていただろう。

トビリシはホンジュラスのテグシガルパを思い出させるような、谷間の首都だった。
よくもまあこんなところに地下鉄も走ってるなあ・・・

しかし、ここで思わぬことが起こった。
私が風邪を引いてしまったのである。

よって3日間宿で寝ているだけの生活となった。
酒飲みすぎたのかね・・・

グルジアはワインの産地だけあって、ワインが安く、うまい。
リッター1.5$と南米ほどではないが安い。
惣菜も、まあ安いので長期いてもそんな金がかかんないのがよかった。

全快後、ゴリでスターリン博物館を見学。赤軍女性兵士のコスプレしている売店のおばちゃんと値段に驚き終わる。

その後カズベキというロシアに近い町も行ったが、人がすれててなんかやだった。
ガキが俺の時計見てそれくれというのはどうか。
景色はいい町なんだけどね。


そうしてもうグルジアはいいということになり、アルメニアに入国。
アラウェルディは、ロープウェーが地元の交通機関となっている珍しい町だった。
安食堂がないのが痛かったけど、雰囲気はよく、サナヒン修道院も味があってよかった。
しかし、ここの名物はなんといってもミコヤン博物館だろう。
ここは何を隠そうMig戦闘機の生みの親、ミコヤンの生まれ故郷なのだ。
展示物は写真メインで大したことはないが、まあ、とりあえず聖地巡礼みたいなものだ。

そうして現在イェレヴァンである。
よくじろじろ見られるが、そういう町なのだろう。
ここでナゴルノカラバフ共和国のビザを取得。
あと国際学生証が7$で、審査なしで手に入るので取得したが、名前がParkではなく、Pankになっていた・・・orz

明日ナゴルノカラバフに行ってきます。
ああ長い日記だった・・・
2008/06/04(Wed)

[ イスタンブル到着 ]
今日、イスタンブル到着。
中央アジアを行くと言いながら、何年経っただろう。
実家にある旅行人ノート、シルクロードは初版、2000年発行になっている。
そうか、あれからもう8年か。
思えば長かった。
そして、やっと、今足元にあるのは欧州大陸なのだ。
やっとだった。
本当にやっとだった。
日本を発って4ヶ月だが、私にとっては8年なのだ。
やっと、やっとここまでこれたのだなあ・・・
本当に、やっと、シルクロードを打通できたのだなあ・・・俺は・・・

これで少なくとも嘘つきにはならずにすんだ。
そして、念願の中央アジア打通が適った。

アジア側の鉄道終着駅、ハイダルパシャ駅からヨーロッパ側を望み、そして船で降り立ったその時は、
「やった・・・」
その一言だった・・・
2008/04/25(Fri)

[ イラン国境突破 ]
現在イランを抜けて、無事トルコのドバヤズットに到着。
荷物チェックも私の荷物を見てみんなうんざりしてチェックなし。
まあ、葉っぱもドラッグもやらない飲むだけの私は全然呵責もないが、こんなんでいいんだろうか。

しかし、国境からアララト山が見えて、やっとここまで来たんだなと、実感する。
もうすぐアジアも終わりでござんす。

イラン、いいとこだったなあ。
人良すぎです。
昨日は、タブリーズからウルミエという町まで相乗りタクシーを使用したのだが、ほぼ10$相当の交通費を同乗のイラン人が全額負担してくれた。
別に頼んでもないし、金もあるし、払うといっても俺が払うと聞かないのである。
国境からトバヤズットまでヒッチしたのも結局イラン人のトラックだったし。
てえかタクシー代もったいなくてヒッチした私は単なる貧乏性・・・

ほんと、ビールがないことだけが唯一かつ最大の欠点だなあの国は。

しかし、トラックにおろしてもらった場所から市の中心部まで歩いたのだが、道中の店にビールが陳列してあるのを見るに、別の国に来たのだなあと痛感する。
おもわず宿の人間に、「ここ、ビールいいんだよな」と聞いて、NoProblemとの回答でほっとしたものである。

ああ、イランもうちょっと居たかったけど、25にイスタン到着が必須なので仕方がないのである・・・
ああ仕方ないんだよほんと・・・

ビザ延長はテヘランで成功。
4日くれと言ったのに、1週間もくれたが、その後3日で出てしまってああもったいないのきわみである。
ああ、もうちょっと居たかったけどなあ・・・
もったいねえ・・・
2008/04/23(Wed)

[ イスファハン不法滞在日記 ]
4日も待って、その結果が不法滞在ってなんやねんゴルァ!!!!
2008/04/19(Sat)

[ ぢょうだんぢゃねえよ ]
イスファハンでビザ延長中だが・・・

だれだものの10分で終わるなんて抜かしたやつは!!
今日行ったら明日・・・いや、明日休日だから明後日こいだと・・・
ったくこれじゃあなんのためにビザ延長してるんだかわかったもんじゃねえや・・・

ああ欝だ・・・イスファハンで何しろってんだよ・・・
チョーカザンビルも、カスピ海側もこれで全部×である・・・

欝だ・・・ああ欝だ・・・ちっくしょーーーー!!!!

