蒼空の果てに

     単独飛行

 離着陸の同乗飛行も、四週目を過ぎるころになると「単独飛行」が話題になり始める。 それだけ上達した者がいるのだ。その反面、自信を喪失して悩んでいる者もいる。そして、 だれからともなく、教員の教え方に問題があると言いだした。  待機中に他の練習生が着陸する様子を見ていると、分隊長からの講評を聞くまでもなく、 上手に着陸する者がいる反面、派手にジャンプしてそのままやり直したり、ドッスーンと 失速して、今にも飛行機を壊すのではないかと、ハラハラさせる者もいる。そして、ペア によって偏りがある事に気がついた。  先任教員のペアは、皆きれいに着陸する。それに比較して、私たちのペアは割合い落下 着陸する者が多いように思われた。これは、教員の経験の差であるということになった。 確かに、うちの教員は教え方が下手だ。飛行中も、ああしろこうしろと、操縦要領につい ての助言などしない。 「それでも、真っすぐ飛んでいるつもりか!」 「どこを見て飛んでるんだ!」 「球が滑っとるのが、分からんのか!」 (球が滑るとは、旋回計の球が中心を外れることで、手足の舵の使い方が釣り合わないた め飛行機が横滑りしている状態) 「馬鹿野郎! 俺を殺す気か!」 と、怒鳴るだけである。確かに実施部隊勤務の経験もなく、実用機教程を卒業して、その まま九三中練の教員に逆戻りしたと聞けば、何か裏がありそうな気もする。  また別の説がでた。陸攻(陸上攻撃機)出身の教員が上手で、戦闘機出身者が下手だと 言うのである。うちの教員をみる限り、どちらも当たっているようである。下手な教員に 割り当てられて運が悪かったのだと、諦めるしかない。  「誘導コース」の回り方一つをとっても、陸攻出身の教員は比較的大きく回り、旋回も 緩やかである。それに比べて戦闘機出身の教員は、大きなバンクで小回りする。そのうえ、 第四旋回の位置など極端に飛行場に近い。だから、練習生にすれば時間的に余裕がなく、 落ち着いた操作ができない。これらは、出身機種による性格の現れであろうか。  練習生はペアごとに、受け持ちの教員から飛行前と飛行後に、 その日の訓練内容につい ての指導をうけることになっている。他の教員は、個人ごとに悪いところを指摘し、操作 要領などを懇切丁寧に説明している。ところが、うちの教員ときたら、 「教員、飛行後の注意をお願いします……」 と、言っても、 「お前らに注意することなんかないよ……」 そう言って、取り合ってくれない。更にお願いすると、 「他人の飛ぶのを、よーく見とけ!」 「お前ら、飛行機は玩具じないんだぞー、も少し真剣に扱え!」 などと、具体的な説明などしない。たまには個人ごとに注意することもある。しかし、 「今日ジャンプしたのは、どこが悪かったのか分ってるのか! 反省しとけ!」 「お前はまだ、五メートルの判断ができんのか! そのうち事故を起こすぞ……」 などの注意である。どこが間違っているから、どのように操作せよといった具体的な指導 などしない。
          飛行前後のペア教員の指導。
      * 「おい、いよいよ単独飛行だなー、少しは自信ができたか?」 「お前たちのペアは教員に恵まれていいよなあー、俺たちをみてくれ、飛行前後の注意な んか、まともに聞いたことないんだぞー」 「いやいや、うちの教員ときたらくどくどと文句が多すぎるよ。そのうえ昨日言ったこと と、今日言うことが違うんだ。昨日はもっと大胆に操縦せよと言っておきながら、今日は   操縦桿は細心の注意を払って握れ、なんて言うんだ」 「それにしても、 どの教員が一番教え方が上手なんかなー」 「村山練習生の話では、一般的に陸攻出身の教員が教え上手らしいよ」 「うちの教員は戦闘機出身で、気が短くて怒鳴るだけだ。操縦の要領などちっとも教えて くれん。それに教員になるには飛行時間が少なすぎるよ」 「いやいや、飛行時間が多いから教え上手とは限らんよ、要するに教員のやる気の問題だ」 「そうだよ、やる気のない教員が多すぎるよ、戦地がえりの連中は外出して遊ぶことばか り考えている……」 「戦地がえりだけでじゃないぞー。今遊んでおかんと、いつ前線に引っ張り出されるか分 からんと思って、皆遊ぶことばかり考えている」 「なんでもいいから、早く単独を許可してくれんかなー」 「急くな、急くな。出水空の飛練での話だが、単独を許可された途端に怖じけづいて着陸 することができずに、誘導コースを百回も回った者がいるそうだよ……」 「ソラつくなよ、百回とは大袈裟だ、そんな話が信用できるか」 「いやいやその話は俺も聞いてる、これは本当の話らしいよ」 「そうらしいなあー、 なんでもその出来の悪い奴は、実施部隊に行っても使い物にならん ので、飛行経験を積ませるため、飛練の教員に逆戻りさせたらしいぞ……」 「おいおい、それはうちの教員のことじゃないのか?」 「アーアッ、今の調子じやーいつ単独になれることやら……」  搭乗員仲間では「ソラをつく」という言葉が流行っていた。「ほらをふく」「馬鹿話を する」程度の意味で使っていた。語源は詳らかではないが「空言(そらごと)」と「嘘を つく」を混ぜ合わせて、だれかが作り出した言葉であろう。       *  いよいよ待望の「単独飛行」が近づいてきた。 「○○練習生、離着陸単独、出発しまーす」 と、だれが先陣を切って地上指揮官に報告することになるのだろうか。


