蒼空の果てに

航空記録

 横田君の航空記録によれば、百里原空での九七式艦上攻撃機による飛行訓練は八月二日 から開始されている。八月二十二日からは編隊飛行が開始され、発射運動を開始したのは 九月十八日となっている。  続いて九月二十六日からは定着訓練が開始されている。当時の艦攻隊では飛行訓練の際、 「定着マーク」が常に設置されていた。編隊飛行であれ発射運動であれ、帰投して着陸す る場合は必ず「定着」が義務づけられていた。  またこの時期、十七試艦攻「天山」の同乗飛行が記録されている。しかし、これはわれ われ練習生に対する操縦訓練ではない。教官や教員連中が「天山」で操縦訓練を行う場合、 後席にバラスト代わりに乗せられ、慣熟飛行を兼ねていたのである。「天山」での操縦訓 練は実施部隊に出てから、錬成訓練として実施された。  横田君の航空記録には、十二月に百里原空での搭乗が記録されてない。これは彼が離陸 失敗の事故で負傷し、入院していたからである。この時期は、単機で行う「発射運動」が 終わり、最後の仕上げとして編隊で行う「襲撃運動」が実施されていた。  横田君は卒業直前に退院し、卒業は認められたが、「襲撃運動」の訓練が未習のため、 実施部隊に配属されず、練習航空隊である鈴鹿空に転属し、機上作業練習機の操縦教員と して勤務することになった。
航空記録を保存していた横田1飛曹
白菊操縦席の横田一飛曹。
百里原空時代の実施事項摘録(様式第四)。
飛行一回毎に、機種・機体番号・飛行時間及び実施事項を記録する。 艦攻の機体番号は本来300番代である。機体番号500番代は偵察席を改造して操縦席 と連動の操縦装置が装備されていた。この機体をわれわれはデュアルと呼んでいた。

慣熟飛行同乗・離着陸同乗・編隊飛行・離着陸同乗・編隊飛行。

編隊飛行・発射運動・計器飛行。

定所着陸・発射運動・計器飛行。

定所着陸・計器飛行。

薄暮定着・計器飛行。

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