3日前シラズで爆弾爆発騒ぎがあったけど、そのせいなのかねえ・・・
だとしたら・・・ついてねえなあ今回の旅はほんと・・・
2008/04/17(Thr)

[ イスファハンにて ]
現在マシュハド〜ヤズド〜シラズ〜テヘランと来てイスファハンに居る。
ほんとはイスファハンとテヘランの順序を逆にしたほうがルート的にもいいのだが、ビザ延長をしなければならない都合上、仕方ないのである。
現在イランに入って12日目。
私のビザは14日ビザだ。
そう、ビザ的にも、明後日がイランの休日(金曜日が休日)である都合上、こうした方がよりいいのである。
ビザ延長は、ビザが切れた日からではなくビザ延長が受理された日から始まるからだ。
ビザ延長もしやすい場所としにくい場所があり、で、イスファハンはイランの中で一番しやすく、テヘランはもっともしにくい場所なのである。
というわけで現在ビザ延長中につき1日休み。
ビールでもあればいいのだが、ここにはそんなものはない。

「やった!バルティカ(ロシア産ビール)みっけ!」と思えばそれはバルティカ0、ノンアルコールビールでありかなりがっくり来る毎日である。
ほんとビールがほしい。ああビール、ああビール、きゅううっと、ゴクゴクっと、ああああああああああああ浴びーーーーーーーるうううううううう!!!!!!!!!

ハァハァ・・・・・・・

テヘランで、イランに来るのに金を下ろし忘れて現在50$しか持たずにぴーぴー言ってるスイス人いわく、ブルガリアはビールが安くてうまいらしい。
ああビール・・・ビール・・・びーーーーるぅぅぅぅぅっぅ!!!

ノンアルコールビールも試したが、果てしなく不味い。
というか、タジクのビールがなぜ不味いかやっと理解する。
あいつらノンアルコールビールの味しか知らないんじゃねえのか。
そう、味が同じなのだ。
というか、ノンアルコールビールにウォッカ混ぜて作ってるんじゃないのかという疑惑が持ち上がっている。
ようはそれくらい不味いのだ。

まあ、それはさておき、スイス人がなんでそんな事態になっているかというと、ここはイラン、アメリカと仲がとても悪い国だ。
そんな国ではT/Cはおろか、キャッシュカード、はてはクレジットカードまで一切合財使えないのである。
私はそれにウズベクで気がつき慌ててクレジットカードで泣く泣くキャッシングして米ドルを作ったのだが、そいつはまあ、知らずに入って。。。南無阿弥陀仏だったのだ。
ほかにももう一人居たなあ・・・
現在お母ちゃんから大使館宛に送金してもらってる最中だとか・・・ああ・・・

ビールさえあれば、いいのになあとぼやいていたのを思いだす。

しかし、いい加減もうモスクはおなかいっぱいである。
観光地めぐりも飽きてきた。
だが、ここはモスクだけではなく、アケメネス・ササン朝ペルシア期の遺跡があるので面白い。
思えばヘレニズム文化圏にやっと足を踏み入れたのだ。

というわけでモスクはほとんど見ずに、ゾロアスター教寺院だとか、ペルシア期の遺跡、アルメニア正教の教会ばかりを見る。
イスファハンは聖地らしいが正直どうでもいい。

アルメニア正教の教会を見学するに、思えば仏教文化圏を抜け、イスラム文化圏を現在ぬけつつ、キリスト教文化圏に足を踏み入れつつあるのだなと痛感する。
ああ、ここまできたんだなあとつくづく思う。

そういえば、アルメニア人虐殺の展示があったが、イスタンブールがコンスタンティノープルになってて面白い。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったものだ。

イラン人のことも書こう。
ほんと、親切だ。
道もちゃんと教えてくれ、ヒッチもしやすい。
女の子もよく声をかけてくれる。
おかげでシラズ郊外の遺跡の帰りは金を一銭も使わずにすんだ。
みんな地元人の帰りの車をヒッチできたというかされてしまったからだ。
ああ旅行しやすいねえと感じるのである。
バスも、今までのボロボロのクソボロのどうしようもないのでなく、ちゃんとした、高級バスだ。
ああすげえよイラン。
これでタクシー代安けりゃ言うことないねというか、
燃料代クソ安い(リッター15円)くせにこのタクシー代はどうかと思う。

そういうわけで、10分で終わると聞いたビザ延長が、実は翌日までかかるとわかり、やることがなくなったわけである。
ああ暇だ。
ビールがほしい・・・ビール・・・ビール・・・
あのゴクゴクっと、キュウっと、シャワーーーーーーっと・・・
びぃぃっぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃるぅぅぅぅっぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!

俺にビールよこせこん畜生!!!!!
ビール!
ビール!
ビール!
ビール!
ビール!

2008/04/16(Wed)

[ さてどこ行こうか ]
現在いまだマシュハドである。
この辺の両替はいったいどうなってるのか。
やみ両替に失敗。一割も損した。
100$やったので10$は損してる・・・orz

まあいい。1000円ぽっちどうということはない。
宿は2泊300000 Rielだったが、最初で$で交渉していたので、30$相当のRielでやってくれた。
いいところだ。