 単独飛行許可の技量をチェックするため、教員が交互に交替して同乗することになった。 搭乗割を見ると、私たちの飛行機には先任教員氷室上飛曹が後席に乗ることになっている。 彼のペアに比較して、私たちのペアは決して上手とはいえない。これで単独飛行も当分お 預けになるだろうと覚悟を決めた。  先任教員を後席に乗せて、いつもの要領で離陸地点に向かう。早速後ろから注意が飛ぶ。 「見張はよいかー、ハーイ、遠くに目標をきめてー」 「右足の応舵は、こまめにやれー」 「ハイ、六十ノット、操縦桿を緩めよー」 「そこ、第一せんかーい」 「高度二百五十水平飛行、エンジン絞れー」 「次ぎー、第二せんかーい、もっと浅くー」 「ハイ、 戻せー、ヨーソロー」 「指揮所をよーく見ろ、風向きは良いかー」 「そこ、第三旋回、もうちょい回れー、ハイ、戻せー、ヨーソロー」    「こーかー、エンジン絞れー」 「第四せんかーい、ゆーっくり回れー」 「モーチョイ、頭を押さえろー」 「そこ、五メーター」 伝声管を通して、至れり尽くせりの助言である。飛行機はピタッと接地する。ウウーン、 これだー、先任教員のペアなら、俺にだって上手に着陸できるのだ。教え方の問題だ。  翌週から次々に「単独飛行」が許可され始めた。私たちのペアも人並みに「単独飛行」 の許可がおりた。翼の張り線と尾翼に赤色の小さな「吹流し」を付ける。初心者マークで ある。後席には重心を保つため教員の代わりに砂袋が積み込まれている。だから、もう後 ろから怒鳴られる心配はない。  胸がワクワクする。やっと、自分独りで飛行機の操縦ができるのだ。念願の大空を自分 の腕一本で飛べるのだ。 後席にはだれも乗っていない。しかし、いつもと同じ要領で「離 陸しまーす」と、小さな声で呼称しながら、スロットルレバーを出していく。  第一旋回、第二旋回と慎重に操縦する。第三コースで真横に指揮所を見下ろしながら、 腹の底から笑いが込み上げてきた。嬉しくて嬉しくて、 何か叫びたい気持ちである。なん ら今までと変わらない操縦ができた。グライドパスも上々で接地もまづまづである。再び エンジンを全開して離陸する。予定どおり、前後三回離着陸を繰り返して列線に帰った。  交替して見学の位置につく。今度は今までと違い、落着いて他人の操作を見ることがで きる。指揮所から見学していると、 「単独飛行」を許可されたのに下手な着陸をする者が いる。よく見ると、「同乗飛行」の際はきれいに着陸して、胸を張っていた者である。  私は考え込んでしまった。うちの教員は教え方が下手というより、間違いは指摘するが、 どうすればよいかは教えなかった。だから、私たちのペアは、怒鳴られながらお互いに話 し合って自分自身で工夫し、試行錯誤を重ねながら、一つ一つを身に付けて上達していた のであろう。  ところが、教え上手とみていた教員のペアの練習生は、後席から適時に適切な助言を受 け、それに従って操縦すれば万事うまくできるので、それを実力と思い違いしていたのだ。  教員の指示どおりに動くロボットになっていたのである。だから、「単独飛行」を許可さ れ後席からの助言がなくなった途端、自信を喪失して操縦に乱れがでたものと推察される。 この現実から、実技教育の神髄を悟った思いがした。 九三式中間練習機
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