蒼空の果てに

     「菊一文字」を買う

   鈴鹿基地では、天気の許す限り前述の航法・通信訓練を、毎日のように実施していた。 一日に六時間から七時間に及ぶ搭乗である。それでも、たまには休養外出が許可された。 ある日、せっかく近くまで来ているのだから、伊勢神宮に参拝しようと、二、三人連れで 白子駅から電車に乗った。 車中に私の受け持っている甲飛十三期生が乗り合わせていた。いろいろ話を聞いている と、彼の実家が宇治の町で旅館を営んでいるそうで、今日も帰省途中とのことであった。 誘われるままに、早速一晩お世話になることにした。  駅に着くと、まず外宮に参拝した。門前町には土産屋が軒を連ね、いろいろな土産物を 売っていた。その中で、「菊一文字」の短刀を見つけて購入した。房紐つきの紫色の袋に 入った、なかなか立派なものである。 菊一文字
  菊一文字
 私は去る五月一日付で、一等飛行兵曹に昇任しており、航空加俸を含めて、八拾円近い 俸給を戴いていた。搭乗員は特例(昭和二〇年官房人第七六号)により、昇任と同時にそ の階級の最高額である、一級俸を支給されていたのである。  ところが、当時は外出しても開いている店は少なく、特に飲食店などはほとんどが休業 状態であった。お金は有っても買う品物が無い時代である。その点、門前の土産店には、 喰物以外ならいろいろな品物を売っていた。  内宮は遠いからと、勝手な理屈を付けて参拝を省略し、早々と旅館に帰った。そして、 持参した酒で早速会食を始めた。久しぶりに畳に座っての食事である。旅館の方も、息子 が世話になっている先輩と知って気を遣い。大御馳走を並べての歓待である。お伊勢参り の御利益は覿面に現れたのである。

     新鋭機「烈風」

   鈴鹿基地のエプロンには《キューン》と、独特な金属音を響かせる迎撃戦闘機「雷電」 が二十機程度並べられていた。ただし、ここに戦闘機の飛行隊はない。これは、飛行場に 隣接する工場で組み立てられた機体を、試験飛行して受領し、関係の飛行隊に送り出して いるのであった。  同じように試験飛行をしている中に、見慣れないやや大型の機体が一機あった。最新鋭 の戦闘機「烈風」である。まだ試作機として二機だけしか組み立てられていないとの話で あった。零式戦闘機の後継機として設計開発されたもので、優秀な性能を持っている戦闘 機とのことである。
局地戦闘機「雷電」
  局地戦闘機「雷電」
新鋭機戦闘機「烈風」
  新鋭機「烈風」
   
 これら新鋭機を見るたびに、谷田部航空隊での機種選定で戦闘機を希望しなかったこと
が、今ごろになって悔やまれてならない。やはり、戦闘機を選ぶべきであった。実施部隊
に出て、つくづくそう感じていた。

 敵機の空襲がある度に、艦上攻撃機は空中でも地上でも逃げ回るばかりで、戦闘機のよ 
うに、華々しく空中戦を闘うことができないからである。しかし、いまさらどうすること   
もできない。戦闘機出身の受け持ち教員梶谷兵曹が、
「戦闘機の延長教育では、こんな生易しい罰直ではすまされぬぞー」
と、言ったことが私の進路を決定したのである。もしあの一言がなく、予定どおり戦闘機
を希望しておけば、今ごろは、これらの新鋭機に乗って、空中戦に参加しているのにと思
うと、残念でならなかった。      

 例え「特攻」を命じられたとしても、夜間よたよたと飛ぶしか能の無い、「白菊」に比
較して、戦闘機による「特攻」は、見た目にも勇ましく、戦果も充分に期待できるからで
ある。

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