さて次はどこ行こうか。
とりあえずYazdに行って考えよう・・・
Yazdへは夜行便しかないので、夕方まで待ちぼうけなのである。
暇だ・・・

ウズベクでのお話か。
ウズベクではサマルカンドで5泊(疲れてた・・・)
もしたあと、タシュケントに移動。
そこでイランビザ、トルクメニスタンビザを申請。
だがタシュケント到着当日に問題発生。
タジキスタンにいたとき、代理店に一応イランインビテーションの申請を頼んでいたのだが、まったく行動を起こしていないはおろか、予約した宿にまったく予約を入れていない。
なんてえところだふざけるな。
出てくるのは言い訳ばっかり。
まあ、先に宿行って部屋は確保できたし、イランインビテーション未確保は、まあ大方想像はしていたのである。
ちなみにここではツーリストビザを取得するためにはインビテーションが必須なのだ。

しゃあないなあ、駄目元で領事に交渉するしかないか・・・
で、まあ翌日イラン大使館へ。
で、行ってみたところ、やっぱりインビテーションがいるとのこと・・・
けど領事さんに面会はできた。
領事さんからはトランジット7日間なら問題ないよと言われたが、引き下がるわけには行かない。
おねげえだああ、イランすげえいいい興味津々アメリカ嫌い、すんげえ行きたいんです!14日間もらえたらすげえはっぴー!!
と言ったら、わかった、テヘランに電話で聞いてみるとの回答を頂く。
わずかな希望の光が灯ったのである。

14日もらえたららっきーやなあと思いながら、その勢いで翌日トルクメニスタン大使館に行く。
トルクメニスタンは基本的にツーリストビザは個人では不可能。
ガイドと称する見張りを雇わなければならなく、それには代理店を通すしかない。
だから普通はトランジットビザの5日間のみで抜けるのだ。
というか、普通はあんな国に1週間も要らないのである。
だが、トランジットビザ取得には、次の渡航先国のビザが必須なのだがイランビザはまだ申請中・・・果たして取れるのだろうか・・・
で翌日行ってみたはいいが、なんと人が多すぎて申請すら不可能だったのである。
ってたって15人もいるかいないかだ。
一日の処理能力が15人てなによ・・・

このとき、フランス人カップルが私同様に申請しに来た。
イランビザ申請の後に来たというが、彼らはなんとイランツーリストビザの申請に成功したという・・・
「今回だけだぞ次回はない」と言われたらしいので特例らしいが、その話を聞いた限り、彼らが取れたのは前日私が申請したからだと思うのよねえ・・・

ああ俺の後に道はできるが道を作るのは歩くより損するばかりである・・・

とりあえず、トルクメニスタンビザが申請だけはできることは確認できたので、その日は今まで泊まっていた宿から別の安宿に移動することにする。
本当は申請だけしてとっととフェルガナバレーに行きたかったのだが・・・

けどとりあえずここの領事さんにはいい印象を与えたようだ。
明日来れば申請してやるよと・・・
最初にアッサラームアレイクムと握手を交わしたのが効いたのだろうか。

その日は町の広場でぼけーっとする。
ここにも韓国人(というかいわゆる高麗人。ようはスターリンの強制移住で定着した人々)が大勢いるようだ。

で、翌日。
朝10時半に行ったがすでに人は並んでいた。
フランス人カップルも私より少し早い時間に来たようだ。
だが・・・
午後1時、申請時間が終わったので大使館終了・・・
なんでやねん!!
領事さん!と大声で言ったが門番の警察に制止される。
これで2日パーだよ・・・

帰り際、以前サマルカンドで一緒だったフランス人・日本人ハーフの人に会う。
その後、フランス人カップルと私4人で宴会になったのだ。
ハーフもやっぱ私ら在日と考え方が少し似てるんだなあと思ったものである。
言ってしまえば、日本人という意味は日本人でしかない。
肌の白かったり、目が青かったり、日本語が多少おかしかったり、そんなのは日本国籍をとっても日本人ではないということだ。
私はああ日本はそういう国だから仕方ないんじゃないの、特に韓国はその点はまったく人のことが言えないし、まあそういう国は別に日本だけではないのはよく知っているつもりだ。
だが、やっぱそこはヨーロッパ生まれなのだろうか。
私よりも憤慨している点が印象的だった。

サマルカンドで彼と会ったときも話したが、たとえばアフガニスタンの仏像爆破について。
私はあれは彼らのものであり、他人のものについてあれこれ言うのはどうかとの思いを抱いていた。
だが、彼は
「フランスにある遺跡はフランス人のものではない。だって昔はフランスなんてなかったし、フランス人という懸念すらなかったのだから。だから遺跡なんてのは公共の、人類全体のものなのだ」
と語っていた。
この点、日本等にすんでいるとまるっきり考えもつかない発想である。
中国の遺跡、日本の遺跡、韓国の遺跡は少数の例外を除いて基本的に現地在住の人々が作ったものであって異民族が作った遺跡ではないのである。
中国はかなり怪しいが、当時の異民族がほとんど漢族になっている以上、この定義に当てはまると思う。
なるほどねえ、完全に納得はしないが、ああそういう考え方もあるのだなとつくづく思ったのである。

そして翌日・・・やっとトルクメニスタン申請が完了。
「5日でいいんだな?」といわれたので素直にはいと答えてしまったが、7日といえばくれたのだろうか・・・
ここの領事さん、営業時間こそ短いが悪い人じゃないと思う。
本当は来週金曜だが来週金曜は木曜日だ。
木曜日に電話しといわれたが、ロシア語がほとんどわからん俺にどないせいっちゅうんじゃ・・・
まあ、申請だけはできたので、フランス人カップルと別れ、私はフェルガナ盆地に。
人が妙に親切だったが何もないところだった。
ここは本来時間がある人が、ボーっとしに来るところなんだろうなあと思ったものである。
コーカンド・フェルガナ・アンディジャンと回る。
フェルガナにも高麗人が居たのは驚きだった。

で、イランビザが下りている日にタシュケントに帰ってきたはいいが、まだ降りてない・・・なんじゃそりゃ・・・
とりあえずパスポートだけ預けてその日は宿に・・・
ほんとは受領後即効で別の場所に行こうと思ったが、現地の宿に宿泊することになる・・・
宿の子が「おかあちゃん〜〜〜(私の名前)が帰ってきたよ〜〜!!」と言ってくれたのが印象的だった。

で、翌日イラン大使館に行ったところ、ビザ受領に成功。
で、ビザは・・・14日!!!
領事さんありがとう!!!すげえうれしい!!と英語で伝えてその日は終了。
そして翌日。
トルクメニスタン大使館へ、片言のロシア語で電話し、午後一時に来いと言われたので行ってみたら、とりあえずパスポートを預けることには成功。
で、午後5時に来いと言われたのでその間ネット屋で時間つぶし。
で再度来訪し受領に成功!
うっしゃああ!!!
というわけで即効で列車駅に駆け込みその日のブハラ行き列車のチケットを買う。
そしてタシュケントとはおさらばと相成ったのだ。
ああビザ取りはいつも疲れるよ・・・

ブハラへは翌日朝に到着。
乗ってる最中、ロシア人の女性(既婚)と話すが、私の顔はほんと若く見えるらしく、どこでも20台前半だ。
本当の年齢を話すとみんなびっくり仰天である。
そうさ、あんたより年寄りなんだよ。

ブハラは、なんか旧市街がほんと印象的な町だった。
マドラサやモスクは正直見飽きていたが、旧市街を歩いていると、ほんとほっとしたものだ。

ここでウズベク人の日本語ガイドとビールを交わす。
バックパッカーについて、無駄じゃないか、理解できないということだが、趣味なんて無駄以外何者でもなくましてや他人の趣味を理解できなのは当たり前だろう。
そういうところからしてああソ連人だなあというか、当分この人らとは同じ価値観で物を図ることは不可能なんじゃないかと思う。

次はヒヴァへ。
乗り合いタクシーの運ちゃんから民泊を進められたが丁重に断る。だってヒヴァの旧市街から遠いんだもの・・・
時間もあまりないしね。
ヒヴァは・・・確かに町全体が博物館だなこりゃ・・・
もうモスクは胸いっぱいウエ〜である。

ここで地元の子らとサッカーで遊ぶ。
途中、子らの親父も交ったが・・・

意外と日本のJリーグの選手知ってるのねこの子ら・・・

その後はヌクスを通過し、アラル海沿岸の町だったモイナックへ。
船の墓場と、子供らが「ヴォダOK?」とずっとくっついてきたのが印象的だった。
水が・・・たりんらしいのだ・・・
ちなみにヒヴァから先、地表が一部真っ白になっている。
ここは、塩害の地なのだ。
地表に塩が浮いてしまっているのである・・・

ここでサマルカンドで一緒だったフランス人とまた会う。
みんなおんなじところ回るのねえ・・・
前日、サマルカンドで一緒だったスペイン人の女の子も居たらしい。
そういや、チベット行くとか言ってたがほんとに行くんだろうか・・・

そうしてヒヴァに戻り、トルクメビザスタートの4/1まで、ヒヴァでぼけっとする。

そうして4/1、一月ぶりに国境線を越える。
首都アシュガバッドで、ビザ取得時に会ったフランス人カップルに再会。
ちなみに彼ら、日本人が旅してて一番愛想よかったとか。
ヒモのことを、「同じ」という意味と勘違いして日本人に言いまくったこととか、(ヒモの本当の意味を教えてやったら大笑いしていた)
ウラメシヤをどこをどう勘違いしていたかしらないが、「ロッポンギ〜」と言いまくってたこととか、楽しい連中だった。
ちなみに日本では漫画喫茶とラブホテルで宿泊してたらしい。
まあそりゃあ安いからねえ・・
しかし、ヒッチハイクで日本を回ったツワモノでもあるのである。

そして4/5、トルクメを抜ける。
現在イランへ。
トルクメ、ほんと人が貧しいと感じる。
値段交渉がなんか、もうね、「お前外人だから金持ちだからもっと払え」と半ば高圧的といった感じでまさに毎回ボってくる。
ほんと気持ち悪い。

イランに来て、ほんとそう思う。
ここは15$も払えば上等な宿に泊まれ、サービスもある。
ああ、今まで通ったところはソビエトだったのだなあとつくづく思ったものだ。
というわけで疲れたので日記終了。

何日分の日記書いたんだ俺?
2008/04/07(Mon)

[ ああイラン ]
現在ウズベクやトルクメを通り抜けて、イランに居る。
ああここはほんと資本主義な国だ。
夜中も人が大勢居る。
町が明るい。
人も愛想がいい。
ソビエトじゃない国だ。
ああアジアだなあと実感する。
ほっとするのだ。

というわけで前回の続き。
翌日になって、朝7時に民泊した家を後にし、パンジャケントへの道へ向かったのだが相変わらずトラックの列・・・
待つこと4時間でみんなあきらめる。
やっぱりあかねえ・・・

どうしようか・・・飛行機使っちまおうか・・・
タジキスタンにこんな時間使ってどうするんだ。
ウズベクのほうが見所もいっぱいあってええべ。
そんなことが頭によぎるが、こんなこと滅多にない。
地元人と一緒に2泊三日なんてないものなあ・・・
もう一日トライしてみるか・・・

とドライバーのおっちゃん(といったって50代なのでおじいちゃん?元鉱山技師だったらしいがなんでドライバーなんかやってるんだ)にどうするどうすると促されながら悩み、悩んでもう一日待つことに決める。
後ろ2名もおおよくもまあという感じだ。
まあ、普通だったら逃げるわな。
一緒に乗ったウズベク人は、呆れ顔と、よくやるなあてな具合で話した。

「お前は二日だろ、俺なんて5日待ったんだぞ!」

このへんのタクシーは乗客が一杯にならないと出発しない。
絶対に出発しない。
そう、俺が来て、ようやく、一杯になって、出発できたのである!
何て国だ!!

というわけでまたイスタラウシャンにゴーバック。
そこで、何をしたか、

宴会だった・・・

いやあさ、この辺のトイレ、穴トイレで汚いもんだから(たまにモノが外れている)用をしたくないので飯をあまり食べていなかったのだ。
そこに、現地人流ウォッカ一気飲み大会!

そう、ここには一気飲み以外の飲み方は存在しないのだ!

4人とはいえ、ウォッカ2瓶半、1時間だ、1時間だよ。たったそんな時間で飲み干す。
俺は当然すきっ腹。

気がついたら車の中でした。
気持ち悪い。
真夜中までゲーゲー吐きたくる。
のどが渇くので宿の噴水の水をかぶのみ。
よくこれで腹壊さなかったものだ・・・

夜中の2時くらいにやっと嘔吐が落ち着いたものだ。
ちなみにこの辺の人間はみなイスラム教徒である。
だが、酒を飲む。
飲んでるとき問いただした。
「あんたら酒だめだろ?」
「ここ、地下だろ?アラーは我々を見つけられない。だからOKだ」
あ〜〜〜、だから、たまに見つける、日陰や半地下の店にあるオシュハナの看板、これ、飲み屋ってことだったのね・・・

すげー納得。

ちなみにイランではそんな所ありません。
あったら・・・警察にゴーなんだろうな・・・

翌朝、朝6時。嘔吐感も完全におさまり、宿を後にし、またパンジャケントへの道を進む。
今日は・・・トラックの列が居ない!開いた!
やった!とおもったらゲートで待ちぼうけ・・・なんでやねん!

理由がよくわからんが、ケーサツに賄賂渡せば行けるとのこと。
なんじゃそりゃあ!
みんなそろって分割払いでなんとか先へ進む。

がまた検問所・・・
ここでも賄賂・・・

外人だからじゃない。地元人に吹っかけてるのだ!
なんてえ国だ・・・

検問所を抜け、次第に道が雪に覆われていく・・・
ちなみにイスタラウシャンでは雪皆無です。

道が雪で完全に覆われたころ、車はストップし、チェーンをタイヤに巻く。
タイヤを一々はずしてつけるタイプで履かせるのに大変な時間を要する。

1時間かけてつけた後、車は峠に出たが・・・そこは・・・
トラックの列だった・・・

そう、道の勾配と、ヘビーな積雪状況で、トラックがなかなか進めないのだ!
道は一本しかなく、トラックが3台に一台の割合で途中で完全ストップ・・・
その時はバックですれ違えるところまで後退・・・
で、次のやつが前進・・・
後退できたのはラッキーで途中で完全にストップするのもある。
その場合は、ブルドーザー出動で雪を掻き分け・・・

たった2本の峠を越えるのに7時間も要したのである!

パンジャケントに到着したのは夜中の11時。
こんなひでえ道初めてだ!

というわけでパンジャケントに到着した時はもうへとへと・・・
三日間共にした連中とも抱擁で分かれる・・・

ほんと、厳しかった・・・胃袋にも・・・
その後、タクシーは懲りて首都へ飛行機で飛ぼうと思ったが不幸続きで雨で飛行機が飛ばず・・・
明日来るのかと聞けば、インシャアラー・・・

素直にサマルカンドに出ました。
いやあ、ウズベクには文明があったよ・・・
5泊もしちまった・・・

うち一泊は、ウォッカ飲みすぎで胃袋壊したせいか、
朝方胃袋が急激に痛み出しのた打ち回った結果なんだけどね・・・

というわけでまたいつか書きますはい
2008/04/06(Sun)

[ はるかブハラへ・・・ ]
行きたいなあと思いながらすごすこの二日間。
現在タシュケントでビザ待ちである。

というかとっととこんなソビエトみたいな町から出たいのだけど、トルクメニスタンビザが金曜に下りる都合と、イランビザが昨日下りるはずが今日になって下りた都合上、あとなんと言ってもここから次のブハラまで10時間かかり、おまけにその間に町はほとんど無いときたもんだ。

しょうがないのでここにいるのである・・・ほんと・・・

しかし、ここまでの間、いろんなことがありました・・・

ビシュケクでは無事、罰金払ったのか払ってないのかよくわからないけどとりあえず無事延長終了。
1055ソムと思ったよりも安かった。
午前申請に失敗して午後一発目申請になって、明日降りるとか言われたがごねてその日の内にもらえることになってはあラッキーである。

そして受領後その足で航空券屋にてバトケンへの航空券を取得。
翌日の券なのによく取れたものだと思ったのは翌日の乗客数を見て。
満員だったのだもの・・・よく乗れたよねえ・・・
そして乗ったのはAn-24PB。
こいつのエンジンは、今まで乗った飛行機の中で一番うるせえかもしれない・・・
エンジンスタート時は鼓膜が破れるかと思った・・・

そして無事離陸し、一時間程度でバトケンに到着したが、国境で6時間待ちぼうけ。
理由がなんと出国スタンプが今ありません・・・

そんな国境初めてみたよ俺はさあ・・・
地元のやつらはフリーパスだがおいらやドゥシャンベ在住のタジク人なんかはダルーとしながら6時間まちぼうけだったのである。
その間キルギス側のケーカンから荷物チェックを受けるがとりあえず何もされずにOKであった。
電池引っこ抜かれたかもしれないけど・・・

そうして雪の無い、春が訪れかけたタジクはホジャンドへ・・・
国境の兵隊が、「タジクは電気が無いぞ〜〜〜〜うはははは」と言ってたけどその通りで夜中真っ暗けっけでおまけに宿が寒い。
地元人ドミに押し込められるので気が抜けないときたもんだ。
まあ、ビシュケクであった日本人と少し一緒にいたのだが・・・

しかし、ここにきてやっとソビエト臭から逃れることに成功する。
ホジャンドは思ったよりソビエトではなくというか、中東というかもう異国情緒というのが似合う町だったのである。
町自体は落ち着いて人もすれてないというか田舎なので、いいのだが、夜が暇すぎるのが問題であろう。

宿がまっくらけっけなので本も読めず、電気も無いのでPCも立ち上げられない始末。
この国の夜を過すにはろうそくが必要なのだ。

昼間はほんと落ち着いていいのにねえ・・・
というわけでホジャンドはすきなのだ。

ここにいて、ここではロシア語を使っていないことに気づく。
今までなんだかんだでロシア語が飛び交っていたのだが、ここではほとんどタジク語。
そういうわけで挨拶時の言葉「アッサラーム・アレイクム」をここで初めて使用する。
じゃないと失礼に当たる気がしてならない。
このおかげで以後かなり警官や商店、大使館でも楽になる。
この一言で態度ががらりと変わるのだ。ほんとよ?

そうして以後イスタラウシャン・シャフリストーンと続く。
イスタラウシャンは、ニイハオニイハオとほんとうるせえ町だが、裏路地はいると子供が列を成して写真取れと寄ってくる。
田舎なのだなあと思うが街中歩いてるだけでニイハオ煩いので落ち着かない町だった。
あとから理由を聞いてみると、ここイスタラウシャンと先の町パンジャケントの間で中国資本でトンネル掘ってるのだが、そこの中国人労働者が殴りあいしたらしい・・・
まあ気持ちはわかるよねえ・・・

しかしここ、一日の間に電気が使える時間はわずか2時間・・・
おまけに5時半を周ると町はゴーストタウンと化す。
どこの商店も営業していない・・・すげえところだ・・・
宿も寒い、シャワーも使えんということで一泊してホジャンドに取って返す。
頭痒いししょうがなかったのだ。


というわけでホジャンドに帰ったはいいが、宿をちょっと高めで旧インツーリストのホテルにしたのだが、
やっぱお湯が出ない・・・
宿自体はあったかいのだけど10ドル近く払って地元民と一緒はねえだろう。
しかし頭は痒いので水で無理やり風呂とする。
もう洗って水で頭洗うだけ。

けど相部屋の兄ちゃんは酔ってたけどまあいい人だったけどね。
パンジャケントから出稼ぎに来てバスの運転手やってるそうな・・・
翌日寝過ごして同僚にたたき起こされてたがね(笑)

しかし、どうしよう。
パンジャケントまでは途中山越えとなり今時期は閉まっているそうだが本当にそうなのだろうか。

イスタラウシャンでもためしに聞いてみたが、どうもあいてるくさい。
しかし、シャフリストーンからイスタラウシャンへ戻る途中、車の列に遭遇。
話を聞いてみるとどうもドシャンベやパンジャケントへ行く車らしい。
なんだ開いてるじゃんというわけで、もしもタクシーが捕まらなかったら素直にドゥシャンベまで飛ぼうと決める。

イスタラウシャンからタクシーで150ソモニなのでそこで捕まえようと思ったら、ホジャンドで同額で捕まってしまった・・・

ラッキーと思ったがそれは実はアンラッキーであった・・・
車がなかなかでない・・・イスタラウシャンでなんかよくわからないが修理してる・・・
こりゃあパンジャケント着くの夜中かなあと思って午後4時になる。
ようやく車がシャフリストーンへ到着して事態を飲み込む。
ようは道が実は開いてなかったのだ!

ぎゃーーーーー

えーーーーーー
明日飛行機で飛ぼうかなあと思ったが金は150ソモニ請求される。
日本の感覚で言えばふざけるなだが、ここはそういうところらしい。
150ソモニといえば40$の額である・・・
どうしようかなあ・・・
まあ、こんなことめったに無いから明日トライしてみるか。
というわけでその日はイスタラウシャンに民泊となる。
落ち着かないが仕方が無い・・・
おじいちゃんのよくわからない話に数時間付き合わされる。
もちろん同乗者が付き合って私は聞き流すだけでさっぱりわからん。

翌日となったがやっぱり道が・・・
というわけで以下いつか書きますですはい・・・
2008/03/19(Wed)

[ またまたビシュケクから ]
現在またまたキルギスはビシュケクである。

最近はほんと暖かくなり、どの位暖かいかというと、先日までカザフスタンはアルマトゥに居たのだが、なんと、粉雪ではなくぼた雪が降るくらい暖かいのだ。
ああなんて暖かいんだ。

ちなみについ最近まで、防寒着は薄手のフリース+ゴアテックスの雨合羽+厚手のフリースといったかんじであり、下半身は、股引の上にGパン、靴は
一応耐寒用の靴+靴下二枚重ねという格好でいたのだが、現在はもう3枚着で靴下も1枚で充分なくらいに暖かい。
ちなみにカザフスタンはトルキスタンというウズベクに近い場所ではなんと雨がふっていた。
何ヶ月ぶりの雨なのだろうか。随分見てない気がする。

そんな陽気なのだが私は何でこんな所に居るのだろうか。
ほんとなら今頃タジクはドシャンベに居るはずなのに・・・

いやね、大ボケぶっこいて、カザフでレジストレーションを忘れてしまい、アルマティの空港で出国拒否喰らったのである。
いやあ、普通さ、出国だよ出国。出るってんだからいいじゃねえかよ。
入国拒否はよく聞くが、出国拒否は生まれて初めてでありそれを自分が体験するなんざ夢にも思わなかったのである。
いや、自分がおおぼけぶっこいたのが悪いのだけどね・・・

で、次の飛行機は2/25、ここに3泊もしなきゃならず、航空券の変更は+5000円で受け付けるとの事。
冗談じゃない。カザフの滞在費を考えればチケット変更など全部ひっくるめて総計150$程度の出費が想定される。
おまけにビザがもう限界ギリギリ(当時2/22で2/23がリミット)のためビザの延長およびレジストレーションの罰金まで考えるともっとかかるし、もう金曜日でビザ延長の期間を考えると25の出国すら怪しい。
しょうがないのでレジストレーションだけ済まして滞在費の安いキルギスに出国する羽目になったのである。
キルギスの国内線でタジク国境方面は50$程度であり、滞在費も一日10$もかからないのだ。
カザフにこれ以上居るのは出費面において馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

いや、カザフ自体は良い国ですよ、ほんと、馬鹿馬鹿しいレジストレーションが無くて物価が安ければ。

というわけで現在またビシュケクでござい。
「そんなこともあろうかと」、キルギスのビザがダブルエントリーで正解だったのである。
けどキルギスビザも今日(2/23)で切れる・・・
OVIR行ったら土曜で開いてない・・・
欝だ。

ま、月曜開いてるそうなので延長と罰金で済ますのである。
まさか強制退去は無いだろう。
陸路でいけるのであれば、国境で罰金払って抜けるんだけどね。
タジク国境へは道の途中ウズベキスタンの飛び地があり、当然ウズベキスタンのビザが必要で(アホか!)そこを迂回する道もあるけどそうなると車のチャーターになって飛行機より高くなりますですはい。

ドシャンベへ行く飛行機が早朝便であったため、カザフのレジストレーションが早めに済めばその日のうちにビシュケクで延長手続きできるかなと思ったが、レジストレーションで丸一日消費。
ビシュケクで宿に着いたのはその日の夜中の11時である。
ああ、なんか、もう、ああ、自分が招いた阿呆とはいえ・・・ああもういやになる・・・

てえか国外強制退去だけはごめんであるというか、タジクビザ持ってんだからそっちに退去させてえ〜〜!
てえか毎日飛べよタジクAir!
2008/02/23(Sat)

[ カザクスタンはたけえ ]
現在やっとカザクフスタンはアルマトゥでござい。

何から何までほんと高い・・・
飯4ドル5ドル当たり前って日本じゃねえんだぞ。
宿代も2000円だべ。

キルギスが飯代はその半額。
宿代は1/3〜1/4だったのでなおさら高く感じるというか、
はっきり言ってメキシコよりたけえ。
チリ・アルゼンチンは裸足で逃げ出してしまうでしょう。
物価に比べて安いのはバス代くらいか。
そりゃそうだものねえ。
96オクタン燃料で96円/Lだもの。
原油高なんてどこ吹く風といった具合だ。
ま、カスピ海から原油が出るんで安いんでしょう。

ちなみにここの通貨テンゲはほぼ日本円と同額なため計算が楽である。
てえか故意に日本円と合わせてるんじゃねえのか?

しかし、最近は昼間はほんと暖かくなってきた・・・
敦煌周辺の寒さが嘘のようだ・・・
もうすぐ春なんだねえ・・・街中の雪が溶けてきましたよ・・・

夜は相変わらずクソ寒いけどな
2008/02/17(Sun)

[ インビテーション日記 ]
現在未だキルギスはビシュケク。
何してるかというと、ドラクエIIIで一人勇者でやっとレベル40じゃなくて、インビテーション待ちである。

12/21に申請しているのに未だ降りないのは旅行会社の怠慢以外何者でもない。
というか、現地代理店の怠慢なので、これで日本側の代理店を責めるのはかわいそうである。
昨日やっとウズベキのインビテーションを受領したが、今日大使館に聞いたところ、3日かかるという。
ビザは23までなのでこれじゃあカザフスタンには日程的にかなりきつい。
ドシャンベか国境の町バトケンまで飛ぶにしてもこの時期のため便が無いのだ。
カザフから飛ぶという手もあるが、そっちもそっちでフライトスケジュールが不明なのである。
ああ踏んだりけったりクソッタレである。
おまけにタジキスタンインビテーションが未だ降りない。
もうクソッタレだ。
PCに正義の鉄槌を食らわせたい所だが、それをやると刑務所に招待されるのでそれだけは勘弁である。
ああ、カザフスタン・・・カザフスタン・・・

といったってあっこは異様に物価が高い国なのでみんな敬遠するんだけどね。
だって宿一泊2000円、飯2〜4ドルってここ周辺じゃ考えられんよ。
あの国何で食ってんだ?
2008/02/13(Wed)

[ あるポーランド人の話 ]
ここキルギス共和国はカラ・コルというイシククル湖のほとりの町に、最近まであるポーランド人が居た。
最近までというのは、最近までご存命だったということだ。
今はもう天に召されている。

彼は、ポーランド人であるからして生まれた時からキルギスに居た訳ではない。
元々はポーランドに住んでいた。
だがある日、ポーランドにドイツが攻めてきた。
知っての通り、ポーランドは敗北し、ソ連とドイツに分割された。
彼の家族はドイツ軍により皆殺しにされ、彼一人、家の屋根裏に隠れて難を逃れた。
彼はしばらく屋根裏での生活を余儀なくされた。
昼間は外に出れるが、夜はドイツ軍が帰ってきて家を占拠していた。
そんな状態がしばらく続き、その後彼は屋根裏を出て国境の境目で職を得た。
そこでお金をためた後、彼はソ連領内に移動した。
当時彼はポーランド語とヘブライ語しか話せなかったので、ロシア語はソ連領内を移動中に覚えた。

ソ連領内で彼は病院で職を得た。
その後、彼は兵隊になりたかったらしく、病院の先生に相談した。
しかし先生は、
「お前は兵隊に行ったら二日後には死ぬぞ」
と言われ、代わりにソ連のパスポート代わりになる書類をもらった。

その後彼は病院を出て戦争の無いソ連内陸部へ移動した。
移動の際に役に立ったのは病院でもらった書類である。
どこをどのようにして移動したかは判らない。
だが、最終的に彼は山の国キルギスタン、美しい湖イシク・クルのほとりの町カラコルに定住したのである。

彼はそこで評判の良いドイツ語教師として一生を終えた。
しかし、彼の教えたドイツ語は、ポーランドの屋根裏で覚えたドイツ語だったのである。

ソ連時代は自分がポーランド人であることを隠して生き抜いた。
ソ連崩壊後、初めて明らかにし、たまに来るポーランド人はよく彼に捕まっていたらしい。
晩年はぜひ自伝を書きたいと言っていたという。
実現してたらさぞかし興味深い本となっただろう。

これが私がつたない英語聞き取り能力で聞いた話の全てである。
なんでこんな話になったか、一緒にポーランド人とロシア人のカップルが居たからだ。
彼女ポーランド人のお母さんもかなり苦労したらしい。
それにつられ、現地ガイドが持ち出した話がこれだったのである。

陸戦に民間人が巻き込まれるということは悲劇以外何者でもないのだ。
2008/02/09(Sat)

[ ビシュケク誰もいない日記 ]
現在ビシュケクでござい・・・

旅行者ゼロっす・・・

日本語ハナシテエエエ!!
キーーーーーーーーーーー!!!!

2008/01/30(Wed)

[ カシュガル日記 ]
現在カシュガル。
シルクロードのオアシス都市であるといっては聞こえがいいが、
現在はまっしろけっけの雪の町である。

けど、ここまで来て、ウイグル人にビクビクしてた自分を再確認する。
言葉は何とか漢語が通じる程度できゃつらの書く漢字といったらもうさっぱりである。
けど、実際なんか会話をしてみると、普通のイスラム教徒らしく素朴で親切だ。
まあ、怒鳴り散らして喋るので怖くはあるが・・・

ここからイルケシュタムまで行くつもりだが、なんか情報がさっぱりでわからん・・・
ここからイルケシュタムまで行くには、一番確実なのは国際バスなのだが、50$と書いてあるオシュ行きは440元、65$である・・・
おまけに自分のビザは1/25インなのでそれ以前には入国不能であり、よりによってバスは24に出るのだ。
25には何もなく、それを逃すと26・27は国境が開かないので28まで待ちぼうけである。
ここまでせっかく急いで来たのにそれじゃあんまりである。

そこでローカルな公共手段を使おうと画策したが・・・・
イルケシュタムまでの途中の町、ウーチャーから先は公共機関がないとか、イルケシュタムまで300元でつれてってやるとかもう怪しい情報ばかりだ。
ほんとはもうちょっとゆっくりしたいのである。
だが、仕方ないので明日、ウーチャーに行って情報を仕入れようと思う。
仕方ない・・・ほんと、なんでこんな急いで疲れてるのだろう・・・
2008/01/23(Wed)

My Diary Version 1.2
[ 管理者:P-kun 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]